第10話:病める時も健やかなる時も
【病める時も健やかなる時も】
教会での結婚式で宣誓される誓いの言葉。
「あなたは○○を妻とし、病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、死がふたりを分かつまでこれを愛し、敬うことを誓いますか」
昔から使われ続けている言葉だけあって名文だ。でも実際に病気になったら……。心配してくれるのは分かるけど、勝手ながらどんな時でも妻には笑顔でいて欲しいのです。
病気になった。
病気自体は1週間薬を飲めば治るのだが、なにしろ頭痛がひどくて困る。たかが頭痛なのに動けない。痛み止めが効いている間はまだマシだが、これが切れると動くことすらままならない。
今まで健康すぎるほど健康だったから、妻が倒れた時のことは考えたことがあったが、自分が倒れた時のことは考えたことがなかった。だが実際に病気になってみると、なにがなんでも妻に心配させたくない。だって痛いだけだし。死ぬわけじゃないんだし。心配されたところで痛みは引かないし。
しかし痛がっている姿を見られると心配させてしまうではないか。姿をくらませることが出来ればそれが一番良いが、さすがにそうもいくまい。出来るだけ痛くないフリをしよう。
妻がいる時はなるべくうめき声を抑える。(とはいっても激痛が走る時には、思わず身をよじり声を出してしまうので、バレて心配そうな顔を向けられる)
うめき声に気付かれないように、妻が寝静まったらこっそり別の部屋に移動する。(朝までこっそりうめいていたので、妻に見つかって心配される)
今日はわりと平気、などとウソのメールを打つ。(家に帰った妻にうずくまっている姿を見られ「ホントに?」と疑いの目を向けられる)
なんだかやればやるほど私の信用が落ちていく。
「痛いって言っていいんだよ」
でもそう言ったところでどうにもならないだろ? 見てる方が辛いだろ?
「大丈夫?」
んなわけない、メチャ痛い、問いに答える事さえ辛い。
だが何と言えば妻は安心するのだろう。その答えを私は知らない。私はただ、妻に心配をかけたくないだけ、それだけなのに。
「何であなたがこんな目に……」
「君にこんなにお世話されてるんだもの、痛いのを差っ引いてもお釣りがくるよ、うふふ、得したなあ」
やっぱり私には強がること以外に出来ることがない。だからほら、笑って? それが私の一番の望みなのだから。いつも通りにご飯を食べて? 私のほうを見なくても、気にしてくれていることは知っているから。気にしないでゆっくり寝て? このままでは君のほうが倒れてしまうじゃあないか。
頭痛が治まってきた頃に妻が言った。
「あなたがどれだけ大切かよく分かった」
ありがとう、でもそれはこっちのセリフだ。
「いつも寄り添ってくれて、気にかけてくれて、ありがとう」
私たちは「病める時」を乗り越え、確かに絆を深くしていた。
次回、ようやく最終回。小説家になろう。お楽しみに。




