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第17話

 人の死体というものはいつ見ても好きになれない。特に原型を完全に保っている死体の方が苦手だった。蝋人形のように白い肌で、かつては理性の光を灯していたであろう瞳は何も映していない。むしろ原型を留めていない方が、人間らしくなくて気が楽だとテツは思う。そういった死体は気持ち悪いだけである。


 少なくない遺体には、すでに死肉を狙ってカラスらしき鳥についばまれているものがある。自分も死んだら、こんな風に鳥の餌になるんだろうな、と自嘲気味に笑った。墓を立ててくれるような葬儀屋の知り合いは、この世界にはいないのだ。


 「なぜついてくる?」


 振り返ってテツはいった。


 彼の目をきちんと捉えているのか知れない目付きで、


 「離れるなとあなたはいったから」


 「それはそうだけど」


 少女があとをついてくるのは、惰性のようなものなのだろうか。できることなら、どこかに捨て置いておきたい輩だった。しかし団長の手前、放っておくこともできない。あの男からすれば、少女は金のなる木なのである。


 再び戻って、預けてくるのも面倒だった。仕方なしに前を歩かせる。歩き方さえも音もない。氷上を滑るように前へ進んでいく。見ようによっては、さぞかし気品のある少女に違いなかった。


 目的の場所につくと、テツは仕事熱心なカラスを追い払って、埋葬するのに適当な場所を探した。近くの家が彼らの住居だろうから、その周辺がいいだろう。地面の柔らかな部分を探すため、靴の底で土を削りながら調べていく。


 周囲より粘土質な場所を見つけると、早速他の家から失敬してきた農具を使って穴を掘り始める。現代のスコップに通じる形をしていて、平板で掘るよりは効率もかなりよかった。それでも人間2人ぶんの収まる穴を掘るのは並大抵のことではない。とてもじゃないが、遺体を伸ばした姿勢で埋葬するのは無理そうだ。


 息を乱しながら掘り進めていく。


 テツは少女の視線を感じた。少し離れた位置で作業を見守っているらしかった。見ているだけなら手伝えとはいえなかった。他でもない、テツ自身が殺してしまった人間の墓を掘っているのだ。他人にやらせていいような作業ではなかった。


 辺りには土を掘り返す音が無機質に繰り返された。コーラスは気味の悪い鳥の泣き声である。


 まるで墓荒らしだな、とテツは思った。教会墓地の眠れる死体を掘り返す盗人。なんとも罰当たりな所業である。


 そして作業を行っているのは、はたから見れば陰気なふたり組である。無表情な少女はいうまでもなく、ぶっきらぼうとか、唐変木とか、よく揶揄される彼も似た者同士かもしれなかった。


 ようやくある程度まで掘り終える。穴からはい出ると、地底人を目撃したような目を向けられた。自意識過剰だろうか。


 穴はそれほど大きくないので、遺体は身体をくの字にしておさめなければならない。死後硬直で固まった関節を曲げるのは、気持ちのいいものではなかった。


 折り重なる格好で2体の遺体を安置する。手荒で済まなくも思ったが、テツに射殺された女性からすれば、丁寧も何もあったものではないだろう。なんとも偽善的だな、と自分を罵倒する。けれど、これは必要な儀式であった。死人を埋葬しながら、遠見テツの破損した良心の一部を埋葬する儀式だった。


 しばしの間、黙祷を捧げたあと、盛られた土を戻していく。土を被せる行為は、死人に鞭打つ残酷な仕打ちに思えた。せめて棺があれば違っていたかもしれない。身体をさらされたまま地中に埋没していく恐怖は、想像するだに恐ろしい。


 やがて穴は埋められ、遺体は地下へと消えた。テツはその上に石を2つ並べて置いた。簡素な墓石ともいえない代物である。彼らの遺体が埋葬されていることを示すには適当ではなかった。それでも、少なくともテツと作業を見ていた少女には、この地に眠るふたりの存在がしっかりと焼き付いている。


 作業は済んだ。きびすを返して戻ろうとすると、不意に声をかけられる。


 「死体を埋めることに、意味はあったの?」


 彼女はやや怒っているようにも見えた。いままでの無表情しか知らないテツからすれば、それは大きな感情の発露である。


 埋葬する、という行為が、何か琴線に触れたのかもしれなかった。


 「死体は何も語らない。ただの肉の塊でしかない。あとは腐って骨になるだけよ」


 「そうだね。けれど死体になる前は確かに生きていたはずだ。きちんと息をして、心臓を動かして、生命としてあった」


 「それをあなたは殺した」


 非難する口調ではなかった。ただ事実を確認したに過ぎない。目にしてきた風景を、口にしてみたかのようだった。


 「ぼくが殺した。間違いない」


 ちら、とテツはうかがう素振りで、


 「もしかして、知り合いだったのかい?」


 「―――――両親よ」


 言葉を返す代わりに、大きく息を取り込んだ。大してうまい空気ではない。死臭が染み付いた空気だ。できるなら、新鮮な山の空気でも欲しいところだった。


 なるほど、と納得する。感情が死んでしまっても無理はない状況だった。父親は両断される勢いで斬り殺され、母親は無慈悲に胸を射抜かれた。なんとも酷い仕打ちだっただろう。そして、その殺人劇の片棒を担いだのは、ほかならぬテツである。


 よくも殺されなかったものである。もしかしたら、ずっと復讐する機会を探っていたのかもしれない。そう思って顔を上げても、それらしき感情はどこにもないようだった。不自然過ぎるほどに、何もなかった。


 「ぼくが憎い?」


 「その質問は、あまりに不躾だと思う」


 「なぜ? 母親の敵が目の前にいるんだ。憎まなきゃおかしいだろう」


 「だから、不躾だといったのよ。わたしにも何が起こっているのか理解できない。本当なら悲しむべきなのに、あなたを憎むべきなのに、少しもそう思えない。まるで自分には関係のない出来事を見ているみたい。……わたしのいいたいことがわかる?」


 「わかるかもしれない。ぼくだって、たまに自分がわからなくなる。人を殺すことに動じないと思ったら、人に嫌われただけで死にそうな気持ちになる。絶望して死にたくなるときがあるのに、そのすぐあとには、暗い悦楽が沸き上がってくるときがある。いまだってそうだ」


 墓石はどこにでも転がっているような石だ。道端にあれば、誰も気にしないようなものだ。けれどテツにとっては、故人を示す印となる石だ。その変哲もない印を見ると、どうしようもない後悔の念が沸き上がってくる。一方で、そんなものは意味のない感情だ、と吐き捨てる自分がいる。


 「だから、気持ちの整理をつけにきた。自分のためだよ」


 「なら、教えて欲しいの。わたしはどうかしちゃったのかな。胸の奥がズキズキするのに、それをなんとも思えない。まるで、わたしがなくなっちゃったみたい」


 恐らく、少女は一度死んでしまったのだ。テツはようやくその思いに至った。不気味なまでに無表情だった彼女は、あるときに徹底的に破壊され、失われたのちに残った残滓だったのだ。


 両親を殺されたことで引き起こされたのなら、話は簡単だっただろう。だが彼女を見る限り、両親の死は引き金であったとしても、直接の原因ではないような気がした。聡明な話し方からも、「死」という概念を十分に理解していたに違いない。そんな彼女が、悪くいえば、ありえたかもしれない状況を前にして狂うとは、到底思えなかった。


 出会ったばかりのテツには、少女を癒すことはできない。彼女自身も、それを望まないはずだった。


 「さっきの答え、君の両親を埋葬した意味だけど、それは救われて欲しいと思ったからだよ。陳腐な台詞だけどね」


 無論、自分勝手な理由が第一にくることは間違いない。それと同時に、語ったことも真実であった。殺しておきながら救われて欲しいとは、身勝手の極地である。指摘されるまでもなく理解している。


 「救い?」


 「君たちの宗教にはないのかい? そういう概念が」


 「シュウキョウ?」


 理解出来ない単語を耳にしたようだった。


 その反応に驚く。中世のような世界観だから、てっきり宗教が発達しているとばかり思っていたのだが。そういえば、この村には教会のような人々が集う建物が見えない。どんな宗教であっても、そういった施設はあり得そうであるのに。


 テツのいた世界との明白な違いだった。この世界には「神」の概念がないらしい。あるとすれば、太陽や風、自然に対する崇拝の念だった。少女の話しぶりから、一神教と呼べる宗教がないことを悟る。


 代わりにいって聞かせた、唯一無二の神の存在や、天の国といった話は、少女にとって興味のあるものらしかった。テツも世間一般が知っている知識しかないので、当たり障りない神学講座モドキをするだけだったが、「神」の概念を発見した少女には、非常に新鮮な驚きだったようだ。


 無理もない、とテツは思う。宗教の真価は苦しいときに発揮されるものだ。誰も救ってくれない、誰も理解してくれない。そう思い込むからこそ、天上に救いを求めるのである。科学がはびこる現代においても、新興宗教が絶えず現れ続けるのも、そういった原因が根底にあるからだ。


 もしかしたら、彼女に話を聞かせたのは間違いだったかもしれない。誤った考えにすがって、身の破滅を招く者は少なくないのだ。特に狂信的な人間は、致命的な誤りを引き起こす。


 テツの懸念を、少女は理解しているとばかりに頷いてみせる。


 「あなたの話は興味深いけど、鵜呑みにはしない。でも、わたしの疑問の答えを示してくれるのも、あなたの話なのかもしれないわね……」


 少女は両親の埋葬された場所を見た。どこにでもあるような石の下には、彼女の肉親が眠っているのだ。自然と頭を垂れる形になった。


 死体には何の意味も見出せなかったはずなのに、少女の脳裏には、不思議と生前の両親の姿が浮かんだ。人間として、悪い人たちではなかったといえる。たとえ弟を売ったとしても。自分を領主に売ろうとしたとしても。


 少女は動き出したんだな、とテツは膝をついて黙祷する姿を見て思った。人形のようだった彼女は、ようやく両親の死を理解したのだ。ただ失われただけではないのだと。肉体は滅びても、あとに残された人に魂は受け継がれる。彼らの魂は少女の空虚を満たし、人間として動かし始める。


 テツに向き直った少女の顔は一変していた。それこそ、テツが戸惑うくらいに。


 「―――――騎士様、お礼をいわせてください。両親をこの地に埋葬して頂き、とても感謝しています」


 「冗談にしか聞こえないよ。ぼくは騎士なんて上等なものじゃない。見ればわかるだろ」


 両手を広げて、自身の身なりがいかに貧相であるかを示してみせた。鎧なんて見当たらないし、マントだって羽織っていない。これで騎士を名乗ったら、詐欺罪で捕まっても文句をいえないだろう。


 少女はかぶりを振った。


 「わたしには『本物の騎士』とやらの見分けはつきません。ですが、少なくともあなたはただの野盗ではない。彼らは、わたしを犯し、殺すことはあっても、救ってはくれません」


 「君は間違ってるよ。ぼくは君を助けたいわけじゃなかった」


 「そうかもしれません。ですが、あなたは両親の殺害に手をかしながらも、わたしに救いを与えてくださいました。手をかけたことを望んでいなかったのは、十分に伝わりました。あなたはいい訳という見苦しい行いをせずに、行動で誠意を示してくださいました」


 自分の行動が、彼女の目には、そのように映っていたのか。自身に覚えのない善行をたたえられているようで、居心地が悪かった。けれど、彼女の口をさえぎって訂正する行為は、さらに愚かな行為に思えた。


 少女の目には、僅かであるが、生きる気力というものが現れ始めているようだった。それがいいことなのかはわからない。彼女は自分と同じように囚われの身だ。感情が死んでいた方がいいこともある。


 これは身勝手な要求だ。けれどもガラスのような瞳よりも、いまの彼女の瞳の方が、何倍も好みだった。


 テツは、少女の中に眠っていた何かを呼び起こしてしまったらしかった。まるで人が違ったように話す様子は、なんとも不可思議な光景だった。


 ある種の神々しささえ感じさせる少女は、時代が時代ならば、何か大きなことをしでかしそうな予感を感じさせた。


 うって変わって、恭しく付き従う少女に困惑しながら、自分の周りにはおかしな人間がよく集まるものだ、としみじみ思う。無論、遠見テツという人間を含めて、まともだと思えない類の者は、互いに引き寄せあうのか、と邪推してしまうくらいに一箇所に集まる。それは団長であり、セブンス傭兵団そのものであり、遠見テツであり、この少女でもあった。


 時代を先導している、なんて馬鹿げた妄言を吐くつもりはない。ただ、人間には捉えることができない、大きな奔流の中に飲み込まれている感覚がした。


 あの日、謎の渦に巻き込まれていた草切ミコトの手を握った日から、物語は動き出したのだ。ならば、その物語の主人公は誰なのだろうか。


 少なくとも自分ではないな、とテツは自信を持って断言できる。彼はそんな男だった。


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