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第20話

 その後、一行は様々な店先を冷やかして回った。結構な距離を歩いているはずなのに、疲れを微塵も見せない女性陣はさすがであった。テツはといえば、人の多さに酔ってしまって疲労気味だ。体力的というよりは、精神的な面の疲労だった。


 途中から、仕事を終えたポールが合流することになった。いままで四面楚歌な状態だった男一匹は、救世主でも見つけたかのように救われた顔をした。


 細かいところに気づくポールは、テツとアリアの疲労具合を見て、酒場で休むことを提案した。待ちに待ったお誘いを断るはずがない。テツはさりげなく疲労困憊具合を主張し、早く腰を下ろしたい旨を伝える。


 事実、アリアも少々疲れているようだったので、みなも反対する様子はなかった。


 傭兵団の行きつけの酒場に行くには来た道を戻らなければならなかったが、やっと休めるのだと思うと苦ではなかった。


 目的の店は、人通りの多い好条件の道沿いにあった。一見してわかるように、フォークとナイフが描かれた木のプレートが掲げられている。


 年季の入った木製の扉を開けて中に入る。途端に、香ばしい香りが漂ってきた。久しく感じていなかった食欲が刺激されるのを覚える。テツの内蔵は、目の前のうまそうな品々に早速反応を示しはじめた。他人の飯であってもお構いなしに食い意地をはる自分の腹には、苦笑するしかなかった。


 店内は広々としていて、大人数が集っていてもまだ余裕があった。清潔とはいえないとしても、気になる不潔さはなかった。木目が薄くなった長テーブルが三列並んでいて、客はめいめいに向い合って食事をしていた。まだ昼間だというのに、大半の人間が顔を赤くしている。アルコール臭がきついのか、アリアは軽く顔を顰めていた。


 傭兵団の面々は結構な人数だったので、みなが一緒に座れる場所を探すものの、ちょうどいいところが見当たらない。


 シンシアはすでに座っている男たちに詰めてくれるよう頼んだ。気分よく飲み食いしていた男たちは、調子を崩されて嫌な顔をしたが、彼女の背後に控えるポールを見るや、只者ではないと直感して席を譲った。尋常でない何かを感じ取ったらしい。ポールの面持ちは、傭兵団の中では優男な部類に属していた。あくまで、傭兵団の基準でいうところの。素人からすれば、武装していることからしても、逆らわない方が無難であるのは想像に難しくない。


 少し誇らしげなシンシアに寄り添われ、気分上々の男は「さあ、好きなもの頼んでいいぞ」と太っ腹にいい放った。


 とはいうものの、メニューもなければ注文の手順も知らないテツたちは困り果てた。仕方なしに、慣れているだろうポールたちが頼むのをまって、同じものをさりげなく注文する。「同じのでいいのか?」怪訝な顔をする彼には、自分たちはこういった場所で食事したことがないのだといい訳をした。それにあまり詮索しないで切り上げてくれたのはありがたかった。


 隣に座った少女は、そわそわと落ち着きない様子で店内に視線を走らせていた。そんなことをしてもUFOは現れないぞ、と忠告してやるつもりで落ち着かせるのだが、帰ってくる返答は口ばかりで効果はなかった。


 テツも年甲斐なく胸が踊っていた。大勢で食べる食事はすでに何度も経験している。それでも、こうして趣のある店で食べるのは初めてのことだ。料理が運ばれてくるのを待っている時間さえ、味のあることのように思えた。


 大量の料理を運んできた手伝いらしき若い女性に感心しながら、並べられていく品々に目をやった。香ばしい香りのするチキンステーキに、大きめにカットされた野菜の入ったシチュー、他には果物やパンなどである。女性陣がそれぞれのコップにワインを注いで周り、食事は始められた。


 のどを潤すために、ワインを少し口に含む。こちらに来てからというもの、飲み物はもっぱら水かワインだった。はじめは戸惑ったものだが、旅の途中では生水は危険なため、どうしてもワイン中心になってしまう。いまでは慣れた手つきで芳醇な香りを楽しむまでになっていた。


 メインディッシュであるチキンは、現代のものとまではいかないが、とても味に深みがあって美味だった。


 隣のアリアはおぼつかない手つきで肉を切り分け、口にした。すると、たっぷり10秒はふるふる震えて感動したあと、「おいひぃです」と昇天しそうな顔でいった。彼女は貧しい農村暮らしだったので、このような食事は初体験だった。それはいままで生きてきた中で、食べたことがないようなおいしさだったのだろう。


 「確かに、うまいな」


 自身も十分満足しているので、テツは普段より優しげな調子だった。


 「はいっ、とってもおいしいです。こんなにおいしいものが存在してたなんてびっくりです」


 「大げさなやつだな」


 苦笑して、パンに手を伸ばす。それを半分に分けると、一方をアリアに渡してやった。彼女は礼をいって受け取ると、早速口に頬張って、


 「な……!」


 鶏が金の卵を産む場面に出くわしたみたいにあんぐりと口を開けた。


 「て、テツさま。このパン、とてもフカフカでモチモチしていますっ」


 「うん。確かに、柔らかい」


 まだ焼きあげてからそんなに時間が経っていないのだろう。パン生地には、それが受けた火のあたたかみが残っていた。旅の途中で口にするパンといえば、保存の効く石のようなパンだったから、天と地ほどの差があるように思えた。感動に打ちひしがれるアリアのリアクションも大げさ過ぎることもない。


 人間の三大欲求に数えられているだけあって、食事に関するこだわりようは古今東西変わりない。こんなにもうまい食事にありつけるのだったら、また明日から頑張ってみようかな、と思えてくるのだから不思議である。


 眼の色を変えて料理を貪り、あらかた満足すると会話する余裕が生まれてくる。向かい側に座っているミコトも満足そうにお腹をなでていた。テツに見られているのに気づくと、少し怒った顔でたしなめた。


 「レディのあられもない姿を見るんじゃないよ、少年」


 それから右手を伸ばして、テツの口元をぬぐった。「汚しちゃって。子供なんだから」してやったり、という顔をしている。恥ずかしい場面を見られた仕返しのつもりなのだろうか。姉さんは一人相撲をしているよ、とはいいづらく、彼としては愛想笑いするしかなかった。


 「―――――ん? あらら、アリアをよく見ていなきゃ駄目じゃないのよ」


 視線を右にずらしたミコトはいった。


 テツがつられて目をやると、いつの間にか顔を赤くしたアリアがテーブルに突っぱしていた。目を回して幸せそうな顔をしている。口からはよだれが垂れてしまっていて、とてもじゃないが殿方には見せられない醜態だった。


 手元にあったコップの中身は空になっていることから、ワインを急に飲み過ぎたせいで酔いが回ってしまったようだった。幼いうちからワインを嗜む習慣があるらしいが、農村育ちのアリアは酒に強いわけではなかった。いつもならば、そのことに気を配って飲んでいた。だが今日はごちそうを前にしたせいか、そのたがが外れてしまったらしい。


 軽く肩を揺すると、「むー」と未確認生物のような奇妙な鳴き声をあげた。ちょっとやそっとでは起きる気配はない。これで相手が大の男だったら、そのまま放っておくところであるテツも、この幼い少女を酒場のテーブルに捨て置くほど冷血漢ではなかった。


 仕方なしに、傭兵団の荷馬車に連れて帰ろうと腰を上げると、向かいのミコトが手で制した。


 「テツはまだ楽しんでいなよ。わたしがアリアを寝かせてくるから」


 「いいんですか?」


 「十分満足したしね。それに、乙女にはごちそうを前にしても、我慢しなきゃならないときがあるのさ。哀しいかな、女に産まれた宿命よ」


 「ダイエットですか? そんなに太ってないじゃないですか」


 「そこぉ! 名誉毀損で訴えるぞ、ああん!?」


 般若もかくやという強面の前には、テツもだんまりを決め込むしかなかった。


 相手を沈黙させて満足したミコトは、うんうんと頷いてテツたちの側に回った。それに気づいたシンシアに事情を説明すると、彼女は「仕方のない子だね」といいつつも柔らかな微笑を浮かべた。


 ぬいぐるみでも背負うかのように、体重を感じさせない調子でアリアを背負ったミコトは、どこか悲痛な表情を浮かべた。


 「軽過ぎるくらいだね。大したもの食べてなかったのかな」


 「……」


 その貧しい村を襲ったのは自分たちである。彼らの親に文句などいえるはずがなかった。テツは二元論では説明できない問題を前にしていた。社会の問題というのは、いつだって簡単なものではない。大きな歪の前では、遠見テツという人間は矮小な存在でしかないのだ。


 せめて少女にはよくしてやりたい、と彼は思った。それは偽善だろうな、とも。


 「じゃあ」と口の中で言葉を転がしてミコトは店から出ていった。それを見送りながら、若干色を失った料理を口にする。最初よりも味気なく感じたのは錯覚ではないだろう。


 「ままならないな……」


 「そうだね。その通りだ。でもって、あんたにはできることなんてひとつもない」


 横から滑り込んできた言葉にテツは返事をしなかった。代わりにコップに残っていたワインを一気にのどへと流し込む。ブドウの芳醇な香りは、むかついた胸の煩わしさを流し去ってくれる気がした。


 ボトルを手に取ったシンシアが、赤紫色の流れをコップに作った。半目だけ開けてその流れを追っていたテツは、ともすれば漆黒とも取れる胡乱な濁流にのみ込まれる自分を幻想した。


 「あんたってウジウジと悩んでばかりだね」


 「それが性分なんですよ」


 シンシアのいうことはもっともだった。いつだって悩まずにはいられない。それが無益でしかないとわかっていても、考えるのをやめるのは、遠見テツが死んだときだけだ。


 ワインの水面に映り込んだ自分の顔は、ひどく不景気なものだった。面白くない落書きでも見せられたかのような気分になったテツは、アルコールの熱で気分を紛らわかそうと試みる。


 彼の正面には、いつの間にかシンシアとポールが夫婦よろしく肩を並べていた。「まずそうな飲みっぷりだな」憤慨した表情でポールがいう。


 「ポールのおごりだからいいんだよ……」


 自分が払うわけではないのだし、と湯だった頭で内心呟く。


 「おまえって、酒が入ると人相が悪くなるのな」


 「本当? そんなつもりはないんだけど」


 頬を触ると、手のひらの冷たさが心地いい。本格的に酔いが回ってきたらしかった。このまま潰れて介抱されるなんて無様を晒したくないテツは、名残惜しげにワインの入ったコップを置いた。


 ポールは眉間にしわを寄せて、


 「そこでやめるのがどうしようもないな。そのまま潰れた方が楽だったろうに……」


 「二日酔いは勘弁して貰いたいんでね」


 「全く、難儀な性格してるよ、おまえ。飄々としているかと思えばそうでもないし、悩んで動けなくなるかと思えば自己完結しちまうようだし。はたから見てると冷や冷やするぜ」


 シンシアは「そうそう」と追従して同意を示す。


 「心配して貰えるのはありがたいね」


 傭兵団の良心ともいえるポールたちがいなかったら、いまごろ脱走の手段でも考えていたかもしれない。その場合は、失敗したら死は免れなかっただろう。あの団長が脱走行為を見逃すとは到底思えない。


 ああ、何を悲観しているのだろうな。テツは自身の不甲斐なさに虫唾が走った。こうして心配してくれる仲間がいるのは幸福なことだ。ひとりきりで完結しても、それは大した答えではない。視野の狭まった独りよがりな答えだ。


 アリアのことだって、テツひとりで考えこむ必要はないのだ。ミコトが、シンシアが、女性たちが、少女の心の隙間を埋めてくれることだろう。


 ふたりの顔をまともに見られなくなった彼は、手持ち無沙汰の右手を料理に向かわせる。けれどもその皿は空になっていた。


 タイミングよく、隣から料理が差し出される。サツキだった。わたしのでよければ、と控えめにすすめられる。それに礼をいって、フォークに刺した鶏肉を口に放り込んだ。


 「おいしいよ」


 テツの言葉に、サツキは紫陽花のような儚げな微笑で答えた。彼女にも、気を使って貰えているのを自覚した。なるほど、料理の最高のスパイスは、人との団欒であるわけだ。陳腐な台詞だと思っていたが、これがなかなか真理であるようだった。


 「相談できる人間は、周囲に大勢いるってことね」


 シンシアはウインクしてみせた。もう少女とはいえない年齢のはずなのに、こう子供っぽい仕草がやけに似合っていた。


 「まあ、昔話になるけどさ、あたしもしみったれた村の出身でね。そりゃあもう、ひどいもんだった。寒さで死ぬわ、飢えで死ぬわ。自分の番はいつ回ってくるんだろうって毎日考えてた。それでさ、うちの馬鹿親は金がないから妹を売るとかいい出しやがったんだ。確かにその年は不作で、家族の食うぶんは足りなかった。それでも、みんなで協力し合えばどうにかなるはずだった」


 先を聞くつもりはあるかい、と目がいっていたので、テツは頷いて話を促した。


 「だから腹が立ったあたしはいってやったのさ。『だったらあたしを売りなよ! その金で食べ物を買えばいいじゃないか』ってね。なんやかんやあって、あたしは売られたわけだけど、妹を売った金で腹を満たすよりはよっぽどましだと思ったね。その後は録でもない未来があるんだろうとは思ったけど、後悔はしてなかったよ」


 彼女は妹を犠牲にしなかった己を誇っているようだった。自分ならばどうしただろうか、と話を聞きながらテツは思う。きっと妹が売られたあとで、パンを胃に収めながら、表向きにでも後悔するに違いなかった。


 ちらり、と横にいるポールに目をやりながらシンシアは続けた。


 「売られる途中の馬車を傭兵団が襲撃したんだ。すでに諦めかけてたあたしには救いだった。もちろん、こいつらは人助けのためにやってきたんじゃなくて、商品の横取りが目的だった。もうどうにでもなれって諦めてた心が熱くなるのをそのとき感じたんだ。翻弄されるのはもう嫌だってね。あたしは自らを傭兵団に売り込んだ。そのままじゃ、同じように売られちまうから必死だったさ。それで、あたしを身請けしてくれたのが、こいつだったのね」


 普段より優しげな雰囲気は、ポールへの愛情と信頼感を感じさせた。あまり思い出したくはない過去だろうに、気楽な調子で話してくれたのは、アリアのことを思ってだろう。少女の境遇は悲惨なものであったが、この時代の人間は、誰もが似た経験をしている。少女ひとりが、この世界の悪を一身に受けたような錯覚に陥っていたテツは、いまさらながらに気づいたのであった。


 「傭兵団に囲われているから不幸だなんて思わないことだね。ここに来て食事が満足に取れるようになったって喜んでいる娘もいるくらいだから」


 この物騒な集団ではあるが、きちんと全員に食料が行き渡るようにされていた。団員が優先的に与えられるものの、全く飲まず食わずという事態は起こらなかった。それは、末端の人間にまで気を配られていることを示す。この世界の常識ではありえないことだった。


 だが、とテツは人差し指の腹をかんだ。アリアの場合は状況が異なる。彼女の父親は団長に、母親はテツに殺されているのだ。


 「あんたのいいたいこともわかるよ。でもね、そんなに簡単なものじゃないんだよ。親と子の関係も。人間同士の関係も」


 アリアの家族が本当に和気あいあいとしていたならば、状況は異なっていたかもしれない。彼女の問題の根幹にも、他人が安々と立ち入れぬ境界がある。部外者であるテツには、それを想像することしかできないのだ。


 「得難いものなのに、手に入れると煩いの種となる、か」


 世界が変わっても、人間は変わらない。ならばひとつだけはっきりしたことがある。どれだけ頭を悩ませても、自分だけでは問題を解決できないということだ。遠見テツに必要なのは、シンシアたちの助言なのだった。


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