第3話 平家の未来を変えるために
源平合戦は平安時代。貴族の世の中に武士が台頭してきた。その理由は‥‥・地方の生活にあった。
「安徳、これは……本当にお読みになられたのですか?」
宗盛が運ばせた書物を手に取り、ページを繰る俺を見て、母・徳子が目を丸くしている。
六歳の子どもが、漢文をすらすら読むなど、異常に映るのも当然だ。
「うーーん。少しだけわかる、かもしれない」
「まあ」
女官たちは笑う。
「……読んでいるふりをしていらっしゃるのね」
母は俺の頭を撫でる。
俺はにっこりとして、六歳男児らしくうなずいた。
母は女官たちと一緒に、衣に刺繍を始めた。
この仮御所で、子供用の衣にアゲハチョウの平家の紋を刺繍している。
母、徳子は誰よりも美しい。そして、優しい。
刺繡の腕も見事だ。
平家一門の女性、それに使える女官。
彼女たちは白い化粧をしている。眉をそり描いている。
ーーあの人気アニメ、『薬屋の独り言』でマオマオが言っていたな。
確か、高貴な女性が使う白いおしろいは鉛でできていて、女性や胎児の健康を害すと……
「お母様、お化粧しなくてもきれいだよ」
「まあ、安徳。今日は別人のように思えるわ。確かに今は戦のさなか。我らも明日からは化粧を控えましょうぞ」
女官たちは同意した。
「そうですわね」
「安徳様がそうおっしゃるのなら」
「賢いお子ですこと」
俺はほっとした。うれしかった。
ーーよかった。白い化粧などなくてもよい。
そして、書物に目を落とした。
読めるのは、もちろん過去の記憶があるからだ。
高校で学んだ漢文。
試験のための勉強だった。今こそ活かすときだ。
だんだん状況がわかってきた。
ポケット代わりの袂を叩くとスマホが出てくる。
「この頃の京の様子を教えて」と音声入力すると、また黒猫が現れた。
神様が遣わしてくださったクロエ。クロエの言葉が俺だけに人間の言葉で聞こえるのだ。 神様、ありがとう!!
俺はやっぱりスマホが無いと生きられないわ。
「猫づかいの荒いお方だにゃ~。こほん。今、安徳さまがいるのは、1185年ですにゃ~。実は、1180年は干ばつや水害などで、京を含めた西日本は作物が獲れなくて、飢饉に陥りましたに。飢饉、わかります? 日照りや水害で作物が獲れなかったんです。それで食べ物がなくなったんです。それで、1181年には多くの餓死者がでたらしいんですにゃ~」
「それはヤバいね」
「あの日本の識者なら全員が知っていると言われる『方丈記』には、京都市中の死者を約4万2300人と記しています。東日本大震災での死者・行方不明者が約2万2千人と言われています。その約二倍。どれだけ、悲惨だったかわかりますにゃ~」
「うわあ、それは悲惨だね。……『方丈記』なんて、知らんがな」
「まあまあ、こうした状況の中、源氏の味方、木曾 義仲軍は京の市中で兵糧を徴発しようとしました。たちまち民の支持を失ってしまったそうですにゃ~。食べ物がなくて人が死ぬ状況で、自分の軍の兵士のために食べ物を集めるなど、当然民は怒るでしょう。そこで、源頼朝は、考えた。年貢納入を条件にすることで、朝廷に東国支配権を認めさせたのです。東国、わかります? 関東より東のことです。頼朝の知略、すごいですにゃ~。頼朝の米蔵は、飢饉の被害が少なかった東国から、米がたんまり入っていたことでしょう。そして、それを届けて朝廷に恩を売る」
「確認するよ。平家の支配は西国だった。飢饉で民は逃げ、年貢米も集まらない時期だった。一方頼朝は東国支配で年貢米を集めた。朝廷にも届けた。京での人気もあがるだろう。兵士の士気もあがるだろう。それでは、平家の勝ち目はないわ」
「そうだにゃ~。興味深い逸話がありますにゃ~」
「なになに?」
「京の市内で、死者が多くて供養が追いつかなかったところ、仁和寺の僧が死者の額に『阿』の字を記して回ったと伝わっているにゃ~。道や門の前や川原に転がっている死体。その額に『阿』の文字が書いてあるのを想像してみて、シュールだよね。それに蛆が湧いて死臭が漂っている。民の気持ちは、『もう戦なんかやめて、死体を片付けて街をきれいにしてよ。そして、農業をもっと保護してよ』に間違いないにゃ~」
「クロエ、君は役に立つ猫だね。今回もよーくわかったよ」
黒猫はまんざらでも表情で、ツンとすました。黒い目玉がこちらに動く。
「ご褒美は、わしゃわしゃだ!」
俺はクロエの頭をわしゃわしゃして、抱きしめ頬ずりすりすりした。
「にゃ~」
クロエは「やめろ」の態度で滑り降り、尾を立て引き締まった体を見せつけて歩いて行った。
俺は、頭を整理した。
今は、源氏と平氏の争いの真っただ中だ。農村では、税金を納められない民が逃げ出し、農村は荒れている。一方、京は飢えた人であふれている。処理が追いつかないほど遺体があふれ、腐敗臭に満ちている。その西国こそが、平家の経済や武力の地盤である。
今、俺が西日本のどこかで国を作るとしよう。
飢饉で逃げ出した民はすぐには戻ってこないだろう。農村は荒れているのだろう。
袂をたたき、そっとスマホを取り出し、現在地を確認した。
俺――いや、「安徳天皇」は、今、香川県高松市の屋島にいる。
これから山口県下関市の彦島に行く。
その関門海峡、壇ノ浦で海に沈む運命だ。
でも、そんな結末はごめんだ。
逃げ延びるだけでは意味がない。平家を再建しなければ。
そのためにはまず、「信頼される天皇」にならなくてはならない。
宗盛や家盛、知盛、そして母・徳子さえも、まだ俺を「神輿」程度にしか見ていないだろう。
彼らにとって俺は、「血筋の象徴」であって、政治の主体ではない。
(なら、やることは一つ)
未来の知識を、少しずつ、《《奇跡》》として使っていく。
宗盛は母・徳子や祖母二位の尼とおしゃべりを楽しんでいる。なるほど、妻を愛しぬいた男、親戚づきあいもよい。
「宗盛おじさん、わたくし、民の力になりたいと思います」
「な、なんと?!」
「飢饉で逃げた民が、元の田でお米を作れるようにしたいのです」
「そのような……よくご存じですなぁ……」
「夢で見たの」
(この時代では「夢のお告げ」は最強カード)
案の定、宗盛も目を伏せて神妙な顔になった。
「……さすがは安徳様。やはり天より遣わされた御方……!」
こうして、俺の言葉には重みが出た。
今や宗盛や女たちの目には、「神からの夢のお告げを伝えるお方」に映っているだろう。
だが、時は刻一刻と迫る。
――京からの追手が近づいている。
――源義経が、いづれ来る。
――だったら、こちらも備えなきゃ。
俺は、自ら筆を執り、「五ヶ条の策」を書き記した。
【安徳天皇・五ヶ条の策】(密命)
一、屋島を脱し、新たな拠点を築くべし
一、兵糧を蓄え、塩と武具の管理を厳とすること
一、農村に技術を伝え、飢えなき里を作ること
一、山道と海路を整え、逃げ道と連絡路を確保すること
一、民心を失うべからず。礼を尽くし、力を誇るなかれ
「宗盛おじさん、これを知盛おじさんやみーんなに伝えてね。夢のお告げだから」
「……は、ははっ!」
宗盛が跪いて拝礼する。
(よし……これで、まず一歩目はクリア)
天皇としての信頼を得た今、次に必要なのは――
「剣術の指南役をつけてほしいな。身を守る術も学びたーい」
「そ、そこまでお考えとは……幼いお身で!」
宗盛は、とにかく驚いたという感じで、ばたばたと出て行った。
戦う覚悟も、生き抜く覚悟も、俺にはある。
体が子どもでも、心はもう、過労死一歩手前のサラリーマンなのだ。
そう、これはただの「歴史のやり直し」じゃない。
新たな国を創るための、俺だけの反逆だ!
読んでくれたあなた。一杯どうぞ。カンパーイ!
次も読んでくださいな