第75話 制度は、名のある者を守らない
【建安二十五年 冬|成都】
捕虜の名簿に、一人だけ載っていない男がいた。
于禁である。
将だからだ。
◆
建安二十五年の冬。曹操が死に、曹丕が受禅した年である。四百年続いた漢が終わり、この国が「継ぐ」と言い出した年でもあった。
俺は、十三になった。背が伸びた。声が変わり始めた。書いた字が、ようやく他人に読める形になった。
そして、その冬、俺は捕虜の帳を読んでいた。
文書庫の奥である。窓は北にひとつ。冬の光は弱く、竹簡の墨が読みにくい。灯を足すと油の匂いが籠もる。それでも、俺はここに毎日いた。
一年半前である。樊城で、三万を捕らえた。
関羽が于禁の七軍を水に沈め、降った兵が、そのまま三万になった。勝利の報せに成都が沸いたとき、蔣琬は帳を持って言った。
「三万人は、兵力ではありません」
武器を取り上げ、監視し、食べさせ、病人を治療しなければならない。
そして俺は、制度を作った。
【捕虜 処遇規定】
一 五百人単位に分ける
二 将校と一般兵を分離する
三 名簿を作る(姓名・出身・年齢)
四 病者を確認する
五 労働は一日の時間を定める
六 働いた日数を記録し、帰郷時に証明書を渡す
七 蜀軍への加入は、強制しない
七項である。十一歳のときに書いた。三日で書いた。
当時、俺は少し得意だった。
前線は動いている。糧は減っている。三万人が、明日から食う。その状況で、三日で七項を書き上げて、費禕がまとめ、董和が費用を計算し、龐統が「充分でございましょう」と言った。
充分では、なかった。
三日で書いた制度には、三日分の穴が空いている。そして、穴というのは、たいてい、一年半経ってから声を出す。
◆
一年半で、数字が出ていた。
【捕虜 一年半の帰結】
総数 二万九千四百十二
帰郷 一万八千七百
蜀軍へ加入 六千二百
労働継続 三千百
死亡 千四百十二
死亡、千四百十二。
内訳も、書いてある。病、千百八十。事故、百九十四。その他、三十八。
俺は、その帳を膝に乗せて、しばらく動かなかった。
千四百十二人である。そして、全員の名が、書いてある。姓名。出身。年齢。死んだ日。そして、その隣に、細い字で死因が添えてある。
三年前、俺は輸送で死んだ者を数え始めた。戦って死んだ者しか載らない簿を作った自分の失敗に気づいて、簿を増やした。
そして今、敵だった者の死因まで数えている。
数える範囲だけが、毎年、広がっていく。そして、広がったぶんだけ、抜けが見えるようになる。
蔣琬が、竹簡を置いた。
三十六である。六年前、広都の庭で酒を飲んで寝ていた男だ。俺が「草は、抜いておきます」という一言を引き出したときから、この人は一度も遅れたことがない。
「陛下——いえ、殿下」
言い直した。父はまだ漢中王である。皇帝になるのは、来年だ。
「公琰どの」
「一件、決まっておりませぬ」
「何でしょう」
蔣琬は、帳の綴じ目に指を入れた。癖である。この人は、言いにくいことを言う前に、必ず紙のどこかに触る。
「于禁どのでございます」
俺は、帳を繰った。
二万九千四百十二人分である。姓の画数で分けてある。「于」の綴りを探す。ある。三十一人。すべて別人だった。
載っていない。
俺は、もう一度、最初から繰った。同じだった。
「公琰どの」
「はい」
「なぜ、名簿にないのですか」
蔣琬は、少し目を伏せた。そして、答えた。
「二項でございます」
「……二項」
「将校と一般兵を、分離する」
俺は、そこで、自分の書いた一行を見た。
《二 将校と一般兵を分離する》
そして、その次の行を見た。
《三 名簿を作る》
三項は、二項で分けたあとの、どちらに掛かるのか。書いていない。
俺は、分けろ、と書いた。分けた先を、書かなかった。
前世で、俺はこれを何度も見た。組織図で部署を分ける。そして、分けた部署の業務規程を、片方だけ作って安心する。二年後、規程のないほうの部署で事故が起きる。
そして、事故が起きるまで、誰も気づかない。誰も悪くないからだ。
「将校は、何人おりますか」
「三百四十一」
「帳は」
「ございませぬ」
広間ではない。文書庫の、狭い一室である。それでも、その二文字が長く残った。
一年半である。三百四十一人が、帳の外にいた。
「どこに、おられますか」
蔣琬は、別の竹簡を出した。こちらは薄い。輸送記録の写しである。
「江陵に、二百十。公安に、九十。残りは、各地に分かれております」
「扱いは」
蔣琬は、少し黙った。この人は、嘘をつかない。そして、言い方を選ぶ時間だけは取る。
「預かった者の、裁量でございます」
俺は、竹簡を置いた。
裁量である。
一般兵には、七項の規定がある。労働は一日の時間を定める。証明書を渡す。加入を強制しない。
そして、将校には、何もない。
裁量というのは、書いていないという意味だ。書いていない場所では、良いことも悪いことも起きる。誰かが親切にしているかもしれない。誰かが売り飛ばしているかもしれない。
確実なのは、記録が残らないことだけである。
◆
俺は、于禁に会おうと思った。江陵である。成都から三十日。
そして、行けなかった。
十三歳の王太子が、敵国の降将に会いに行く。理由を、誰にも説明できない。董允はまだ太子舎人にもなっていないが、費禕が止め、馬良が止め、最後に趙雲が「私が参ります」と言った。
二年前なら、行った。
三年前、俺は公安へ行った。十二歳で、五百の兵を連れて、三峡を上った。あのときは、行けた。
身分が上がるほど、会える人が減る。
俺は、代わりに馬良を送った。白眉である。三十四。
そして、三つ聞いてくるよう頼んだ。
一つ。何をしているか。二つ。何がしたいか。そして、三つ目。誰に、会いたいか。
「三つ目は、なぜでございましょう」
馬良が聞いた。俺は、答えた。
「一年半、誰とも話していない人かもしれません」
馬良は、白い眉を下げた。そして、頷いた。
馬良は、四十日で戻ってきた。報告は、竹簡一本である。短い。この人の報告としては、異例に短かった。
「殿下」
「季常どの」
「三つとも、同じ答えでございました」
「……何と」
馬良は、答えた。
「『存じませぬ』」
俺は、そこで、動けなくなった。
「何をしているかも、ですか」
「はい」
「一日、何をしておられますか」
馬良は、しばらく言葉を選んでいた。そして、選ぶのをやめたらしい。
「座っておられます」
「……座って」
「朝、起きられます。そして、座られます。日が落ちると、横になられます」
「一年半」
「はい。毎日でございます」
俺は、視界を確認した。数字は出た。統率九十一。軍律百。そして、心理状態の欄に、三行あった。
敗北への羞恥 100
部下生存への安堵 83
自己否定 96
一年半前と、同じ数字である。一つも動いていない。
十七年前、俺は同じ話を聞いたことがある。龐統である。【退屈度 百/仕事意欲 一】。
そして、あのときは、仕事を渡せば直った。県令の職を取り上げて、耒陽の帳を見せたら、三日で全部片づけた。
この人には、渡す仕事がない。そもそも、渡す係が、いない。
【捕虜 処遇規定】には、将校の項がないからだ。
馬良は、もう一つ言った。
「殿下」
「はい」
「三つの問いには、答えられませなんだ」
「はい」
「そして、私が立ち上がったとき、こう仰せでした」
馬良は、そこで、姿勢を正した。写した言葉を読むときの癖である。
「『名簿に、載せてくれ』」
俺は、息を呑んだ。
載せてくれ。捕虜の名簿に、である。
「理由を、仰せでしたか」
「仰せでした」
馬良は、続けた。
「『三万は、載っておるのだろう』と」
「はい」
「『私が降らせた者らだ』」
「……」
「『載っていて、私が載っておらぬのは、筋が通らぬ』」
俺は、そこで、帳を見た。
二万九千四百十二人。そして、降らせた男が、載っていない。
軍律百の人である。そして、この人が言っているのは、待遇の話ではない。
食事を増やせとも、部屋を変えろとも言っていない。一年半、何も言わなかった人が、初めて口にしたのが、帳簿の位置だった。
三万人分の責任を負った人間が、その三万人が載っている帳の、外にいる。
それは、この人にとって、たぶん、飢えより耐えがたい。
◆
評定を開いた。
法正が、先に言った。四十四である。去年、病んだ。咳が残っている。それでも、この人はいつも最初に喋る。
「殿下」
「孝直どの」
「魏へ送り返すべきでございます」
「理由を」
法正は、指を三本立てた。
「一つ。飼っていても、使えませぬ。二つ。捕虜交換の材料になります。そして三つ——曹丕が、受け取れば恥をかきます」
「なぜ、恥をかきますか」
法正は、少し笑った。あの、皮肉な笑い方である。
「三万を降らせた将でございます。受け取れば、魏の将が降ったことを認めます。受け取らねば、臣を見捨てたことになります」
どちらでも、曹丕は困る。そして、この人は、それを狙っている。
俺は、五年前、この人の職掌にこう書いた。《難しい交渉》。そして、この人は「では、魏の者は、よろしゅうございますな」と笑った。
自制は、三十四まで上がった。そして、上がった自制は、敵国へ向いた刃を、一度も鈍らせていない。
俺が、そう書いたからである。
「孝直どの」
「はい」
「受け取ったら、どうなりますか」
法正は、また少し笑った。
「辱めるでございましょう」
「どのように」
「存じませぬ」
そして、こう続けた。
「人を辱める方法は、無数にございます。そして、皆、思いつくものでございます」
俺は、そこで、二年前の書状を思い出した。樊城の関羽へ、俺はこう書いた。
《于禁殿と降伏兵を侮辱しないでください》
十一歳である。そして、あのとき、この人は侮辱しなかった。名簿を作らせ、病人を診させ、故郷へ帰る者に五日分の糧を渡した。
味方には、書けた。そして、敵国の皇帝には、書けない。
制度の効く範囲は、国境で終わる。
諸葛亮が、口を開いた。三十九である。
「殿下」
「先生」
「送り返せば、辱められます。置いておけば、座り続けます」
羽扇が、一度だけ動いた。
「どちらも、殺すのと同じでございます」
広間が、静かになった。俺は、一つ聞いた。
「先生。三つ目は、ありませんか」
「ございませぬ」
この人が「ない」と言うのを、俺は数えるほどしか聞いていない。そして、聞くたびに、俺が作ることになる。
◆
俺は、規定を出した。捕虜処遇規定、七項である。
「公琰どの」
「はい」
「八項目を、足します」
蔣琬は、筆を取った。この人は、いつも筆が先に動く。
【捕虜 処遇規定 追加】
八 将校も、名簿に記載する
姓名・出身・年齢・降伏の日
および、率いていた者の数
備考
率いていた者の数を書くのは、
その者らが名簿に載っているためです。
備考を書いたのは、俺である。
「率いていた者の数」という欄を作った理由は、一つしかない。三万人の名簿と、この人の名前を、線でつなぐためである。
将校を別扱いにするなら、別扱いの理由が要る。そして、その理由が「上だから」では、また同じ穴が空く。
「率いていた」と書けば、上下ではなく、関係になる。
「殿下」
法正が聞いた。
「名簿に載せて、どうなさいます」
「証明書を出します」
「……」
「六項です。働いた日数を記録し、帰郷時に証明書を渡す」
法正は、しばらく黙っていた。そして、こう言った。
「殿下。于禁どのは、働いておられませぬ。一年半、座っておられるだけでございます」
俺は、答えた。
「では、働いていただきます」
広間が、静かになった。
そして、関羽が、初めて口を開いた。六十一である。
去年、旗を降ろした。そして、それについて、まだ誰にも語っていない。成都に戻ってから、この人は毎日、名簿を書いている。荊州で死んだ者、帰った者、残った者。三万に近い名を、一人で書いている。
「殿下」
「叔父上」
「何をさせる」
俺は、答えた。
「名簿を、書いていただきます」
関羽の動きが、止まった。
「三百四十一人です」
俺は、続けた。
「将校でございますな」
「はい。そして、一年半、帳がありません。誰も、書いていません」
関羽は、髭を撫でた。そして、聞いた。
「なぜ、于禁に書かせる」
「知っているからです」
俺は、竹簡を指した。
「三百四十一人のうち、多くは于禁どのの配下でした。名を知っているのは、この人しかいません」
十六年、俺は名前を書いてきた。そして、いつも、聞いて書いた。阿仙も、王阿三も、楊阿七も、俺が知っていたわけではない。知っている人が、いつも他にいた。
今回も、同じである。
関羽は、長いこと黙っていた。そして、こう言った。
「辛いぞ」
「はい」
「降らせた者の名を、自分で書くのだ」
「はい」
「一人ずつ、思い出す」
俺は、答えた。
「思い出していただきます」
この人が言っているのは、于禁のことではない。たぶん、六年前、自分が名を書けなかった者たちのことである。
「私は、自分が斬った者の名を、一人も知らぬ」
「二十年、知らぬ」
そう言ったのは、この人だった。
関羽は、それ以上言わなかった。そして、退出する前に、一つだけ付け足した。
「殿下」
「はい」
「一年半、座っておったのは」
「はい」
「思い出しておったのだ」
俺は、そこで、何も返せなかった。
この人には、分かる。同じことを、二十年やった人だからである。
◆
馬良を、もう一度送った。竹簡と、筆を持たせた。そして、一行だけ書いた書状を添えた。
《名簿に、載せます》
返事は、六十日後に来た。竹簡が、十四本である。荷を解いたとき、陳紀が思わず「多うございますな」と言った。誤記発見九十一の男が、中身を確認するのに三日かかった。
そして、三百四十一人の名が、書いてあった。
字が、端正だった。軍律百の男である。上から下まで、字の大きさが揃っている。姓名。出身の郡県。年。降伏の日。そして、その者が率いていた人数。
一人も、抜けていない。
陳紀は、三日目にこう言った。
「殿下。この方は、書き慣れておられます」
「軍の帳を、二十年書いてきた人です」
「はい」
そして、陳紀は少し声を落とした。
「そして、一年半、筆を持っておられませなんだ」
最後の一本に、一行あった。
《三百四十二人目——于禁、字は文則》
《泰山鉅平の出》
《年、五十半ば。正確には存ぜず》
《降伏の日——建安二十四年、十一月》
《率いていた者、三万》
俺は、その五行を、長いこと見ていた。
自分で、書いた。三百四十二人目として、である。
番号を、自分で付けた。そして、最後にした。三百四十一人を先に書き、自分をその次に置く。
軍律百の人が、いちばん最後に書いたのは、隊列の順である。
行軍のとき、将は先頭にいる。撤退のとき、将は最後にいる。
この帳は、撤退の帳だった。
証明書を、作らせた。六項である。《働いた日数を記録し、帰郷時に証明書を渡す》。
日数は、六十日。職務は、名簿の作成。蔣琬が印を捺し、陳紀が照合した。形式は、犍為郡の輸送人足に渡すものと、まったく同じである。
「殿下」
蔣琬が聞いた。
「はい」
「敵将に、我が国の証明書を渡すのでございますか」
俺は、答えた。
「同じ様式でなければ、意味がありません」
別の様式を作れば、また「将校だから」になる。そして、二万九千四百十二人と同じ紙に載ることが、この人の求めたものだった。
◆
于禁は、翌年、魏へ送り返された。捕虜交換である。そして、証明書を持っていった。
後に、俺は知る。曹丕は、この人を辱めた。
部屋の壁に、絵を描かせたという。関羽が勝ち、龐徳が怒り、于禁が降る絵である。
そして、この人は、それを見て病み、死んだ。
法正の見立てが、当たった。そして、俺の規定は、間に合わなかった。
十六年、俺は制度で人を救ってきた。そして今日、初めて、国境の向こうで負けた。
一つだけ、分かったことがある。
于禁の遺品に、証明書があった。魏の記録に、一行残っている。馬良が、商人の経路で拾ってきた。三年かかった。
《蜀の文書、一通を所持す》
《捕虜の証なり》
《焼かんとするに、之を拒む》
俺は、その三行を、長いこと見ていた。
焼こうとして、拒んだ。捕虜であったことの証明である。恥の証だ。そして、持っていた。
この人が守ったのは、名誉ではない。三百四十二人目という番号である。
そして、その番号を、誰にも消させなかった。
◆
その夜、俺は規定を読み直した。捕虜処遇規定、八項。一年半、七項だった。
俺は、木簡に書いた。
《制度は、名のある者を守らない》
そして、その下に。
《名がある者は、制度が要らないと思われるからだ》
二万九千四百十二人には、規定があった。労働の時間。証明書。強制しないこと。
そして、三百四十一人には、何もなかった。将だからである。自分で何とかできると、皆が思った。
十六年前、俺は同じことを、関羽について書いた。
《まもれるから、ひとりに、なる》
三つのときである。そして、同じ構造が、敵の将にも起きていた。
強い人ほど、制度から漏れる。そして、漏れたことを、本人が言わない。
俺は、もう一行書いた。
《一年半、誰も気付かなかった》
そして、その下に。
《俺も、気付かなかった》
最後に、俺は別の木簡を出した。
《名のない者》
十六年で、八十五人である。
俺は、そこへ書こうとして、止めた。
于禁には、名がある。字も、出身も、分かっている。魏の五将の一人だ。天下に知られている。
そして、一年半、どこにも書かれていなかった。
十九年前、俺は会社に値を付ける仕事をしていた。そして、いちばん怖いのは、帳簿に載っている負債ではないと教わった。
載っていない負債である。
保証だけして、まだ払っていないもの。訴えられているが、金額が決まっていないもの。契約の中にだけ書いてあって、どの欄にも入っていないもの。
見つけ方は、一つだけだった。科目の一覧を見て、どの科目にも入らないものを探す。
そして、そういうものは、たいてい、こう言われて外へ出ている。「これは、特別なので」。
于禁は、特別だった。将である。名がある。だから、捕虜の帳に入れなかった。
分けろとは、書いた。分けた先を、書かなかった。
特別扱いというのは、優遇のことではない。どの欄にも入れない、ということである。
俺は、新しい木簡を一枚、おろした。そして、表題を書いた。
《名があるのに、書かれなかった者》
一行目に、書いた。
于禁 字・文則
《三百四十二人目。自分で書いた》
簿が、また一つ増えた。十六年で、八つ目である。
そして、簿が増えるというのは、いつも、俺が何かを見落としていたという意味だった。
〈あとがき〉
「二 将校と一般兵を分離する」——分けろと書いて、分けた先を書かなかった。それだけで、三百四十一人が一年半、帳簿の外にいました。
「載っていて、私が載っておらぬのは、筋が通らぬ」。軍律100の人が求めたのは、待遇ではなく帳簿でした。
そして《三百四十二人目》。自分で番号を付け、最後に置いています。行軍では先頭、撤退では最後。この帳は、撤退の帳でした。
制度は、名のある者を守りません。名がある者は、制度が要らないと思われるからです。
《劉禅文庫 再読『企業価値評価』——怖いのは、載っている負債ではない。載っていない負債である。特別扱いとは、どの欄にも入れない、ということである》
次回、皇帝に反対できる人を、侍中にします。




