第16話
標的に選ばれた村は、野営地から半日もかからない距離にあった。警戒されないために、下馬して近づいている。村への道のりは主要街道からほぼ一本道であったが、あえてそこを通らないで、森の鬱蒼とした獣道をいく。
当然、荷馬車とは別行動だった。団長を先頭に、村から補足されないように慎重に進んでいく。この狡猾さが、そこいらの野盗とは一味違う表れだった。
背の高い草が連なる丘に出ると、姿勢を低くして登っていく。ちくちくと刺さる草の葉先が不快だった。視界はよくないので、前の人物から離されないように注意しなければならない。
やがて正面に村を見渡せる光景が広がる。馬は少し後ろに待機させているので、村の方面からこちらは見えていないはずだった。
テツを含めて、傭兵団の面々は肩に赤い布を巻いていた。集団が目印のように身につけているのでよく目立つ。
この赤い布は囮のようなものだ。村人全員を皆殺しにするつもりはないので、生き延びる者が出てくる。その人間に印象的に覚えさせておくのだ。そうすれば、追跡がかかった場合も「赤い布を巻いている」という特徴ができる。当然、セブンス傭兵団は、赤い布をトレードマークになどしていない。この襲撃で村人に覚えさせるべきなのが、個人の情報よりも、「赤い布」という抽象的な情報なのである。
テツたちは軽装である。場合によっては、反撃されて死ぬ可能性もないわけではない。村人だって、殺されかければ反撃してくるのは当たり前である。農具であっても、人間は十分に死ねる。
その意味でいえば、道場生組の女子たちは初陣ともいえた。ミコトやサツキも緊張を隠し切れない様子である。
一方で、すでに戦を経験しているキョウイチ、スイは、略奪という行為そのものには嫌悪感を禁じ得ないようだったが、戦闘そのものに臆しているようではなかった。
彼らは刀で武装している。テツはショートソードを腰に、メインは弓であった。今回は司令塔としても動かなければならないので、弓で後方から援護しつつ、全体の指揮をとるつもりだった。彼としては、単独で白兵戦をしていた方が何倍も気楽であった。
テツは昔ながらの様態を見せる、眼下の集落に目をやった。
住居の壁は石積みであり、屋根にはかやぶきだろう材木で組まれた物が乗っている。お世辞にも生活環境はよくなさそうだった。家々の煙突から白い煙が上がっている。幼い子供の姿も見えた。
一見するところ、何の変哲もない村である。だがテツは楽観しなかった。「こういうとき」に限って、厄介な事件は起こるのである。それは厄介事にすでに巻き込まれているからこその懸念であり、すでに幸運の女神に見放されているという自覚からくるものだった。
手はずとしては、団長以下、傭兵団のメインが最初に突っ込み、抵抗するであろう男たちを無力化する。テツたちは女子供を逃がさないよう捕まえる役目だ。大人しく捕まってくれるはずもないので、手を汚さずに済ますのは不可能に思えた。
メインの目標は村の物資であり、人間はついでに過ぎない。奴隷として売れる値段と、移動コストを考えた場合、利益が出るのはよほどの美人か美丈夫か。その気になれば領主は力づくで村人を従えるので、労働用の奴隷はあまり需要がない。農業の大規模プランテーションが行われていれば話は別だが、この世界において、かのような農業体系をとっている国はいまだ存在していない。
団長の合図が出た。団員は静かに乗馬する。これから突撃するであろう興奮からか、馬たちはいなないた。戦時ほどの重装備ではないものの、騎乗した団員による突撃は村人に行われるには過剰過ぎた。これは相手を萎縮させる効果を狙ってのものだ。
団長が抜剣し、その身には適当というほかない長剣をかかげる。彼らは駆け出した。
「生き残ることを第一に考えるんだ!」
まるで戦のときのような叱咤だった。
テツの言葉にみなは頷く。略奪行為に加担して死ぬなんてことは、剣士として最大の汚点である。死んでも死に切れない。そして曲がりなりとも、草切の道場生は剣士だった。生きてまだなすべきことがある。そう信じている。
いまばかりは、善悪の区別も見ぬ振りをするしかなかった。
騎乗していないテツたちは、団員に遅れて村に突入する。すでに周囲は混乱していて、逃げ惑う村人で騒然となっていた。目的は殺しではないので、武器で威嚇して追い払う。相手は余程のことがなければ、命が大事なので我先にと逃げ出していく。
それでいい、とテツは目まぐるしく変化する状況を把握しつつ、早くどこかに行ってしまえ、と弓で射かけるブラフをかける。
老人子供は逃げ遅れている。その集団にはテツたちがかかって追い立てる。良心が痛む。自分はどんな顔をしているのだろう。せめて鬼のような形相をしていて欲しいと思う。そうすれば、彼らも恐れて、我先にと逃げてくれるだろうから。
道場生組はよくやっていた。テツが殆ど指揮しなくても、互いに連携して、羊を追い込む牧羊犬のように村人を誘導する。心配された村人からの反撃も形になっていないといっていい。日頃の農作業で屈強な男たちでも、傭兵団員には敵わないようだった。
視界の端で、団長が弓を構えた男を斬り殺したのが見えた。身なりからして、猟師だったのだろう。不幸にも抵抗する武器を所持していたことが彼の運命を決めた。矢をつがえるより早く、団長の剣戟によって上半身をなます切りにされてしまった。
殺戮の実演は効果があった。目に見えて絶望感を増した村人が、脇目もふらずに逃げ惑う。腰を抜かした女性を、数人がかりで助けようと四苦八苦している姿もあった。
テツは団長の下に向かった。
「首尾はどうだ」
「村人の追い出しは順調です。村長らしき人物はまだ見ていませんが」
「それはこちらで確保した。あとは売れそうな奴隷の確保だな。いくらか見繕って、捕らえておけ」
「……はい」
奴隷的身分でいえば、テツたちだって似たようなものだ。その自分たちが、奴隷として売るために人間を捕まえるなんてたちの悪い冗談だ。全くもって反吐が出る。
そのとき、テツの感覚が気配を捉えた。反射的に弓を構える。
身体をターンさせると、一直線に向かってくる人影があった。泣きはらした顔で、手には包丁らしきものがあった。
女だ。中年くらいだろうか、テツはとっさに、団長が斬り殺した男の妻という言葉が脳裏によぎった。
「止まれ!」
半狂乱のせいか、言葉には少しも反応を示さない。彼女が手にしている包丁であっても、軽装のテツには十分な脅威だ。考えている暇はなかった。
彼は弓を引き絞った。キリキリという弦の悲鳴が聞こえる。目線は厳しくなる。相手の狙うべき位置が拡大されたように明確になる。
ひゅ、という空気を裂いた音がした。
我に返ったときには、矢はすでに放たれていた。そして狙った通りに女の胸を貫く。女は大きく痙攣すると、足をもつれさせて地面に倒れた。のどを詰まらせた音を繰り返したあと、血の塊を吐いて動かなくなった。
ひとりの人間が死んでいく様子をテツは黙って見ていた。
戦のときとは違う、明細な死の一幕だ。あのときは夢中で、倒した相手のことなど考える暇はなかった。死の確認をするまでもなく、次の相手にかからなければならなかった。
だが今回は違う。殺した相手は、まざまざと、その死に様を加害者に見せつける。
腹の筋肉が収縮して、ひとりでに呼気がもれた。胸糞が悪い。朝食は抜いて正解だった。もしも胃に内容物があったなら、戻していても不思議でない。
夫婦と思わしき男女は、両者とも苦悶の表情で事切れていた。すでに村人は少なくない数が死んでいる。その中の一部に過ぎない。
一部に過ぎないが、紛れもなくテツが殺した人間だ。
クソ、と吐き捨てる。畜生、畜生、と何度も呪いのように口を動かす。そうせずにはいられなかった。良心という患部に、泥を塗りたくらなければならなかった。もっと汚い言葉で覆いつくされなければ、否が応にでも見せつけられてしまう。
女を射殺したテツを、団長は少し感心したように見た。酷く癪に障る仕草だった。自然と睨み返す形になる。感情を母親の腹の中に置き忘れた大男は、自身の年齢の半分にも満たない彼の殺気を何とも思っていないようだった。
団長は近くの家の扉を蹴破る。テツの殺気にはすんとも反応しなかったのに、思いがけず片方の眉を持ち上げた。中から引きずり出したのは、彼の半分にも満たない小柄な体格の持ち主である。
ガラスを思わせる少女だった。
着ている服は、ところどころすり切れた粗悪なものだった。だというのに、身につけている人間の方が服を装飾しているかのようだった。彼女に着られている服は、少しも品を欠いていなかった。
顔立ちはこの地域特有のものだったが、ハーフであるのか、テツたちモンゴロイド系の片鱗を見て取れる。それがいっそう少女を幼く見せていた。どうかさ増しして見ても、10代前半だろう。
シャンプーなどという上等な代物はないだろうに、それでも金色の髪は少しもくすんではいなかった。
何より少女を際立たせているのが、そのガラスのような瞳だった。まるで何も映していないかのような。いや、それは違うかもしれない。彼女は倒れている男女の死体をじっと見つめていた。
「なんとも不気味な人形だな」
団長の揶揄する言葉にも反応を示さない。
興味が失せたのか、少女をテツに任せると彼はいった。すでにあらかたの過程は済んでいるものの、次は食料などの運び出しの作業が待っている。遊んでいる時間はない。
テツの返事を待たずに団長は行ってしまった。残される青年と、少女。和やかな空気は当然のごとく存在しない。
―――――なんとも不気味な人形だな。
普段なら口も聞きたくない相手だが、その意見には賛成だった。まるで生気を感じさせない佇まいは不気味の一言だった。美しい少女の皮を被った、何か得体の知れないもののように思えてくる。
だが、いつまでもこうしているわけにはいかない。指示を出すために近くにいたキョウイチを呼び寄せると、相手も同じように引き連れている人間がある。
フードを被ったふたりだった。キョウイチの背に隠れるように付き従っている。隣にはスイの姿もある。
「そのふたりは?」
「捕まえたんだ」
テツは近づいて、そのふたりのフードをとった。あ、というスイの声を無視して、まじまじとふたりを見分する。
確かに、顔立ちは悪くない。むしろ美しい部類だといえる。ひとりは少女で、もうひとりはテツと同い年か、あるいは年上の女性だろう。酷く薄汚れていて、駆け回っているテツたちよりも酷い有様だった。
背の低い少女を覗き込む。
抑揚の欠いた動きで見返されると、テツはその少女の瞳に見覚えのある感情を見た。なるほど、と納得する。得体の知れなさでいえば、こっちもいい勝負だ。よりにもよって、ただの村人というには相応しくない人間が、3人も一気に現れるとは。
「お、おまえの方も同じみたいだな」
テツとフードの少女の間に割り込みながら、キョウイチはいった。後ろに引き連れているガラスの少女を視界に入れると、すぐに頓狂な声を上げて固まる。
無理もないと思う。不気味さでいえば、テツの後ろに佇む少女は筆舌に尽くしがたい。目を合わせただけで魂を吸い取られそうだ。
「とにかく、あとは最後の仕上げらしい。キョウイチたちは副団長の指示をあおいで」
「わかった」
「ミコト姉さんは?」
周囲に目をやると、手を振って存在を誇示するミコトがいた。サツキたちと一緒に動いていたらしい。
「姉さんは団長の指揮下に入って」
「うへえ」
心底嫌です、と肩を落として返答する。少しふざけた態度だが、空元気でもそうしていられるならいいことだ。このぶんなら、彼女たちも大丈夫だろう。
「捕まえたふたりはキョウイチに任せるけどいい?」
「大丈夫だ」
責任をもって連れて行く、と彼はいった。ならば任せておいてもいい。あまり何人も引き連れると足が遅くなる。まだ穀物類の蔵が見つかってないから、それを探さなくてはならない。
みながそれぞれの持ち場に向かったあと、テツは後ろを振り返った。相変わらず無言の少女は、抵抗する様子も見せず、黙ってついてくる。手がかからないといえばそうだが、逆に従順過ぎて気味が悪い。
注意深く瞳を覗き込んで見ても、映っているのは間抜けな自分の顔だけだ。そこには感情の欠片も現れていない。
ため息をつくと、村人が逃げ出した空き家の見回りを始める。まだ使えるものが残っていないか調べるためだ。
後ろから刺されてもぞっとしない話なので、少女を先に歩かせる。弓を肩にかけ、代わりに剣を抜く。
やはり、剣はいい。弓も飛び道具として有効な武器ではあるが、テツが絶対的の信頼を置くのは剣のほかにない。すう、と気分が落ち着くのがわかる。心拍数が高いのと、呼吸が荒くなっていることを感じ取れるようになる。彼は努めて呼吸を落ち着かせ、無駄な緊張を強いていた身体を平常に近い状態まで戻した。
少女を先導させ、家々をしらみ潰しにしていく。隠れている村人がいないか、注意深く死角に意識をやった。物陰からバッサリ、なんてこともある。少なくとも、テツならばそうする。
突然襲われて逃げ出したはずなのに、あまり金になりそうな物は残されていなかった。元々この村は裕福ではなかったのかもしれない。それでも、少なくない量の食料が手に入ったから収穫はあったといえる。
村の開けた場所、広場ともいえるだろうか。そこには捕まった村人が集められていた。例のフード2人もキョウイチの隣にいる。
団長はというと、中でもでっぷりとした老人を脅している最中のようで、その老人は顔を青くしながら、かぶりを振って許しを請うていた。
見たところ村長のようである。身なりが他の者よりも上等だった。服は染色が施されているし、刺繍もあった。ボロ布のような他の村人の服と比べると雲泥の差がある。
曲がりなりにも村長を務めるだけあって、団長の脅しにも無様な姿を見ているものの、口を割る気配はない。
どうやら種もみの隠し場所を聞き出そうとしているようだ。ここに来るまでに調べた空き家にはなかった。ならば違う場所か、見つかりにくいところに隠しているのかのどちらかだ。
大抵の人間は、軽く拷問すれば秘密を吐く。だが、この村長はどうだろうか。ちょっとやそっとでは食えない顔つきをしている。墓の中まで秘密を持って行きそうな雰囲気があった。
団長はこの業突な輩をどう料理するか迷っているようだった。そもそも、種もみ自体が本当にないかもしれない。下手に殺してしまっては、情報が引き出せなくなる。
ややあって、余興を思いついた、という顔をした彼は、「おまえがやれ」と尋問する役目をテツに押し付けた。
このキングコングはぼくに恨みでもあるのだろうか、と半ば諦観の念を抱いた。何かと面倒を押し付けられているのは、きっと気のせいではないだろう。もしかして、自分を胃潰瘍か何かにかからせて暗殺しようと画策しているのかもしれない。あり得ないが。
ひざまずいている村長の前に立つと、彼の目に侮りの感情が横切ったのを見た。それでいい。悪魔の権化のような団長のあとに出はる役者としては、力不足感を否めないテツである。十中八九の人間が安堵し、油断するだろう。特に若さゆえの青さというものは、テツから自然発生的に生じている、相手を転ばすための油のようなものだ。
「村長さん、種もみの隠し場所を教えて下さい」
「そんなものはない。何度もいっているだろう」
懇願するように訴えるので、テツは理解しているとばかりに相づちを打つ。
この老人は食えない。だから食う必要はない。強欲な人間は雑巾のごとく絞ったところで、最後まで脂を蓄えているような連中だ。ならば、餌で釣ってやればいい。その欲望で抗っているのだとしたら、目の前に好きな食べ物を垂らしてやるのだ。
「教えてくれたら、種もみの半分は残してあげますよ」
「え? う、うむ……」
目線をずらして、村長は考え込んだ。頭の中では、隠し場所を話すメリットとデメリットの計算が高速で行われているのだろう。
ここまででいい。自分の仕事は済んだ、と視線を投げると、団長が満足して頷く。団長が知りたかったのは、種もみが存在しているか、していないかである。実在しない情報を引き出そうとする尋問ほど、労力の無駄を感じさせる所為はない。
村長の仕草から、種もみを隠しているのは決定的だ。あとはなぶるなりして居場所を吐かせればいい。存在することはわかったのだから、情報の引き出しに絞って痛めつければ、相手も観念するに違いない。
「団長、少し時間を頂きたいのですが」
「理由は?」
「さっき射殺した者を埋葬するためです」
テツの言葉に対してのあからさまに怒気を孕んだ団長の表情を見て、半ば予想していただけに落ち着いて続ける。
「別に哀れみや後悔というわけではないですよ。自分の精神の安寧のためです」
村人を殺したショックは少なくないので、精神的に辛い状態である。このままではあとに引きずりそうなので、嫌な記憶を忘れるためにも土に遺体を埋め去りたいと告げる。
詭弁だということは団長もわかったはずだ。それでも、テツの言葉は全てが嘘ではなかった。このままでは気分も優れない。駒を動かすキングとしては、部下の体調と精神を良好に保つ行為は無駄とはいえない。それなりに説得力がある話だった。
渋々、といった体で許可は出た。理屈で動く人間でなかったら、こうもいかない。
略奪に参加していたポールも思うところがあったのか、手伝いを申し出てくれたが、自分で埋葬することに意味があるので、丁寧に遠慮した。彼は他の団員とは違って、テツの行動に共感しているようだった。
心持ちうなだれて遺体の元へと向かうテツを、道場生たちは複雑な表情で見送った。幸いにも、今回の村人たちは逃げ足が速かったようで、団員に抵抗して殺された人間以外は逃げ出せていた。それゆえ、道場生たちは手を汚す必要もなく、逃げ惑う村人を追い払うだけでよかったのだ。テツの場合は不運だったとしかいいようがない。
遠くなる背中を見送る中で、2対の目は特に鋭い。フードの奥に隠れている瞳は、まるで怨敵を睨みつけるかのようだった。けれど、静かに怒る彼女たちに気を配る人間はいない。
目立ってはいけない。そう理解しているから、略奪という悪行を行いながらも偽善をなそうとする愚か者に、ふたりは冷笑だけをみまうのだった。