第32話
「よお、やっときたか。かなりの出遅れだな、テツ」
ポールはなみなみとワインが注がれたコップを掲げていった。まだ昼だというのに顔を赤くしている。すでに結構な量を胃に収めているようだった。
酒が大好物だというほどでもないテツはその酒臭い息に顔を顰め、辺りの惨状を観察した。
ひとつの広間を貸しきった傭兵団の面々は思い思いに料理をかっ食らっている。ポールはシンシアを抱き寄せ酌をさせていた。その彼女も合間に肴の同伴に預っていてご機嫌である。
「テツゥ、やっと起きたの? 遅いんだからぁ」
「うわっ、くさ。酒くさっ」
しだれかかってきたシンシアを押し戻す。彼女は「いけずう」と切ない目を向けてきたが、半分テツを見ていない。かなりできあがっていた。
「こんなに飲んで、いざというときに動けないんじゃないか?」
「おうおう。それはおれたちを甘く見てるってもんだ。そのくらい考えて飲んでるっての」
「本当かよ……?」
疑わしげに口にすると、ポールはむっとした表情を浮かべた。じゃあ証拠を見せてやる、といって立ち上がる。その場で飛び跳ねて「でやあ」とか奇声を上げた。
「うう、気持ち悪い」
「そりゃあ、酔ってるのに激しく動きゃ、そうなるよ」
口元を押さえてうずくまるポールの背中をさすってやる。自分でもショックなのか、彼は少し自重せにゃならんなと呟いていた。
ポールの介抱をシンシアに任せて部屋の中央まで行くと、肩を掴まれた。テツが横を向くとアメジストの瞳と目が合った。しばらくじっと彼の虹彩を観察するかのような圧力が感じられる。
極端に少ない瞬きをやっと行った頃、そのバイオレットの持ち主、クリスティナは「この肉」と皿に乗った料理を差し出してきた。
「これ、おいしいよ」
「え、ええ。ありがとうございます」
何を考えているのかわからない顔が頷かれた。彼女は無表情ではあったが、推測するにテツが料理を食べるのを待っているらしい。無言で期待感を示されるのは初めての経験である。彼は雪山でイエティに冷麺でもすすめられた気分になった。
朝食を食べたばかりであったが食べないわけにもいかないので、
「うん、おいしいですね」
「ほんと?」
「ええ。すごく」
純粋にそう思ったので答える。クリスティナが一押しするだけあってとても美味だった。味付けが大雑把ではなく、上品であるのも評価が高い。
テツはなるべく伝わるように感想を述べる。しきりに同調していた彼女は、テストで100点を取った弟を褒めるみたいに彼の頭をなでた。相変わらず眠そうな目付きであるが、瞼はいつもよりかは二割増しで開いているかもしれなかった。
十分にテツの髪の感触を楽しんだクリスティナは、そのままふらりと旅立った。新たな料理を求めてテーブルへと向かったのだ。
皿を手にしたまま彼女の後ろ姿を見送り、残っている料理を立ち食いしながらテツは歩みを再開する。
部屋の奥まであと少しというところでアリアとサツキに遭遇する。珍しい組み合わせだった。多くの人と交友を持つのはいいことだ、とアリアが順調に交際の輪を広げていっていることに安堵する。彼自身があまり人付き合いのうまい方ではないので、その大切さは身に染みているところである。
「テツさまっ」
とてとて近寄って来る少女の姿はテツに潤いをもたらした。なんだかんだいって彼女を受け入れつつある自分に驚きを隠せない。以前ならば、どうやっても引き離しにかかっていたに違いないからだ。
この少女はか弱いだけとは違う。何か大きな覚悟を抱えて生きているのだ。それを感じられるから同等の存在として受け入れる。テツから彼女が学ぼうとしているように、テツも彼女から学ぶものがある。
「よかったです、怪我も軽かったようで」
「交代で看病してくれたんだって? ミコト姉さんに聞いたよ。サツキさんもありがとう」
ふたりは照れ隠しするようにはにかんだ。
「テツさまはやっぱり凄い方です。やっとみんなもわかってくれました。わたしもとても嬉しいですっ」
まるで己のことのように喜びを表すアリアに苦笑する。団長との試合を見て怯えてしまうのではという懸念は無用だったようだ。むしろ以前に増して尊敬の念が強まっているように見受けられる。
しばらく迷って手を彷徨わせたテツは、思い切って少女の頭をなでてやった。ぎこちなく荒っぽい動作だった。それでも嫌な顔ひとつしないで彼女は受け入れた。
「ありがとうな」
アリアは目を細めて「はい」と口にした。雪解け水が小川を流れるような澄んだ音だった。白く、儚い。
隣でサツキがテツの手元を覗き込んでいる。クリスティナから貰った料理に興味を示しているようだ。
「食べる?」
こくりと頷いて小さな塊を手に取る。それを口に含むと「はひ」と鳴き声だか歓声だか区別できない声を彼女はもらした。ずい、とテツに近寄ってもっと食べたいことをアピールしてくる。だが彼の皿に残っているのは僅かばかりだった。
それを見て酷く悲しげな顔をした。サツキはまるで大好きな祖母が死んでしまったような表情を皿に向ける。
慌ててそれをクリスティナに貰ったことを説明すると、確かな足取りでサツキは駈け出していった。去り際にびしっと敬礼していく。特に意味はない。彼女の動作はいちいち摩訶不思議である。
「そういえばキョウイチたちがいないな」
ミコトとスイも顔が見えない。あの女人たちなら、放っておいても我が物顔で参加していると思ったのだが。
部屋を見渡して彼らがいないことを確認する。アリアへ疑問の視線を投げかけると、
「今日は今朝からみえていませんね。どうしたのでしょうか」
小首を傾げて彼女はいった。
「もしかしたらお部屋に居らっしゃるのではないでしょうか。あの方々は騒がしいのが好きではないようですし」
否定的なニュアンスがあった。恐らくフードのふたりを思い出しているのだろう。アリアは彼女たちを好いていないようだったし、避けている節もあった。向こうはそんな様子を見せないだけに、彼女が一方的に嫌っているのだった。歳が近いのだから仲良くすればいいのにと思うものの、誰とでも仲良くする必要もないかと納得する。テツだって、理由もなく苦手だったり嫌っている人間がいるのだ。それは団長だったり団長だったり。
「姉さんもいないのか……」
「そうですね。ミコトさまが居らっしゃらないのは珍しいかもしれません」
あの元気な顔が見られないだけで調子が出ない気がした。テツは自然とテンションが下がるのを自覚して、無理やりに「残念だな」と笑顔を作る。
テツの様子を見上げてくる少女には筒抜けである気がしたが、虚勢を張ることくらい許して欲しいところだ。男の子なのだから。
「あの……」
「ん?」
「テツさまは、ミコトさまとは古いお知り合いなのですよね?」
「そうだよ。ぼくがまだこんなだった頃からのね」
右手の人差し指と親指で「こんな」を作ってみせると、アリアは小さく吹き出した。
「姉御肌のお姉さんだった。道場、ああ、ぼくらは剣術をみなで習っているのは知ってるよね? その剣術を教えてくれる先生の家の子供だったんだよ。ミコト姉さんとキョウイチは。友達を作るのが苦手だったぼくに声をかけてくれたのが姉さんでね。初めは何だこの人って思ったんだけど、構われているうちに打ち解けることができた。とても世話になった人だよ」
アリアは話を聞いて黙り込んだ。口をいったん開きかけ、それから焦れったそうに無理やり閉じる。
何かいいたいことがあるのだろうか。テツは辛抱強く待ったものの、彼女は口にするのを諦めたようだった。
「とても仲がよろしいんですね」
「そう、かな。そう見えてるなら、ちょっと嬉しいかもしれない」
気恥ずかしくなって頬をかく。その様子をじっと見ていたアリアは、
「テツさまは団長さまに挨拶なされるんですよね? そのあとにお話ししませんか。ミコトさまも誘って」
この少女のいう「団長さま」は一番奥の席にいる。仮にも傭兵団のトップである彼に挨拶をしないわけにはいかない。特にこのような酒宴の席にあっては。
「いいよ。こんなご馳走、食べなきゃ損だもんね」
一緒に食事する約束をして彼女と別れる。ミコトは探せばすぐに見つかるだろうし、あのふたりは結構仲のいいみたいだから見ていて安らぐ。一緒にいても疲れない、気を使わなくていい存在というのは得難いものである。そんな仲間を持てたことにテツは感謝した。
団長の下へと向かう途中、あまり話をしたことのない団員が手を上げて挨拶してきた。それに軽く頭を下げて答える。実力主義の傭兵団において、テツは小間使いから少々ランクアップしたようだった。
酌をさせながらふんぞり返っていた団長は、テツがやって来たことに気づくと不適な笑みを浮かべた。腕にはまだ包帯が巻かれている。一昨日にテツの剣が負わせた一撃である。とはいっても、表面を軽く斬っただけなので怪我の内に入らないかもしれない。
「よく眠れたようだな。顔がいつもより男前だ」
テツはまだ顔の側面が治りきっていない。包帯は取れているが傷跡は生々しい。それを皮肉って団長はいった。
「おかげさまで。団長も軽症のようで何よりです」
「残念だったろう。わたしの腕を斬り落とす絶好のチャンスであったのに」
「いえいえ」
テツは苦笑しながら否定した。目は笑っていない。
「ガーティ様もいたく満足して頂けたようだ。こうして酒宴の席まで用意してくださった。昨日の席では、おまえがいないのを残念がられていたぞ」
「ガーティ様とは今朝お会いしました。お褒めの言葉も頂いています」
団長はグラスを傾けてから、事務的に頷いた。中身が空になったようで、横に軽く掲げるとすぐに女が酌をする。新たに注がれたぶどう色の液体を興味深く眺めていた彼は、それを口にはせずテーブルに置いた。
「ぼくらを戦わせたのは、ガーティ様の気を逸らすためですか?」
ずっと疑問に思っていたことをテツはたずねる。団長はガーティの仕官の誘いを断る気だった。けれど貴族の誘いを断るにはそれなりの理由が必要だ。下手に関係を悪化させないためにも、穏便に事を済ませるのがベターだった。
そこでわざわざ模擬戦を行って話をはぐらかしたのだ。観戦によってガーティは満足顔だし、「新入団員の面倒がある」とでもいえば不自然でない断り文句を作れる。
団長はアゴを一撫でした。
「それもある」
「それも? なら他にも目的はあったのですか?」
意外そうにきくテツに向かって団長は意地の悪い顔をした。
「それをおまえにいう必要はあるのか?」
「……」
遠見テツは件の当事者である。けれど団長にとっては、どうでもいいことであるのは明らかだった。いくら主張したところで色のいい返答が帰ってくるわけがなかった。
せめてもの抵抗に肩をすくめてみせる。軽く会釈して踵を返そうとすると、今度は団長から呼び止められた。
「ガーティ様に用意頂いた酒宴の席だ。おまえも参加するのだろう?」
「え、ええ。仲間を連れて顔を出そうと思っています」
意図の掴めない質問に言葉を詰まらせる。テツは無意識的に構えた。
「ならばいい。この席はおまえのために設けられたものでもあるのだからな。その主役が顔を出さないなどという不敬は許されん」
「それは重々承知しています」
全くもってありがた迷惑であるのだが。
「おまえ、あまり酒に強くないようだな」
「恥ずかしながら。団員たちのようにはいきませんね」
テツは人並みに飲めないこともないが、団員たちはみな酒豪といっていい飲みっぷりを見せる。それは幼いときからワインを飲み慣れているせいかもしれなかった。彼らに比べると、テツは肝臓の弱さを感じずにはいられない。
「ならば飲み過ぎないことだな」
予想しなかった一言に目を瞬かせる。まさか団長の口から、飲み過ぎを気遣うような文句が発せられるとは青天の霹靂である。空から槍が降っていないか外を確かめるも、雲ひとつない青空が広がっているだけである。
「飲み過ぎて前後不覚に陥るのはよろしくない。そう思うだろう?」
「……ええ、その通りだと思います」
団長に同意すると、話は終わったとばかりに彼はグラスを手に取った。豪快に杯をあおると、図太い喉が上下した。水でも飲み干すかのような具合である。
そもそも、テツには団長の酔っ払った姿など想像ができなかった。もしも暴れる酔い方だったら、誰も手が付けられなさそうだ。逆にダウン系だったら見てみるのも面白いかもしれない。
団長に一礼してから、テツはミコトを探すために元来た道を戻る。その途中でアリアを拾ってアルコールの匂いが充満した部屋を出た。太陽が高いうちから宴会なんて贅沢も考えものだな、と複雑な心境で姉貴分の捜索を開始した。