表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ケイスケとミヤコ

作者: あじさい

「ミヤコ、あのさ」

 間もなく大学生になる兄・ケイスケが、高1の妹・ミヤコに問いかけた。

「マッチョな男って、どう思う?」


「急にどうした」


 と、ぶっきらぼうに聞き返しながら、ミヤコは『どうせまたあれだろうな』と思った。


「俺、体(きた)えようかなって」


「モテたいのか」


「モテたい」


 即答されて、ミヤコは考え込んだ。



 この兄妹は、仲は悪くない。


 ケイスケは普段はクールでいざという時は頼れる兄貴のつもりだが、昔からひそかにミヤコを溺愛できあいしており、ミヤコと不仲になることを何より恐れている。

 そのため、結果的にミヤコにウザがられない距離感を保ってきた。


 ミヤコの方はと言うと、ケイスケのいかにも陰キャっぽい、女の子一般に対する無理解にムカつくこともあるが、きらいというほどきらってはいない。

 この兄は昔から根が真面目で、正直で、妹に甘い。

 何か言えば文句を言いつつ従ってくれるし、「家の中でも女の子らしくしろ」とか「派手な服は着るな」なんてアホなことは言わない。

 勉強や人間関係について相談すれば真面目に考えてくれて、頼んでいないときは口を出さないでいてくれる。

 大好きと言うほどではない。

 母親の前ではいつも不機嫌だし、髪型も私服も野暮ったいし、笑い声がオタクっぽくてちょっとキモい。

 ただ、余計な気をつかわなくてむ相手だとは思っている。


 なお、両親がそう呼ぶので、ミヤコも昔からケイスケを「お兄ちゃん」や「兄貴」ではなく、「ケイスケ」と名前で呼んでいる。



 さて、中学でも高校でも、ケイスケは突発的にモテようとすることがあった。

 だが、ミヤコが知る限り、長続きしたためしがない。

 中学入学時には、サッカー経験など一切なかったのにサッカー部に入り、周りのレベルについて行けなくて1年で退部した。

 中2の秋には制服を着崩きくずしたり香水をつけたりして学校に行ったが、担任の先生に心配されたとのことで、すぐにしなくなった。

 高校では最初の自己紹介で不要な勝負に出て爆死したらしい(その後、ちゃんと友達はできたそうだが)。


 ケイスケがマッチョになろうとするのも、これが初めてではない。

 すでに何度も挑戦したことがあるが、そのたび、成果が出る前に投げ出してきた。

 最も多いのは、筋トレをした翌日に筋肉痛になって、そのままやめてしまうパターンだ。

 三日坊主ですらない。

 ミヤコもいちいち確認しているわけではないから、もしかするともっとたくさんあるかもしれない。


 もちろん、思いつきをいちいち家族に宣言するケイスケではないし、今まではミヤコに相談などしてこなかった。

 だが、ケイスケが思うに、大学入学は陰キャから脱するための、最大にして最後のチャンスだ。

 今回ばかりは、マッチョを目指すなら本気で取り組まねば、と思っている。

 その決意をより強固なものにするために、ミヤコが女性代表として「マッチョになれば絶対モテるよ」と言ってくれることを期待していた。



 実は、ミヤコはケイスケのこういうところが嫌いだった。


「ケイスケはさ」

 と、ミヤコは少しドライに言った。

「誰にモテたいの? 女なら誰でもいいの?」


 これが地雷だということは明らかだが、お茶をにごそうにも、ケイスケには適切な答え方が分からない。


「誰でもいいってわけじゃないけど」


「けど?」


「……カノジョは欲しい」


 ミヤコの顔はけわしい。


「ケイスケが昔好きになった人が、『マッチョが好き』って言ってたの?」


 ここで『ケイスケの元カノは』という言い方をしないのは、ケイスケに恋愛経験が一切ないことを、ミヤコが知っているからだ。


「いや、うーん……、そんなことないけど、アメコミ映画とか見ても、マッチョな男ってモテるのかなって。プーチンもマッチョだって人気だし」



 2人が話しているこの当時は、2020年3月。


 約6年前の2014年にロシアがクリミア半島を併合へいごうしながらも、ウクライナ本土はまだ無事だった頃で、日本のTVはロシアの物産や観光地を特集する際、「あのプーチン大統領も愛好しています」などと宣伝していた。

 また、情報バラエティやネット記事は、プーチンの《《男らしい》》姿の写真を面白おかしく紹介していた。


 半年前、2019年9月の会談では、当時の安倍首相が「ウラジーミル、君と僕は同じ未来を見ている」、「ゴールまで、ウラジーミル、2人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか」と発言し、国内外に対し、過剰かじょうなまでに親密さをアピールした。

 この発言は左派だけでなく右派の一部からも批判を受けたが、安倍政権はその後も維持された。


 プーチンが隣国の独裁者でありながら、習近平や金正恩と違い、日本全体である種のあこがれを持って受け容れられていたのは、彼が白人なのに加え、自分は強くて男らしく頼りがいのあるリーダーだという、おもに国内向けのプロパガンダが、当時の日本人にもさったからだろう。



 それはさておき。



「女はみんなマッチョが好きってこと?」


「……違うの?」


 どこから説明しようかな、とミヤコはうなった。

 面倒くさくても投げ出さない忍耐強さ、あるいは義理(がた)さは、ミヤコの美徳と言える。


「ケイスケは、好きなアイドルとか役者さんとかいる? 具体的に誰とは言わなくていいけど」


 急に何? と思わなくもなかったが、相談に乗ってもらっている立場なので、ケイスケは水を差さずに答えた。


「えーっと、二次元なら」


「アニメキャラね」


 正確にはマンガのキャラだが、ケイスケは黙ってミヤコの話を聞いた。

 ミヤコはケイスケが見るような深夜放送のアニメには興味がないが、アイドルグループのSexy Zoneはそこそこ(ガチ恋と言うほどではないが)好きなので、その経験をまえて言った。


「たぶんだけど、ケイスケはそのキャラを初めて見かけた瞬間からマックスで好きだったわけじゃないよね。キャラの信念というか、生き様? よく分かんないけど、そういうのを知る中で、もっともっと好きになっていったんじゃない?」


「まあ、そりゃね」


「キャラの本当の姿を知らない人が、『見た目がいまいちだからこのキャラ好きじゃない』って言ってたら、ムカつくでしょ」


「それは許せん」


「女はみんなマッチョが好きっていうのも、同じだよ」


 ケイスケは何となく分かったような気がしたが、彼の顔を見ていたミヤコは付け加えた。


「顔とか筋肉とか髪型とかファッションとか、そういうのがイケてる方がたしかに最初の印象は良くなるけど、たぶんみんな、そういう要素を機械的に好きになるわけじゃないんだよ。

 ケイスケと同じで、大抵の男もそうだと思うけど。

 表面的なことからもっと内面に踏み込んで、バックボーンとかかげの努力とかを知って、そこに熱いものを感じたり気高さを見たりしたときに、初めて相手のことを《《本気で好きになる》》っていうかさ。

 マッチョだから好きになるんじゃなくて、マッチョになるくらい何かを頑張ってるとか、自分(みが)きのために努力をしまないとか、そういう姿勢を好きになるんだよ。――たぶんね」


「えっ、『たぶん』なの?」


「うちは別にマッチョきじゃないし、ぜん女の子の代表でもないから。他のみんなが何考えてるかなんて知らん。たぶんそうじゃないかってだけ」


 ケイスケはいちばん気になったことをたずねた。


「結局、俺はどうすればいい? 陰キャが急に筋トレしたら、下心したごころ丸出しで引かれるかな?」


「引かれはしないでしょ。きたえたきゃ鍛えれば? でも、女子にモテたいってだけじゃダサいし、続かないだろうから、運動系の部活に入ってインカレでも目指した方がいいかもね。知らんけど」


「そうか……」


「っていうか、女はこれ好きだろうとか、こうすれば女が寄ってくるとか思ってる時点で、全体を見てるだけでそれぞれの個人を見てないんだから、女の子だってケイスケのこと『モテたがってる男の子の1人』くらいにしか思わないよ。

 全体にいい顔をするんじゃなくて、三次元で誰か1人を好きになったときに、その1人から本気で好きになってもらえるような自分を目指したらいいじゃん」


 ミヤコはこの後、


 ――モテるために頑張る男より、好きになった人のために頑張る男を、女は好きになるんだろうし、それは男も同じでしょ。


 といった具合のことを続けるつもりでいたが、今さらながら照れくさくなったので、やめておいた。

 兄が相手とはいえ、しゃべり過ぎたような気がするし、説教くさかったようにも思った。


 ケイスケは神妙な顔でミヤコの話に耳を傾けていたが、ミヤコが言いたいことを言い終わったと判断して、心から感動して言った。


「分かった! ありがとう、ミヤコ! 俺、体(きた)えるのはやめとくよ!」


「待って。そういうことじゃない」


「えっ」


「何て言えばいいのかな……」


 その後、ミヤコは頑張って説明しようとした。


 ――魅力的な自分になるためには継続的に努力を重ねる必要があるし、自分がマッチョな男を魅力的だと思うなら、そういう男を目指すべきだ。

 こういったことは、女性の多くは(良くも悪くも)普通にやっている。

 異性に見られるからとか、モテたいからだけでなく、多分に自分自身のために、魅力的な自分でいるために日頃から努力している。


 といったことを話した。

 だが、ケイスケにはあまり響かなかった。



 結局、ケイスケはマッチョにならない内に大学に入った。


 ミヤコが聞いた限り、入学後しばらくはコロナ第1波でサークルやカノジョどころではなかったようだが、2022年、3年生になって同じゼミの女の子と仲良くなり、お付き合いを始めたとのことだ。

 ケイスケは高校時代までテストで上位を取るタイプではなかったはずだが、大学の勉強が楽しいとSNSに投稿していたので、きっとそういう方面での真面目さが功を奏したのだろう、とミヤコは思った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ