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第18話

 帰ってきてからというもの、テツの様子がおかしい。草切ミコトは、どこか気落ちした様子の彼が、行われた略奪行為に気を病んでいるのだと考えた。彼は不幸にも村人のひとりを射殺す事態を引き起こしているのだ。


 いつものように軽口で励ますことは憚られた。どうにも自分は女らしい一面が欠けている、と歯がゆい思いでいっぱいだった。彼女の大学の友人ならば、こういうときに自然と慰めるだけの行動を取れるはずだ。その一方で、遠目に気にかけるだけで、どう声をかけていいか悩んでいる自分は、なんと不器用だろうか。


 男らしいとか、姉御肌とか、そう何かと評価されることがある。少なくとも、そんな性格で得をしたことなど覚えがなかった。タイムマシンがあるなら、過去に戻って自分を矯正したい気分だった。


 現在、傭兵団の一行は、マーソン領の一大交易地に向かって足を進めていた。食料の類は略奪行為によって補充されたが、他にも必要な物資があった。先の村で手に入れた「戦利品」を換金しなくてはならないし、武器の手入れも必要だったので、得意先であるかの街に向かっているのだった。


 正直、道場生たちは気が気ではなかった。交易が盛んな街に行くということは、奴隷も売られることになる。それはつまり、彼らも売り飛ばされる可能性がある、ということだった。


 実際、略奪に反対した道場生のひとりは、売られることが明示されていた。村から連れ去ってきた者たちと同じように、手足を拘束されて荷物のように荷馬車に積まれている。


 もしも自分だけが売られてしまったら―――――そんな不安に苛まれている。右も左もわからない世界に飛ばされて、辛うじて正気を保っていられるのは、仲間たちがいるからだと、みなは当然に理解している。この機になって離れ離れになるのは、なんとしても避けなければならなかった。


 テツは心あらずといった体で歩いている。その少し後ろを、付き従うように歩く少女の姿があった。


 彼が射殺してしまった女性の娘であるらしい。本来ならば奴隷として荷馬車に放り込まれているはずなのだが、団長の鶴の一声によって自由が許されていた。それもおかしな話である。


 村から撤収して、戦利品を荷馬車に移している中、場違いともとれる光景があった。親と子供とも離れているふたりが、交渉戦とも思わしき舌戦を繰り広げたのだ。詳細は誰にもわからない。ただ本人の了解も取られずに少女はテツの管理下に置かれ、彼が呆然と事のなりを聞いているのを見ると、想定外のことだったのは予想するに難しくない。


 団長が何を思って少女をテツに預けたのか。そもそも、成り行きから考えて、彼女は自らテツの下に向かったと考えるのが妥当だろう。


 一番初めに見た人形のような様子とは、180度方向転換したような変貌もある。あの団長でさえも驚いていたくらいなのだから、よくもまあ、あの短時間で少女を落としたものである。手の早い弟分に少し呆れてしまった。


 冗談はさておき、テツが沈んだ様子なのは明白だった。キョウイチやスイに相談してみても、「そっとしておく方がいい」と諭されてしまった。彼らも殺人を経験している人間である。思うところがあるようだった。


 キョウイチのことで気がかりなこともあった。弟が連れてきたふたり組のことである。あの少女の件もあって、なし崩し的に自分の下に置いてしまった手腕は感心するものの、怪しさでいえば、こちらの方が倍々増しである。


 幼い方がティア、姉という方がヘレンと名乗っていた。口数が少ない姉妹だった。スイという恋人がいるのにけしからんと詰め寄ったときに、「キョウイチ様はわたしたち姉妹を助けてくださったのです」と逆にいい返されてしまった。


 この姉妹の件も、あっさりと認めた団長には不信感しか湧いてこない。まるで、策略だけに思いを巡らせているような不可解な行動。思いつつ、自分でも過剰反応過ぎると反省せざるを得ない。きっと、自分と団長は、永遠にわかり合うことはできないのだろう、と自然に悟る。


 所帯が増した傭兵団は、いくらか足が遅くなったものの、領主同士の戦で得られなかった戦果を補充できたおかげで機嫌がよろしいようだった。


 いつもは人生に絶望しているのかと邪推してしまうガヴァン副団長の横顔も、心なしか陽気に見える。あくまで心なしか、といった程度であったが。


 聞きなれない鳥の鳴き声がした。空を見上げると、翼を広げた大きな鳥が、風を掴んで優雅に滑空している。目測からして、タカやトンビの仲間のようだった。


 スカイブルーの中空は凪いでおり、雲は綿菓子のようにもくもくと連なっている。心地良い風が流れ、ミコトの結び上げている髪がそよいだ。


 彼女の生家がある地域も、自然が多く残されていた。都会に憧れた時期もあったものの、実際に経験してみると、思ったよりも上等なものではなかった。確かに便利ではあった。それと引きかえに、彼女の当然だと感じていた環境が失われていた。都会で生まれ育ったなら、それが当然と感じていただろう。しかしながら、彼女が生まれたのは、自然が多く残る環境だったのだ。


 頭上に広がる空は、少し表情が異なっていた。それでも与えてくれる安らぎのようなものは、彼女を勇気づけさせた。


 よし、と気合を入れる。右手の薬指にはめられた指輪を慈しむようになでた。自分には付き合っている男性がいる。だというのに、その相手の顔がおぼろげにしか思い出せなくなってきた。


 理由は簡単なことだ。けれど、口にしたり考えたりすることは、相手に対しても自分に対しても誠実とはいえなかった。心変わりとはまた違う。ミコトの弟分に対する感情は、いつでも普遍的に生き続けている。


 さりげなく横に並んで、テツに話かける。うろんな視線を向けてくるのは毎度のことであった。しかも今回は当社比で5割増の憂鬱度が上乗せされていた。


 「君はいま、徹夜明けの漫画家みたいな顔をしてるわよ」


 「だとしたら、それは正しい理解でしょうね。ぼくは締め切り間際だというのに、アシスタントによって原稿にホワイトをこぼされた気分ですから」


 「それはご愁傷さまだわ」


 なむなむ、とテツの昇華を祈願することにする。


 「もう少し気を使ってくれてもいいんですよ? ぼくはいま、人を殺してしまったせいでナイーヴになってますから」


 「キョウイチやスイがいうみたいにそっとしておけと?」


 「ええ。キョウイチやスイがいうみたいに」


 道場生仲間たちは、落ち込むテツを腫れ物を扱うようにした。無理からぬことで、どう声をかけていいかわからないのである。十代の少年少女が扱う問題としては、テツの抱える問題は敷居が高過ぎるといえた。


 「少し失礼なこというけどさ、わたしには、テツがそのことで悩んでいるようには思えないんだよね」


 遠見テツという人物を鑑みて出した結論だった。空を眺めていると、ふと、彼を過小評価していることに気づいたのだ。略奪行為という暴挙を許容したとき、同時に、その手が返り血に濡れることを覚悟していたはずなのである。ミコトの知る彼はそういう人間である。


 「違う?」と推し量るための疑問詞を投げかけると、彼は歩みをゆるめぬまま、心持ち後ろを気にしながら同意した。


 影のごとく付き従う少女は、機敏に気配を察知して、ミコトの前に割り込む形で躍り出た。「ちょ」立ち位置を奪われてしまった。なかなかに図々しいおなごだな、と怒るより感心してしまった。


 その少女は金色の髪を太陽で反射させて、


 「お呼びでしょうかっ、テツさま」


 と、向日葵の咲くような笑顔でたずねた。


 「あれ、この子、こんなキャラだったっけ……?」


 確認するために思い返してみるが、ガラスのような瞳と表情のない顔が印象的で、いまの彼女とは似ても似つかない。双子の妹です、とでも答えられた方がまだ納得できる。


 既存の人格を丸ごと消去して、新規に別の人格をインストールしなければこうもいくまい。遠目からも様子が違うなあ、と思っていたものの、実際に見てみると不気味ささえ感じさせる変貌だった。


 従順に返事を待つ少女に、テツは疲れた顔をして「呼んでいないし、用事もない」と切って捨てた。見事なまでに冷酷無慈悲だった。


 少女は意気消沈して下がる。ミコトは力なく垂れ下がる獣耳と尻尾を幻想した。


 さすがに可哀想だと非難の目を向ける。テツはそれに気づいて、知ったことかとばかりにそっぽを向いた。


 「カッチーン。お姉ちゃん頭にきちゃいましたよ? カッチーン」


 「擬音を2回も繰り返さないでください。鬱陶しいですから」


 「テツはねえ、もう少し女の子に優しくした方がいいと思うんだよね。前にもいったかもしれないけど」


 接近して力説すると、彼はひらりと補足範囲から逃げ出した。それに追いすがって首根っこをつかむ。物理的に逃げ出せないと観念した彼は、せめてもの抵抗とばかりに目を合わせない。


 「非常に歩きにくいです」


 「霊長類なら我慢しなさい」


 「なんて御無体な……」


 「これだから男女は」とブツブツいう文句を黙らすために、首をつかむ手を軽く締める。奇妙な鳴き声とともに草切ミコト批判は下火になった。世話なきことである。


 内緒話をするために顔を再度近づける。今度は逃げ出そうとしないテツに満足しながら、声量を落として話し始めた。


 「いったい何をしたのよ。まさか手篭めにしたとかいうんじゃないでしょうね」


 「それこそまさかですよ」


 テツは頬をくすぐるミコトの髪に気を取られつつ反論した。


 「何が何やら、ぼくにもさっぱり。強いていえば、彼女の両親を埋葬してあげたくらいです」


 なんでもないことのように彼はいった。


 遅れて意味を理解したミコトは、この青年はやはり常人と価値観がずれていることを感じずにはいられなかった。彼は死体を埋める行為としか意味付けしていないのだ、自身の取った行動のことを。口にする理由はどうであれ、思考の一番深いところでは、埋葬という行動に意味を感じていない。だというのに、彼にそのような動きをさせているのは、もっと表面的な意識の表れだろう。だから噛み合わないのだ。本心と身体が別々に作動しているような違和感に苛まれるのだ。テツの調子の悪そうな様子の理由を、本人ではなく、ミコトが理解できてしまうのは皮肉なものであった。


 本人に指摘したところで理解されないのは想像に難しくない。自分のことなど、他人にわかるはずがないと大多数の人間は考える。けれども、その自身のことを誰よりもわかっていないのが当人なのだ。結局、誰もが誰もを知っていない。世界は誤解と勘違いから成り立っているといえた。


 食い違っているようで、歯車が合わさってしまったのだろう。遠見テツという青年とかの少女は、対極に位置していながら、最も近い思考をしている。その琴線に触れた音を、彼女は感じ取ったに違いない。


 ひょこひょこと後ろを付いてくる姿は、親カルガモのあとを付けてくるひな鳥のように愛くるしい。少女と目が合う。別ににらみ合ったわけでも、探ったわけでもない。それなのに、先に目を逸らしたのはミコトの方だった。


 なるほど、只者じゃない。そう苦笑する。目線が合ったままという居心地の悪さを少しも感じない様子は、弟分の集中状態の姿に似ていた。彼は一度スイッチが入ると、人間の余分な部分をバッサリと捨て去る。少女の場合は最初からもっていない、という違いがあったとしても、根本は同類のものだ。


「ところで、彼女の名前はなんていうの?」


「名前? さあ」


 全く見当がつかない、とテツは小首を傾げた。この男は名前を聞いていないのだ。聞いていないのだから知らなくて当然だった。そして見当がつかない、というのもズレた反応だった。


 顔を引きつらせながら、ミコトは己の自制心を総動員した。怒ってはいけない。人間関係の円滑なコミュニケーションは話し合いである。すぐに手を出すのは野蛮人のする所業なのだ。


 「あのさ、それはないんじゃない」声のトーンが不自然に高低した。咳払いをして冷静さを維持する。大丈夫、自分は落ち着いている。


 「名前を呼ぶと情が沸くっていうじゃないですか」


 「犬猫でしょ、その話は。いい? 彼女の面倒を見ることになったんだから、名前ぐらいは聞いておくべきよ」


 「―――――ぼくは了承したわけじゃない」


 ぞっとするような冷たい声だった。驚いてテツに顔を向けると、目の前の見えない敵をにらみつけていた。心なしか、周囲の温度が下がった気がする。彼の中の、逆鱗ともいえる部分が刺激されたらしかった。


 声を詰まらせるミコトに気づいた彼は、恥じた表情を浮かべて謝罪した。己の失態を悔いているようだった。落ち着きなく手を彷徨わせて、剣の柄に行き着いた。


 その様子は、麻薬中毒者の禁断症状に似ていた。剣を確認した瞬間、熱が引くように落ち着いてみせた。


 遠見テツは剣に魅入られ、取り込まれている。それは彼女を悩ませてきた問題だった。彼から剣を奪うことは不可能になりつつある。


 これが現代社会ならば手の施しようもあった。けれど、この世界では剣が生きる術であり、アイデンティティでもあるのだ。どう説得したところで、彼は受け入れないだろう。


 問題の原因は自分ではないのか、と考えずにはいられない。冗談めかして聞いたことがあったが、笑って誤魔化されてしまった経験がある。自分では彼を救い出すことができないのではないか。


 力も、失われてしまった。能力が使えた時分ならば、力づくでも彼を止めることはできた。しかしこの世界に飛ばされてしまってから、能力は一切の恩恵を与えることをやめた。純粋な剣技と身体能力がはっきり示されるようになったのだ。


 その中で、遠見テツは頭角を現す。本来ならば歓迎されるべきことなのかもしれない。長年の修練が実ったともいえるのだから。


 けれども、長年の異常ともとれる剣の日々は、彼を身魂から造り変えてしまった。表面上はとりつくろっていても、その身は剣への狂気に取り憑かれていた。その事実に気づいたのはいつだっただろうか。気づいたときにはすでに手遅れだった。彼女の知る健気な少年は、その身のうちに悪鬼を孕んでしまっていた。


 できることならやり直したい。そう何度願ったことだろう。意味のない行為なのだとしても、そうせずにはいられない。


 気づきながらも楽観し、問題を先延ばしにした結果がいまの状況だ。テツにしても、自分にしても、これは自業自得なのかもしれなかった。


 「ぼくに彼女の面倒を見る余裕はないんですよ」


 「わ、わたしは、テツさまにご迷惑はおかけしません!」


 いままで事の成り行きを黙って聞いていた少女は、我慢できずに割り込んだ。


 「彼女はこういってるけど?」


 「迷惑か迷惑でないかは、ぼくが決めることでしょう。それに、団長からもきちんとした理由を聞いてないんですよ。どうしたら、彼女をぼくの下に置く理由があるのか。考えるまでもなく、きな臭いでしょうに」


 うんざりとした口調でテツはいった。それにはミコトも同意せざるを得ない。


 「お願いしますっ。どうか、お側にいさせてください。きっと役に立ってみせます」


 「なんとも健気な心意気だよ。ぼくには無用の長物だけど」


 キョウイチに預けた方がいいとテツはいった。彼ならば面倒見もいいし、すでにふたりの人間を見ているから、彼女も加えて貰えるはずだ。少女はまだ幼い年頃でもある。自分のような男よりも、キョウイチのような社交的な性格の人間の側にいた方が好影響である。口を酸っぱくしてテツは説得を試みたが、成果はちっとも実らなかった。


 「頑固だな、君は」


 「……申し訳ありません」


 しゅん、と少女はうなだれた。


 ミコトからすれば、頑固さは両者とも五十歩百歩だった。似たもの同士であることに気づかないのは、距離が近いゆえの滑稽さというべきか。


 そうしている間に、行列の前の方から声が上がった。目的の街が見えてきたらしい。村から離れて3日ほどだ。気がつけば、街道は馬車を数台並べても余りある幅に変わっている。交通の要地である主要街道は、よく整備されていて荷馬車の負担も少ないようだった。


 セブンス傭兵団の他にも、馬車がときおり通り過ぎるようになってくる。それらは交易用の馬車であり、荷物として交易品を多分に詰め込んでいるはずだった。


 もう少しで到着するという安堵感のせいか、ゆるい空気が一団の間に流れた。毒気を抜かれたテツは、頭をかきながら、


 「とにかく、団長にもう一度話を聞くつもり。君の処遇はそれからだ」


 「はいっ、わかりました!」


 「なぜ喜ぶ……?」


 喜色満面の笑みを浮かべる少女を理解できない、とテツは眉根を寄せた。困り顔を浮かべる表情は、幼い少女の扱いに困り果てている父親のような面影があった。


 もしかしたら、これはいい機会かもしれない。ミコトは、自分だけでは、彼を引き上げることは難しいと考えていた。あの少女ならば、一緒に彼の手を引く手助けをしてくれる存在に成り得るかもしれなかった。


 「ところで、君の名前はなんていうんだ?」


 この男は、ようやく名前を聞いた。あと2日も3日も遅かったのではなかろうか。よくも不便に感じなかったものである。もしかしなくても、「おい」とか「なあ」とかいって呼びつけていたのだろう。晩年になったら妻に逃げられるぞ、とミコトは呆れた。


 名前を聞かれた少女は「待ってました」とばかりに微笑んだ。


 「わたしの名前はアリアです。これからよろしくお願いしますね、騎士さま!」


 「騎士様……?」


 「世の中には、常人には理解出来ない不可思議が満ちているってことですよ」


 疑問符を浮かべるミコトに、テツはそう説明した。


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