伸びる
おれたちは常に『伸びる』ことを求められている。経済は伸びなければならないし、子供は学力を伸ばすべきだし、男子は身長を、老人は寿命を、アスリートは記録を伸ばすべきだと、いつも何かしらを『伸ばせ』と耳元で囁かれている。
その影響だろうか。おれの同僚、山本の鼻が伸びたのも。
「なあ、知っているか? 月の裏にはウサギたちが作った農園があるんだ。そのウサギたちは伸縮を繰り返し、そのたびに色を変えるんだよ」
いや、正確には山本の鼻は伸び続けている。彼が嘘をつくたびにその鼻は伸び、もう少しで自分の席から窓に届きそうだ。
「さあ、今日も頑張ろうか! 頑張ろう、頑張ろう、頑張ろう! 君たちの努力が会社の業績を伸ばしているんだよ! さあ、頑張れ! 私の鼓舞で元気が出ただろう! 頑張れ、頑張れ、頑張れ!」
上司はそう鼻高々に叫んでいるが、いくら働いてもおれの給料が伸びる気配はない。残業時間だけが確実に伸び、睡眠時間は縮んでいく。もう何日家に帰っていないのか忘れた。
「のあ、ひってるかぁ? かへいの、ふぅ、火星の砂は実はカレー粉なんだよ。NASAが発表しないのは、スパイス戦争が引き起こされることを恐れているからなんだ」
山本の鼻が窓にぶつかって喋りづらそうだったので、窓を開けてやった。すると、山本の鼻はぐんぐん外に伸びていった。
その後、山本の鼻は街を横切り、海を越え、とうとう隣国の首都に達した。それが侵略とみなされ、国際問題に発展した。嘘つきは戦争の始まりだ。
「会社の業績が伸びると、ビルも伸びるのだ! 近々、増築するんだぞお! ははははははははははははは!」
上司の笑い声はよく伸びた。おれは何も言わずに縮こまり、仕事を続けた。
だが、ある日、ついにおれの体が伸び始めた。手足が長くなり、部屋を出入りするのが難しくなった。
これ以上伸びるのは困るので病院に行ったが、医者は「流行りの病気だよ。よく休むようにね」と言うだけだった。
おれは家で膝を抱えて過ごすようになった。会社が病気休暇をくれたわけではない。体が伸びすぎて家から出られなくなったのだ。
おれは天井に頭を擦りながら考えた。これは『伸びる』ことを求め続けた結果だ。みんなが不要だと思ったから尻尾は縮み、人間の体から消えた。その逆に、人類が『伸びる』ことを求めたから、体が伸びてしまったのだ。
だが、おれたちは本当に『伸びる』ことを望んでいるのだろうか?
そうだと言わんばかりに、その後もおれの体は伸び続け、とうとう家を突き破り、空に向かっていった。
外にはいつの間にか高層マンションやビルが立ち並び、工事中の建物もさらに伸びている。
おれは大気圏を越え、宇宙にまで伸びた。月の裏側にウサギたちの農園は見当たらなかった。
今、くるぶしの辺りに何かがぶつかり、息がかかった。もしかすると山本の鼻が地球を一周してきたのかもしれない。
あるいは、今おれたちは会社の床に横たわっているのかもしれない。上司の間延びした声が聞こえる。幻聴か、それともこれが幻覚なのか。ああ、頭がふわふわする。酸欠だろう、だって宇宙には空気がないから。
体を引っ張られる感覚がして、おれはぐっと背伸びをしてみた。すると、地面から足が離れ、体がふわりと浮いた。
ああ、これはいい気分だ。ようやくのびのびできた……。