89話 俺たちは牛の牧を落人狩りから守りたい
ブラック企業で過労死寸前だった俺(赤星勇馬)。
通勤途中で猫を助けようとして命を落とした――その結果、神様から授かったのは「スマホが使える」というチート能力。
転生先は、なんと壇ノ浦で入水する直前の安徳天皇!?
優雅な平安貴族の暮らしを味わいつつ、同時に目にするのは、当時の庶民が背負う悲惨な現実。
「二度目の死だけは、絶対に避けたい!」
ブラック企業よりはマシなこの世界で、俺は未来知識と努力を武器に全力で生き抜いてやる――!
俺たちは牛飼いの子の案内で、牛囲いへ向かった。
源さんは鎧兜をつけ槍を持ち、トラさんは虎の毛皮を肩にかける。
雁丸は剣を腰に差し、俺はサワとミサが昨夜縫ってくれた紅白の旗を掲げた。
親父さんが馬に乗り、ハヤテがその口を取る。
青景の里のはずれ――牛囲いへ進む。
牧場には数十頭の牛がいた。
その目は怯えて、じっと俺たちを見つめていた。
そして、俺たちは見た。
槍で突かれ、無惨に横たわる父親の遺体を。
……むごい。
「父ちゃん……!」
子どもの叫びが響き、母が泣きながら抱きしめる。祖父は地に膝をつき嗚咽した。
親父さんは馬を降り、静かに手を合わせる。
源さんたちは村の者と共に墓を掘り、遺体を埋葬することになった。
「親父さん、……ねえ、《どうするの》!?」
ハヤテが馬をつなぎながら問う。声は震えていたが、その奥には怒りが燃えていた。
「またあいつらが来て、今度は『牛飼いのじじいこそ平家の残党だ』なんて言い出すかもしれない。狙いは……牛だ!」
雁丸が剣を振る。
「もう人は斬りたくない」と言っていた彼の瞳が、怒りで燃えていた。
――みんな怒っていた。
牛を、牛飼いたちを守りたい。
でもどうすればいい?
俺は袂を叩いた。黒猫クロエが顔を出す。
「ミャア」
「クロエ、牛たちを隠したい。里の近くじゃ危険だ。落人狩りが思いもよらない場所に……」
クロエはひげをゆらして言った。
「いい案があるニャ。山の上に台地がある。未来では秋吉台って呼ばれる草原ニャ。でも今は林だ。山焼きが行われていないからね。そこに牧場をつくるニャ」
「ええ!? 山の上に? ……でも、水は?」
「心配いらんニャ。台山には湧き水が二つある。未来での呼び名は『帰り水』と『柳の水』。柳の水の方が近いニャ。ここから三キロ、ただし上り坂だから骨は折れるけどね」
俺は親父さんに伝えた。
「山の上に牧を移しませんか? 落人狩りも、まさか牛が山の上にいるとは思わないはず。湧き水もあるんです」
親父さんは目を見開いた。
「なんと……安介、お前は途方もないことを言い出す。だが、まずはその場を見てみねばなるまい」
こうして俺と親父さん、牛飼いの子、ハヤテ、雁丸で山を登った。
途中、牛飼いの子が立ち止まる。
「あそこに家があるんだ。声をかけてくる」
戸口から現れたのは木こりだった。
牛飼いの子が鼻をすすりながら訴えると、木こりは子を抱きしめ、俺たちを見つめた。
「……地頭様ですな。妹の夫が殺され、牛も二頭、奪われたと聞きました」
親父さんが言う。
「台山に牧を移す案がある。牛も水を飲めると聞いたが、お前はどう思う?」
木こりの顔に光が差した。
「おお、それはいい。これまであの牛囲いが狙われるなど思いもよらなんだ。だが、人が殺された今となっては、山暮らしの方が良い。やつらが来ても、山に逃げれば見つかりにくい」
木こりは牛飼いの子を抱き上げ、優しく背を叩いた。
「牛を奪うのは容易じゃない。乱暴者の言うことなど聞かんからな。母ちゃんもきっと賛成する」
やがて俺たちはクロエが教えてくれた「柳の水」にたどり着いた。
白く透きとおる水が、地中から湧き出し、ゆるやかに流れた先でまた地中へと消えていく――まるで「帰っていく」ように。
「ひゃー、水だ!」
牛飼いの子が歓声をあげる。
木こりは水を汲み、一口飲んだ。
「話には聞いていたが、本当にあったのか。うめえ……」
ハヤテも水をすくって飲む。
「安介、すげえなお前。こんなの、どうしてわかったんだよ」
――山の上に地の底から湧く水、不思議な泉。
これなら牛も生きていける。
親父さんは深くうなずいた。
「安介でかした! ここに牛小屋を建て、夜は屋根の下で眠らせよう。昼は台山に放ち、夕方に呼び戻すのだ」
牛囲いに戻り、墓に手を合わせたのち、皆に計画を伝えた。
牛飼いのじいさんが言った。
「体の大きな二頭は坂を上がれまい。……里に連れていけば、預かった者が狙われるかもしれん。……地頭様、あの二頭を使ってくだされ」
親父さんは深く頭を下げた。
「ありがたい申し出だ」
源さんも頷く。
「馬小屋に入れましょう。馬は一頭しかおらぬゆえ、余裕がございます」
地頭である親父さんは声を張った。
「もう京へ牛を献上する必要はない。牛の乳を搾り、醍醐を作ろう。それをこの地の産物とするのだ」
木こりは拳を握り、牛飼いの子を抱きしめた。
「妹の家は俺が支える。父を失ったこの子も、俺が守る。牛小屋を建てるためなら木は俺が切る。地頭様、この一家をお助けください」
牛飼い一家と木こりは、親父さんに深々と頭を下げた。
――牛たちは新しい牧で思い切り草を食み、水を飲むだろう。
青景での最初の大仕事は、大きな牛二頭を地頭館に連れ帰ることだった。
そして――明日から、台山に牧場をつくる仕事が始まる。
♪ 黒猫クロエのニャンノート♪
山口県美祢市にある 秋吉台。
青景は、その北側に広がる里だニャ。
「帰り水」とは、秋吉台などの石灰岩台地で見られる湧き水のことニャ。
秋吉台は白い石灰岩の石があるカルスト台地だニャ。地表にドリーネとよばれる窪地がたくさんある。その底から水が湧き、数メートル流れたあと、また地中に吸い込まれていく――まるで「帰っていく」ようだから、この名がついたんだニャ。
マップで調べると「帰り水」「柳の水」の写真があったニャ。
あなたも、もし行くことがあったら、この不思議な水の現象を見て、
写真をアップしてクロエに見せてほしいニャ。
まだまだ修行中の さとちゃんペッ! です。
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