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第23話

 傭兵団の駐屯所に戻ったミコトは、見張りをしていたクリスティナに手をあげて挨拶する。眠そうな半開きにした目で確認した彼女は、僅かに頷いて了解の意を示した。遠くからでは見逃しそうな反応である。


 道場生のみなは、この無愛想な傭兵団の紅一点が苦手らしい。別に近づいたら、顔が半分に割れて噛み付いてくるわけでもない。なぜ彼女が苦手なのかわからなかった。呑気そうな顔をしていても警戒心が強い様子は、幼い頃のテツみたいで可愛らしいではないか。


 荷馬車の睡眠スペースに、顔を赤くしたアリアをそっと下ろす。背中で戻されないかとヒヤヒヤであったが、何とか頑張ってくれたらしい。


 ううん、と気持ちよさそうな、それでいて苦しげなうめき声を少女はもらす。おでこに張り付いた前髪をすいて、汗を拭ってやると、いくらか表情を柔らかくした。それから静かな寝息を立て始める。


 これなら大丈夫そうだ、とミコトは一安心して荷馬車から降りる。すると、帰ってきたらしい弟たちの姿が目に入った。相変わらずフード姿のふたりは目立って仕方がない。その服装はかえって逆効果だと、それとなく教えてやるべきだろうか。


 せっかくの息抜きだというのに、弟カップルは少しも楽しんだ様子はなかった。むしろ深刻な顔をしている。


 姉の姿を認めたキョウイチは、「もう帰ってきてたんだ」と意外そうにたずねた。


 苦笑いして荷馬車を指し示す。「アリアが悪酔いしてね。寝かせに戻ってきたのよ」彼女は立てた親指を戻して、代わりに人差し指をくるくると回した。でも料理は美味しかったわよ、と自慢気に付け足す。上等な食事をするということは、ストレス発散にもなるのだ。この世界に来てから気づいた事実だった。


 鳥のステーキがうまかったとか、パンは柔らかくてとか話してみても、キョウイチの反応は芳しくない。何やら思いつめた顔をしている。伊達に生まれてからいままで姉を務めていないミコトは、弟が悩んでいるらしいことはすぐに察した。


 ちら、とスイに目をやる。彼女は落ち着きなく身体を動かしている。加害者というよりは被害者の様相だった。ならば、あのふたりか。ミコトは盛大に溜息をつきたいのを我慢する。格好は怪しいのだから、せめて内面は健やかでいて欲しかったのだが、どうも無理な相談であるようだ。


 キョウイチが迷っているのを見て、フードを取った少女が「わたくしからお話しいたしましょうか?」とキョウイチにたずねた。


 ややこしい話になりそうだったので、できることなら退席したいミコトであった。キョウイチが身内でなかったならば、何を企んでいると斬って捨てるところである。


 観念したように首を振る弟は、辺りを警戒する仕草を見せた。「見張りの他に誰かいる?」若干声色がかたくなった。


 いよいよ雲行きが怪しくなってきた。アリアが寝ているだけだよ、と告げると、安心したのか肩の力を抜いて歩み寄ってくる。キョウイチは人に聞かれたくない類の話をするつもりのようだ。


 「―――――姉さん。あの子は、ちゃんと楽しんでいたか?」


 荷馬車の中で眠りこけている少女を確認しながら、キョウイチは問う。


 「そりゃあね。調子に乗って飲み過ぎたみたいだけど」


 「そっか」


 何を心配していたのか知らないが、何度も「よかった、よかった」と繰り返す。フードの少女も同様だった。


 なかなか本題に入らないので、少し苛立った声で、


 「それで、話があるんでしょ?」


 「あ、ああ。そうだな、姉さんのいう通りだ」


 見張りのクリスティナがいる方向を気にしながら、キョウイチは顔を寄せてくる。それに答える形で耳を近づけると、彼は話し始めた。


 それは傭兵団からの脱走計画だった。フードの少女は貴族の令嬢だったらしく、そのツテで脱走をはかるということだった。逃げ出すのはこの4人と、ミコト。そう聞かされると、ミコトは表情を険しくした。


 「わかってる。みなを見捨てるつもりかっていいたいんだろ? でも仕方がないんだ。これ以上になると発見されやすくなるし、協力者にも限界がある」


 「だからって見捨てるの? みんなを」


 姉と弟はにらみ合った。もともと喧嘩しない姉弟だったから、こうして意見が真っ向からぶつかり合うのは珍しい。どちらも譲りそうはなく、見守っているスイは「うぅ」と慌てるだけである。


 見かねたティアが、ずい、と割り込んできた。


 「少しよろしいですか、キョウイチ様の姉君」


 「わたしにはミコトって名前があるわよっ」


 「ではミコト様」


 何が「では」だ、と慇懃無礼な態度が気に入らないミコトは噴火しそうになっていた。自身の噴火口に無駄な圧力をかけないよう注意しながら、気を落ち着かせていく。草切の剣士たるもの、常に冷静さを忘れるなかれ。いまでは懐かしささえ感じさせる父の言葉を思い出す。


 「キョウイチ様も、悩みぬいた末の決断なのです。ミコト様ならばご理解いただけるはずです」


 それはそうだ。彼女だって、弟が「おれたちだけで逃げよう!」などと即決したとは思っていない。だとしても、すんなりと提案をのむわけにはいかなかった。


 「逃げ出せる機会は、そう何度もあるとは限りません。この街に滞在しているいまが、その機会なのです。これを逃したら、もう永久に逃げ出すための機会が失われるかもしれません」


 「あんたたちの、ね」


 「ではミコト様は、ずっとこのままでもよろしいと?」


 試すような目付きに、「そんなことはないけど……」と自信のない返事をすることしかできない。彼女自身は、この傭兵団が嫌いではなくなってきていた。それが例え、悪事と呼ばれる行為を行っている集団だとしてもだ。


 ある程度の自由を許され、今日だって食事を共にしている。上下の関係は仕方がないとしても、全く信用されていないこともなかった。キョウイチの示した提案は、積み上げてきた関係を破壊する行為だ。


 ミコトの口が拒否の形を作りかけ、あえぐように歪み、崩れる。声にならない葛藤だった。


 ティアという少女の言葉には一理ある。このままではいけない、と考えていたのは他ならぬミコト自身である。一連の出来事を鑑みても、テツに好ましくない事態が続いている。まるで彼は蟲毒の壺に放り込まれたかのようだった。


 それは偶然とはいい難く、あの男―――――団長の思惑が絡んでいると思われてならない。テツの何をもって見定めたのか知れないが、あの男のいいようにされてはならないのだ。


 けれど傭兵団は、団長の統制下にある。ヒエラルキーの最下層にあるといっても過言ではないミコトには、どうすることもできない。弟分が悪意に翻弄されるのを黙って見ていることしかできない。


 少女のいうように、これは「機会」なのだろうか。


 団長の魔手から、テツを救い出すためのチャンス。傭兵団の外の勢力から力を借りるのだ。いくら傭兵団の面々が一騎当千を誇っていても、数の暴力には抗えない。この世界の人間には、かつての世界において存在していた能力がないのだから尚更だ。


 人間の腕は2本しかないし、両目は前を向いている。どうやっても捌き切れない一撃があるのだ。特に混戦の中で放たれた矢は、剣の達人をもってしても防ぐことは難しい。白兵戦における有利不利は、確固たる事実として存在している。


 大勢で襲撃し、残された仲間を救い出す。なるほど、悪くない提案だといえる。少なくともこのまま状況を静観するよりは、よほど建設的かもしれない。


 ミコトは空を仰いだ。少女の思惑に乗せられるようで癪ではあった。しかしながら、現在取りうる選択の中では、この一択の他に目ぼしいものがないのも事実であった。


 「―――――わかったわ、お嬢さん。その提案に乗ってやってもいい」


 「それは僥倖ですわ、ミコト様」


 ですが、ひとつ問題がありましてよ、と少女はいった。


 ミコトは怪訝に口を閉ざした。何かしらの障害があるのだろうか。


 「わたくしは『お嬢さん』などという名前ではありませんわ。『ヴァレンティア・パッヘル』という名がありましてよ」


 どうだ、やり返したぞ。そんな心の声が聞こえてきそうな自慢顔だった。いけ好かない少女だと思っていたけれども、歳相応の振る舞いもできるらしい。ミコトは肩をすくめて降参の意を示した。


 ふたりの険悪さが少し削がれた様子を見て、キョウイチも一安心していた。この5人は一蓮托生ともいえるのだから、なるべくいさかいはない方がいい。内部崩壊で計画が頓挫するなんて笑えない冗談である。


 素の表情を見せ始めた貴族のご令嬢に苦笑しながらも、ミコトは決心を新たにした。この機会を最大限に活用して、取り巻く状況を好転させるしかない。いまのままでは、テツの行く先に待っているのは、争いと血にまみれた道だけだ。あの弟分を、むざむざとそんな修羅道に落とすわけにはいかなかった。


 やるしかない、と彼女は覚悟を決める。


 その、隣の荷馬車の中。


 アルコールにやられた頭であったが、少女の意識ははっきりしていた。小声であっても、話されている内容はしかと聞き遂げていた。


 「―――――」


 みじろぎもせず、虚空を見つめながら、できるだけ詳細に話の内容を記憶しようとする。その相手が、先程自分を背負って運んできてくれた人であったとしても。


 少女は記憶する。裏切ろうとしている人への失望感を。裏切ろうとしている人への罪悪感を。


 嵌めこまれたガラスの瞳をもって、少女は記憶する。


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