第21話
草切キョウイチは、フード姿のふたりに先導されながら、人が行き交う大路を危なげに進んでいた。隣を歩く不安そうな恋人を励ますために、つないでいる手をしっかりと握り返す。握られる手の感触に気づいたスイは、彼の心遣いに、はにかんで返した。
「その場所は遠いのかい?」
すでに歩き始めてから結構な時間が経つ。行き先の詳細をきちんと聞いておくべきだった、とキョウイチは後悔していた。街の中心部からは外れ、外周部のうらぶれた位置に差し掛かろうとしていた。
「もう少しですわ。ご心配なさらないでください」
栗色の前髪をのぞかせた少女が、かたわらの女性に「そうですわね?」と話しかけると、恭しく女性は頷いた。
その言葉を信じるしかない。彼女たちについて行くことしかできない自分たちは、否が応でも異邦人であることを認識させられる。キョウイチの心中には常に望郷の念が巣食っていた。あの悪魔のごとき男に捕まってからも、どうにかして元の世界に帰れないかと諦めていなかった。
元の世界―――――なんて馬鹿馬鹿しい言葉だろうか。彼は皮肉げに口元を歪ませた。自宅の蔵が、あんな危険地帯だとは思ってもみなかった。まさか人間を飲み込む空間の渦を発生させるとは。もしも事前にわかっていたら、家族を説得して引越していただろうに。
せめてもの幸運だったのは、スイと一緒に飛ばされたことだろう。彼女がひとり、この世界に放り出された可能性を考えるとぞっとした。または、自分だけの場合も同じことだった。
当初、この異世界に飛ばされた道場の男子仲間は、すでに半分以下にまで減っていた。戦場に駆り出され、ときには団長に逆らって奴隷として売られた。許されざることだ。脳裏に蘇る仲間たちの顔を思い出すたびに、彼は腸が煮えくり返る思いになった。
力さえ失われていなければ―――――鈍重になった身体を恨めしく思った。そうであれば、あのような大男であっても遅れは取らないというのに。いまの身体は、筋力も瞬発力も回復力も、以前と比べものにならない。スポーツカーから原付バイクに弱体化したようなものだ。
おかげで自分たちは、団長にいいように扱われ、略奪という唾棄すべき行為に加担させられた。逃げ惑う村人たちの姿が、いまだに目に焼き付いて離れなかった。
「ここです」
考え事をしている間に、目的の場所についたようだった。人通りは少なくなっており、一見して何の店だかわからない。現地の人間であっても、興味本位で扉をくぐられないオーラが出ていた。
尾行がないか確認したあと、4人は緊張した様子で足を踏み入れた。中は薄暗く、陰気な顔をした男たちが酒をあおいでいた。突然の乱入者に気分を害された表情を浮かべた者がいたが、すぐに興味をなくして視線を外した。
握られている手の力が強まった。スイは顔を強ばらせていた。キョウイチとしても、このようなアウトローな酒場に長居したいとは思わなかった。
事の発端は、フードの女性ふたりによるものだった。少女の方はヴァレンティア・パッヘル、背の高い女性はヘレンという彼女の従者である。パッヘルという家名に聞き覚えがあったキョウイチは、少女が先の戦で敵方だった領主の娘であることを知って納得した。
彼女の家は、当主が戦死したあと嫡男がいなかったこともあり家臣団が対立し、領主の娘は生命まで狙われる事態に陥った。そのため命からがら脱出し、かの村で匿われていたところを傭兵団に襲われたのだった。
恵まれない境遇に陥っているキョウイチは、不運続きの彼女たちにひどく仲間意識を持ったのだった。彼女たちを助けたことに後悔はなかった。懸念だった団長へのいい訳も、テツが同じような少女を囲ったことから、彼もなし崩し的にふたりを自分の下に置くことができた。
ティア―――――少女の愛称だ―――――は、傭兵団からの脱出を考えているらしく、今回の件も、協力を取り付けるためのものだった。
セブンス傭兵団は強力な一団として名を馳せていて、そこからの脱走を手引きしてくれるような協力者は殆どいなかった。だからこうして、アンダーグラウンドの人間を頼るしかないのだ。
この街から出るには、正面の正門から出る他なく、当然衛兵がいるのでキョウイチたちだけでは外に出られない。使用人、奴隷の脱走を警戒している衛兵は、みすぼらしい格好の彼らを見過ごしたりはしないのだ。
運良く街の外に出られたとしても、潜伏先のあてがなければ追っ手に捕まるだけだ。着の身着のままで逃げ切れるほど、この世界は甘くない。途中には、野盗が出没する危険な地域だって存在している。
つまり、脱走に必要なものは、街から出るための協力者と、安全な受け入れ先だった。
ティアは貴族の息女なので、こういった荒事の人脈に疎いかと思いきや、この街に知り合いがいるらしく、しかも脱走に手を貸してくれるかもしれないという。こうして願ってもみないチャンスが回ってきたキョウイチは、彼女たちに連れられ、協力者を探しにきたのである。
しばらく店内を見回していた少女は、目的の人物を見つけたらしく、顔をほころばせた。相手もキョウイチたちが店内に踏み入れた直後に気づいていたようで、驚きもせずにティアを迎い入れた。
男は中年で上背が高く、がっしりとした体格だった。白髪が混じった金髪はくすんでいたが、その眼光はまだまだ力強さを感じさせるものだった。
「こちらはダグラス。以前、我が家で庭師を務めていた者です」
少女が敬語で話す相手を怪訝そうにしながらも、男は「ダグラスと申します」と丁寧な言葉づかいで名乗った。
キョウイチとスイも名乗り返す。協力者になるかもしれない相手なので、なるべく好印象を与えた方が都合がいい。こちらもあくまで下手に出ることにした。
一息ついた一行は店の奥の席に腰を下ろし、ダグラスがワインを頼んだ声を最後に沈黙した。だがそれは気まずい沈黙ではなく、彼が感極まって声を詰まらせていることによりもたらされていた。
やっとの思いで口を開いたダグラスは、先の事件を聞いてとても心配していたことを述べた。当主は戦死し、領内が混乱をきたしていることは、すでに周知の事実となっているらしい。また、領主の一人娘が行方不明になっていることも。
ご無事で何よりでございます、と頭をたれるダグラスに、ティアは複雑な表情で答えた。父親は戦死し、母親は生きているかさえも知れない。自身も奴隷の身に落ちたことを告げる。
「この方々は、わたくしを助けてくださったのです」
「それは……、なんとお礼を申し上げたらよいか。お嬢様を助けていただき、ありがとうございます」
キョウイチは大層な感謝の言葉にたじたじになってしまった。ティアを貴族の令嬢だと知って助けたわけでもないし、あとから正体を告げられたときは驚いたものだった。
若干気まずい思いをしていると、目の前にワインの入った金属のグラスが置かれた。むすっとした表情の男は慣れた手つきで並べ終えると、一言も発しないで踵を返した。恐らくこの店のマスターだろう。他に店員が見えないことから違いあるまい。
ああ見えて気の利く男なんですよ、とフォローを入れたダグラスは、再開を祝して乾杯といった。グラスを掲げて答える。
のどを潤して話の準備を整えたティアは、ダグラスとのいきさつを話し始めた。
もともとパッヘル家の庭師だったダグラスは、腕のよさを買われて、ティアが幼いころから仕事をしていたそうだ。だがあるとき館の美術品が何者かに壊されており、その嫌疑を一番にかけられてしまったのが彼だった。確かな証拠はないまま、誰かが責任を取らねばならず、孤立無援だった彼を救ったのがまだ幼いティアだった。庭師として真面目に働いていた姿を知る彼女は、幼心に彼の無実を信じており、父親を説得してみせたのだった。さすがに館に居づらくなった彼は庭師を辞したが、新たな働き先を融通して貰ったりと、ティアに対する恩義は並々ならぬものを感じているらしかった。
「よもや、このような形で再会するとは思いもしませんでした」
ティアに同情的な様子であるから、協力も取り付けられそうだった。彼女は脱走の話をダグラスに告げる。あなたの他に頼るべき人はいないのです、どうか力を貸して欲しいと懇願する。
少し考える素振りをしたダグラスは、難しい表情を融解させてから、頷いた。
その様子に喜ぶティアとヘレン。ティアは満面の笑みを送ってきたので、キョウイチもほっと一息つきながら笑って返した。
これで傭兵団から抜け出す手立てができた。望まぬ殺しや略奪から手を洗うことができる。そして何より、元の世界に帰る手段を探すことができるのだ。
奴隷となっている間、キョウイチたちは自らの出自をあまり話さなかった。それは目立たないための手段であるし、不自然に思われないためでもあった。幸運にも、即興の作り話で疑われなかったことから、傭兵団の中では、出自はあまり詮索されないようだった。
いままでは生きるだけでも精一杯だった。元の世界への帰還法など調べる暇さえなかった。だが晴れて自由の身となれば、少なくとも行動を起こすことができる。何もできない現状よりは、遥かにましであろう。
スイと笑みを交わしていると、ダグラスは聞き逃せない一言をいった。
「4人ぶんの手配をしなければなりませんので、少々時間をいただくことになりますが」
「ちょ、ちょっと待ってください。おれたちの他にも仲間がいるんです」
それを聞いたダグラスは、これ以上ともなると発見されやすくなるし、秘密裏に送り出せない旨を説明した。
キョウイチは落胆した。これではみなで逃げ出せないではないか。まさか姉や道場の仲間を置き去りにして逃げ出すわけにもいくまい。どうする、と歯を軋ませて思案する。
その様子を不憫に思ったのか、「あとひとりならば、あるいは」とダグラスは付け足した。
真っ先に浮かんだ顔は姉であった。それから、テツやみなの顔が浮かんできては罪悪感に襲われた。選べというのか、自分に。容易ではない選択だ。誰を選んでも、正解であるはずはないのだ。
恋人の苦渋を見て取ったのか、慰めるようにスイはいう。
「テツがいってたんだけど、団長はよっぽどのことがない限り、道場のみなを殺すはずがないって。普通の奴隷よりも利用価値が高いからだっていってたわ」
「そうなのか……?」
炊事もさせられるし、簡単な護衛にもできる。また、相手は子供だ、女だといって油断する。大和の人間は、実年齢よりも幼く見えるらしいから、奇襲を狙うにはうってつけの人種だった。
ならば、残された仲間がただちに殺されることはないとみていいのだろう。しかしそれでも、彼らを残して逃げることには変わりなく、納得できる選択とは到底いえなかった。
「あの男……」
ティアの従者であるヘレンは、険しい表情で口を開いた。そこには、警戒心がむき出しにされた響きがある。
「キョウイチ様のご友人を悪くいうのは心苦しいのですが、あの男―――――幼い少女をたぶらかす男は信用なりません。先の村でも、彼が一番精力的に動いていたように見受けられました」
従者と同意権なのか、ティアはしきりに頷いた。
幼なじみを悪くいわれたスイは、あからさまに気分を害したようだったが、キョウイチは彼女たちの意見を全て否定することはできなかった。テツに対する疑念は、日に日に大きくなっていたからだ。それはすなわち、殺しを楽しんでいるのではないか、という疑念だった。
先の戦でも、彼は多くの敵を屠っていた。それは仕方がないとしても、まるで後悔を感じさせない様子は不気味ですらあった。決定的なのは略奪時のことだ。不可抗力とはいえ、罪もない村人の女性を射殺したのだ。自分であったら立ち直れないかもしれない。それなのに、遺体の埋葬を済ませた、それだけで何事もないような顔をして戻ってきた。しかもその女性の娘を近くに置いている。キョウイチには考えられないことだった。
どこか重要な部分で自分たちと異なっているのではないか。そんな思いが沸き上がってくる。
そして、認めたくはなかったが、テツに対して嫉妬していることも事実だった。
こちらの世界において、能力を使えなくなった者は例外なく弱体化した。キョウイチもスイも同様である。特に姉のミコトは能力の恩恵を多大に受けていたので、その消失による変化に、しばらく体調をおかしくしていたほどであった。彼女は頑なにそれを隠しているようだったが。
唯一の例外であるのがテツだった。彼は元から能力を授かっていなかったので、この超重力に投げ込まれたような弱体化とは無縁だった。そのため、早くから中心的になって活動し、傭兵団の面々からも認められるようになった。あのテツがだ。道場では、変人として扱われていた幼なじみがだ。
最近では、恋人のスイでさえも、彼を頼るようになっていた。初の戦のあと、傷心しているであろう彼女を探しに出たキョウイチは、テツと真剣に言葉を交わすスイを見つけた。色恋といった話ではないことは明らかだったが、自分が頼りないからなのかと思わずにはいられなかった。
苦い記憶だ。心配そうに覗き込んでくるスイを手で制し、キョウイチは決心して口を開いた。
「なら、あとひとりは、おれの姉さんに。姉さんは秘密を漏らすような真似はしない。それは断言できる」
「わかりましたわ。ダグラス、わたくしたち4人と、キョウイチ様の姉君、我らの手伝いをお願いできるかしら」
その言葉を聞いたダグラスは、深々と礼をして、了解の意を示した。
あとで姉に話さなければならない。キョウイチは満足した表情で計画を練る彼らを尻目に思った。事情を話し、決して口外しないようにと。だが、懸念事項もあった。その姉は、テツを非常に気にかけていることだ。愛情といってもいいかもしれない。
かつて姉がテツではなく、同年代の恋人を連れてきたときは驚いたものだ。キョウイチはてっきり、姉がもしも恋人をつくるならば、自分の幼なじみだろうと思っていたからだ。それは普段の仲のよさを見ていれば思いつくことであったし、姉のテツを見る視線には、弟の友人というだけでない感情が秘められていたのを感じていた。
一時期を境に、微妙な距離感で交友していたようだが、この世界に飛ばされたのをきっかけに、再び距離は縮まったらしかった。
その姉が、テツを置いていくことを了承するだろうか。どう説明すべきか、キョウイチは途方に暮れた。
苦虫をかみ潰したような口の中に、気を取り直すためのワインを流し込む。彼の意識は、テツとの少年時代へと遡っていった。




