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第29話

 途中、敗れたキョウイチとすれ違った。彼らは視線を交わさない。互いに思うところがあった。それは自分自身の問題でありながら、相手に対する問題でもある二面性を孕んでいた。


 キョウイチの刀は折れた。けれど、キョウイチは生きている。それは喜ばしいことであるはずなのに、テツは素直に喜ぶことができない。


 テツは愕然とした。心の奥底で、生き恥を晒したキョウイチを蔑む自分を認めたからだ。困惑する。勝敗なんかよりも、生きていることの方がよっぽど大切であるはずなのに。テツ自身でさえ、最優先するのが生き残ることであるのに。


 キョウイチが敗北した事実が酷く腹立たしい。


 テツは全ての元凶ともいえる男と向かい合った。この男から始まったのだ。仲間を殺された剣に魅せられ、殺人を強要され、テツの目標だった剣を叩き折った。この人間はテツにあらゆる影響を与える。良くも悪くも、ありとあらゆる影響を。


 それが途方もなく気に食わない。そしてどうしようもなく恐ろしい。


 目を合わせてしまった。それだけで心停止してしまいそうになる。ハッタリでも構わないから意気地のない姿は見せたくない。そんな微かな決意も、団長の圧倒的存在感の前には消し飛ばされてしまった。


 初めて出会ったときのことを思い出す。テツは戦おうとは、一瞬でも考えなかった。剣を合わせたら負ける。そう直感したからこそ抵抗しなかったのだ。


 だが今回は違う。抵抗しなかったら殺される。団長はわずかな慈悲も見せずに遠見テツを片々に分解せしめる。それこそ野鳥の首を落とすように気負いもなく。


 ガチガチと歯がなった。眉は緊張でへの字に曲がり、腰は引けている。なんて無様だ、と自分でも思う。


 周囲の観戦人は、いきなりの弱腰に白けた目を向けていた。けれどテツは少しも恥ずかしいとは思わなかった。あのキョウイチが負けたのだ。自分なんかが敵うはずがないのだ。キョウイチが強い。遠見テツよりもずっと強い。


 無言の圧力がかかり始める。早く開始しろ、と。


 「無様だな」


 団長は吐き捨てた。子犬のように怯えるテツを見据え、口元を歪める。


 けれどその表情は、何かを期待していた。弱さを侮辱しながらも、そんなものには興味はないのだ。


 彼は知っている。振り下ろされる剣の前には、勇気も友情も、愛も希望も意味をなさない。それと同様に、恐怖や憎悪といった負の感情も、剣が与える結末には何の影響も与えない。


 「ヤツが負けたからといって何の意味がある。おまえはただアイツに逃避していただけではないのか? 自分は強い人間ではない。善良な人間ではない。常に一歩引いた立場をとって自分を守る。深く人と関わらないのは、自分が傷つきたくないからだ」


 饒舌に団長は語った。ニヤニヤと楽しんでいる気概さえ見せている。いきなり始まった口撃に、周囲は困惑した様子だった。


 その中で、ミコトは悔しげに、アリアは動揺もない静かな様子でテツを見守っている。ふたりはそれぞれに確信があった。その色は、一方は暗く、もう一方は明るい対極的なものだ。


 「ぬるいなぁ、テツゥ……! ぬるすぎる。冷めた調子ならば格好がつくのか? 熱くなる輩を卑下できるのか? 自分は違うと安心できるのか? 他人よりも劣る自分を見ないで済むからか? どうなんだ、テツ」


 一方的な罵倒にも何ら反論できない。それは真実であったからだ。テツが見ないように、考えないようにしている暗部というべきものを団長は穿ってくる。


 ぼくには関係ない。そう気取りないと正気でいられなかった。いつしか醜く変形し、虚像で固めた自分が実像と成り代わった。そのことにすら気づかない。気づいてはいけないと誤魔化し続けていた。


 キョウイチという目標は、いわばその隠れ蓑だった。自身よりも圧倒的強者がいるから、勝てなくても仕方がないと考えることができた。だが、そのキョウイチも敗れ去った。


 能力者などこの世界にはいない。


 この世界にいるのは、遠見テツと同じ無能力者だけだ。


 誤魔化しの効かない同じルールの上に立たされているのだ。


 「あの小僧の剣には何もなかった。ならば、おまえの剣は?」


 恐怖は沸点を超えて、嘔吐感さえ催させる。血の気が引いた身体は極寒の中にいるかのようだ。テツは無性に人恋しくなった。思い出されるのは、ミコトのあたたかな肌だ。あの夜、寄り添ったときに感じた、充実感だ。幸福感だ。


 なのにいま立っている世界は、とても寒い。酷く。どうしようもない寒さだ。


 孤独感。ひとりぼっち。恐ろしいまでの虚無感だ。


 それは、遠見テツにとってありふれたものだった。


 そうだ。そうなのだ。剣には心がこもるなんて嘘っぱちだ。剣は剣でしかない。剣が人を表すなんて嘘っぱちだ。剣は武器でしかない。剣は相棒だなんて嘘っぱちだ。そんなのは人間が勝手に妄想した幻想でしかない。


 キョウイチの剣には何もなかった? そんなの当たり前だろう。


 「―――――ク」


 団長がわらった。テツが口元を歪めた。


 剣は何も語らない。なぜなら、剣は人間を斬り殺すために創り出されたのだから。


 半身になり、身体の力を抜く。テツは目を見開いて団長を見据えた。強大な存在感。圧倒的な力量。顎門を開いて喰い殺さんとする殺気。そのどれもが、意味をもたない。


 なぜなら、それらは剣に一切の意味を与えないから。


 触れる。それは冷え切ったテツの指先よりもさらに冷え切っていた。かたく、無骨で冷たい感触しか返さない。


 それが剣だった。それが唯一の印だった。


 ―――――テツ。剣はおまえを裏切らないよ。


 そう。何もなくても、剣は裏切らない。自分さえ裏切ったとしても、鈍色の鉄は裏切らない。この世で唯一確かな真実だった。


 人間は信用ならない、なんてすれた台詞をいう資格は遠見テツは持ち得ない。なぜなら自分自身が人間という存在を信じていないからだ。信じようとしない者が、なぜ他人から信じられようか。ただ子供のように求めるだけの人間に価値はない。


 それでいい。それこそが自分に相応しい。人を傷つけるしか能のない剣に魅入られた人間の末路としては、これ以上に相応しい扱いが存在するだろうか。


 遠見テツは、剣を抜き放つ。この瞬間、彼は生きることを忘れ去った。






 なんだ、と誰かが呟く。違和感は肥大化して誰もが感じ取れるほどになった。風向きが変わるように周囲の空気が変化する。団長に支配されていたはずの戦場に綻びができ始める。


 それは違和感として感じられるものだった。その発生源、向き合ったふたりの男は、微動だにしていない。ただ睨み合っているだけにしか見えない。だが周囲の人間はわかっていた。すでに斬り合いは始まっているのだと。


 すでに両者とも自身の間合いに入っている。ゆえに動くことができない。行動に移そうとする一瞬を相手は狙ってくるのだと知っているのだ。


 「おいおい、なんだよアイツ」


 一本取られたな、という表情でポールは肩をすくめた。テツが実力者であるのは承知していたが、団長と真剣にやり合えるほどとは思ってもみなかったのだ。下手すれば自分と同等かそれ以上。あの団長とまともに斬り合える精神をもった人間は只者ではないのだから。


 先に動いたのはテツだった。下半身のバネを使って後ろに退く。その際に剣は上段に構えられており、団長が追撃をかければ引き面を放つことができる。団長は警戒して誘いには乗らなかった。


 虚を突かれたのはその直後の行動だった。テツは間合いを取るや否や、今度は一気に距離を詰めた。その奇襲攻撃にも団長は動じず冷静にさばく。横薙ぎの剣を弾き、長大な剣を切り上げた。


 ひゅ、とテツの前髪が剣圧で舞った。薄皮一枚先を死の塊が通り過ぎていく。彼はそれを冷静に見送った。


 テツの顔はすでに強ばっているから、これ以上恐怖の入り込む余地はない。恐れおののき、感情が麻痺している彼は、はたから見れば笑みを浮べているようにしか見えない。観戦している人間は、いままでの誰ともこの青年は違っているのだと思わずにはいられなかった。


 息のつかない攻防が繰り広げられる。テツは団長の一撃を貰うことを何よりも避けていた。最低でも受け流せなければ、重量で負け、筋力で負けているテツの剣は砕け散って終わる。


 そう、遠見テツが生きるも死ぬも、誰でもなく自分自身の力量にかかっている。それが楽しい。わくわくする。そしてふざけていると吐き捨てる。


 体温は徐々に上昇し、熱は筋肉を解きほぐす。テツの動きはさらに俊敏さを増した。


 「……テツさま、凄い」


 呆けたように呟くアリアの言葉は、みなの心に似通った感想だった。傭兵団員たちは、キョウイチもテツも、すぐに片が付くと踏んでいた。もしかしたらどちらかが死ぬかもしれないとまで思っていた。だが蓋を開けてみれば、遠見テツは団長を相手に善戦しているではないか。


 上段からの斬り下ろしに対し、テツは右に避ける。そのまま息をつかずに再度ステップを踏む。団長の斬り下ろしからの振り払いは、虚空を斬り裂くに終わった。


 その様子を見て、団員たちは共通の考えに至る。


 「団長と戦い慣れてる……?」


 ポールが独り言を口にする。確かに、パワータイプとの戦いに慣れているようだった。テツは経験からしか得られないスムーズな動きで剣をさばいている。付け刃では決して行えない所業だった。


 テツの奮闘ぶりに、観戦していた人間が再び熱を帯び始める。口々にエールを飛ばしている。その内容はテツを応援するものだった。


 誰の目から見ても、圧倒的有利なのは団長だった。それゆえに踏みとどまるテツを応援したくなるのだ。歪んだ笑みの形で固まった表情は不気味であった。けれども、その一挙手一投足に健気さを感じさせる。天才的な剣ではない、鍛錬に裏打ちされた剣だ。テツが引きつった顔で剣を振るうたび、彼がどれだけ時間をかけてそれを創り上げてきたのかを痛感させる。


 「こんなに強かったんだね、テツは」


 ミコトの脳裏には、黙々と剣を振り続ける幼き日のテツが蘇った。そしてスライド写真のように、背が伸びて、体つきが逞しくなっても、ただ寡黙に剣と向き合う姿が思い出される。


 弟分の成長に驚かされ、それを嬉しく思う一方で苦々しく思う。団長が狙っていたのはまさにこのときだったのかもしれない。テツを追い込み、剣を振るわせる。うまく行かなければ殺してしまう勢いで実行された結果は、まさに団長の狙い通りとなったに違いなかった。


 ミコトは複雑に、アリアは純粋な尊敬でテツの姿を追う。


 傭兵団の面々はテツの認識を改めざるを得なかった。


 そしてキョウイチは姉とよく似た心境に支配されており、言葉を失って驚愕するスイとは違った危機感に囚われていた。


 状況はいよいよ佳境に突入した。団長の放った一線がテツの顔、右側面を襲った。顔を仰け反らせて避けたテツだったが避け切れず、少なくない血飛沫が宙を舞う。それでも怯まない彼は流れでる血を尾に引きながら、一息に剣をなぎ払った。


 腕を狙った剣戟だった。団長は既に剣を振り下ろしており、腕は伸びている状態である。一瞬の攻防であった。目で追えていた人間は、切り落とされる団長の腕を幻想した。


 驚くべきことに、団長は回避動作を取らなかった。それどころか、相手に向かって突進していった。自身に向かってくる剣に飛び込むなんて、普通はできっこない。だがその結果は、テツの剣は振り切られず、相手の豪腕を浅く斬っただけに終わった。


 そして、その結果は勝敗をも決定していた。テツの剣はこれ以上押せず、引くこともできない。ショートソードであっても対応できないほどの密着状態である。一方、団長の右手は距離に潰されているものの、残った左手で剣を喉元に、テツの晒された喉元に突きつけていた。その刃の部分が剣の腹であったとしても、十分に喉を切り裂いて余りある。


 辺りはしん、と静まり返った。その中心で、テツと団長は顔を突き合わせている。見上げる形となったテツの目は死んでいない。いっそうぎらついていた。自分の喉が切り裂かれたとしても、相手を咬み殺す気概だった。


 「わたしの勝ちだな」団長はテツにいい聞かせるために口に出したようだった。「それともこのまま首を飛ばして欲しいか?」それもいいと壮絶な笑みを浮かべている。この男はやるといったらやるのだ。あと少し時間を経ていたならば、予告通りの事態が発生していたはずだった。


 硬直した筋肉をゆっくりと引き剥がす。テツは油断なく団長から離れた。その目には、自分が映っている。団長の顔ではない。あのとき、剣を取ったときから、テツの世界は自分と自分でないものとだけが存在する世界となっていた。とてもシンプルで、剣を振るうためだけに最適化された世界観だ。そこでは、自分とそうでないものとの区別しかない。意識をする個体が自分なのだとしたら、他の目に映るものは「自分でないもの」だ。そのものたちはテツと同じ顔をしていた。同じ顔をしているからこそ、自分でないと区別することができる。もしそれらが多種多様な顔をしていたならば、どうして自分でないと判断できようか。


 流れ落ちる熱と共に、視界もぼやけてくる。ドッペルゲンガーだった相手が徐々に団長の顔に戻ってくる。それに伴って闘争本能も冷却され、脳内のドーパミンが抑制される。


 ぼくは負けたのだ、と点滅する視界でテツは思った。それは剣術を志してから幾度となく繰り返されてきた感想だった。彼にとって馴染み深く、心地良いのが皮肉だった。


 そうして、プツンと電源を切るようにテツの意識は途切れた。


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