256 運命と言われても
「ずいぶん派手にやらかしてるみたいじゃないか、皇族さま」
大きな風穴の空いた官邸の総理執務室で、俺は春河宮勇人に対峙する。
真っ白な旧軍の軍服は、凍崎の血で赤く染まっている。
古代ギリシャの彫像のように整った容貌をしたこの男には、そんな姿が不思議と似合う。
思い出したのは、ジークフリートの伝説だ。
ドラゴンを退治した英雄ジークフリートは竜の返り血を浴びて不死身になった。
凍崎の血を浴びても不死身になるはずはないが、今の状態こそがこいつ本来の姿に思えてならない。
それに、国家権力の頂点である総理大臣は、いわばリヴァイアサンの頭であり、広義のドラゴンと言えなくもないか。
「悠人、さん……」
後ろからはるかさんのつぶやきが聞こえた。
春河宮勇人が獰猛な笑みを浮かべて言ってくる。
「お早いお着きだな、蔵式。どうやってこの状況を察したんだ?」
「さあな」
と、はぐらかすが、もちろんタネはある。
神取桐子は自分の身体をダンジョンに造り変え、そのダンジョンを極小のモンスターに踏破させることで、レベルアップを自動化していた。
いくら効率がよくても自分の身体で試したいとは思えない方法だが、極小のモンスターという発想はおもしろいと思った。
スライムマクロファージほど小さなモンスターはレパートリーにないが、蜂くらいの大きさのモンスターならダンジョンの機能で簡単に作れるからな。
しかも、俺には魔王の【眷属統率】がある。
小さなモンスターを配置しておけば、そのモンスターの五感を短時間共有することができるのだ。
俺が官邸にスモールホーネットを送り込んだのは、凍崎の監視のためというよりははるかさんの様子を見守るためだ。
常時監視してるわけではないので、定時の感覚共有と春河宮勇人の襲撃のタイミングが噛み合ったのは幸運だった。
もっとも、その幸運は「虫の知らせ」という最近取得したスキルのおかげなんだから、完全な偶然ってわけでもない。
「凍崎を解放しろ」
軍刀に背中から貫かれた凍崎は、生きているのが不思議なほどの状態だ。
春河宮勇人が回復魔法を注ぎ込んでいるから死なずに済んでいるというだけだ。
「さあて、どうしようかな」
「言っとくが、俺への人質としては最悪に近いチョイスだぞ。俺はべつに見捨てたっていいんだ」
今後のことを考えると凍崎には生きて証言させたほうがいいと思うが、そのためにこの皇族のしょうもない要求を呑むかと言われれば完全にノーだ。
「解放したら前のように逃げるつもりか? その場合、おまえの後ろにいるエルフの女がどうなるかわかってるだろうな?」
「すっかり悪役が板についたな。俺には理解できないね。恵まれた生まれでありながら、それをこんなことのために台無しにするとは」
「恵まれた生まれだと? おまえに何がわかる!」
「わからねえよ。ただ確実に言えるのは、おまえはやっちゃいけないことをやったってことだ。小学生にだってわかることだぜ」
「この世にやっちゃいけないことなんてあるものか。俺の本気を見せてやる」
言うや否や、春河宮勇人は軍刀を縦に振り切った。
凍崎の腹から頭にかけてが脊髄に沿って縦に断ち切られる。
「凍崎総理!」
はるかさんが悲鳴を上げる。
それに被せるように、春河宮勇人は凍崎だった死体をこちらに向かって蹴り飛ばす。
俺はそれを魔法で生み出した不可視の手で受け止めた。
「やると思ったぜ」
俺はアイテムボックスからとあるアイテムを取り出した。
ジョブ世界のSランクダンジョン「崩壊後奥多摩湖ダンジョン」で腐るほど手に入れたアイテム「不死鳥の涙」だ。
その効果は――戦闘中に限り、死者を蘇生できるというものだ。
俺は凍崎に「不死鳥の涙」を使用する。
腰から上が二つに裂けた凍崎の身体が、逆再生のようにくっついていく。
回復を最後まで見届けず、俺は魔法の手で凍崎の身体をはるかさんの後ろにある応接用のソファに横たえた。
「おいおい、蘇生アイテムまで持ってやがるのかよ。だが、その男に蘇生するだけの価値があるもんか?」
「誰に殺されたかを証言させないと、濡れ衣を着せられる可能性もあるからな」
春河宮勇人が総理大臣を手にかけたというのと、「召喚師」が総理大臣を暗殺したというのと、どちらが信憑性があるかと言われると微妙なところだ。
まあ、はるかさんという証人がいるなら大丈夫だとは思うけどな。
なお、蘇生アイテムの価値ってことなら、今の俺にとってはさほどの問題もない。
今の俺は蘇生魔法も使えるからな。
長めの詠唱が必要になるから今の状況では使えなかったが。
「不死鳥の涙」も百個以上の在庫がある。
「それでこそだ、蔵式悠人。俺はな、おまえに運命を感じてるんだ」
「運命?」
「俺とおまえがタメだってことは知ってるか? 同じ年に生まれて、片方は中産階級の平凡な生まれ、もう片方はこの国の皇族だ」
「だからなんだよ。同い年の奴ならいくらでもいる」
「おまえのくれた『詳細鑑定』のおかげで、おもしろいこともわかった。このあいだ逃げられたときのログを見返してみたんだよ。おまえは俺の『戦う』から固有スキルを使って逃走したな? その固有スキルの名前は――『逃げる』だ」
ああ、そうか。
たしかにそういうバレ方をするリスクはあった。
俺も大和のステータスのログから凍崎の「作戦変更」に気づいたわけだしな。
「『戦う』と『逃げる』。英語で言えばfight or flight。極限状態に置かれた人間は大脳辺縁系が活性化し、危険に対する究極の二択に備えるようになる。その二択ってのが、戦うか逃げるかだ」
「知識のひけらかしかよ」
「まあ、もう少し付き合えよ。おまえの大好きなロールプレイングゲームの話をしようじゃないか。RPGの世界においても、戦うか逃げるかは常に突きつけられる二択だよな。モンスターが現れた! 選択肢は『戦う』か『逃げる』かだ。脳神経科学とテレビゲームの一致は偶然じゃねえ。それだけ人間の本能に訴える二択だってことなんだろう」
「……だから?」
「凍崎の『作戦変更』ってのも良い線行ってるよ。戦う、逃げる、作戦だ。ただ、作戦ってのは戦うためのもんだ。逃げるのに作戦は必要ねえ。三十六計逃げるに如かずかどうかは知らねえがな。そういう意味では、『作戦変更』は『戦う』の補助的な機能にすぎねえもんだ。要するに、なくてもいいもんなんだよ。凍崎は所詮その程度の器ってわけだ。俺とおまえの戦いを盛り上げるための引き立て役にすぎねえんだよ」
「もういいか? そろそろここが包囲されるようだが……」
「ん? ああ、邪魔だな」
春河宮勇人の身体から青いグリッドラインが迸る。
俺とはるかさん、凍崎が巻き込まれたみたいだな。
それ以外の気配――執務室の外に近づいていた連中の気配がいきなり消えた。
「『戦う』には部外者の介入を拒む効果もあるってことか」
戦いがターン制になるだけのハズレスキルではなかったわけだ。
「おまえの仲間がやってこれば、おまえが仲間を呼んだってことになって戦闘には参加できるぜ。外の連中はおまえの仲間とはカウントされなかったみたいだが」
ECRTの連中だったからな。
リーダーである東堂は俺のことを目の敵にしてる。
東堂にかけられた凍崎の「作戦」は最初に出会った時に解除したわけだが、結局東堂は最後まで俺を捕らえるという立場を崩さなかった。
それこそ芹香が駆けつければこの戦いに参加できるってことなんだろうが、俺はここに芹香を呼ぶつもりはない。
「蔵式。おまえに本当の意味で仲間といえるものがいるのかよ? おまえほどに傑出した力の持ち主は、この世界にも数えるほどしかいねえだろう。いや、きっと、俺とおまえしかいねえんだ。俺とおまえは運命の恋人同士なんだよ」
「気持ち悪いことを言うな」
言い返してもしょうがないのでリアクションを控えてたんだが、さすがにセリフが気持ち悪すぎた。
「つれないことを言うなよ、蔵式。この国の平凡の象徴のようなありふれた家に生まれたおまえと、この国の象徴たることを宿命づけられた皇族の俺。固有スキルは『戦う』と『逃げる』。年齢は同じで、名前は勇人と悠人で同音ときてる。運命を意識するなってほうが無理だろうが。おまえなら、俺が異世界で果たせなかった夢を叶えてくれると俺は信じてるんだよ」





