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第13話

 スイに会うために探し回っていると、すぐに彼女は見つかった。荷馬車の影になっている場所である。小さな影であるし、日差しはまだ勢いを弱めていないので、この場には彼らふたりしかいない。


 乾燥して軽くなった丸木にスイは腰を降ろしていた。物憂げに空を見上げている。つられて視線を上昇させると、綿アメのような白雲が流れていた。


 遠くに喧騒が聞こえる。団員の誰かが騒いでいるのだろうか。


 太陽は南中を越えて傾き始めており、これから水平線に向かってダイブする予定であるらしかった。


 来訪を知らせるために、わざと足音を鳴らして近づく。


 顔を向けて、音の主を確かめた彼女は、何もいわずに正面に向き直った。足は投げ出されている。


 いつまでも道場着を着ているわけにはいかないので、服の予備をそれぞれ支給されている。お世辞にも上等とはいえないものの、着られるだけありがたい。スイが身につけているのは、手伝いの女たちと同様のものだ。いわゆる村娘スタイルだったが、動きを重視してスカートは長くない。


 最初は着られている感が否めなかった様子も、いまでは十分に着こなしている。すらりと伸びた足に目をとられて、綺麗なものだな、とテツは感心した。別に他意はない。


 口を開くタイミングを逃したので、黙って隣に腰掛ける。バランスを崩してふたりで転げ落ちるのでは、と期待した結果にはならなかった。安定性がある木を選んでいたようだ。


 スイとはまだ仲が良かった頃、さかんに相談事をされていたのを思い出す。内容は「キョウちゃんに嫌われてないかな」とか「キョウちゃんの邪魔になってないかな」といったものだ。


 彼女のキョウイチへの好意は立派なもので、嫉妬する気も起きなかったのを覚えている。むしろ、こいつら夫婦なんじゃないのか、と常々思っていたほどである。


 3人のグループは、実質的には2プラス1という関係で成り立っていた。便宜上は同一グループとして考えられるが、そこにある彼の役割はさほど重要でなかったように思える。


 もしも彼が子供特有の自己中心的思考が顕著であったなら、この組み合わせは成り立たなかっただろう。何の因果か、自分の立場を理解できる聡明さと、それに不満を感じない達観をもっていた。


 いま思えば、なぜ3人で行動を共にしていたかなんて覚えていない。友達とは自然発生的にできるものである。気がついたら、キョウイチとスイの友人というポジションに落ち着いていたのだった。


 スイはキョウイチに惚れていたせいか、彼の評価を模擬試験のランクと同じくらい気にしていたせいもあって、相談に乗るのはいつもテツの役割だった。


 悩みの本人に相談する人間はいない。もしも適する相談相手がいるとすれば、近しい友人であろう。テツはど真ん中なプロフィールだった。


 キョウイチの好きな食べ物だとか、趣味だとか、好みのタイプも根掘り葉掘り聞き出して報告した。スパイのような真似事だった。いや、恋のキューピットといった方が舌触りがいい。


 かくいう関係は例のごとく能力の発現によって終わりを告げるのだが、数年のときを経て復活するとは思いもよらなかった。なんとなく感慨深い気持ちになる。ひとり、家族写真を眺める年寄りのような顔をしていると、隣のスイは意を決して話し始めた。


 「テツはさ、人を初めて斬ったとき、どう思った?」


 なるほどその話題か、と納得して、


 「キョウイチはなんていってた?」


 「気持ち悪いって。辛そうな顔してた」


 それを聞いて、なら正直にいっても大丈夫そうだな、とテツは思った。


 「骨が斬りづらいなって思った」


 「え?」


 「脂も斬ったあと邪魔だったけど、やっぱり骨が障害になるね。何度も斬って、切れ味が悪くなった剣じゃ、骨まで一気に断ち斬れなくなる」


 この世界の人間は骨が丈夫なんだね、と付け足す。


 「わ、わたしはね、真面目に」


 「真面目だよ。ぼくは大いに真面目だ」


 ふざけていない様子が伝わったのだろう、スイは黙らざるを得なかった。


 「だってさ、殺すか殺されるかの瀬戸際だよ? 考えるべきは、どうやってひとりでも多く敵を倒すかだろうさ。スイが何を気にしているのか、わからなくもないけど」


 「うん……」


 話の主導権を奪われた彼女は、小さく意味のない相づちをうった。


 テツは自分が話の流れを支配していることを確かめつつ、声を柔らかくする。あまり責め立てても得策でない。また、スイの話を否定してもいい方向には向かわない。まずは相手を肯定することが大事だった。


 「キョウイチには相談した? あいつなら助言してくれると思うけど」


 「してないよ。こんなこと、いえる訳ないじゃない」


 はなから諦めている様子だった。ネガティブな方向にひた走っているといえる。


 「あいつじゃ、頼りにならない?」


 「そんなことない! そんなことないけど……」


 「ぼくは大丈夫だと思うけどな。キョウイチなら、きっと力になってくれる」


 幼なじみは、心から信頼してそういった。スイは意外そうにその啖呵に聞き入っていた。まるで疑っていない調子だった。下手をしたら、彼女の信頼感よりも優っているかもしれない。


 でも彼は、と思い出して暗い気持ちになる。わたしたちは、テツのことをまるでわかってはいなかったのかもしれない。そう彼女は思った。テツは常人では推し量れない感性を持っているのだ。それが、すれ違いを生んでしまった。


 黙り込んだスイを訝しんで、テツは顔を覗き込んだ。


 「どうかした?」


 なんでもない、とスイは返す。


 「わたしは、初めて敵を斬ったとき、ざまあみろって思ったの」


 斬った男はまだ青年で、スイを正面に捉えるなり蔑んだ視線を向けてきた。女である彼女を獲物としかみなさなかった。それに気づいた途端、身体が一気に熱くなったのだ。


 それは怒りからなのか、羞恥からなのかわからなかった。だが確実に神経は興奮状態になって、相手を斬りつける思考に支配された。


 たまに、こういうことがあった、とスイは告白した。


 元の世界においても、女性であることで差別されることが時たまあった。彼らからすれば、差別という意識は持っていないのだろう。それは矜持とか、見栄といった類のものなのかもしれない。


 ただ、そういった悪意に対してスイは敏感だった。普通の女性なら気分を悪くする程度のことにも、激昂することがあった。それは元来の性格も影響している。負けず嫌いで、いわれなき差別が大嫌いだった。


 日常生活はともかく、剣の世界では実力をもって仕返しすることができた。だから彼女は剣を振るうのが好きだった。真剣に強くなりたいという志をもつ剣士たちには、口が裂けてもいえない理由だった。


 そもそも、草切道場で教えられるのは、剣をみだりに振るってはいけないという戒めだった。


 たとえ悪人が相手であっても、一方的に行使する暴力は正しくない。そう当主たる者はいっていた。


 スイは納得できた。だが共感はできなかった。


 剣は武器だ。相手を倒すためのものだ。抜かれない剣に意味はあるのだろうか、と常々思っていた。


 それらの鬱憤した想いが、殺し合いの緊張感の中で一気に決壊したのだった。


 相手は少女だと油断している男の首をはねた。幸い、相手は軽装だった。軽い手応えと共に、間欠泉からたぎった液体が吹き出る音を聞いた。脳は相手を斬り殺したことを理解した。何より、目の前に転がり落ちた首が雄弁に結果を物語っていた。


 わたしを馬鹿にするからだ。


 ―――――ざまあみろ。


 口元を歪めて、ふと、正気にかえった。やるべきことをやったあとの静けさが戻ってきた。相変わらず周囲は剣戟にうるさいけれど、血の気の引いたスイには遠い場所でのことに思えていた。


 わたしは何をしたのだ。相手を斬り殺し、あろうことかなじってさえみせた。本当に、自分のやったことなのか。


 呆けている暇はなかった。立ち止まったら死ぬことはわかっていた。無我夢中で知っている後ろ姿を追いかけていた。途中で仲間がひとり姿を消しても、かまっている暇はなかった。


 結局、スイは生き延びた。わずかな怪我しか負わなかったのは奇跡といってよかった。生き残れただけでも上出来だった。


 人を殺し、自らは生き残る。


 良心の呵責に苛まれているのは明白だった。戦のあと、キョウイチは噛み砕いてしまうほど、きつく歯を食いしばっていた。


 彼は悩んでいた。だが、その悩みは、スイとは異なる種類のものであるのは明白だった。彼は、正しく悩んでいた。それに比べて彼女の悩みは、品位に劣るといえた。


 キョウイチにはいえない、と考えるまでもなく思った。きっと彼は真剣に話を聞いてくれるだろう。真剣に話を聞いて、戸惑うのだ。理解できない、スイの悩みに。


 それは恐怖だった。恋人に理解されないということは、ある種の絶望だった。一番深くつながっているはずなのに、どこまでも距離は果てしなかった。


 代わりに思い描いたのは、テツの顔だった。最近では会話することもめっきり減ったが、かつては彼がスイの相談役だった。不思議と、彼に弱音を吐いても恥ずかしくはなかった。彼が誰よりも弱い部分や、汚い部分に精通していたからかもしれない。


 悩みを話しても、彼ならば平然とした顔で対応してくれるはずだ。それは幼なじみに対する信頼感だった。めったに表に出てこない感情だ。


 「わたしを馬鹿にするからだ、とか。思い知ったか、とか。そんなことを思ってしまったの」


 「それが許せない?」


 「ええ」


 「本当に?」


 テツに覗き込まれたスイは、その瞳の深さに怖気が走った。まるで夜に覗き込まれているみたいだった。心なしか、顔のパーツが生気を失って見える。錯覚だ、と思っても、人間でないものを相手にしている予感は捨て切れなかった。


 「スイは自分の残酷さが許せないと思った」


 説明書を読み上げるように、


 「善良さの欠片もない行動が許せなかった」


 「……」


 「本当に?」


 答えられない。


 わたしは、本当に自分が許せないと思ったのだろうか。舞台で演技する女優のごとく、自分の不幸に酔っていた?


 わきには、嫌な汗をかいていた。見向きもしなかった自分の暗部と向き合わされて、暴かれていく感触を覚えていた。


 「スイ、君は勘違いしてるんじゃないかな」


 優しく諭すように、テツはいった。


 「君が恐れているのは、自分の醜さなんかじゃない。それは君の一部でしかないのだし。ある一部をもって全てを語るのはナンセンスだろ? それよりも、だ。君が本当に恐れているのはキョウイチに知られることだ。自分の醜さを彼に嫌悪されることだ」


 「……」


 「君はそれほど自分を嫌っちゃいない。それほど人を殺したことに罪悪感を覚えてもいない。殺されるくらいなら、殺した方がよっぽどいい。その最初の相手だって、そのままだったなら、結果は火を見るよりも明らかだった。何を後悔する必要があるんだい? 君はなすべきことをしたんだ。やらねばならぬことをやったまでのことさ。この世界には人道主義の日和見弁護士なんか存在しないし、ぼくらの所業を裁く法律屋もいない。何で悩まなきゃならないんだい? 殺されかけたんだろ。剣に胸を貫かれてまで、殺し合いはよくないよ、とでものたまうつもりだったのかい」


 そこまで一気にまくし立てて、彼は乾いた唇をペロリ、と舐めた。スイには、その様子が蛇の細くて赤い舌のように見えた。


 「どう思う」


 「……仕方がなかったと思う、わ。ああしなきゃ、わたしは死んでいた」


 そうだね、とよくできた生徒を褒める調子でテツは答える。


 「この前提は大事なんだ。スイはなんにも悪くない。戦場で気が高ぶるのは誰だってあることさ。むしろ、淡々と殺している方がよっぽど怖い。まるでロボットだ」


 あなたはどうだったの。そうスイはたずねたかった。戦いの最中は自分のことで精一杯で、近くにいたキョウイチとしかまともに話していなかった。その間、テツはひとりで剣を振るっていたに違いない。


 スイやキョウイチと比べて、文字通り孤軍奮闘していたといえる。その孤立感は、いかほどのものだったのだろう。


 「君の悩みは、個人的趣向のものだ。常識をもって語られるべきではない。少なくとも、戦場では。もちろん、それが表面化して問題となれば、非難されて然るべきだ。だが、それが内心に留まっているうちは、何の問題もないわけだ。ぼくがエロい妄想をしても、行動に移さないうちは、犯罪者でないのと同じことだ」


 「そうだよね……」


 「いや、あの、いまのところは突っ込み待ちだったんだけど」


 せっかくボケたのに突っ込んで貰えない芸人のように、所在なさげにテツは呟いた。


 困り顔の彼からスイは目を離す。テツのいいたいことはわかった。自分の中にある破壊衝動ともいうべきものは、いまだショーケースの中で展示されているだけだ。極限状態で顔を覗かせることはあっても、その状況は異常といえる中での出来事なのだから、それをもってスイという人間を語ることなどできやしないのだ。


 いざとなれば尻尾を巻いて逃げ出すような人間はゴマンといるだろうし、普段は大人しくても、いざとなれば頼りになる人間だっている。


 単色の蛍光ペンでは、描き表せないものが人の形だ。


 もし、人間の心をキャンバスに描こうとするならば、絵の具入れの色を全て使ったとしても足りないに違いない。暖色系も、暗色系も、誰だって持っている色なのだから。その意味でいえば、スイの破壊衝動も数ある内の一色に過ぎないのかもしれない。


 「キョウちゃんにいう必要はないと思う?」


 今度は、スイがたずねた。


 キョウイチの顔を思い浮かべた。優しい顔をしていた。凛々しい顔をしていた。またあるときは、悲しい顔をしていた。


 彼だって、心のキャンパスを持っている。


 そう思うと、遠くでおぼろげだった彼の輪郭ははっきりと映し出された。あのとき見せた後悔の表情には、どんな色が混ざっていた? もしかしたら、自分だって彼の表面しか見ていなかったのではないか。


 「―――――いう必要はないと思うよ」


 スイの顔を見て、もう大丈夫だと思ったのか、冗談めかしてテツはいった。


 「さっきといってることが違うじゃない、もう。わたしはいってみるよ。きっと相談に乗ってくれるだろうから」


 それはテツのいった助言だった。なんてことない、シンプルな答えだった。いつだって答えは難しいものではない。それを複雑怪奇に仕立て上げるのは、他ならぬ自分自身だ。


 「わたしは行くよ。ありがとうね」


 「どういたしまして」


 「テツ」


 腰をあげたスイを見送るように、座っているテツは顔だけ向けた。見上げる形になる。太陽は、しばらくすればオレンジの色に染まり始めるだろう。それが待ち遠しかった。


 「わたし、テツのこと好きだよ。キョウちゃんの次くらいに」


 スイは徒競走よろしく、爽快に去っていった。巻き上げられた砂埃が、置き土産というばかりに残される。


 テツは口元を皮肉げに歪めながらも、悪くない気分だった。いつもなら剣を振りたくなる頃合いだったが、このときは意欲が沸かなかった。珍しいこともあるものだった。


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