207話 三姫、藍染めをする~ジャパンブルーの世界
ブラック企業で過労死寸前だった俺(赤星勇馬)。
通勤途中で猫を助けようとして命を落とした――その結果、神様から授かったのは「スマホが使える」というチート能力。
転生先は、なんと壇ノ浦で入水する直前の安徳天皇!?
優雅な平安貴族の暮らしを味わいつつ、同時に目にするのは、当時の庶民が背負う悲惨な現実。
「二度目の死だけは、絶対に避けたい!」
ブラック企業よりはマシなこの世界で、俺は未来知識と努力を武器に全力で生き抜いてやる――!
青景の谷に、柔らかい風が吹いた。
ノリが藍の葉で作ったという《《すくも》》の桶を抱えて走ってくる。
「見て! いい感じにできたよ!」
ノリが笑顔で桶を指さす。
「おしずさんと作ったの!」
おしずさんが腕を組みながら後ろから歩いてきた。
「前の領主の奥方がいらしたとき、一緒にすくもを作っていたんだ。そして、地頭屋形で一緒に藍染めをしていたのさ。安介さんよ、地頭屋形で続けていいかい?!……まあ、ダメって言っわれてもやるけどさ、はっはっは」
その迫力に、思わず背筋が伸びる。
「も、もちろんですとも! どうぞどうぞ……」
俺とハヤテ、サワさんミサさん、そしてノリとおしずさんで屋形の裏へ向かった。
そこには半分地面に埋められた大きな桶が並び、古びた麻布が干してある。
初夏の風に、少し青い草の匂いが混じっていた。
「藍染めをしよう!」
ノリが目を輝かせる。
「ついにこの日が来ましたか!」
サワさんが袖をまくり、たすきをかけた。
「藍染って、衣を青くするやつだろ? あの渋い色!」
「そうよ」
サワさんが優しく笑う。
「藍の葉を乾かして発酵させた《《すくも》》を、灰汁で溶かして、色を目覚めさせるの」
黒猫クロエを呼んだ。
「すくも――それは収穫した藍の葉を乾かし、水に浸けて発酵させた染料の塊だニャ。粘土みたいな見た目だ。江戸時代にはさらに水分を抜いて、玉にしたり直方体にしたりして売っていた。藍玉って言うんだ」
ミサが早口で言う。
「すくもを作るには毎日かき混ぜて、ゆっくり発酵させるのよ」
「発酵って……酒みたいなもんか?」
「そう、似てる。草の命を腐らせずに、生かすの。今年もおしずさんがやってくれていたのですね。ありがたいわ」
おしずさんが、にかっと笑った。
桶にすくもを入れて灰汁を少しずつ注ぐと、息づくように泡を立てた。
独特のにおいが鼻をつく。俺は思わず顔をしかめた。
「うわっ、くさい……!」
すぐ隣のハヤテも鼻を押さえる。
その瞬間――
「失礼です!」
一の姫がきっぱりと言い放った。
「これは尊い染めの香りです!」
「ひ、姫さま……すんません!」
ハヤテは即刻撃沈。俺は笑いをこらえるのに必死だった。
でも、……怒った顔も麗しい一の姫。きゅんとする。
こうして、地頭屋形の裏庭では藍染の作業が始まった。
桶の中で育つ青――それは、青景の里の新しい色になるのだ。
一の姫は桶をのぞき込み、興味深そうに言った。
「サワさん、この中に布を沈めるのですね? ……わたし、やってみてもよろしいですか?」
サワがうなずくと、姫は白い布をそっと液に沈めた。
「ほら、揺らして……」
サワが声をかけると、姫は真剣な表情で布を動かした。
やがて布を持ち上げると、黄緑色に染まっていた。
「え? 青じゃないんですか?」
二の姫が首をかしげる。
「空気に当てるのですよ」
サワさんが笑って言うと、布はみるみるうちに緑から青へと変わっていった。
「わぁ……! 変わった!」
三姫は一斉に歓声を上げ、布を太陽にかざして見つめた。
「すごい……まるで魔術ですわ」
一の姫の瞳がきらきらしている。
姫は自分の袖をつまみ、真剣な顔でつぶやいた。
「衣を織って濃い藍色に染めたい……皆様に着ていただく衣を格式の高い色に染めたいんです」
――俺は深く頷いた。
二の姫は布をひらひらさせながら笑った。
「ねえ安介、この布で髪を結ぶひもを作ったら似合うかな?」
「えっ!? あ、ああ……似合うと思う!」
思わず声が裏返り、ハヤテに肘で突かれる。
「おまえ……」
「うるさい!」
藍の青に染まった布が風に揺れ、三姫の笑顔を映していた。
おしずさんが持ってきた古着を染めている。
足の不自由な近所の人に頼まれたものもあるらしい。
古着も染めれば新品の顔になる。
地頭屋形の藍桶は、青景の人々の染め物工房になった。
皆が喜ぶのだったら大歓迎だ。
◆◆黒猫クロエのニャンノート◆◆
藍の青は、昔から「生命の色」ニャ。
空の青、海の青、そして人が染めた布の青。
平安の終わりから鎌倉のころには、庶民の衣も武士の袴も、
この「藍染め」が主流になっていったんだニャ。
藍って草の名前ニャ。
タデ藍っていう種類。
その葉っぱを摘んで、乾かして、水と混ぜて発酵させると――
すくもができるんだニャ。
灰汁っていうのは、炭焼きの時にたくさん採れる灰に水を加えてできる液体。
アルカリ性で、藍の葉に眠っている色の素を目覚めさせる役割をしてくれるニャ。
《《すくも》》に灰汁を入れて、また混ぜてお世話をする。
「生きてる染料」って言葉があるけど、
藍の壺はまさにそうニャ。
毎日かき混ぜて、空気と話をして、温度を見て……。
まるでペットか赤ちゃんみたいにお世話が必要なんだニャ。
だから昔の染物師さんは、
藍の壺を「藍がめさま」って呼んで、
まるで神様のように大切にしていたんだニャ。
さて、藍の色は――空気と仲良しニャ。
布を壺に沈めたときは緑っぽいのに、
空気に触れた瞬間、ふわっと青に変わる。
これは葉の中の色素が酸素と結びついて、
インディゴ(藍の青)に変身するからニャ。
その青は何度も染めるたびに深くなる。
浅い青は春の空、濃い青は夜の海。
人はその色に心を重ねて、
「青は清らか」「誠の色」と呼ぶようになったんだニャ。
青景の藍染めも同じニャ。
灰から生まれ、葉から色をもらい、
人の手で息づく、命の布ニャ。
だから安介たちが作った藍の衣は、
炭焼きで燃えた山の木や、染めた葉の命も、
ぜんぶ一緒に織り込まれてる――。
人も自然も、何度でも生まれ変わるニャ。
青はその証)――再生の色ニャ
藍の色はジャパンブルーとも言われているニャ。
世界に誇る日本の藍染だニャ。
まだまだ修行中の さとちゃんペッ! です。
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