第26話
昨夜の喧騒は残り火のようにくすぶっている。そこかしこに食べ物の残骸やワインボトル、コップが散乱している。幸せだか苦しんでいるのか判別付かない表情の団員たちも同じように散らばっていた。
テツは彼らを起こさないよう、抜き足で傍を通り過ぎる。折り重なって眠りこけるポールとシンシアは至極幸福そうに見えた。
昨夜のミコトの顔が思い出される。彼女は力の限り踊りきったあと、疲れて眠たげにしていたアリアを連れて先に眠ってしまっていた。その去り際の顔には陰りがなかったのが救いだった。
人気のない場所に向かっていると、ちょうどアリアに出会った。夜更かししないで眠ったせいか、寝起きはすこぶるよかったらしい。死屍累々としている周囲の人間を心配していた。
「おはようございます、テツさま」
陽光に反射した金髪を片手で押さえながらアリアはいった。朝早くに目覚めてしまったので、後片付けを兼ねて見回っている最中だという。彼女はいつもと変わりないテツを見て「さすがですね」と感心した。
そんなに遅くまで起きていたわけではないことを告げる。
「なら、わたしと一緒ですね」
彼女は起きていたくても起きていられなかった口なので、同じように寝入ってしまった仲間を見つけられて満足したようだった。
「テツさまは剣の素振りを?」
そうだ、とテツは頷いた。傭兵団の仲間内では、毎朝彼が素振りを行っていることは周知の事実である。しかも団長に帯剣を許されてから今日まで、一日も欠かすことなく行っている。ポールは「よくやるよ」と感心していた。素振りという地味な鍛錬は、ともすればサボりがちである。テツがそれを続けられるのは、素振りを苦行だと思っていないからだ。いまでは朝の習慣となっている。これをしないと、調子が出ない気さえしていた。
「もしご迷惑でなかったら、見学してもよろしいでしょうか?」
「見ていても面白いものじゃないよ」
「いえ、そのようなことは。無理にとはいいません」
別に見られても困るものでもないので、テツは同行を許した。
少女は嬉しそうに後を付いて来る。彼女ならば、邪魔をするようなこともないだろう。離れた場所を指図し、ここから近寄らないよう注意すると、「わかりましたっ」と偉く真剣な表情を返された。
地面がかたすぎず、柔らかすぎない最適な場所である。昨日の朝もここで素振りを行っているので、いい具合に地面が踏み固められている。
横目でアリアの位置を確認する。きちんといわれた通り、指図された場所からは近づいていない。
振るうのは素振り用の木刀である。この世界には「素振り用」という概念がなかったので、テツがハンドメイドで作り上げた品である。実戦で用いるショートソードより重くなっている。基礎となる一本木の周りに、重さを調整する小木をくくりつけている。あまり極端に重くしても意味はない。素振りは筋力トレーニングのために行うのではないのだから。
準備運動は事前に済ませてあったので、木刀を手にして集中する。自分の身体の中に目をやって調子を確認する。どこか鈍いところはないか、異常なところはないか。一通り巡らせて、ようやく剣を降り始める。
テツにとって、朝の素振りは体調確認も兼ねているのだ。毎日行っていれば、どこか調子の悪いところがあればたちまちに判明する。
他人が見ていても決して面白くない動作を、アリアは熱心に観察していた。テツの挙動を細かく見聞し、何かを掴もうとしているようだった。
汗がしたたる頃には、見物人がいたことも意識の埒外に追いやられていた。少しずつ動きを抑えながらクールダウンしていく。体温が汗と共に気化していくのが心地よかった。
一度大きく深呼吸をして目をつむる。自分の身体を突き動かしていた熱が去って行くのを確認して、目を開く。
気がつくとサツキが眠たげな目をしてアリアの隣に立っていた。テツがきょとんとした視線を向けると、同じようにその存在に気づいたアリアが「ひゃあ」と声を裏返した。
サツキはふたりの反応を少しも気にしない素振りでテツにタオルを渡した。肌触りなど度外視した代物だが、汗を拭くという機能だけ見ればタオルと思えなくもない。
礼をいって受け取る。彼女は「いえいえ」といってから、堪えきれず小さなあくびをした。自分の醜態を見られたせいか、僅かに頬を染めて、そそくさと退散していく。その去り際に、「実は、わたし、踊りが苦手なんです」と誰にいうまでもなく呟いた。特に意味はない。
「なんとも不思議な人ですね」
「うん」
黒と金のデコボココンビは、なんだか癒された気分になったのであった。