第23話
昼のちゃんこを終えた春風と和人は部屋を抜け出した。そしてともに両国の街を歩き始めた。二人とも普段の厳しい稽古から解放された気分で、のんびりとした足取りだ。
和人は両国の街にやってきたものの、稽古や移動以外で両国をゆっくり歩いたことはほとんどない。どれもが新鮮で目を奪われる。
街には古い建物が並び、昭和の風情を感じさせる商店や、老舗の飲食店が立ち並んでいる。和人はその風景に目を奪われた。
「両国って歴史があるよな…」
「そうだな。昔から相撲の街だからな。歩いてるだけで力士とすれ違うこともあるし、古くから続いてる店も多いんだぜ」
春風が笑いながら答えた。春風は江戸っ子でこのあたりにも詳しい。
道を歩きながら二人は潮見部屋での稽古や力士たちのことについて話した。両国の街を歩くと通りには相撲にまつわる看板やのぼりが立ち並び、土俵入りのイラストが描かれた提灯や相撲部屋を訪れる観光客向けの案内板も目に入る。
「なんかこうやって街を歩くと、相撲の歴史と自分が繋がってる感じがするよな」
和人は感慨深げに言った。
「これからは力士として、この街と共に歩んでいくんだよ」
春風は和人の肩を叩きながら励ました。
通りを歩いていると、和人は立ち並ぶ古い木造の建物に目を向けた。昭和の風情を色濃く残した家屋や和風の喫茶店、銭湯などが軒を連ねており、どこか懐かしさを感じさせる。風に乗って香ばしい煎餅の香りが漂い、すれ違う人々もどこか親しげな様子だ。
「なんだか昔ながらの空気が漂ってるよな。この街は落ち着くっていうか…」
「そうだろ?両国はそんな街なんだよ。相撲を支えてきた人々の想いがこの街にはあるんだ。だから俺たちも負けてられないってわけさ」
春風は照れくさそうに笑いながら答えた。
「そうだな…この街と一緒に、俺ももっと強くなりたいな」
和人は春風と並んで歩きながら両国の古き良き街並みを全身で感じていた。これから始まる力士としての道に両国の街が自分を支えてくれるような、そんな温かさを感じていた。
春風と和人は両国の街並みを楽しんで歩いていたが、春風がある店の前で足を止めた。古風な木の板に「珈琲」と書かれた喫茶店は昭和の雰囲気を漂わせており、和人にとってもどこか懐かしさを感じさせる外観だ。
「ここだよ」
和人も頷き、二人は店のドアを押して入った。カランコロンとお店の入り口のベルの音が鳴る。
ふわりとコーヒーのいい香りが漂い、和人は思わず深呼吸をした。
「いらっしゃいませ~!」
明るい声が店内に響き、和人の視線がカウンターの女の子にくぎ付けになった。高校生ぐらいの子だろうか。彼女は明るい笑顔で接客をしており、その柔らかな雰囲気に和人は一瞬にして引き込まれてしまった。
「き、君は~?」
和人は驚きながら言葉を漏らした。
「おまえ、どうしたんだよ?」
春風が怪訝そうに和人の様子を伺う。
「春風さん、いらっしゃいませ!」
彼女はにこやかに挨拶する。
「ああ、柚ちゃん。元気~?」
春風は慣れた様子で返事をした。
「はい!今日も元気いっぱいですよ!」
彼女は明るく笑いながら春風に向かって腕を曲げ、力こぶを作るような仕草で笑っている。
和人は柚をじっと見つめたまま、固まっていた。
「春風さん、そちらは…?」柚が春風に訊く。
「ああ、こいつは部屋で一緒の和人っていうんだ。いいやつだぜ」
春風が軽く肩を叩きながら和人を紹介する。
「さ、さとう、かずと、です…」
和人は緊張しながら名乗った。
「佐藤和人さん!よろしくお願いしますね!去年から入った方ですか?」
「は、はい…」
柚は和人に笑顔で頷くと席へ案内した。
「さ、お席にどうぞ!」
和人はすっかり心を奪われていた。彼女の声が脳に響き渡り、まるで時間が止まったかのように感じた。柚の笑顔に、和人の胸は一気に高鳴った。
(右足、左足、右足…)
和人は足元に気をつけながら、まるでロボットのようにぎこちなく歩いた。
「おい、和人。大丈夫か?」
春風が後ろから声をかけるが、和人の頭の中は真っ白だ。席に着いた和人は、春風に小声でつぶやいた。
「あの子、誰?」
「ははは、あの子はこの店の看板娘の柚ちゃんだよ。いつも元気で、お客さんにも人気なんだ」
和人は目を丸くして、顔を赤らめながらも気を引き締めて深呼吸をした。
「そ、そうなんだ…すごく、明るくていい子だな…」
「お前、まさか一目惚れか?」
春風が笑いながらからかうと、和人は、
「ち、違うよ!ただ、ちょっとびっくりしただけだって…」
和人は赤面しながら照れ隠しのように言い訳をした。
店内には落ち着いた音楽が流れ、昭和のレトロな雰囲気が和人を包み込んだ。




