料理屋ヒペリカム
料理屋ヒペリカムは閑古鳥が鳴く様な客がほとんどいない店である。
料理は確かに美味いのだが、ここよりも美味しくて値段もお手頃のお店が幾つもあるので名物料理がない、よく言えばオールマイティ、悪く言えば特別美味しい料理のないこの店を選ぶ者が少ない。
しかしこの店はオーナーである料理長の趣味でやっている様な店なので、赤字続きでも特に気にしている素振りはなく、一日中新聞紙やテレビを見てぼうっとしている様な人だった。
そんな料理長は時偶腑抜けた顔がピシッとした顔になる時がある。そして今がその時だ。
「富枝、これを今すぐに買ってこい」
料理長から渡されたメモにはレーズン・アーモンド、ビール酵母と粉砂糖等が書かれていた。量的に六人分の位の量だろう。
見習い料理人の富枝は心の中で安堵のため息を吐く。前は米俵の山が三つ分、ひたすら米を炊いて塩結びを握り続けるあの単調な苦行と比べたらまだマシだ。
今日作るのは粉砂糖を使うから恐らくはお菓子系だと思うが、料理を作るのが趣味のただの人の子である富枝には何を作るのか分からない。だから先輩であるヨハンに耳元でコソッと聞いたのだ。
「今日のスペシャル料理は何を作るんですか?」
「『クグロフ』と言うフランスのお菓子だ。中心部が空洞の山の様な形のお菓子で、レーズンやアーモンド等を加えてビール酵母で発酵させて作るお菓子だ。時間がかかるから早く買って来たほうが良い」
ヨハン先輩は富枝の質問に何時もぶっきらぼうに答えてくれるし、料理の知識が豊富だから富枝はヨハン先輩を尊敬していた。
ヨハン先輩の言われた通りに直ぐに材料を買いに何時ものお店へと走る。
今日御来店なさる御客様について分からないが、店長や御客様を知っている先輩達のピリッとした様子を見て、間違いなく間違いなく権力のある方だと言う事が分かっていた。
夜の七時ーーー
ヒペリカムの店内は厳かな高級レストランに様変わりしていた。ヒペリカムは特別な御客様に合わせて店内をレイアウトする事が出来る。この間の塩おむすびの御客様方は一昔前の日本の古民家だった。
カランカラン
本日の主役である御客様が御来店され、料理長を先頭に店員全…員が頭を深々と頭を下げる。
「ようこそお越し下さいました。ーーーールイ十六世様」
「やぁ今年も来たよ」
「毎年毎年ありがとうございます」
「此処の料理は懐かしい味を作ってくれるからついつい来てしまうんだ。なぁマリー?」
「ええ。それで何時もアレも?」
「はい。マリー様の好物であるクグロフとクロワッサンも御用意しております。勿論、クロワッサンはマリー様が生前に専属で雇われた料理人からの直伝された物です」
「まぁ嬉しい! ……さぁ皆も今日お世話になる料理人達にお礼をするのよ」
「「「「ありがとうございます」」」」
料理屋ヒペリカムはあの世の住人ーーーハッキリと言うならば幽霊の御客様が御来店して食事をする特別なお店だ。
店長である料理長は元は地獄で獄卒達の料理を作っていた人で、ヨハン先輩は生前腕の立つ料理人だった幽霊だ。他にも何人もあの世の住人や幽霊の料理人がこの料理屋の店員達だ。ただ、富枝の様な買い出し要員や昼間に偶に御来店してくれるこの世の御客様の接客をする為に生者の店員も数は少ないが在籍している。
因みに富枝がこの店に就職したのは、賄いつきの上に時給が高めの求人がお店の前の張り紙に貼られていたから道場破りの用に扉を開いて『ここで働かせて下さい‼︎』と元気良く良い、御客様の大半が幽霊のお客様で、同僚達も幽霊やあの世の住人達が大半だと言われても、「えっ? 何それオモシロ。余計に働きたい」とあっけらかんに言うもんだから流石の料理長も少しだけ度肝を抜いた。
ただ、彼の性格がヒペリカムに新しい風を運んだのは確かで、前の御客様だった腹を空かせて浮かない顔だった日本兵の方々を最後には笑顔にして黄泉の旅路へと送り出す事が出来たのだ。
今だって最初は国王家族が御来店された時はそれはもチワワの様に震えて大人しくしていたが、いつの間にか王子・王女達の相手をしていた。
王子達は母から切り分けてくれたクグロフを頬張って楽しそうに笑っていた。
その様子を両親と料理長は優しく見守っていた。
「新しく入ってきたて彼、良いね」
「お恥ずかしながらまだまだ未熟者で粗相が多いです」
「けど、人見知りするあの子達があんなにも楽しそうに笑っているのよ。…………生きている間絶対に見る事が出来なかったあの嬉しそうな笑顔」
長男と次女は早くに夭折し、次男は王太子だった故に人の悪意に苛まれて非業の死をとげ、唯一長女だけは天寿を真っ当したが、それでも苦難が多い人生を送った。
ルイ十六世とマリー・アントワネットは自分達の業を子供達に背負わせた事を酷く悔やんでいた。
だから年に一度、このヒペリカムで食事をする事が彼等にとって子供達に対する罪滅ぼしだった。
料理長は静かに、穏やかに話す。
「ここ、ヒペリカムは店名の様に御客様の悲しい気持ちを晴らす料理を作るのが信念です。……どうぞ此方を」
スッと現れたソムリエが用意したのはルイ十六世夫婦が生前好んでいたワインだ。それも二人が結婚した年の物。
「サービスです」
「まぁまぁ! 本当に貴方は嬉しいサプライズをしてくれるわ!」
妻の嬉しそうな笑顔を見て夫も顔を綻ばせる。両親の姿を見て子供達も嬉しくなって二人に駆け寄った。
こうしてルイ十六世家族はあの世へと還って行った。また来年この店に来店する予約を取り、ヒペリカムの花を受け取った。
料理屋ヒペリカム。此処は花言葉の通りに『悲しみが続かない』様に美味しい料理とサービスを送るお店。
生前の悲しい気持ちから嬉しい気持ちに変える為に、料理長含めた店員達は今日も信念を持って料理を作るのであった。