204話 義経、奥州平泉の金色堂に到着する
ブラック企業で過労死寸前だった俺(赤星勇馬)。
通勤途中で猫を助けようとして命を落とした――その結果、神様から授かったのは「スマホが使える」というチート能力。
転生先は、なんと壇ノ浦で入水する直前の安徳天皇!?
優雅な平安貴族の暮らしを味わいつつ、同時に目にするのは、当時の庶民が背負う悲惨な現実。
「二度目の死だけは、絶対に避けたい!」
ブラック企業よりはマシなこの世界で、俺は未来知識と努力を武器に全力で生き抜いてやる――!
1187年(文治3)2月(4月)ごろ、私・義経は奥州に到着した。
奥州平泉――春の風が雪を溶かし、黄金の屋根が陽を返す。
五年前と、何も変わらない。変わったのは自分だけだ……と私は思った。
大きな門前で番人が告げる。
「義経様が到着されました」
私は手綱を握りしめ、かつて見上げた門を見つめた。
「ここだ……」
黒漆塗りの扉、金具の輝き。あの頃は、ただの放浪の若造だった。
今は――兄に追われる将軍の名を背負っている。
「若様……」
弁慶が馬を止め、静かに頭を垂れた。
「お屋敷を覚えておられるのですな」
私は微笑む。
「覚えている。あの桜の並木、あの灯籠。……懐かしいよ」
桜子が馬車から降りる。とけかけた雪の下に黄色い花が咲いている。
――縁起の良い福寿草だ。
「おとうさま、ここ……お花がいっぱい!」
「そうだね。きれいだね」
屋形の近くには、桃色の花のついた木も見える。
風が吹き、桃色の花びらが舞った。
桜子の髪がわずかに揺れる。
「……戻ってきた」
黄金の館の広間に入った瞬間、
私の胸を打ったのは――その人の存在だった。
広い肩、厚い胸板。
座しているだけで、まるで岩山がそこにあるようだった。
顔は長く、顎は鋭く張り出し、鼻筋は高く通っている。
その眼差しは、穏やかだった。
「よう帰ったな、義経」
そのお方の声は、仏具の金属を打ったように低く重く響く。
私は息をのんだ。
「殿様……秀衡さま、あなた様を頼って、妻子を伴って逃げてきました」
老将は笑った。
背筋は曲がらず、まるで天を支える柱のように直立している。
病を得ても、彼は決して倒れぬ。
右手には、二列の数珠が食い込んでいる。
「殿様……お元気そうで嬉しい」
私は、駆け寄った。
駆け寄った私を大きな手が抱き寄せる。
「老いたよ……」
その声に、私はあの頃を思い出す。
春の平泉、金色堂の前で見上げた大きな背中。
あの時の男が、今もなおこの地を支えている。
彼こそ、黄金と信仰の都を築いた覇者――
藤原秀衡。
「五年ぶりか?」
父のような温もりがある。
「殿様……そのくらいになりましょう。兄頼朝の挙兵に駆け付けると言った私を、引き留めてくださった。それなのに、……私はその忠告を聞き入れもせず出て行ってしまいました。その結果、こんなことに……そんな私を再び受け入れてくださるとは……」
秀衡は笑い、私の肩に手を置いた。
「はっはっは。もうよい。……あの時の若造が、今や天下を震わせた武将となった。都を揺るがし、平家を滅ぼし、兄に背かれながらも、こうして生きておる。――見事じゃ」
「……殿様。わたしはもはや、天下に居場所を失いました」
「ならば、この奥州を汝の故郷とすればよい」
秀衡の声は揺るがなかった。
「わしは都の栄華など信じぬ。力ある者が理を持って治めれば、こここそが真の都だ。 義経、ここに留まれ。この館も、あの庭も、すべて覚えておろう? 汝が見た春の景色は、今も変わらぬ」
私は顔を上げた。
目の前にあるのは、あの頃に見上げた金色の欄間、静かな庭の水面。
桜の花びらが水面に落ち、ひとつ、ふたつと波紋を描く。
「……ええ。忘れておりません」
声が震える。
「ここに来たとき、私はまだ何者でもなかった。秀衡公、あなたはあのとき言いました――真の武士とは、命ではなく義を重んずる者だと。あの言葉が、ずっと胸にありました」
秀衡は静かに頷いた。
「義経、おぬしは義を背負う男よ。だからこそ義の経と書く名を持っておる。 その名の通り生きればよい。鎌倉の兄ではなく、天の理に従え。これでええんじゃ」
弁慶が目を伏せた。
郷は涙をぬぐい、桜子が私の袖を握る。
「若様……」
弁慶が言葉を選びながら口を開く。
「ここならば、誰も追ってはきませぬな」
秀衡がうなずく。
「都の耳目もここまでは届かぬ。汝らの剣と知恵があれば、平泉の守りは万全じゃ」
私は立ち上がり、深く頭を下げた。
「……恩義、忘れませぬ。 いずれこの命を賭して、奥州の恩に報いましょう」
秀衡は笑みを浮かべ、静かに言った。
「その言葉、聞けて嬉しい。 義経、再び春を迎えよ。 ――ここが、おぬしの第二の故郷じゃ。奥州は、京のためにある国ではない。この地の民が、雪を掘り、土を耕し、春を待つ。その暮らしのある国だ。 わしはそれを守るために、金を掘り、仏を祀った。黄金は飾りではない――民を照らす灯じゃ」
その言葉が終わるころ、炉の火が静かに爆ぜた。
金色の火花が舞う。
外では、風が中尊寺の森を渡ってゆく。
春の雪が少しだけ降り始めた。
――黄金の王の言葉は、
私の胸の奥に、燃え続ける。
まだまだ修行中の さとちゃんペッ! です。
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