第48話
潮見部屋の客間はまるでお祭りのような賑わいに包まれていた。和人が大一番に勝利し、新十両昇進の可能性が一気に高まったことで、ぞくぞくと祝いに集まった皆の喜びが爆発していた。新十両昇進は力士たちにとって大きな目標であり、そこに一歩近づく勝利の瞬間に立ち会えたことは、皆にとっても特別な意味を持っていた。
夜の19時過ぎ、玄関が開き、和人が親方と共に部屋に帰宅した。
「ただいま帰りました!」
和人は深々と頭を下げ、少し疲れた様子を見せながらも、満ち足りた表情を浮かべて挨拶した。
「おかえりなさい!そして、おめでとう!」
と、おかみさんが笑顔で迎えた。
その瞬間、客間から待ちわびた人々の歓声が一斉に湧き上がった。和人が戻ってきたことを知ると、人々には笑顔が溢れ、和人は皆の歓声と祝福に驚いた。しかし和人はその歓声の中、自然と視線で柚を探していた。
ふと視線を向けた先に、涙ぐんだ柚の姿が目に入る。
「柚ちゃん…」
小さな声で名前を呼ぶと、柚はゆっくりと前に出た。彼女はうっすらと涙を浮かべながら、和人の目をしっかりと見つめた。
「おめでとう、和人くん…」
「ありがとう、柚ちゃん」
その瞬間、翠や樹をはじめ人々から拍手が湧き上がり、潮見部屋全体が温かい祝福の雰囲気で包まれた。
「さあ佐藤くん、みんなで乾杯よ!」
おかみさんが声をかけ、皆が一斉にグラスを持ち上げた。
「お疲れさま!大きな勝利、おめでとう!」
和人は感謝の気持ちを込めて頷き、仲間たちの笑顔に囲まれてようやく勝利を実感していた。
ふと親方が静かな一言で場を引き締めた。
「正式に新十両が決まるのは、3日後の番付編成会議だからな」
和人は背筋を伸ばし、表情を引き締めて頷いた。
「そうですね。会議の結果が出るまでわかりません」
おかみさんが微笑みながら、
「きっと大丈夫よ。自信を持ちなさい」
と和人を励ました。
すると菜月ちゃんが「きっと大丈夫だよ!」
と元気に手を叩いて応援し、和人は思わず微笑んだ。そして再び柚に視線を向けた。
柚は涙を浮かべ、
「信じてたよ。ここにいるみんなが和人くんを信じてた」と目を輝かせて言った。
その言葉に親方が力強く語り始めた。
「力士はな、たくさんの人の声援を受け、愛されて強くなるものだ。決して自分一人で強くはなれない」
和人の目が潤み始め、胸が熱くなった。
「親方…ありがとうございます」
おかみさんも温かく言葉をかけた。
「そうよ。ほら、あなたのためにこうしてみんなが集まってくれた。今日来れなかった人も、みんなあなたを支えているの」
和人は涙をこらえ、深く頷いた。
「おかみさん、肝に銘じます…ありがとうございます」
その様子を見ていた柚が、そっと和人に声をかけた。
「和人くん、本当に…みんなに応援されて支えられているんだね」
和人は柚の言葉にしっかりと頷き、彼女を見つめながら答えた。
「柚ちゃん、本当にありがたいことだよ。みんなの支えがなかったら、俺はここまで来られなかった」
その言葉に客間中の人々が静かに感動し、しばしの間、和人の勝利と皆の絆を噛み締めながら笑顔を交わし合った。
その日の夜、和人は心の高鳴りを抑えながら福岡の実家に電話をかけた。
潮見部屋の仲間たちに祝福され、自分の力だけでここまで来たわけではないことを強く感じた和人は、両親に感謝の気持ちを伝えたいと思ったのだ。長い一日が終わり静かになった部屋の中で、彼はそっと部屋の電話の受話器を手に取り、実家の番号を押した。
コール音が数回鳴った後、電話がつながった。
「もしもし?」
母親の声が聞こえると、和人は思わず笑みをこぼした。
「母さん、俺だよ…今日、勝ったんだ。新十両に一歩近づけたかな…」
声に感情がこみ上げ、和人は一瞬言葉が詰まった。母親はすぐにその変化を察し、電話の向こうで少し泣き笑いをするような声で応えた。
「ええ。もちろん見ていたわよ。和人、本当に…良かったね!お父さん!和人の電話よ」
和人の父親も電話に出て、喜びの声が響く。
「おお、和人か!よくやったなぁ!俺たちはずっとテレビの前で応援してたぞ。お前が土俵際であの逆転技を決めた瞬間、母さんと一緒に叫んだよ!」
父親の声はいつもよりも少し震えているような気がする。強くて厳格な父親がこんなにも感情を露わにしているのは珍しいことだった。
「…ありがとう、父さん、母さん。俺、ずっとこの日を目指してやってきた。だけど、今日の勝利は、俺だけじゃなくて…二人がいつも支えてくれたからなんだ」
和人は自分でも驚くほど素直に感謝の気持ちを口にした。涙がこぼれそうになるのを堪えながら、ゆっくりと話を続けた。
「福岡から東京に来て、親方や部屋の仲間たちにも恵まれて…。でもこうやって頑張れたのは、いつも二人が応援してくれたからなんだよ。俺、親方からも言われたんだ。力士は一人で強くなるんじゃないって。たくさんの人に支えられて、応援されて強くなるって…それを今日、改めて感じた」
電話の向こうで、母親の静かなすすり泣きが聞こえた。和人はその音を聞きながら、自分の胸が熱くなるのを感じた。
「母さん、泣くなよ…」
そう言いながらも、和人の声も震えていた。
「ごめんね、和人。母さん、嬉しくて…お父さんと毎日祈ってたんだよ、あなたが怪我しないで、一つでも多く勝てるようにって」
「お前が相撲を始めたときからずっとだぞ、和人。お前は俺たちの誇りだ。これからもお前の後押しをこれからもしていく。どんなことがあっても、俺たちはお前の味方だ」
父親の言葉を聞いて和人は目を閉じた。言葉にできない安心感と、これまでの道のりが頭を駆け巡った。幼い頃から大きな夢を抱いて相撲に打ち込み、数え切れないほどの辛い日々を乗り越えてきた。そしてそのすべてを支えてくれたのは、紛れもなくこの両親だった。
「…ありがとう、父さん、母さん。本当に、ありがとう。俺、これからももっともっと頑張るよ。関取になって、次はみんなに恩返しできるように…」
電話の向こうで、両親の暖かい笑い声が聞こえた。
「うん、和人。母さんと父さん、ずっと応援してるから。無理せずに、でも、あなたのペースで一歩ずつ進んでいってね」
「絶対に自分に負けるなよ、和人。お前はまだこれからだぞ」
和人は深く息を吸い込み、心の中でその言葉をしっかりと刻んだ。
「うん、ありがとう。俺、もっと強くなる」
電話を切った後、和人は一瞬、静かに天井を見上げた。家族の存在が自分をここまで引っ張ってくれたことを改めて実感し、その思いを胸に、さらに強くなろうと決意した。
これから迎えるさらなる挑戦の日々に向け、和人の心には揺るぎない力が宿っていた。




