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第11話

 行きと違って、帰りは敵や野盗と遭遇することもなくスムーズに帰還することができた。風の噂では、城は結局落ちたらしいが矢を受けたエメロス伯爵は戦死。相手方であるパッヘル侯爵も、報復とばかりに首を落とされたらしい。


 結果は両者共倒れという結果だった。伯爵、侯爵共に当主が失われたのだから、どちらの領地もかなり混乱すること間違いなかった。


 撤退後、2回目の朝日を拝んだ一団は本隊に合流した。


 様々な傷を作った道場生組は酷く心配されたが、大きな負傷はしていないことがわかると、安堵のあまり泣き出す者が続出した。


 ポールは「青春だねえ」とひとり納得すると、早速シンシアの腰に手をやってよろしくやろうと試みる。その手をスナップの効いた張り手で払われると、非常に痛そうな小気味いい音が鳴った。


 涙目で手に息を吹き付けるポールを無視して、テツの傍にやってきた彼女はにこやかにいった。

 

「よく帰ってきたね」


「……ええ、本当に」


 この人は母親のようだな、と抱擁されたテツは思った。年齢は母と子ほどには離れていない。せいぜい姉と弟だ。だが実母には悪いが、シンシアにははっきりとした母性を感じられる。マザコンではないつもりのテツでも、その温かい抱擁は心安らかになれるものだった。


 ひとしきり堪能したあと、シンシアは手を振ってポールの下に向かっていった。これからふたりで蜜月のときを過ごすのだろう。テツは連日の行軍でヘトヘトである。絶世の美女が目の前に現れたとしても、肝心の愚息は反応しそうにない。


 顔見知りの道場生にも声をかけられる。道場のみなは、ひとり仲間が減っていることにはすぐ気づいた。だが彼らばかりでなく、実際に戦場に出たテツたちが共通して思ったのは、「死んだのはひとりで済んだのか」ということだった。


 日和見な現代人であっても、戦場に出た仲間が全員無傷で生還するなどとは無条件に考えていない。だからこそ、失われた仲間の命は粛々と受け入れられたのだった。


 装備一式はサツキが外すのを手伝ってくれた。もうずっと装備に身体を締め付けられていたから、それらを外すとやっと一息つくことができた。ありがとう、と礼をいうと、彼女は微笑んで荷物を置きに行った。


 身軽になった身体で腰をおろす。もう長いこと安心して休息を取っていなかった気がする。だがこうして見慣れた顔に囲まれると、自分は帰ってきたのだと実感できた。


 蓄積されていた疲労が一気に襲ってくる。すぐにでも眠りにつきたい。目をしょぼしょぼさせていると、苦笑いしたミコトが飲み物を手にやって来た。


 彼女はテツの隣に座る。


 水が入ったコップを手渡されたテツは、一気に中身を飲み干した。身体中に染み渡るようだった。行軍中は、食べ物はもとより、水も十分に得ることができなかった。ただの水がこんなにもうまいものだったのか、と最後の一滴まで舐め尽くす。


 「……頑張ったんだね、こんなに傷だらけになってさ」


 すでに血は止まっている。浅い傷跡は、至る所に激戦の名残としてテツの身体に残されている。ミコトは怪我の程度を慈しむように確認して、大きな怪我がないとわかると頬を緩めた。


 「テツも、キョウイチも、スイも帰ってきた」


 それから、すでに死んだであろう道場生の名を小さく口にした。それは祈りのようだった。


 「わたしが代わりに参加していれば、彼は死ななかったのかな」


 「でも、ミコト姉さんが死んでいたかもしれませんよ。彼の身代わりに」


 「そう、だよね。わかってるのよ。わたしがいっているのは、意味のない感傷なんだっていうことは。でもっ……」


 自らの膝に顔をうずめて慟哭するミコトを慰める術を、テツはもち合わせていなかった。全ては可能性の問題でしかなかった。すでに結果が収束してしまった以上、仮定の話など無意味でしかない。


 「責任を感じる必要などありませんよ。彼の死の責任を取れる存在がいるとしたら、それは人間とは違う次元の存在でしょうし」


 慰めるつもりはなかった。ただ、事実を語るだけだ。起こってしまったことの因果関係を辿れば、行き着くことのない螺旋に迷い込む。元の世界でいわれていた責任の所在なんてものは、ひとつの擬制でしかないのだ。誰かに責任を負わせるために、とりあえずこいつが悪い、と決めることだ。


 だが、いかなる言葉で理由を語ったとしても、この優しい姉は納得することはないのだろうな、とテツは思った。


 難儀な性格だな、と憐れみ。優しくもある、と彼は尊んだ。それがミコトの美点であるのだ。彼女のように他人の上に立つ人間には、他者を慈しむ心が不可欠なのだ。その両極端たる位置に属している彼からすれば、彼女の弱さは尊いものに思えた。


 「テツも、強くなったんだね」


 昔を懐かしむようにいうものだから、彼は不満気に口を尖らせた。


 「別にぼくが強くなったわけじゃないです。姉さんたちが弱くなったんですよ」


 「能力が失われたことならその通りかも。でもさ、わたしがいっているのは、形式的な強さなんかじゃないのよ」


 テツは話の要点が掴めなかった。この世界に飛ばされて、『気』という能力が失われたことによって道場のみなは弱体化した。最初に団長に切り殺された道場生だって、能力を使えたなら、あんなにあっさりとやられなかっただろう。


 能力者が絶対者として君臨していた頃を思い出す。その世界では、テツは無能力の変わり者に過ぎなかった。だが、その扱いに不満を覚えたことはなかったし、みなが白眼視するのも当然だと思っていた。


 人間は才能に左右される。自分の能力に見合った職業につくのが一般的で、スポーツ選手の場合は、才能があるとされる競技を専攻するのが常識だ。誰が向いていない、とされる競技に打ち込もうか。大半が、自分に向いていないとわかった時点で去っていくし、努力して立ち向かっても、強大な天才という化物には決して敵わない。


 テツは自分に剣の才能があるとは微塵も思っていない。自分が強いとは万にひとつも考えつかない。なぜなら、どうやっても、どうあがいても届かない頂を知っているからだ。


 富士を知っている人間は、近くの小山のてっぺんに辿りつけても、この世界で自分が最高峰にいるとは絶対に思わない。同伴者がどれだけ褒めたたえても、むしろ恥じる思いに駆られるだろう。


 テツは、自分を強いというミコトが歯がゆかった。この人は、こんな弱々しい表情を浮かべるような人ではないのだ。いつも大口開けて笑っていて、大男だろうと竹刀ひとつで吹き飛ばす豪胆な娘なのだ。


 キョウイチも、スイも、テツなんかでは足元にも及ばない強者なのだ。


 理想を汚された気がした。それは身勝手な感想なのだろうが、思わずにはいられなかった。


 彼が長いときを憧れて過ごした人々だった。敵わぬものと、届かぬものとわかっていても、いや、だからこそ能力者でなかった少年の目には古代の英雄のごとく映っていたのだ。


 ―――――ぼくは、強くなってなんかいない。


 口から出かけた言葉は、ミコトの表情を見たら失われてしまった。彼女は心から嬉しそうに語っていたからだ。それは、親が子を見守るようであり、手のかかる弟が一人前の男になって喜ぶ姉のようだった。


 「テツはよくやっているよ。力を失って混乱するわたしたちを守ってくれた。率先して仕事をしてくれたのは、そういうことでしょ? 団長の目が、わたしたち女性にいかないようにしてくれてる」


 「そこまで意識してたわけじゃないですよ」


 「なら無意識に守ってくれていたのかな。この優男め」


 冗談めかしてミコトはいった。


 そういえば、長いことこの姉の軽口を聞いていない気がする。女性らしかぬ下ネタ好きの彼女だが、さすがに大きな環境の変化があったから自重もしよう。


 あまり下品な冗談はよろしくないと思っていたテツだが、こうして思い出してみると、少しばかり寂しい気がした。一度食べた珍味を無性に食べたくなる心境に似ていた。


 「テツはまとめ役なんだ。リーダーなんだよ」


 「まさか。それはキョウイチが」


 「あいつの姉としていわせてもらうけど」


 そういって、テツの瞳を正面から覗き込んだ。


 「いまのキョウイチは、テツより弱いよ」


 「そんなこと―――――」


 「ないって? ねえ、テツ。本当にそう思ってるの?」


 「……」


 黙ってしまった。それが、何よりの回答だった。


 彼にとって、キョウイチとは絶対的な強者だった。リーダーだった。道場は彼を中心に動いていたし、テツはその最下層に属していても、彼には多大な信頼を置いていた。それは幼なじみたる経験則からくるものであるし、周りの評価から当然に導きだされるものでもあった。


 戸惑いがあった。混乱があった。かつて経験したことがない岐路に立たされているようだった。


 キョウイチを立てるようにテツは行動していた。それは自然な行動だった。考えるよりも早く、反射的になされる行動だった。


 気づいていても、不思議には思わなかった。それはテツにとっての常識だったからだ。


 「弟を立ててくれるのはありがたいよ。あれでもできた弟だ。でも、この傭兵団では、キョウイチは力不足だ」


 「そんなことありません」


 「あるんだよ。あいつじゃ、団長と渡り合えない。剣でも、口先でも」


 道場生は数を減らしたけれど、明確な敵があったわけではない。下手したら全員があのまま餓死していたかもしれないし、野盗に襲われて殺されていたかもしれない。傭兵団に拾われたのは、決して不幸とはいえないのだ。


 だが、彼らはテツたちを居候でいさせるつもりもない。役に立たなければ、たちどころに捨てられるだろう。


 団長は短くない間、同じ釜の飯を食べた相手であっても容赦はしない。慈悲もなく、ただ冷然と切って捨てる。


 そうならないためには、役に立つことをアピールしなければならない。また、意見の対立があったなら、なるべく要求を通さなくてはならない。


 「キョウイチはなまじ才能があったから、自分より強者になかなか会ったことがない。それこそ、父親くらいだろうね。簡単に勝てなかったのは」


 「ミコト姉さんはあいつを過小評価し過ぎです。確かに一理あるかもしれないですけど、キョウイチはそんなに打たれ弱いはずがない」


 ムキになって返すと、微笑ましいものでも見るような目をされてしまった。納得がいなかない。この幼なじみの姉は、何をいいたいのだろう。


 「これも一種の呪いなのかな……」


 「今日の姉さんは、少しおかしいですよ。急にキョウイチの悪口いったり、呪いだなんだとかいい出したり」


 テツは無性に泣きたくなった。幼い頃、両親が喧嘩しているのを見てどうしようもなく悲しくなったことがある。そのときの気持ちに似ていた。


 「ごめんね。困らせるつもりはなかったの。帰ってきたばかりで疲れてるのに、変な話して悪かったわ」


 泣きそうなテツの顔を見て、ミコトは取り繕うようにいった。


 けれど効果は薄いようで、ムスッとしたまま、


 「いえ、いいんですよ」


 言葉とは裏腹に、明らかに意気消沈している。


 ミコトは己の馬鹿さ加減に呆れるしかなかった。疲労困憊のテツに話すような話題ではなかったのだ。時と日を改めるべきだった。


 彼は精神的に成長している。道場生の中でも特に。そんな考えがあったからこそ、自分と同等、あるいはそれ以上に頼りになる存在として話をしていた。だが彼はまだ20にもなっていない少年だった。やっと青年と呼べる年齢に手をかけたばかりだ。


 最近の状況に毒されて、正常な判断が鈍っていたといえる。失態だ、と彼女は思った。


 「ごめんね、本当にごめん」


 「……だから、気にしないっていってるでしょう。いいですよ」


 「いや、絶対にいじけてるでしょう、テツ」


 「いじけてません」


 「いじけてる」


 「いじけてません」


 まるで子供の喧嘩だった。だが、思い返してみても、テツとミコトは大人だとは到底いえない年齢だった。


 そもそも、大人といえる範疇とはどういったものを指すのだろうか。第二次成長期が終わったら大人なのだろうか。恋人ができたら大人なのだろうか。性行為をしたなら大人なのだろうか。


 明確な基準など、どこにも存在していない。その意味で、彼らはまだまだ子供だったのだ。


 殺し合いの世界に身を投じ、その身に血潮を浴びたとしても。身体は成長しきったとしても。何か大きなものに怯え、必死に答えを手探りで探す様子は子供でしかない。


 だというのに、自らを大人だと錯覚する人間のなんて多いことだろう。今も昔も変わらない。それは、世界が変わってもいえることだった。


 「もう、頑固なやつだな、少年。お詫びにお姉さんの胸を貸してあげるから、ここで心ゆくまで泣くといい」


 「全身全霊でありがた迷惑です」


 「文法的におかしいでしょ、それ」


 ミコトは有無をいわさずテツを抱きしめた。


 むぐむぐと抵抗するが、彼女は予想以上の力だった。抜け出せないと悟ったテツは抵抗を諦める。胸が顔に押し付けられて苦しい。健全な思春期男子なら、泣いて嬉しがりそうなシチュエーションだったが、戦疲れの少年には豚に真珠、猫に小判だった。


 酸欠なのか疲労からなのか、頭がうまく働かない。呆けたように身を任せる。


 ミコトは慈母のような安らかな表情で受け止めた。共に剣を振るうことはできなかった。ならば、できるだけのことをして癒してあげたい。そう思った。


 この世界に飛ばされて少年を襲った出来事は、あまりにシリアスなものだった。潰れてしまってもおかしくはない。


 道場生の少女たちの中には、眠れない夜を過ごす者もいる。もう元の世界には帰れないのではないかと、諦めている者もいる。かくいうミコトも、両親のいるあの道場には、もう二度と帰れない気がしていた。


 不安なのだ。誰もが先行きの見えない未来に怯えている。縋りたいのだ。暗闇で手を引いてくれる存在が欲しいのだ。


 その役目はキョウイチにあるとテツは考えている。あり得たかもしれないことだ。能力が失われていなければ。


 弱肉強食の理の下では、人間の倫理観など役に立たない。善だ悪だといい出すのは、いつだって恵まれている者たちだ。今日を生きるのが精一杯である人間には、よき生き方など考える余裕はない。


 この子には、自分の信じる道を歩いて欲しい。そう考えて、これは偽善だな、とミコトは思い直した。


 傭兵団は慈善組織などではない。ましてやあの男が率いているのだ。団長、そう呼ばれている大男をミコトは好きになれなかった。彼を好いていない、という意味では、道場生は押しなべて同じ感想をもつだろう。だが、それは強烈な恐怖感からくるものだ。


 恐怖は確かに感じる。いままで会ったことがないような、負の感情の権化といってもいい。どうしたら、あんな不快な雰囲気をかもし出せるのだろうと不思議にさえ思う。


 みなと違っているのは、あの男に感じる不吉な勘ともいえるものだった。女の勘というべきだろう。全くもって科学的ではないが、自分の勘が捨てたものではないことをミコトは知っていた。


 ―――――団長は、近い未来に大きな障害となる。


 そう直感していた。


 胸の中で脱力している、昔から知っている少年を抱きすくめる。彼の体温を感じると、不安は少しずつ霧散していく。


 才能に恵まれなかった少年。


 ただひたすらに剣を振り続けた少年。


 周囲の嘲笑に一歩も引かなかった少年。


 彼を思うたび、胸の奥がじく、と痛んだ。それはかつての所為のせいだ。彼女が下したある選択のせいだ。


 選ぶ選択肢が異なっていたら、違う未来だったかもしれない。後悔と諦観に犯される心境でそう思う。


 だが、もしもの未来は選べなかった。いや、自ら選ばなかった。いまでも、あの選択でよかったのか、と迷わない日はない。最善だと選んだ選択が最悪の結果につながるのでは、と懲りずに悩んでいる。


 テツの剣は酷く危うい。


 愚直なのだ。清廉過ぎるのだ。そういったら彼は否定するだろうが、見ていて美しすぎるほど一途だった。


 それ故に、すぐに汚染される。彼の内情を表すといっていい剣だ。黒い感情に支配されれば、剣はたちまちにおぞましい代物に成り下がる。


 デジャヴを見た。否定する気持ちはあれど、認めない訳にはいかなかった。彼らは同じ因子をもつ。一方はすでに気づいている。だからこそ、目を付けられているのだ。


 渡すものか、と守るべき少年を確かめる。すでに疲労はピークのようで、うつらうつらしている。


 守ってやらねばならない。そう思いながらも、自分に彼を気にかける資格はあるのだろうか、とミコトは唇をかんだ。


 そう、こんな袋小路に迷い込むような思案は、何度も繰り返してきた。テツから好意を伝えられた、あの夏の日から、ずっと、ずっと。


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