【第1話】旅立ちと、目覚め
春の朝、まだ霧が立ちこめる中庭に、アーデル家の家族が静かに並んでいた。
白壁の屋敷の正門前、旅支度を整えた少年――リュカ・アーデルが、家族と向かい合って立っている。
「……じゃあ、行ってくるね」
声は少しだけ震えていた。
アーデル家は、かつて大陸を救ったという伝説級召喚士の血を引く名家。
今では地方領主として穏やかに暮らしているが、その血筋はいまだ色濃く受け継がれている。
父はA級召喚士。
母も高位の治癒魔術師。
兄と姉は、揃って上級召喚士として王国に認められている。
そんな家族のなかで、リュカだけが、ようやくCランク──
かろうじて一人前と認められる程度の召喚士だった。
自分では「凡庸だ」と思っている。
家族も、「リュカは優しいし努力家だが、才能は……」と、内心では心配していた。
「ちゃんと食べて、ちゃんと寝るのよ。疲れたら無理せず、帰ってきなさいね」
母・ロザリアが、涙をこらえながら笑って言った。
リュカはうなずき、目元をぬぐった。
「うん、大丈夫。僕、やってみるから」
「まったく……他の家なら、まだ屋敷の中で修行してるレベルなんだからね?」
姉のステラは腕を組みながら言った。
だがその視線は、弟を心配する姉そのもので、決して突き放してはいなかった。
「本当に、なんで一人旅なんかを……」
「姉さん、ありがとう。でも、旅がしたいんだ。自分の目で、いろんな場所を見て、感じて、少しずつでも成長していきたい」
その言葉に、ステラは小さく溜息を吐きながら、目を伏せた。
「……ったく。ほんと、そういうところだけは昔の召喚士そっくりなんだから」
兄・ユリウスは、黙ってリュックのベルトを締め直しながら言った。
「何かあったら、すぐ報告しろ。おまえはまだ、Cランクだってこと、忘れるなよ」
「うん。ありがとう、兄さん」
リュカはそう答え、最後に父の前に立った。
レオナルド・アーデルは、何も言わずに息子を見つめていた。
口元に、わずかな微笑み。だがその奥にある瞳は、じっと何かを見据えているようだった。
「……父さん?」
「リュカ」
レオナルドは、ゆっくりと口を開いた。
「おまえはまだ、自分のことをよく知らない。だが、それでいい。旅を通して、見つけていくんだ」
「……うん」
「人は皆、自分という存在の輪郭を、外の世界に触れて初めて知るものだ。魔力も、信念も、心もな」
言葉の端々に、どこか含みを感じさせる口調だった。
リュカは、父が何を言いたいのか分からなかったが、それでもその声の響きが胸に残った。
門が開く。
朝日が差し込み、リュカの影が長く伸びる。
「行ってきます!」
リュカは振り返り、全員に笑顔を向けて言った。
そして、誰にも気づかれないように、ほんの少し、父の表情をもう一度だけ見た。
レオナルドの目は、静かに細められ、確かな何かを見つめているようだった。
◇ ◇ ◇
数日かけて南へ歩き、リュカは小さな村にたどり着いた。
「……ここが、リーヴェ村」
周囲を森と小川に囲まれ、野花が咲き、木造の家々が軒を連ねるのどかな村。
石畳の道沿いに、農作業帰りの老人や子どもたちが行き交い、どこか懐かしさすら覚える場所だった。
そんな村の奥には、旅人たちのあいだで噂される「祝福の泉」がある。
泉は勝手に入れる場所ではなく、村人に認められなければ案内されない。
そのため、リュカは村の集会所を訪ね、泉について尋ねた。
案内されたのは、年嵩の村長だった。
「祝福の泉を求める者は多いが……」
木の節目に刻まれたような顔の老人が、じっとリュカを見つめる。
「――おぬし、何のために旅をしておる?」
その問いに、リュカは迷わず答えた。
「召喚士として、自分がどこまで通用するか試してみたいんです。強いわけじゃありません。でも、できるだけ多くのことを見て、知って、成長したい」
言葉に偽りはなかった。
そして、それは泉の“門番”たちに届いたらしい。
「ふむ……いい目をしておる。案内しよう」
そう言ってくれた村長の背を追い、リュカは森の奥へと歩いた。
やがて木立の隙間から、薄く霧がかかった湖面のような場所が見えてくる。
「……ここが……」
地面が淡く光り、中央には淡青の石柱が静かに佇んでいた。
水面は鏡のように澄み、触れれば砕けそうなほど繊細な揺らぎを見せていた。
リュカは泉の前に跪き、手で水をすくった。
口元へ運び、そっと飲みこむ――
瞬間、体の奥から、何かが弾けるような衝撃が走った。
「……っ、これ……!?」
胸の奥で、脈打つような熱が湧き上がる。
魔力が――高まっている。確かに、感じる。
(魔力の流れが、いつもと違う……いや、元々の僕の中に、こんなに力が?)
戸惑いと驚きのなか、村長が言った。
「おぬし、召喚士なのだろう? 泉の加護が残っておるうちに、何かひとつ、魔法を試してみよ」
村長の静かな声が、澄んだ空気に溶けていく。
リュカはうなずき、そっと泉の前に立った。
手足がしびれるような感覚。
内から湧き上がる魔力が、今にもあふれそうに高鳴っていた。
(この力……今なら、できるかもしれない)
呼吸を整える。
両手を前に掲げ、魔力の流れを制御しながら詠唱を始めた。
「我が声に応え、聖なる存在よ……この地に顕現せよ──召喚・発動」
足元に、淡い光の魔方陣が展開される。
泉の水面が微かに波打ち、風が吹き上がるようにして、空気が震え始めた。
魔力が一点に集中し、光が弾ける。
次の瞬間――
「……っ!」
泉の中央に、白い影が立っていた。
それは――一頭の神々しいユニコーンだった。
絹のような白銀の毛並み。
瞳は深い蒼をたたえ、螺旋を描く一本角がその額からまっすぐ伸びている。
細く、優雅な四肢。
静かな気品と、どこか幼さを秘めた存在感が、そこにあった。
(これが……僕が召喚した聖獣……!?)
リュカは息を飲んだ。
ただの魔物ではない。
それは、はっきりと“意志”を持った存在だった。
聖獣ユニコーン――この地方の伝承において、「癒やしの守護者」とされる存在。
だが実際に召喚した者など、ほとんどいないと言われている。
そのユニコーンが、リュカをじっと見つめていた。
蒼い瞳は、まるで何かを懐かしむように揺れている。
「君が……僕を……?」
その声は、言葉にはなっていなかった。
だが確かに、リュカの胸に直接響いてきた。
(……言葉が、伝わる?)
ユニコーンが、ゆっくりと歩み寄ってくる。
爪音も立てず、泉の光に包まれながら、リュカのすぐそばまで近づいた。
その額の角が、彼の胸元にそっと触れる――
その瞬間。
全身を駆け抜ける、雷のような衝撃。
「ぐっ……!」
地面に膝をつき、リュカは胸を押さえた。
体内で何かが砕けるような音。
否――“外された”のだ。
彼の魔力に、長年かかっていた何かの“封印”が。
意識の奥底から、奔流のような魔力があふれ出してくる。
眩暈のなかで、彼は確かに感じた。
(こんな力……僕の中に、あったのか……!?)
視界の端で、ユニコーンが安堵したように鼻を鳴らし、ゆっくりとその場に座り込んだ。
まるで、自分の役目を終えたかのように。
泉のほとりに、静けさが戻った。
けれどリュカの心は、嵐のように揺れていた。
(封印……? いや、そんなはず……。僕の魔力が……こんなにも?)
さっきまでとは明らかに違う。
体の内側を満たす魔力の流れは、濁りなく、豊かで、しかも底知れなかった。
「まるで、何かが外れたみたいだ……」
そう呟いたときだった。
目の前に座っていたユニコーンの体が、ふわりと光に包まれた。
「……!?」
白く、眩い輝きがその姿を包み、輪郭がほどけていく。
そして次に現れたのは――
ひとりの少女だった。
白銀の髪がさらりと風に揺れ、深い青の瞳がまっすぐにリュカを見つめている。
淡い光のヴェールのような服をまとい、額には、先ほどまでの角の名残が微かに浮かんでいた。
(ひ、人の姿……!?)
少女は、静かに微笑んだ。
「……やっと、あなたに会えた」
澄んだ声が、耳に届く。
「わたしの名前は、エルミナ。癒やしと浄化の聖獣……。この地に眠っていたけど、あなたの呼び声で、目を覚ましたの」
その言葉の意味を、すぐには理解できなかった。
けれど、不思議と怖くはなかった。
むしろ――
(懐かしいような……安心するような……)
そんな不思議な感覚が、胸に湧いていた。
エルミナはふわりとスカートを揺らしながら歩み寄り、リュカの手をそっと取った。
「あなたの中に……とてもあたたかいものを感じる。たぶん、それが目覚めたから……わたし、ちゃんと来られたんだと思う」
「君は……僕の召喚に、応えてくれたんだよね?」
「うん。これからは……あなたのそばにいたいな」
リュカが何かを返す前に、彼女はにこりと笑った。
その笑顔には、どこか強い“絆”の始まりのようなものが宿っていた。
──その後、騒ぎを聞きつけた村人たちが集まり、泉の前の様子を見て目を見張った。
「ユニコーンの聖獣だと……? しかも人の姿に……!」
「伝承にある“守護の獣”か……本当に実在したのか……!」
驚きとざわめきの中で、リュカは静かに立ち上がった。
胸の内には、まだ信じられない気持ちと、確かな温もり。
聖獣エルミナが、彼の隣に立っている。
それは、少年の旅のはじまりにして――
彼の運命が、大きく動き始めた証だった。
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