38 こうして俺はひきこもりになった
おかげさまでついに月間ローファンタジー一位。
改めて本当にありがとうございます!!
記念と感謝を込めて今日は今朝分含めて3話更新します!(これが2話目です)
記念回ですか、折り悪しく今回は重めの過去話となってます。しんどすぎるという方は飛ばしても大丈夫なようにはなってますが、気合いを入れて書いているので気持ちに余裕があればぜひ。
きっかけは、よくあることだ。
高校三年のとき、部活の後輩が同級生にいじめられてることを知った。
いじめの首謀者はもちろん、凍崎純恋。
当時は苗字が違ったけどな。
べつに俺は、その後輩ととくに親しかったわけじゃない。
好きだったわけでもない。
ただ、名前と顔を知ってたというだけだ。
凍崎純恋やその取り巻きどものいじめは苛烈だった。
あの女は当時から教師すら支配する力を持っていて、校内では誰も逆らえない存在になっていた。
その後輩がいじめの標的になったことに、これといった理由はないのだろう。
ただ、目に付いたから。
おどおどしてて言いなりにしやすそうだったから。
その程度の理由で、あの女は他人の人生をおもちゃにする。
誰もが罪悪感を覚えながらも、あの女を止められなかった。
そんな中で、一人のバカが立ち上がる。
もちろん、俺だ。
「いい加減にしろ!」
そう言って後輩をかばうと、あの女は存外素直に引き下がった。
ああ、逃げずに立ち向かってよかった――
俺は無邪気にもそう思った。
だが、地獄はその日から始まった。
どうなったかなんて、もう想像がつくだろう?
俺は校内で猛烈にいじめられた。
証拠は残さず、誰がやったかもわからないように、遠回しに、しつこく、俺へのいじめは続いた。
それでも、あと一年すれば卒業だからと、俺はなんとか耐えようとした。
俺が耐えなければ、後輩がまたいじめられる。
そんな使命感が俺を支えた。
――だが、使命感だけで戦い続けられるほど、俺の神経はタフじゃなかった。
朝起きて、学校に行こうとすると、嘔吐する。
心臓が破裂しそうなほどに鳴って、強い目眩に襲われる。
その頃の俺の一日はこうだった。
這うように布団から起き出して顔を洗う。
鏡なんて、もう数週間はまともに見ていない。
砂を噛むような気持ちで朝食を機械的に口へと運んでいく。
ただ玄関に向かうだけで、気が重い。
何度もいたずらをされた革靴を履くのにも気力がいる。
靴を履いても、ただ家の外に出るだけのことに怯えてしまう。
そこからはもう、気力との勝負だ。
気合いを入れる。家を出る。駅が近づいてくる。改札を通るために気合いを入れる。電車が近づいてくる。乗り込む前に気合いを入れる。電車が駅に到着する。降りる前に気合いを入れる。改札を出る前にも気合いを入れる。駅から校門までの道のりも、角を曲がるたびに、電柱を過ぎるたびに、前に進むために気合いを入れ直す。校門の前に立つと動悸がする。汗が止まらない。深呼吸する。ときには数分も。落ち着いたところで、今度は恐怖が襲ってくる。気合いを入れる。昇降口。下駄箱。悪い日にはこの時点でいじめが始まってる。始まってないとしたら、あえて予想を外すことで別のタイミングでいじめを仕掛けてくる前兆だ。震える手で下駄箱を開く。気合いを入れて上履きを履く。悪戯されるのを防ぐために、履いてきた革靴は袋に入れて教室まで持っていく。廊下を進む。すれ違うあらゆる生徒が敵に思える。後ろから追い抜いてくる生徒にぎくりとする。階段の陰に誰かいるんじゃないかと怯え、その怯えを悟られないために気合いを入れる。階段は慎重に昇る。前に女子生徒がいるときは昇らない。スカートの中を覗いていたと言いがかりをつけられないためだ。教室のある階に着く。このあたりになると見知った顔が多くなる。ほとんどのやつがばつの悪そうな顔で俺から目を逸らす。だが、その中に新たな敵がいないとも限らない。男なら突き飛ばしてくるかもしれない。女なら抱きついてから痴漢呼ばわりしてくるかもしれない。かといって露骨に避けるような態度をとれば、それが言いがかりの発端になりかねない。気合いを入れて廊下を進む。重い足を引き摺るようにして前に進む。だが、前に進めば教室が近づく。そのたびにさらに足が重くなる。気合いを入れる。ほどなくして教室に着く。教室の扉に、どうしても手が伸びない。やはり、気合いが必要だ。扉を開いた先に、どんな光景があっても驚かないこと。慌てないこと。怒らないこと。自分に言い聞かせ、教室の扉を開こうとする。誰かが先に開いてしまい、俺の手が空振りする。そんなわずかな動作も物笑いの種にされかねい。気合いでなんでもないふりをする。入ってきた俺から目をそらすクラスメイト。気合いを入れる。小声で「おはよう」と挨拶する。返事はない。気合いを入れて、自分の机が無事であるかを確かめる。気合いを入れて、始業のチャイムをじっと待つ。
ああ、もういいよな。
こんな話を聞かされても困るよな。
今となっては当たり前だが、こんな生活が続けられるはずがない。
俺はほどなく学校に行けなくなった。
そのまま、一ヶ月、二ヶ月が経った。
不登校の俺の周りは何事もなかった。
さすがの凍崎純恋も、家にまで押しかけてはこなかった。
今のあの女ならきっとそこまでやるんだろうが、当時はそれだけの後ろ盾がなかったということだ。
だが、あの女が何もしなかったわけじゃない。
やがて、学校の教頭が俺の家を訪れ、母親にあることを告げた。
高校を自主的に退学せよというのだ。
どうしてそんなことを言うのかと、母は聞いた。
俺も、あとから聞かされた。
ああ、そうさ。
俺は自分の苦しさに押しつぶされて、肝心なことを忘れていた。
教頭が告げたのは、あの後輩のことだった。
自殺した、というのだ。
俺が不登校になってからあの後輩へのいじめが再び始まった。
以前よりも激しくなったという。
後輩はそれを苦にして自殺した。
しかも、遺書をSNSにアップロードするおまけ付きで。
遺書にはこんなふうに書かれていた。
『どうせ助けられないなら最初からなにもしないでほしかった。先に絶望するなら希望なんて見せないでほしかった。ずっと真っ暗闇だったら耐えられたかもしれないのに、なまじ光を見せられたから耐えられなくなってしまった。もうどうしたらいかわからない。私をいじめた人たちも、私を中途半端にかばった人も、見て見ぬふりを決め込んだ人たちも、みんな社会的に死ねばいい!!!』
遺書はSNSで拡散し、学校には正義マンからの電凸が殺到した。
学校では、自殺の原因は俺だと言われているらしかった。
俺が彼女を見捨てたことが、彼女が自殺を決意したきっかけだと。
凍崎純恋はアンタッチャブルだ。
いじめを見て見ぬふりをしてた教師も生徒も、自分だけはそんなことをしていないと思いたがった。
ならば、責める先は、学校から逃げて不登校になった、立場の弱い男子生徒にすればいい。
だからこそ、俺は自主退学。
学校全体のスケープゴートに選ばれたってわけだ。
もっとも、さすがに凍崎純恋も無傷ではなく、早々に都内の高校への転校を決めたと聞いている。
だが、あっちはただの転校で、俺は勧告されての退学だ。
戦いようはあったのかもしれない。
でも、戦ったところで何になる?
そんな学校には戻れないし、転校するにも前の学校での評判が足かせになる。
なにより、俺の精神はズタボロで、生きてるだけでもしんどかった。
俺のやったことはなんだったのか?
独りよがりな正義感で動いて、後輩を守り切ることもできず、ただ無様に逃げ出した。
安全な場所でのうのうと生きてることすら、彼女に申し訳ないような気がしていた。
今にして思えば、その後輩の遺書は理不尽だ。
俺にかばわれるのを当たり前のように思って、俺が倒れたらなんで守ってくれないのかと責めたのだから。
猛烈ないじめの中で正気を保てなかったのはしょうがないのかもしれない。
でも、それにしたって、俺に対して酷くないか?
自分で立ち向かう意思も勇気もないくせに、なぜ無関係の俺に、代わりに立ち向かえと当然のように要求するのか?
彼女が酷いいじめに遭ってることを、しかるべき機関や警察などに訴えれば、事態は早々に収まっていたのではないか?
そもそも、自殺するほど追い詰められていたんだから、その言葉を額面通りに受け取る必要はない、ともいえる。
そんな自己正当化をすればよかったのだろうが、そのときの俺は彼女の言葉を自己否定の材料にしかしなかった。
俺のせいで人が死んだ。
そうとしか思えなかったのだ。
これもまた、今にして思えば、うつ病の症状のひとつと見なし、自分を責めるのをやめるのが正解だったんだろう。
高校を中退した俺はアルバイトをしながら大検を目指したが、うつ状態で受験勉強ははかどらず、結果は不合格。
その後、心療内科に通院しつつ、療養期間を経て就職した。
時間をかけて大学を目指す道もあったが、この酷い状態がいつまで続くかもわからない。
親にそれだけの負担をかけるのが嫌で、無理を押して就職を選んだ。
無理に就職せず、十分に静養してから浪人して大学を目指したほうがよかったのか?
今から思えば、そうだったんだろう。
でも、何年もの間親の脛を齧り続けるのは気が引けた。
だからなんとか働こうとしたのだが、高校中退で就ける仕事なんて限られてる。
入った会社は、完全なブラック企業ではないものの、ブラック気味の会社だった。
そこでも、逃げずにがんばろうとした。
今から思えば、そんな会社でがんばるのではなく、親に頭を下げて大学なり専門学校なりを目指せばよかった。
数年負担をかけることにはなるが、ひきこもりになるよりは数段マシだ。
結果、うつとパニック発作が再発し、半年ほどで会社を辞める。
そんな状態で受験や就活が考えられるはずもなく、俺はずるずるとひきこもりに……。
今から思えば、その段階で専門家のサポートを受けるべきだった。
ただ抗うつ剤を処方してもらうだけじゃなく、カウンセリングや就学・就労支援を受けて、人生を立て直す方法を誰かに一緒に考えてもらうべきだった。
それができないならできないで、うつを治しきるまで自分を責めずただ大人しくしてるべきだった。
途中でつまづいたとはいえ、まだ取り返しのつかないような歳ではなかったのだから。
今から思えば、今から思えば……
俺の人生は無数の「今から思えば」で埋まってる。
その発端は、人を助けようとしたことだ。
今でもわからない。
自分の人生を犠牲にしてまで、さして親しくもない後輩をかばう必要はなかった。
客観的に考えればそれが正しい。
事実、俺がいじめから彼女をかばう見返りに彼女に関係を強要したのではないか……なんて噂も流された。
そんな理由でもなければ、普通は、赤の他人を助けたりはしないらしい。
あるいは、そんな理由でもない限り、赤の他人を助けてはいけないらしい。
でも、見過ごせなかった。
何もしない自分が許せなかったんだ。
逃げるわけにはいかないと思って立ち向かって、結局、勝つことができずにすべてから逃げるはめになった。
そのあとも、自分の心身の状態の悪さを認めることから逃げ、無理に働いて失敗し、余計に心身の状態を悪くした。
いじめられている後輩を助けることからは逃げるべきだった。
一旦助けたからには逃げずに戦える体勢を整えるべきだった。
いじめの首謀者たちと直接戦うことからは逃げ、外部の専門家を頼るべきだった。
ダメージを受けて逃げたからには、ダメージを負わされた事実からは逃げず、回復につとめ、受験や就職をしなければという焦りや義務感からは逃げるべきだった。
親に余計な負担をかけてしまうという負い目からは逃げ、あるいは逃げずに親に頼んで、無理のない形で就学を目指すべきだった。
就職した会社がヤバいと思ったら、潰される前に逃げるべきだった。
潰れてしまったのなら、専門家に治療や援助を求めることから逃げるべきではなかった。
どこで逃げるべきで、どこでは逃げるべきでないのか。
誰か、教えてくれないか?
それを、悲惨な結果が出る前に判断する方法を……
次話、夕方までには更新します。





