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第28話

 ぎゃあ、という悲鳴と共に崩れ落ちる男。立ち上がってこないことを確かめると、団長は身体の力を抜いた。既に4名の剣士が意識をとばして伸びている。そのどれもが自他共に認める実力者だっただけに、城の兵士たちは言葉を失っている。彼らも噂でセブンス傭兵団の名を耳にしたことはあったとしても、実際に目の当たりにした衝撃は凄まじいものがあった。


 巨大な身体にマッチングしている全長の剣。それは一般に長剣と呼ばれる代物であった。だが団長がそれを手に取ると、まるで長さや重さを感じさせなくなる。まるで人体の延長線のように扱う技量は誰もが舌を巻いた。


 初めは意気込んでいた兵士たちも、手酷くやられる仲間を見て、挑戦する気概がそがれてしまったようだった。「おまえ挑戦しろよ」「い、いや、やめとく」という会話が辺りから聞こえてくる。


 その中から、ひとりの男が歩み出てくる。隊長だ、と誰かがいった。その男は恰幅のいい壮年の男で、身長を別にすれば、体格は団長に勝るとも劣らない。


 部下が殆どやられてしまったので、出てこないわけにはいかなくなったのだろう。その表情は緊張していたが、かたくなり過ぎてもおらず、実力を発揮できないこともなさそうだった。


 すでに多数を相手取っているはずの団長は息ひとつ乱していない。そのことからも実力の程が想像できた。


 今日一番の対戦カードだと悟った周囲の注目度が増した。離れた位置で観戦しているガーティも、自勢最良の剣士の活躍を期待して目を輝かせていた。


 団長と男の両者は、ぽっかりと開いた人混みの狭間で立ち会う。剣を眼前で垂直に立て、目礼し、剣の打ち合いは始まった。


 「あのオッサンやるなあ」


 テツの隣でポールが呟く。確かに、いままでとは違って早々に決着がつくということもない。派手さはなかった。それでも、手に汗握る間合いの取り合いは、剣を手にしたことのある者ならば理解することができた。


 「団長は丁寧な剣を振るうんですね」


 ポールと一緒にテツをサンドウィッチにしているミコトがみなの心境を代弁してみせる。団長とは共に戦場を駆けた仲であったが、じっくりと剣を振るう姿を見たのは今回が初めてである。


 体格の差というものは如何ともしがたく、それは一種の才能として数えても問題ない。どんなに技を極めたとしても、小柄な人物と大柄な人物とでは、差が出てくる。でなければ「階級差」などという言葉も必要ないはずである。


 その点、恵まれた体格に任せた力押しの剣は馬鹿にならない。蝶のように舞い剣戟をかわす、なんて離れ業はごく一部の達人にしかできないのだから。大抵は剣を受けざるを得ない。そして、その受け身ごと叩き折る可能性を秘めた剣が団長の剣である。


 だというのに、実際の彼は慎重に事を進める。やぶれかぶれ、なんて単語は彼の辞書にはないようで、確実に追い込んで攻め倒すのだ。大振りの隙を狙う相手からすれば悪夢のような嫌らしさである。


 剣戟の音はまだ続いている。いい加減焦れる頃ではないか、と誰もが思い始めたとき、団長が動いた。いや、動いたという表現は語弊があるかもしれない。彼はそこから一歩も足を動かしていない。だが確実に動いた。変わったのだ。


 ―――――団長のオーラとも呼べる気質が。


 それまでとはうって変わった凄惨な表情。身体中から相手をひねり殺さんとする殺気が溢れ出ている。ドロドロとした空気はみなの瞳に描写されていても不思議ではなかった。


 そうだ、これだ。テツは口元が引きつるのを感じながら思った。団長とのファーストコンタクト、仲間が惨殺されたときのあの場面。どうしようもなく恐ろしく、どうしようもなく魅了される剣。


 悪意を塗り潰して微塵も感じさせないほどの、純粋なまでに殺意をむき出しにした剣。目が合っただけで死んだのではないかと錯覚さえしてしまう。圧倒的な剣だ。


 周囲の人間は空気にのまれ、青ざめている。ガーティさえも目を見開いて身動きが取れないでいる。団長はたったひとりであるはずなのに、この場にいる全員の生殺与奪権を握っているかのようだった。


 相手の男は動きの精彩を欠いていた。意志とは無関係に身体は殺気に反応してしまい、思うように動けないのだ。動物的勘が鋭ければ鋭いほど、その傾向は顕著であった。それはつまり、相手が場数を踏んだ達人であればあるほど効果があるということになる。


 その後の推移は推して知るべしである。突きつけられた剣が離れたとき、自分の首がつながっているのが信じられないという顔をする男が印象的だった。


 勝敗が決まっても、誰も口を開く者はいなかった。判を並べたように強ばらせた顔のまま沈黙している。


 原因はいうまでもなくあの大男のせいだ。勝負が終わっても無遠慮に出し続ける殺気は不細工ともいえる。少しでも近づけば斬って捨てられそうな雰囲気である。心なしか傭兵団員も緊張した面持ちだった。


 「セブンス傭兵団に認められる剣が見たいとおっしゃいましたね」


 団長の深く途切れがちな声が走った。返答する者が皆無の中、やっと自分に向けられて発せられたと気づいたガーティが「あ、ああ」と答える。


 それに頷き、振り返ってキョウイチを一瞥した彼はアゴをしゃくった。次に相手するのはキョウイチだった。


 「キョウちゃん……!」


 険しい顔で下唇をかむ恋人の名を呼ぶ。スイはキョウイチの腕を離すまいと握っていた。いまの団長はまるで容赦がない。彼女でなくとも心配になるのは当然のことだった。


 スイの頭をなでて落ち着かせたキョウイチは、テツに視線を寄越した。それに答えるテツもいいたいことはわかっていた。キョウイチの次はテツの番なのだ。最も、本気でかからなければ怪我とかいう以前の問題がある。どういうわけかスイッチの入った団長相手では、殺す気でのぞまないと、気がついたら首が転がっていた事態になりかねない。


 武器を持たされたときから予想はしていたのだ。今日は何かある、と。


 ゆっくりとした足取りでキョウイチは団長と向かい合う位置まで進んで行く。彼とて元の世界では道場でも屈指の実力者であったのだ。ただではやられないという自負があった。


 次の相手がまだ若い青年だとわかると、周囲からはどよめきが上がった。誰もがキョウイチでは力不足だと感じているのだ。彼らからすれば、童顔の剣士など見習いの少年という認識でしかない。自分たちの隊長を制した男の相手が務まるとは夢にも思わなかった。


 「では、始めるか」


 そういって団長が剣を上段に構えたとき、キョウイチは愕然とした。まるで大山を前にしているようだった。自身の何倍、何十倍の大きさがあるではないか。ただでさえ見上げる形であった身長差は、絶望的な隔たりとなってキョウイチに襲いかかってきた。


 剣を抜刀しながら身体を逸らす。考えている暇などなかった。彼は振り下ろされた剣を確認して、自身の直感が正しかったことを悟った。あと一秒でも初動が遅れていたならば、真っ二つにされていたことだろう。


 まるで太刀筋が見えない。悔しさに歯噛みする。これは能力の欠損のせいか、はたまた団長の剣が速すぎるせいなのか。


 距離を取って呼吸を落ち着かせることに集中する。このまま相手のペースに巻き込まれるのだけは避けたかった。慎重に、と思考しようとして、あの殺気が襲いかかってくる。


 くそ、くそ、と混乱する狭間で毒づくしかない。まるで休む暇を与えない威嚇だった。波のように緩急を付けて放たれる殺気はキョウイチの精神をも攻撃してくる。身体的にも精神的にも疲労は蓄積し、たった数分の立ち会いで体力は消耗されていた。どんなに体力自慢の人間でも、試合になればそのタフネスの全てを出し切ることなどできやしない。


 荒い息をひっきりなしに繰り返し、「能力さえ使えれば」という女々しい現実逃避の雑念が紛れ込む。キョウイチにだってそれが褒められたことではないと理解している。けれど能力とプライドとを一度に失った彼は、卑屈の悪魔に捕らわれかけていた。


 腕が重い。足が重い。身体が重い。いまだに思考と身体のズレは修正できていないのだ。『気』を扱う能力者として最適化された彼の剣術体系は、一度ゼロから創り直さないとならなかった。


 「どうした小僧ゥ。まるで張り合いのない剣だ」


 一気に距離を詰めた団長は、剣を鍔競り合いさせながらいう。やろうと思えば一気に押し切れるはずなのに、わざわざ挑発をかけてくるのはキョウイチが遊ばれている証拠だった。


 「おまえの剣には中身がない」


 「くっ」


 「信念がない。情熱もない。殺気もない。いったい何をもって剣を振るっているんだ、おまえは」


 団長の言葉が心に突き刺さった。勝手なことをいうな、と反論したくてもできない。少しでも気を逸らせば、袈裟斬りにされてお陀仏である。キョウイチは恐怖と悔しさに犯されながらも腕の力だけは緩めなかった。


 突然、トラックにでも追突されたような衝撃が走った。キョウイチはすんでのところでバランスを取り戻して着地する。信じられないことに、彼の身体はゆうに2メートル近くも弾き飛ばされていた。


 「なぜだ」


 団長は殺気をまとったまま、顔をうつむかせていう。誰かを呪うかの如き声色だ。その得体の知れなさに怖気が走る。キョウイチは呼吸が荒くなっているのを自覚していた。

 

 「なぜ本気でこない?」


 一直線に見据えられた彼は逃げ出したかった。おれはいったい、何を相手にして戦っているのだ?


 筋肉は縮こまり、動きを阻害する。呼吸をしづらくする。視界は狭まって相手の動きについていけなくなる。


 「なぜ殺す気でこない!」






 団長の怒声が響いた。スイはその大音量にびくついてしまい、いまにも泣き出しそうであった。しかも恋人が命のやり取りをしているとしか思えない舞台に立たされているのだ。


ミコトは慰めるように彼女を抱き寄せた。


 「ミコトさん……」


 大丈夫だよ、なんて無責任なことはいえなかった。あの男なら、模擬戦という前提に囚われず弟を殺す。そう確信していたからだ。ならば文字通り死ぬ気で剣を振るわねばならない。それだけが生き残る術だった。


 フードのふたり組―――――ティアとヘレンも余裕をなくした表情で見守っている。彼女たちの弟に対する恩義は確かなようで、心底心配している様子が伝わってくる。


 「なんで、こんな」


 口元を両手で覆い、ティアは茫然と呟いた。まだ幼い貴族のご令嬢には刺激が強すぎる光景だった。大の大人でさえ怖気づく殺気である。彼女の年齢を考えれば、意識を保っていられるだけでも賞賛されるべきだろう。


 ミコトは弟の、キョウイチの剣を信じていた。それでも、能力の喪失や団長相手だという不確定要素が存在する。決して死なない、という楽観視はどうしてもできなかった。


 他の面々、ガーティをはじめとした城の兵たちは、思った以上に奮闘する青年に惜しみない賞賛を送っていた。殺気に満ちた空気にも慣れてきたのか、緩慢ながらも動きが見られるようになった。


 他方、傭兵団員は予想通りという表情である。ガヴァンはむっつり、ポールは興味深そうに観戦している。唯一暇を持て余しているのが紅一点クリスティナで、何を見ているのかわからない目を向けていた。


 そして、スイと同じくらい動揺しているのが、弟の幼なじみである。


 「なんだよ。どうしたんだよ、キョウイチ。なんでやられっぱなしなんだよっ。動きがのろいんだよ……!」


 右手を神経質に揺らし、まるで落ち着きがない。テツは顔を歪めながら、罵声とも取れる言葉を漏らす。その目はあり得ない映像を見ているかのように瞳孔が開いている。


 ミコトは声をかけられなかった。痛ましい弟分の姿を見ていることしかできない。これはテツ自身の問題であり、他人がどうこうできるものではないのだ。


 だが、おぼろげながらも、テツの心境を慮ることはできる。彼にとって、キョウイチは常に先を行く目標だったのだ。幼なじみとして長い時間を過ごし、どれだけやってもキョウイチに及ばないことを悟る。それでも絶望しなかった。むしろ喜ばしいとさえ思った。目標とするべき人間はすぐ傍にいて、その近くで自身も切磋琢磨できるのだ。恵まれた環境である。それは遠見テツが、嫉妬という感情とは付き合いが浅い性格だったおかげもあっていえることだった。


 キョウイチは強かった。テツにとって、彼はヒーローだったのだ。行くべき道を示してくれる友。常に前を行く強者。出会ってからいままで、そしてこの世界に飛ばされてからも、認識が変わることはなかった。


 「能力さえ」


 血を吐くような苦渋の表情だった。テツは震える声で続ける。


 「能力さえ、使えれば……!」


 『気』という能力の恩恵が失われた世界。最も影響を受けたのは他でもない能力者であったが、無能力であったテツにもその影響はあったのだ。


 ミコトは当初、能力が失われたことによって、テツが道場生の中心的人物になると踏んでいた。それは彼が能力の喪失による影響を受けなかったこともあるし、いままで軽んじられていたのだから、みなが弱体化したいま、リーダーシップを取りたがるのではないかと想像していたのだ。


 実際には全く逆で、テツの思考はかつてと寸分も変わらなかった。相変わらず競争心は枯れたままだ。キョウイチに従うことに微塵も不満を感じていない。


 少なくとも変化があるのではと予想していたミコトにとって、それがいいことなのか悪いことなのか判断がつかなかった。


 結局のところ、遠見テツは能力を持たない人間ではあったものの、ミコトたち能力者と同じ世界に生きる人間だったのである。だから能力の存在を前提として物事を考える。


 これでテツが反能力主義者であったなら話は別だったかもしれない。テツにいわせれば「なぜ能力者を敵視するのか」という疑問があるわけで、それは自然発生的に備わった才能でしかない。文句をいうのは、「おれの足が遅いのは不公平だ」と不平を漏らすくらいに大人気ない話だと彼は考えるのだ。


 そんな思考をする彼は、能力者を、キョウイチやスイ、ミコトを半ば神聖視して見ている節があった。本人には全く自覚はない。彼らが住んでいた世界において、無能力者の者に多く見られる傾向だった。


 同じ人間でありながら、自分よりも一段階上を行く人間。ある者は能力者を嫌悪し、排斥しようとする。またある者は能力者を崇敬し、崇め讃える。テツはその後者に近いながらも、現実的な視点を見失わない珍しいタイプであった。


 けれども、テツのキョウイチに対する思いだけは別だったのだ。


 防戦一方のキョウイチはすでに敗れようとしている。その事実を信じられないとテツの目は物語っていた。


 無情にも振るわれる剣。受け流すことができなかったキョウイチの刀は、根元からへし折れる。最後の悲鳴とばかりに鳴り響いた甲高い破壊音は、やけに澄んだ音色をしていた。


 嘘だ、と誰かがいった。それはキョウイチなのか、テツなのか、判断がつかない。あるいはふたりがいったのかもしれなかった。


 愛刀を折られたことによってキョウイチは完全に戦意喪失した。幸いにも、その体たらくを一瞥した団長は、興味を失くしたように剣を引いた。


 スイはすぐさま駈け出して恋人の元へと向かう。弟にはスイがいるから大丈夫だと安堵する。剣士であるミコトには、愛刀を折られ敗北するショックは嫌というほどに理解できた。だが、スイならばキョウイチをうまく慰めてくれるに違いなかった。


 問題なのは、と放心するテツの手を握りしめる。されるがままで、握り返される感触はない。大丈夫でないのは明らかだった。そしてどう言葉をかけるべきかミコトにはわからない。きっとテツ自身にさえ、自らの心境の整理がついていないはずなのだ。


 遠見テツを長年縛ってきた鎖。彼をがんじがらめにしているそれは、ある意味で保護する役割も負っている。遠くに行ってしまいそうな彼をつなぎとめているのだ。


 「次だ」


 団長は仕切り直しをするために、静かな調子でいった。撒き散らされていた殺気は矛先を一旦収めたものの、相手が現れればすぐにでも牙をむくだろう。


 ショックから立ち直っていないテツは、ミコトに支えられて一歩を踏みしめる。まるで闘気を感じさせない。これでは勝負にならないのではないかと誰もが思った。


 名残り惜しく離れていく右手。最後の人差し指の感触まで確かめたミコトは、いうべきかいわざるべきか迷っていた言葉を贈る。


 「テツ。剣はおまえを裏切らないよ」


 「……」


 視線を寄越したテツは、すぐさまかぶりを振って団長の下へと向かった。複雑な胸中を示すかのように、歯を軋ませている。


 剣は遠見テツを裏切らない。ならば、人間はどうなのだろう。キョウイチは、スイは、そして自分は。ミコトは己が絶対に裏切らない忠義の人だとは到底思えなかった。人間はときに他人どころか自分さえも裏切る。それも自覚しないまま無意識に。そんな自分がテツを裏切らないなどと断言できるだろうか。


 かつて、彼の想いを一度裏切った過去のあるミコトは、吐いた言葉の皮肉さに自嘲した。


 剣は裏切らない。


 ―――――裏返せば、剣以外は、おおよそ彼を裏切るのだ。


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