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1話「亡国の王女と興国の王」


――憎い。憎い。憎たらしい。


だからニゲラは、王女としての品格を限界まで踏みつぶし、額を突き出して男を睨みつける。

しかし男に、ニゲラの怒りや憎しみは通じなかった。

ただ氷のように冷たい薄い蒼色の瞳を細めて、玉座の脇息をこつんと指で叩くだけ。

そして聞くだけで体を凍えさせる声で言った。


「確かに、第三王女だ」


男の肯定に、ニゲラは歯ぎしりした。

確かに……たしかに、彼は自分の顔を知っているだろう。

二人がこんなことになる前に顔を合わせた日は、なんと去年の春なのだから!


「そうね。わたくしもあなたのお顔、よ~くご存知でしてよ。

 一昨年まで毎日のように見ていたもの」


たまらず嫌味を口にしたニゲラに、隣の文官が泣き出しそうな顔で囁いてくる。


「どうかお願いいたします、ニゲラ様。今だけ、今だけは……」

「……そう」


ニゲラは素っ気なく頷いただけだったが、文官は心の底から安堵しきった顔になった。

彼はニゲラの母国の文官で、政治的な立ち回りは下手だが、各国の法律や歴史にたいへん詳しくまた多くの国の実情にも明るい。

男は冷酷で残忍ではあるが、他国を気に留めないほど無頓着ではなかった。……ない、はずだという藁のような希望に縋り、母国のひとびとは文官をニゲラの供とした。

 

「さて、ニューム殿。

 そこの第三王女のことで、なにか報告があるとか」


男が文官を一瞥する。それだけで文官はぶるりと震えた。


「――偉大なる黄金の大樹の王へ申し上げます。

 ニゲラ殿下は鍵の娘であります。

 御年18歳となられましたが、婚約をされていた方もおりません。

 国際的な観点から見ても、殿下は姉君が嫁いでいらっしゃるジオラス帝国のもとへ身を寄せられるべきかと」


切々と訴える文官に、男はくつりと喉の奥で笑った。


「これ以上は殺すな、ということか?」

「恐れながら」

「俺が殺したのは、王と王の家族とすこしばかりの親類と兵士だ。

 対してそちらが殺してくれた俺の民は……3092人」


文官の顔色が青ざめる。ニゲラはすぐに口を挟んだ。


「わたくしの血肉で勝利の盃を溢れさせたいというのなら、どうぞご勝手に」

「ニゲラ様!」

「ただ覚えておくことね。

 ニュームはわたくしの悲劇的な最期を、ジオラスのお姉さまに……いえ、世界中に喧伝するでしょう。それともニュームの命まで奪うつもり?

 あなたの――3092人と同じ、ただの民草を」


ニゲラの問いに答えは返ってこない。ただ気の毒な文官だけがぶるぶると震えている。

男から目を離さずに、ニゲラはあたりを見回した。男の騎士。男の文官。大臣。

およそ五十の人々が男に意見するニゲラと文官を見ている。見ているだけだ。けれどニゲラを見る瞳に映る焔は、ニゲラの瞳でくすぶるものと同じ憎悪だ。


――憎い。憎い。憎たらしい。

  ああ、我らが王がいますぐあの娘の首を刎ねてくれればいいのに!


ニゲラと文官が彼らの目を掻い潜って、逃げるのは難しそうだ。ただ男の次の言葉を待つしかない。

30秒後か、5分後か。とにかくすこしの時間が経つと、男が脇息を叩いた。


「王女もニューム殿も殺す気はない」

「……そう」


男の側の書記官が、男の発言を書き記したのを横目で見てから、ニゲラは隣の文官を見た。

白目を剥いている。きっと敵意や憎悪を浴びすぎたのだろう、可哀想に。


「だがこの国から出す気もない」


文官に黒目が戻る。震え始めた彼の背中を撫でてやり、ニゲラはとびきり無知で可憐な少女の表情で男を見上げた。

 

「あなたの愛妾にでもなれってことかしら?」

「第三王女殿、実に面白い冗談だ。

 ここが玉座でなかったら、笑い転げてしまっていたかもしれない」


微笑みひとつ浮かべずに、男は北を指差した。すると静寂を守っていた男の部下たちが小さな声で囁きあう。

 

 ――北だ。北だ。

 ――北にある建物は二つだけ。どちらだ?

 ――北東の塔じゃ。

 

男の指が脇息をたたくと、臣下たちの囁きはさざ波のように引いていった。

 

「今は亡き銀の大樹ハルンの第三王女。

 お前は北東の塔の最上階で一生を終えよ。

 ニューム殿は姫への蛮行を諸国で吹聴なさればよい」


文官の悲痛な叫びは黙殺された。

文官は国外追放。ニゲラは敵国で一生軟禁だ。

母国ハルンの人々の願いは何一つ叶わない――いや。

ニゲラは男を見上げた。家族の仇。国民の仇。恩知らずで冷酷な、王の顔をまっすぐに見て言った。


「手紙を書いて送りたいの。

 もちろん秘密の恋人やお姉さま宛じゃないわ。

 あなた宛に、ただの手紙を書きたいのよ」


誰が見ても構わない。見なくてもよろしい。返事はご自由に。

――そうニゲラが続けると、王は即座に切り捨てなかった。

案の定、彼の臣下たちは、鍵の呪いをかけるつもりだとか、王への禍言を書き連ねるだとか、無知な子供が口にする悪口のようなものを言い立てる。

母国の文官もぽかんと口を開けて、説明を求めるようにちらちらと視線を送ってきた。

その一切を無視して、ニゲラは王に答えを促した。


「どうなの?」


王は喉奥でくつりと笑ってみせた。


「その程度の道楽なら、許そう」

「ああ、そう……」


ニゲラの胸の内で、小さな欠片がぱきんと折れる音が聞こえた。

とってもおかしな話だけれど、ニゲラはまだこの王を信じてみたかったらしい。

彼の氷の瞳の奥に、冷酷な声の響きの中に、残り火のような暖かさが残っていることを、ただの少女のように。

けれどもうそんなモノは、思い出の中にしかなかった。

十年も同じ場所で同じ時を過ごした幼なじみの少年は、もう居ない。……居ないのだ。

だから、ニゲラも捨てよう。胸の中で割れた欠片を粉々に踏みにじろう。


「誰か、その北東の塔とやらに案内しなさい」

「姫様……!」

「ニューム、お前の献身に感謝を。

 この後はハルンの者たちに合流して、お姉さまのところへ行きなさい。

 大丈夫よ。お姉さまならわたくしのことで、お前を責めはしないだろうし、

 誰であろうとお前を責める者を許さないだろうから」

 

文官がぽろぽろと涙をこぼす前に、ニゲラの前には王の騎士がやってきた。

 

「ご案内します」

「そう」


軽く顎を引いただけのニゲラに、騎士は何も言わずに歩き出す。

嘆く文官と、ざわつく王の臣下たち、そしてこの国の王――アイルに背を向けて、ニゲラは塔に向かった。


そしてニゲラは、北東の塔の最上階で一生を終えた。




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