ブラックコーヒー
思わぬ形ではあったがクロレアの基地へと連れ帰られることとなったリリーは、基地の一階廊下にあるクッション性のある座面がほどよく心地よいベンチに座り、何をするでもなく時間を潰していた。
母国へ帰っても、することがない。
今、彼女には、クロレアにおいては知り合いも友人もいないのだ。姉であるナスカはいるけれど彼女は仕事で忙しい。それゆえリリーが話をしたり遊んだりといったことができる相手はいない。
――どんな顔をしてここにいればいいのか分からない。
それがリリーの一番の思いであった。
あの悲劇の日、誘拐された日から、ずっとリボソで暮らしてきた。
まともな扱いなんて受けなくて。
奴隷のような扱いを受けたこともあって。
それでも、リリーが生きてきたのはリボソだった。
帰りたいとは思わない。
むしろあのような絶望に帰るのは嫌だと思っている。
ただ、それでも、クロレアから離れていた時間があまりにも長すぎて。
それに――彼女はあの国で、エアハルトを傷つけ、ジレル中尉とも戦った――その事実が今の彼女を何よりも苦しめている。
エアハルトはリリーを責めることはしなかった。
否、それどころか、リリーには非はないと脅してそういうことをさせた者たちこそが悪いのだと繰り返していた。
でも、そんな優しささえ、リリーにとっては辛いものであったのだ。
「おい」
低い声がして、リリーは俯けていた顔を持ち上げる。
「……ジレル!」
リリーはその男が好きだった。どういう好き、とか、そういう話ではなく。ただ、自身を良き道へと連れ戻してくれたことに恩を感じているということがリリーの中で大きな要素となっているということは事実だろう。
「入れてきた」
ジレル中尉は表情を揺らすことなく、しかし片手に持った紙製のカップを差し出す。
「飲むなら飲めばいい」
「ありがとう……!」
受け取った途端、手に、指先に熱が伝わってくる。
単に熱いものが注がれているというだけのこと。なんら特別なことではない。熱い液体が入っているから触れると熱い、ただそれだけのことなのに。にもかかわらず、その熱が、リリーには目の前の彼の心の温かさであるように感じられた。
「飲んでみるね!」
少しばかり元気を取り戻したリリーは紙製カップの端に唇を添え、そのまま中の液体を口腔内へと注ぐ――そして彼女は衝撃を受ける。
「苦ッ!!」
そう、カップの中身はブラックコーヒーだったのだ。
「苦いよこれ!! 苦すぎ!!」
危うく口に含んだ液体を噴き出すところだった、なんて思いながら、リリーは目をぱちぱちさせる。
「ジレルの意地悪! こんな苦いのを渡すなんて!」
「……私はいつもブラックだが」
「ブラックなんて飲めるわけないでしょ!? それに、そもそも、リリーはコーヒーなんて飲まないの! 飲めないっていうか……無理!!」
リリーの凄まじい勢いでの主張に、ジレル中尉は呆れ顔。
「わがままを言うな」
敢えてそんなことを言って。
「もー! ひーどーいー!」
それに言葉を重ねるリリー。
しかしその時のリリーには明るさのある表情が戻り始めていて、その様子を見たジレル中尉は密かに安堵していたのであった。
「もしかして仕返しっ!?」
「いやそうじゃない」
「ぜーったいそう! じゃなかったらこんなことしないよ!」
「……はぁ」
◆終わり◆




