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初雪

作者: 吉江和樹


 車中に弱く差し込んだ路肩の街灯の灯に、幸子が胸に着けたブローチのダイヤが薄くオレンジに輝いていた。


 二人の乗った車は、真っ直ぐな国道を少しゆっくりめに走っている。


 他に国道を走る車は見当たらなかった。


 松崎の横に座った彼女は、何も言わずにただぼんやりと車窓に薄く映る自分の顔を観つめている。

 


  ――― 11月、札幌はまだ雪は降らない。

 


 しかし、車窓の外の少し寂れた街並みは寒さに振るえているようだった。


 


 松崎はかるくハンドルを握りながら、ちらりと彼女を見つめた。


「寒いですか」


 彼は心配になり、声を掛けてみたが、彼女は返事をしなかった。


「そろそろ食事にしましょうか」


 もう一度、彼がちょっと大きめに声を掛けた。


「それより早く帰りたいわ」


 彼女は、窓の外を向いたまま力なく言った。

 


 ――― またはじまった・・・。松崎は心の中で思っていた。



「教授は今日は帰らないんですよね」


 彼が念を押すように、少しきつめに尋ねた。


「ええ、東京へ学会に出かけています」


 ぼんやりと彼女は答えた。


「じゃあ、少しくらい遅れても」


 そう言った彼は、ハンドルを握りながらもう一度、彼女をちらりと見た。


 彼女の白く細い首にかけている金色のネックレスが、小さく輝いていた。 

 


  ――― 時刻はまだ7時に少し前だった。



 二人を乗せた車は真っ直ぐな道を、静かに走り続けている。



 5分程行くと、国道沿いに1基、ファミリーレストランのかなり古そうだが大きな看板が見えてきた。


 すると、そのレストランの広い駐車場に車を止めようと、松崎は左に大きくハンドルを切り、駐車場に入って車を止めた。



 しかし、彼がドアを開け、車から降りても、幸子は車を降りようとはしない。


 仕方なく彼女の座った助手席側のドアを彼が開けてやると、やや間を開けて、ようやく彼女はその細くて長い足を地につけた。

 

 車を降りると、11月の冷たい夜風に、彼女は思わずコートの襟を立てた。



 二人が店の中に入ると、客はほとんどいなかった。



 店の奥の窓際の席に二人は座り、松崎がスパゲティとコーヒーを注文した。


 すると、突然小さな声で、幸子が囁くように言った。


「やっぱり帰らなきゃ・・・」


 その時の彼女の顔は、微かに青ざめていた。


 松崎は驚くようにそんな彼女を見つめた。


「どうしたんです」


「主人から、榎本からメールが入ってる」


「返信しておけばいいじゃないですか、榎本教授は東京なんでしょ」


「でも・・・」


「落ち着いてください」


「今さら引き返せませんよ」


 半分呆れた口調で松崎は言った。


「ごめんなさい・・・」


 彼女が美しく囁いた。


「最近なんだかどこにいても、主人に見られているような気がしてしまって」


「今日、出かけたいと言ったのは、あなたなんですからね」


 彼は幸子を叱りつける様に言った。

 




 その日、榎本は医学部の学生、吉川翔子と定山渓の温泉にいた。


「どうして今、奥さんにメールを入れるの?」


 翔子は不思議そうな顔で榎本を見た。


「自分でも分からんな」


 苦笑いをしながら榎本は彼女を見返した。


「私は嫌だな、私と会ってる時に、貴方が奥さんのこと考えてるの」


 榎本も不思議だった。何故自分がこんな時に幸子にメールを入れるのか。


 思い出せと言っても彼女の顔すら思い出せそうにないのだ。


「さあ、行きましょう」


 翔子が榎本の手を引いた。


 彼は、広く熱い湯の中で、冷たい風を感じながら考えていた。




 『自分は何かに迷っていた。何が自分を幸子という女性に引き付けるのか。あの時自分は仕方なくお見合いを承諾し、結婚したのだ。自分は今、自信をもって言えた。


 ――― 幸子を愛してはいない。


 だが、いつも自分は彼女のもとに帰る。


 自分には分からなくなっていた。

 結婚というものがどういうものなのか。

 今さらもし誰かを愛してしまったら・・・。


  ――― 離婚・・・。


 それは出来なかった。


 何故なら向こうは名誉教授の娘なのだ。

 彼女との離婚が何を意味するかは明らかだ』




「背中流しましょうか」


 そこへ平然と翔子が入ってきた。


「おいおい、ここは男風呂だぞ」


「他に誰もいないからいいじゃない」


「最近の若い子は大胆だな」


 そう言いながらも、榎本の目は、風呂に入ろうとする彼女の桃色の裸体をしっかりと追っていた。


「アーいい気持ち」

 

 はしゃぐように翔子は湯につかり、榎本の横に並んだ。


 知らない人が見たら、それは親子に見えたかもしれない。


「最近授業は出ているんだろうな」


 榎本は半分、湯からふくらみが透けている、彼女の胸を横目で見つめた。


「大丈夫、先生をあてにしてるから」


 彼女は桃色の肩を榎本に摺り寄せながら言った。


「勝手にあてにされても困るぞ」


「それに私、卒業してもお医者さんになる気はないから」


「どうするつもりだ」


「先生のお嫁さんになる」翔子は無邪気に笑った。


「・・・・・」


 榎本はその言葉を否定も肯定もできなかった。


「いいでしょ」


「それはとりあえず医者になってからの話だ」


 榎本は突っぱねるよう言って、いきよいよく湯舟から上がった。

 



 湯殿から出て渡り廊下を歩いていると、紅葉が見えた。


 真っ紅に色づいた紅葉の色は、その時の彼にはまるで血の色に見えた。


 それを見て彼は思った『欲しい物を手に入れるには身を切らねばならぬのだ』


 

 


 食事を終えた松崎と幸子は店を出た。


 すると雪がちらつき、枯れ木の間でまるで雪虫のように揺れながら輝いていた。


「雪、雪が降ってる」


 幸子は顔を輝かせて子供の様にさけんで、店の前で立ち止まった。


 松崎はそんな幸子を気にもせずに、駐車場に止めた自分の車へ向かい、車のドアのキーをはずし、ドアを開け、振り向いた。


 幸子が白いワンピ―スの裾をちらつかせて、白い雪の中で踊っている様だった。


 彼はその時、そんな彼女に、亡くなった妻の面影を見ていた。


「早くしてください」


 しかし彼は平静を装い、彼女に声を掛けた。


 すると、走って近づいてきた彼女は、車に乗り込み、突然松崎に言った。


「やっぱり、今日は帰るわ」


「どうしたんですか。会いたいって言ったのはあなたですよ」


「会いたいって言っただけよ」


 しかし、彼は車をゆっくりと走らせ、駐車場を出ると、幸子の家路と逆向きに

ハンドルを切った。


「えっ、どうしたの」


 助手席の彼女は驚いて松崎を見上げた。


「少し飲みましょう」


 松崎が平然と言った。


「飲むって、飲んだら帰れないじゃないの」


 驚いたように彼女が言った。


「帰らなきゃいいんです」


 彼は言った。


「・・・・・・」


 彼女は、それ以上、何も言わなかった。



 街中のホテルに着き、部屋を取ると、二人はホテルのバーへ足を向けた。



  ――― 時刻はようやく8時を過ぎていた。



 だが、店内は閑散としている。


 人が集まるには、まだ早い時間だった。



 周りは観光客だろう、外国人のカップルが数人いるだけだ。

 

 そんな中で二人は、何も言わずにワイングラスを傾けていた。


 しばらくすると、松崎は思い切って幸子に打ち明けた。



「榎本教授、文学部の美人助教授と最近、噂が立ってるんですよ。それに今日、東京で医学部の学会など開催されていませんよ」


「知ってます。毎回、学会、学会と言って、学生と遊びに行って・・・」


「その、腹いせに僕を利用してるんですか」


「腹いせなんて・・・」


 彼女はそれ以上何も言えなかった。

 

 松崎は、彼女のその気持ちには気が付いてはいた。



 

 彼女の主人の榎本は、T大学卒業の若いS大医学部教授だったのだが、女癖の悪い事でも評判の男だった。

 

 その彼の女癖の悪さのせいもあって、その頃、彼の上司にあたった幸子の父の名誉教授が、早く彼の身を固めさせようと、自分の娘の幸子と見合いをさせて、やや強引に二人を結婚させてしまったのだ。


 松崎はその事を知っていた。


 S大医学部助教授である松崎は、医学部パーテーで幸子と知り合い、何となく付き合い始め、その事を彼女から聞いたのだ。



「外に出て歩きましょうよ」


 少し飲みつかれた幸子が言った。


「創成川ぞいにでも行きましょうか」


 松崎が答えた。



 フロントに鍵を預け、二人はホテルを出た。



   ――― 雪はやんでいた。


 

 ホテルを出ると、松崎と幸子は冷たい風の横切る大通りを、東に向かって歩いていった。


 この季節の大通りは、噴水もすでに止められ、噴水の中で、茶色い枯葉が踊っている。


 それでもその寒いベンチに、幾人かの少し淫らなカップルが腰を掛け、愛を確かめ合っている。


 

 創成川に着と、枯れたライラクの木に手を伸ばし、幸子は微笑んで松崎を見た。


 突然、美しい雪が、幸子の周りに白く輝きながら舞い踊った。


「雪、雪よ」


 彼女が嬉しそうに、子供の様にさけんで松坂を見た。

 

 松崎は何も言わずに、タバコに火をつけながら彼女を見つめた。


 

 この季節、ライラックはすべて葉を落としていた。


 時々、厚い雲の切れ間から三日月が流れた。


 ライラックの枯れ木の間にテレビ塔が見えていた。


 テレビ塔の時刻が9時になったら、ホテルに戻ろうと松崎は思っていた。


 そして9時過ぎ、二人はホテルに戻った。




 その日、松崎はベッドの上で、初めて、ぎこちなく彼女を愛した。


 しかし幸子はどうしても彼を本気では愛せなかった・・・。




 榎本が帰ってきた。


「あなた、ご苦労様でした」


 何時もの様に幸子が榎本に行った。


「ああ。君はどうしてたの?メールに返信がなかったようだけど」


「えっ。気がつかなかったわ」


 幸子は彼の顔を見ずに、あらかじめ用意した嘘を言った・・・。



終わり




*********************************


このような稚拙な小説、最後まで読んでいただき、感謝感激であります。

ありがとうございます。


もしよろしければ、他の小説ものぞいていただければと思います。


                   


                            吉江 和樹   



                         

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