7話 屋島奇襲
ブラック企業で過労死寸前だった俺(赤星勇馬)は猫を助けようとして死んだ。神様からはスマホが見られるチートを授かり、壇ノ浦で入水する前の安徳天皇に転生する。そこは、平安貴族の優雅な生活を味わいつつも、悲惨な当時の庶民の暮らしを知る。
2度目の死は避けたい俺は、ブラック企業よりはましな今を全力で生き抜く。
~あれ?いつの間にか牛若丸から理想の君主と崇められているんだが~
夜の海が、月明かりで鈍く光っている。
夜の風に春の気配を感じる。
こんなこと、初めてだ。
この俺が《《春の気配を感じる》》なんて……
テレビもネットもゲームもない生活。
感覚がとぎすまされたようだ。
うーん、この空気の感じは……
「本日は2月19日です」って伊勢が言っていたな。
2月? 2月ってもっと寒いんじゃないの?
袂を叩いた。
黒猫クロエがしゃなりと歩み寄った。
ちょこんと両手をそろえて座った。
「はい、クロエですニャ。
今日は1185年 旧暦2月19日、新暦だと3月22日ごろ。
はーい。旧暦って何? わからないからもう辞めたって思わないでくださいニャ。この時代、日本では旧暦を使っていたの。西欧諸国と同じ新暦を使い始めたのは明治になってからニャ。だから、今日は3月22日だと思ってほしいニャ」
「やっぱりそうか。3月末だろ。年度末の殺人的多忙な時の空気だよ」
クロエはミャ~とないて、俺の膝前で丸くなった。
――この空気は……。
最終電車に揺られて、ニュース動画をチェックしたあの夜の空気だ。仕事の一環としてニュースはチェックしていた。
スマホの画面でアナウンサーが話している。
「こちらが、靖国神社の標準木です。気象庁の発表では、本日は3分咲きとのことでした。週末はお花見日和になるでしょう」
――なーにが花見だ。ブラック企業には花見の文化はない!
憤りを感じたあの日を思い出す。
――ああ、今はあの頃の100倍は良い暮らしだ。
吹く風は冷たいが、春の気配をびんびんに感じる。
明日は母上の徳子様に「安徳はお花見がしたいです」って言ってみよう。
「安徳様、もう少し奥へ」
伊勢が袖を引く。
岸辺に灯る松明が揺れる。
平家の船団だ。
ここ屋島に暮らして知ったこと。
陸に仮御所と呼ばれる俺たちの住居があるものの、多くの船が数珠つなぎになって停泊している。
なんと、侍の多くが船の上で寝泊まりしているのだ。
ここは海の要塞。だから、海への監視は厳しい。
見張り役がこの広い海を昼も夜も見張っている。
「クロエ、平家の侍ってすごいね」
「そうだニャ。平家は去年、一ノ谷で負けて讃岐、つまり香川県の屋島に移ってきたの。屋島は海に突き出た要塞みたいな地形で、防御には超有利……のはずだったんだけどね。《《陸からの奇襲》》は防げないニャ」
クロエの尻尾がゆらりと揺れる。ツンとすまして歩いて行った。
そして、意味深に俺を振り返ると、ニャ~と鳴いた。
クロエが行って、雁丸がきた。
雁丸は俺の後ろでリラックスしている。
その夜、屋島の海は荒れていた。
波の音に混じってどこか遠くで雷が鳴っていた。
女官たちは火事を恐れて火を消した。
侍たちは鎧を解いて休んでいる。
誰もが、今夜は戦はないと思っている。こんなに海が荒れているからだ。
この天候で船を出したら沈没してしまうだろう。
いくら奇襲が得意な源義経でも、こんな日に船は出さないだろう。
六歳男児の俺は、体力も六歳児。
雁丸がぽつぽつ語る幕末の新選組の活躍を聞いていた。
「ここだけの話だ。京の女がほっとかないんだ、俺たちを。いやあ、あれには参った。ある時などは、祇園の通りで……」
沖田総司が京女にどんなにモテたのかという話を、ずい分詳しく聞かされていたが、本当につまらないので、いつの間にか眠ってしまった。
「安徳、起きて」
耳元で低く囁いたのは、黒猫クロエだった。
金色の瞳が暗がりで光っている。
「……なんだよ、こんな時間に」
「来るニャ。義経が」
「は? こんな嵐の夜に?」
「そう、それが義経のやり口ニャ」
――奇襲って、今なのか……。
その瞬間、外がざわめいた。
足音、怒号、矢を番える音。
館の戸が勢いよく開かれ、顔を紅潮させた侍が飛び込んできた。
「敵襲――! 義経軍、陸路より迫る!」
「陸路……だと?」
俺は思わず立ち上がる。
義経が船で来るとばかり思っていた。海からの攻めなら備えもできる。
だが、山越えの陸路から夜襲されれば、背後を突かれる形になる。
――ダメじゃないか!
クロエが膝に乗ってきた。
「ねえ、安徳。クロエはさっき、《《陸からの奇襲》》って教えてあげたニャ。現代知識を活かせてないニャ、安徳。ダメだニャ
屋島の戦い、義経は普通なら海から攻めるところを、 暴風雨の夜にわざわざ陸路を選んだニャ。
阿波国(徳島)から讃岐国(香川)へ山道を越えて、 夜明け前に屋島へ奇襲をかけたのニャ。これで平家方は完全に虚を突かれた。さあ、逃避行だ。安徳……頑張るニャ」
外ではもう、源氏の鬨の声が響いていた。
闇の向こうで源氏の白旗が翻り、松明の列が蛇のようにこちらへ近づいてくる。 嵐で荒れた海に目を奪われていた俺たち平氏は、背後から迫る影に気づくのが遅れた。
「母上!」
俺は母上徳子のいる部屋へ駆け込む。
母は驚くこともなく、静かに立ち上がった。
「……戦の支度をいたしましょう」
女官たちが荷をまとめる音、甲冑の鳴る音が重なっていく。
雁丸がすでに黒装束のまま俺の傍らに立っていた。
「安徳さま、海へ。船に乗るんだ」
「でも、みんなは?」
「みんなもすぐ来る。《《安徳さま》》、わかってる? あんたは六歳の帝だ。誰よりも優先される」
見回せば、姫たちが袖を握り合い、小さく声を掛け合っている
短い間だったが、この麗しい母や女官たちと過ごした日々。楽しかった。
ーーみんな、死ぬなよ!
外に出ると、矢が夜空を切り裂いた。
義経軍の先陣がなだれ込んでくる。
平家方の防備は遅れている。
海辺の船着き場では、すでに何隻かが慌ただしく離岸している。
篝火の光の中、平家の赤旗が風に煽られて翻った。
「急げ! 彦島へ退くぞ!」
宗盛の声が響く。
嵐の海で一番大きい船に乗り込んだ。
船は大きく揺れる。
錨をあげ、沖に出た。また錨を落とす。
平家の船がどんどん沖に進み出た。
陸から来た義経の騎兵たちは、海には出られない。
ほっとした。
屋島の館が赤い炎に包まれた。
「ああ、館が燃える」
あの館、あの庭……姫たちがすすり泣いている。
俺は六歳らしく黒猫を抱き炎をずっと見ていた。
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