26話 みもすそ川にて
ブラック企業で過労死寸前だった俺(赤星勇馬)は猫を助けようとして死んだ。神様からはスマホが見られるチートを授かり、壇ノ浦で入水する前の安徳天皇に転生する。そこは、平安貴族の優雅な生活を味わいつつも、悲惨な当時の庶民の暮らしを知る。
2度目の死は避けたい俺は、ブラック企業よりはましな今を全力で生き抜く。
~あれ?いつの間にか牛若丸から理想の君主と崇められているんだが~
俺たちは小屋で自炊することにした。
しかし、何しろ経験不足だ。
ハヤテは、魚の頭もはらわたも一緒に煮込む。
ハヤテにはご馳走でも……旨いとは言えない。
雁丸が告げた。
「今日は某が腕を振るおう」
雁丸は幕末京都の茶屋の味を再現するつもりらしい。
昆布でだしを取りたいと言い、街道沿いの店を探し回った。
そんなものは今の時代の馬関にはない。
やけになって皮と骨を取った魚で魚団子を作り始めるが、味噌がないショウガがないとこだわりを発揮し、できあがったのは夜がすっかり更けてから。
俺とハヤテは平静を装っていたが、いらいらが最高潮だった。
時間がかかった割に、うまくない。
俺の今の願いは、マックに行くことだ。
――誰か代わりにハンバーガーとポテト買ってきてくれないか?
クロエに頼んでも「無理だニャ」の一言だった。
とにかく、なかなかうまい飯にはありつけないのだ。
今朝も漁の前の腹ごしらえの時間なのに、誰も作ろうとしない。
自炊に関しては、この三人は気が合わない。
「おう、ガキども。たまには喋りに来い」
小屋の戸を叩いたのは、浦長だった。
低くてよく通る声に、俺とハヤテと雁丸は顔を見合わせた。
潮焼けした肌に、漁師の威厳と世話好きな空気をまとった男。そして、ミステリアス――それが浦長だ。
忘れてはならないのが、すごいマッチョということ。
筋肉の盛り上がりはボディビルダー並みだ。
「浦長の館ってのは、漁師たちの溜まり場だ。魚も話も集まってくる」
そう言いながら、彼は歩き出す。
俺たちはその背中を追った。
網干し場を抜けると、潮の香りがさらに濃くなる。
浦長の館は木造の大きな建物で、壁には干物や網、海図代わりの板図が掛けられている。
中に入ると、炊きたての魚汁の香りがふわりと鼻をくすぐった。
「腹、減ってるんだろ。遠慮すんな」
浦長が笑いながら椀を渡してくる。
俺は礼を言い、熱い汁をすすった。
……うまい。
「ほら、食え」
「……に、握り飯だ!!」
表面に刻んだワカメがまぶしてある。
「う・ま・い!!!!!」
その様子を女将さんと娘二人が見ていた。
10代に見える二人の少女は、貴族の女とは全く違った魅力があった。
髪を後ろにひとつに結んで、海老茶の衣を着ていた。
たすき掛けして、前掛けをつけている。
ん? この既視感は……あの名作「千と千尋の神隠し」だ。
俺たち三人、すっかりご機嫌だ。
「浦長、また時々来てもいいですか?」
「もちのろんだ。 他にも飯時だけ来るやつがいる。お前ら三人、若すぎる。遠慮なく《《毎日》》食いに来い」
俺はほっとした。
美味い飯、これしか今は楽しみがない。
ここにくれば、うまい飯と可愛い少女に会える……。
最高!
「さて、……今日はみもすそ川だ」
浦長の言葉に、ハヤテが嬉しそうに目を輝かせる。商売の匂いを嗅ぎつけたようだ。
「炊き出しですか?」
「おう、戦で焼け出された連中や、浜に流れ着いた者たちに飯を出すんだ。まあいうなれば源氏の下級武士と町人だな。ああ、それと、……平家の女たちもそこに捕らわれている。その者たちにも食わせるぞ」
俺の心臓はバクバクした。
平家の女たち? 母や姫君や侍女たちだろうか。
舟で向かう途中、海風が心地よかった。
食の満足は生活の質に影響する。
川の河口には、戦の痕跡がまだ残っていた――折れた櫂、黒焦げの板片、流木。
それでも、浜では子どもが小魚を追い、女たちが海草を干していた。
炊き出しの準備をした。
今日は火の番を教わる。
とにかくしっかり薪を燃やして、湯を煮立たせる。
俺は薪を互い違いに置き、空気の通り道を作った。
これはバーベキューで培った技だ。
そして、見よう見まねで竹筒で息を吹きかけた。
薪は良く燃え、大鍋はよく沸いたした。
雁丸たちは魚を汁に放り込む。
今日は塩味の汁だ。あさりもたっぷり入れてある。
ハヤテは器用に配膳をこなし、雁丸は大声で呼び込みをしていた。
「ほらほら、熱いうちに食べろ! 漁師のまかないは天下一品だぞ!」
やがてやってきたのは、鎧を脱いだ源氏の兵だった。
よく見ると、囲いの中に女たちが座っていた。
髪を乱した女、顔を伏せた女、幼子を抱く女。
みんな薄汚れているけど、よく見ると……平家の女たちだった。
その中に、檜扇を手にした徳子――母上の姿があった。
泥に汚れた赤い小袖。それでも背筋は伸び、視線はまっすぐ前へ向いている。
横には宗盛おじさんとその息子の清宗が縄でつながれ、沈黙のまま座っていた。
「……捕虜だな」ハヤテが低くつぶやく。
「平家の棟梁と女人だ。これから京か鎌倉へ送られるんだろう」
雁丸の声は冷静だ。
俺は顔に泥を塗り、麻の粗末な衣をつけ、髪形を変えている。日に焼けたし、体が引き締まった。
誰も安徳天皇だと気づかないだろう。
雁丸も衣が違う。日焼けもして別人に見える。
刀は小屋の床下に置いてきている。
だけど、……見ていられない。
母上はあんなにやつれている。
妹たちもやせ細っている。
美しかった髪は、束ねているがばさばさだ。
女官の何人かは髪を切っている。
衣も汚く、顔や体の汚れがひどい。
高貴な家に生まれて、このような暮らしをするのは初めてに違いない。
これまでの優雅さを知っているだけに、……見ていられないよ。
ああ……ほんの短い間だったが。
母上はいつも俺の頭を撫で、冷えた手を温めてくれた。
妹姫たちは笑っていた。
そして、花の形の干菓子を分けてくれた。
女官たちは、戦の最中でも俺の着物を縫い直し、夜は昔話を聞かせてくれた。
その温かさが思い出される。
――俺は、愛されていた。
側に行って声をかけたい。
できれば抱きしめたい。
そして、ここから連れ出して、浦長の館に住まわせたい。
やっぱり俺は平家の一員だ。
――こんなにも愛している。
俺は無意識に一歩踏み出した。
雁丸の手が肩を掴む。
「行くな。今のお前が近づけば命を狙われる」
わかってる……でも
列の後方で、数人の女官が盆に椀をいくつも載せている。
一人の顔は――伊勢だ。侍女の伊勢。
侍女のくせに俺に説教した。
高校の時に来た教育実習の先生みたいだ。
可愛くて生意気で、大好きだ。
でも、かつての気丈な笑顔はなく、目の下には深い影が落ちていた。
「女たちはこの地で春を売ることになる」
ーーえ?
雁丸の言葉が冷たく突き刺さる。
敗戦の意味が、こうして形を持って押し寄せてくる。
母上徳子がふとこちらを向いた。
目が合った気がした。
その瞳がかすかに揺れ、扇で口元を隠してほんのわずかに頷く。
……生きろ、と言っているのかもしれない。
――俺は胸が……苦しくなった。辛すぎる。
突然、小屋から女の手を引く源氏の侍が現れた。
「この女を鎌倉へ連れて帰る。嫁にする」
男たちがはやす。
女は葵――母の女官だった。
かつて俺に笹団子を作ってくれた優しい手が、震えていた。
刹那、叫び声が空気を裂いた。
男が地面を蹴り、影のように駆け出す。
閃く刃――。
「……っ!」
次の瞬間、葵と無精髭の侍が同時に崩れ落ちた。
袈裟懸けに走った裂け目から、真紅の飛沫が舞う。
斬ったのは平家方の侍だ。
見覚えのあるあの顔。
衣も髪形も、町の人のように変装しているが間違いない。
平家の侍は葵の手を握った。
「極楽浄土で、また会いましょう」
――葵は隠し持っていた短刀で、自分の喉を突いた。
凄まじい男女の死にざまを、多くの者が見守った。
あっという間の出来事で、皆驚いて声も出なかった。
源氏の侍がすぐにむしろをかけ、ふたりの遺体を運ばせた。
「なんといたわしい」
「女は平家の男と恋仲だった。
女を鎌倉に連れて行くという髭侍がいた。
潜伏していた平家の男が、髭侍を殺した。
女はただではすまないと覚悟して、自害したってことかい?」
「多分、そうだろう」
ざわざわと噂話が広がっていく。
捕らえられた侍は怒鳴られながら、波打ち際まで連れていかれた。
「女たち、来い。いいものをみせてやる」
小屋は開けられ、追い立てられるようにして、女たちは浜に行った。
平家の侍は正座をした。
そして、促されるままお辞儀をして、首を差し出した。
俺は足がすくんだ。斬首だ。斬首を見るのは初めてだ。
「下を向け、安介」
雁丸は俺の頭を胸に押し付け、視界を遮った。
ギャア――――!
キャーーキャーー!!
女たちの泣き叫ぶ声が、耳を塞いでもワンワンと鳴り響く。
女たちはしゃがみ込み泣き叫び、頭の落ちた侍の体をさすった。
泣き叫ぶ女たちは、小屋に戻るように促された。
鞭が地面に叩きつけられる。
鞭を避けるように女たちが戻ってきた。
その中の何人かが俺を見た!
そして、すぐに目をそらした。
――俺を守ってくれている。
姫たちも女官たちも、気づかないふりをしてくれた。
小屋の戸が開き、母上が現れる。
髪は乱れ、手足には縄。
俺を見た。
「憎き源氏方の子に石を投げよ!」
千姫が小石を拾う。
福姫が投げる。
妹たちは泣いていた。
「なんだ、女たち、とち狂ったか?」
源氏の侍が来た。
小石は当たってもちっとも痛くなかった。
むしろ、嬉しかった。
挨拶代わりだった。
雁丸が低く唸る。「……行くぞ」
ハヤテが荷を持ち直し、俺の手を引く。
振り返れば、もう母も姫たちもいなかった。
――さようなら、お母様。姫様方、伊勢、葵……。
短い間だったけど、温かく、優しくしてくれてありがとう。
俺は忘れない。
一歩踏み出すと、涙が頬を伝った。
「泣くな、安介」
雁丸の声は、不思議と温かかった。
潮風が、その涙をすぐに乾かしていった。
まだまだ修行中のさとちゃんペッ!です。★やリアクション、コメントをいただけると、嬉しいです。感想もぜひ!よろしくよろしくお願いします!!




