第10話
テツたち一行はその後、無事に本隊に合流することができた。誰も彼も、薄汚れていて野盗のような身なりの者ばかりだった。騎士然としているのは、ごく少数しかいない。その中でも団長は異彩を放っているようで、しきりに噂をされていた。もっとも、本人は全く気にもかけていなかったが。
兵数はまずまずの集まり具合だった。途中で何度か小競り合いが勃発したが、数で勝る味方側は破竹の勢いで進軍を続けている。
先陣を預かったセブンス傭兵団は、確実な成果をあげている。テツに限らず、複数の戦闘を経験したキョウイチとスイも、何度も人を斬っていた。懸念された心配は無用だったようだ。いまだに人を斬る感覚に嫌悪を感じているようだが、その方が健常である証拠だ。血に酔ってしまうよりずっといい。
じりじりと押され始めたパッヘル侯爵側は撤退を重ね、ついに籠城するに至った。この機会を逃すつもりはないエメロス伯爵は、自ら陣頭に立って城攻めを行っている。指揮官が前面に出て戦うのは、白兵戦が主流の戦ならばこそのものである。おかげで寄せ集めの集団ではあるが、味方側の士気は高い。
相手の城はテツが映画で見たことのあるような立派なものではなかった。堀もないし、城壁は木製だ。だが遠目ではまだしも、近場から見ると容易には落ちないのは明白だった。
敵兵も背水の陣なのか、有利な高場から矢を射掛けたり、投石を行ったりと仕事に余念がない。テツは煮えたぎった油をかけられて転げまわる味方を見て、積極的には参加したくないな、と思った。
平野戦ではあれほど攻めていた団長も、牙をおさめて様子見をしているようだった。流れてくる情報では、攻城用の破城槌が投入されるそうだから、本番はそれからだろう。
「明日あたりが佳境だろうな」団長はいった。
日が沈み、攻撃が中止された。野営地でヘトヘトになっていると、ポールが話しかけてきた。顔は汚れていつもより男前度が下がっているが、そのぶん野性味が増して凶暴に見える。
どっかりと彼は隣に腰をおろした。
「それにしても初陣とは思えない働きだな、テツ」
すでに両手では数えきれないほどの戦果を挙げているポールには敵わないものの、テツが今日までに斬った人数は6人になろうとしていた。さすがに殺人への禁忌はなくなってきていた。それがいいことなのかは別として、だ。
団長やポールから離れないようにして、正面からやり合うような戦闘は避けていた結果だ。おかげで盾も剣も健在である。キョウイチらは、人の脂で切れ味の落ちてしまった刀で奮闘している。それでもまだ、鈍器としては使えなくもないのだ。
「疲労がかなり溜まってきてるけどね」
「無理もないな。だが、大丈夫だろ。この戦、明日にはケリがつく」
城内からの抵抗が弱まってきているのは、テツも気づいていた。守っているのも人間である。逃げ場をなくしているから、精神的疲労は攻める側の比ではない。攻めている傭兵たちは、勝ち馬に乗れると早くも戦勝ムードである。
戦が早く終るのはありがたいことだった。食事は自前で準備しなければならないし、熟睡できる環境にないので寝不足気味だった。野営になれてきたとはいっても訳が違う。知らない連中に囲まれているのだ。傭兵は金と時運で容易く裏切ることは知っていたので、全面の信頼など置けるはずがない。
「早く帰りたいな……」
「シアとしっぽりヤリたいぜ」
ふたりは劣悪な環境に嘆息した。
その夜は何事もなく過ぎ去り、義務的にまた太陽は昇る。
以前何かの本で読んだことがある。ある部族は、太陽が昇る直前に祈りを捧げる掟があって、彼らは自分たちが祈りを捧げないと、太陽は昇らず、世界が破滅してしまうと信じているそうだ。彼らにとって、自分たちこそが世界の守護者なのである。
朝日に目を細めながら、テツはその話を思い出していた。その部族が本当に世界の守護者なのかはわからない。もしかしたら、彼らが祈りをやめてしまったら、本当に世界が終わってしまうことだってあり得る。
人間は傲慢にも、自分は世界にとって必要不可欠だとか、唯一の存在だとか思い込んでいる。テツだってそのひとりだ。自分は自分だ、と思春期の少年特有の思考だってしてみたこともある。
だが、こうして生きるか死ぬかの世界に放り込まれると、自分の生きる意味なんてものは価値をもたないことがわかる。
テツは斬った男の顔が思い出せない。彼らにも家族がいて、大切な人がいて、何かしらの生きる意味をもっていたはずなのだ。だが、そんなものはテツに何ひとつの変化ももたらさなかった。彼らは斬られ、死んだ。ただそれだけの役割だった。
ぼくもそのうち、いや、今日にでも同じ運命を辿るかもしれない。ぞっとしない話だった。テツは自分が人類にとって欠かせない存在だとは思ってもいないが、何ひとつ価値をもたない存在だとは認めたくない。遠見テツの遺すものが、相手の剣への赤黒い血潮と脂だけなんて思いたくはない。
死んだら終わりなのだ。いまのままでは、死んだら何もかもが終わってしまう。そんなのは御免だった。
せめて自分の中だけでも、意味のある何かを見つけたい。かの太陽を祀る守護者のように、心から信じられる芯がほしい。それは嘘でも真実でも構わない。真偽は頭の硬いインテリが決めるものだ。テツが欲しいのは、主観的な真実なのである。
他の者たちも起き始めた。キョウイチやスイは似たり寄ったりの酷い顔をしている。きっとテツも同じような顔をしているのだろう。傭兵だ剣士だと言葉で飾っても、実態はなんてことない。こちらの世界に飛ばされて自分は変わったのだろうか。幼なじみたちの顔に鋭利さが見受けられるようになったのと同様、彼らから見て、自分は変わったのだろうか。
団長、ポールたち、セブンス傭兵団の面々が集まってくる。その中に、かつての道場生仲間たる男子の顔はなかった。戦闘を続けているうちに行方がわからなくなっていたのだ。
テツたちは彼の話題に触れなかった。きっと、次に姿を消すであろう可能性が高いのは、彼ら3人だったからだ。
食事ともいえない簡単なものを口にする。いま食べた肉が、なんの肉だったかなんてわからない。ただ生き残るためのエネルギーを補給する行為だ。味はさして重要な要素ではない。
みな口数は少なかった。ポールだけが相変わらずの陽気さを発散している。この調子者を気取れる気概が彼の強さなのだろう。若輩ながら、一騎当千を誇る他の団員となんら遜色ない実力を持っている。
太陽が昇りきる頃、城攻めは再開された。一晩で修復された箇所もあるが焼け石に水だ。すでに満身創痍の身には死臭がしているようだった。
団長は欲をはらなかった。こういうときにこそ、一気に攻め立てるのかと思いきや、表情はちっとも動いていない。むしろ、つまらない三文芝居でも見せられているかのように、気乗りしない様子である。この位置からだと、到底一番槍など望めない。
破城槌で城門を突き破ろうと、最前線は敵味方入り乱れる狂乱の様子を見せている。必死の形相で矢を射掛ける守備側と、盾で矢を防ぎながら大人数で槌を押し込む攻撃側。すぐ隣の人間が倒れようと構わない。辺りには怒声が響いている。
ビリビリと腹の底に反響するほどだった。これが戦場か、これが殺し合いなのか。テツは順応したと思っていた認識を改めた。戦場とは、恐怖と狂気と悦楽に満ちた世界なのだ。
ク、と自然に口元は歪んだ。この劇場では、自分の価値など考える暇はない。ただ剣戟の音に合わせて踊るだけだ。くるくる、くるくる。耳障りな鉄の打ち合わされる音。深々と胴をえぐられ、ハラワタをこぼれさせながら倒れる男。数少ないながらも女も混ざっている。彼女たちはドレスの代わりに鎧衣装に見をつつみ、ステップをし、ターンを決める。くるくる、くるくる、と。
指は何かを求めてムカデの足のようにひとりでに脈動していた。テツは自分の手を気色悪げに眺める。彼の手は少し逡巡するように動きを止めたあと、迷わず剣の柄に握りついた。
ぼくは剣を振りたがっているのか、と納得する。遠見テツは殺人狂ではない。戦闘狂でもない。ただ純粋に、剣を振りたがっているのだ。彼に相手は必要ない。倒すべき相手など存在しない。いつも素振りをするのは、自分のためだけなのだ。
戦況はいよいよ佳境に入ろうとしていた。
周囲より一段と目立つ鎧をまとった男が見える。彼がエメロス伯爵だ。勇猛果敢で名の知れた騎士だけあって、大した存在感だった。彼を守るように布陣する副将と思わしき男も、負けず劣らずの気迫である。
このまま開城せしめれば、一気に城内になだれ込んで勝利は確実だろう。だが、歴史が示すように、転機というのは不意にやってくる。
誰とも知れない者が放った流れ矢だった。破城槌を担いでいる男たちを鼓舞していたエメロス伯爵の首元に、矢は吸い込まれるように突き刺さった。身体を一瞬痙攣させたあと、伯爵は馬上から転げ落ちた。
誰もが茫然とその光景を見送っていた。周囲の人間には一切命中せず、伯爵に当たることが最初から決定していたかのような矢の軌跡だった。
戦場の流れは変わろうとしていた。それも悪い方向に。
「団長」
ポールはどうするのか、と問いかけている。
「伯爵の剣は当代一の剛剣だと聞くが、流れ矢までは防げなかったか」
テツたちが混乱している中、静かに彼は呟いた。
「撤退する。あの男のことだ、即死でなかったら副将に城攻めを継続させるのだろうが、我々が付き合う義理がない」
それに、と忌々しそうに続ける。
「当主が死んだら褒賞どころの話ではなくなる。はぐらかされて終わりだろうさ」
雇い主が死んだのだから報奨金は出せない、という寸法である。貴族たちにとって、傭兵の扱いなどそんなものだ。いくらでもいい訳はつくのだから。
戦場は混乱をきたしている。後方で様子見をしていた傭兵たちは、そうそうに撤退を決めたらしく、みな雁首並べて戦場から離脱し始める。
団長以下、セブンス傭兵団もそれに続く。
勝利を得られなかったものの、これで帰れるのだと安堵する。キョウイチもスイも、口には出さないが嬉しそうであった。
だが、とテツは暗澹たる思いに駆られる。あの団長がこのまま戦果もなしに満足するのだろうか。少なくないコストを払ったのに、ボウズでは商売あがったりである。
損得利益を第一に考える性格を知るテツからすれば、鮮やか過ぎる団長の引き様は不気味ですらあった。何か損失を補填する考えでもなければこうもいくまい。
まだ人がまばらな野営地に戻り、馬をかっさらって戦場をあとにする。着の身着のままである傭兵は非常に逃げ足が速い。戦場の勝敗が決する前に、セブンス傭兵団は撤退を果たしていた。