255 凶刃
「何が起きたの⁉」
はるかは席を立ち、官邸の廊下に飛び出した。
衝撃は官邸の奥――総理執務室のほうから伝わってきた。
地震というよりは、爆発系の魔法攻撃か何かのような。
いや、この世界で考えるなら爆弾だろうか。
他の個室からも官邸のスタッフたちが飛び出してきた。
この状況に対し、どのように対処するかは悩ましい。
今のはるかは特別報道官という身分であり、本来であれば守られる側だ。
だが同時に、はるかは優れた探索者でもある。
一般的なテロリストが相手であれば、そうそう遅れを取ることはない。
テロリストが探索者だったとしても、はるかよりレベルが高い可能性は低いだろう。
凍崎の「作戦変更」に激怒した国民によるテロ攻撃――
はるかの頭に真っ先に浮かんだのはその可能性だ。
「皆さんは安全な場所に避難してください! 総理の様子を見てきます!」
廊下に溢れた官邸スタッフに声をかけ、はるかは官邸の奥へと進んでいく。
はるかの個室と総理執務室は同じ階にある。
すぐに、廊下の奥にダークスーツのSPが倒れているのが目についた。
はるかは駆け寄って、
「大丈夫⁉」
「あ、ああ……」
出血しているが、意識はある。
はるかは魔法でSPの怪我を治療する。
精霊の力を借りたエルフの治癒魔法は強力だが、回復に時間がかかるのが難点だ。
わずかに血の気の戻ったSPにはるかは訊く。
「何があったの?」
「殿下が……」
「殿下?」
「春河宮勇人、だ。急にやってきて、制止したら、斬りつけられた……」
「総理は?」
「わからない……」
すぐ近くにある総理の執務室の扉は閉ざされている。
その奥に人の気配があることに、はるかは気づく。
単に人がいるだけではなく、殺気だった気配が漂っている。
重傷を負った者もいるようだ。
この中で何かよくないことが起こっているのは確実だろう。
判断に迷った。
春河宮勇人は、国内レベルランキング1位の探索者だ。
その力ははるかを大きく凌ぐ。
増援を待つべきかもしれない。
だが、いつになったら増援が来るのかわからない。
そもそも、皇族勇者の異名でも知られる勇人を止められる「増援」などどこにいるのか。
官邸には警視庁の派遣した機動隊の探索者部隊がいるが、勇人相手では力不足は否めない。
いつもは官邸に詰めていることが多いECRT――内閣官房探索犯罪即応部隊も、「召喚師」を探し出すという名目のもとに出払っている。
部屋からは重傷者の気配がする。
おそらくは凍崎総理だろう。
増援を待っていては、凍崎の命が失われかねない。
「……総理には責任を取ってもらう必要があるわ」
もしここで凍崎がテロにより命を落とすことがあれば、事態の引き金を引いた「召喚師」――悠人は気に病むに違いない。
悠人が望んだのは、暴力による凍崎の排除ではない。
民主主義的なプロセスを踏んだ上での、合法的な手段による凍崎の排除だ。
はるかは覚悟を決めて、執務室の重厚な扉を押し開く。
カーペット敷きの部屋の奥にある執務机の前に、凍崎が立たされていた。
つま先立ったような状態で――腹の中心から軍刀を生やして。
その背後から凍崎を軍刀で貫いているのは、
「春河宮殿下……なんてことを」
「ああ、エルフの報道官か。危険を顧みずご苦労なことだな」
白い旧軍の軍服を朱に染めた美丈夫が、喜色の混じった声音でそう言った。
総理執務室の壁の一方が、魔法で吹き飛ばされ、青い空が覗いている。
はるかの身体が震えたのは、外から流れ込む寒風のせいか、美丈夫の瞳に宿る狂気のせいか。
「心配するな。まだ殺しちゃいねえよ。回復魔法をかけている」
言葉通り、凍崎はまだ生きていた。
たしかに、口から吐血し、刺し貫かれた腹から大量に出血している。
だが同時に、軍刀から注ぎ込まれる治癒魔法によって回復されてもいる。
意識はあるようだが、この状態ではしゃべることはできないだろう。
「何をやっているのです? 『作戦』の件で総理を恨んで……?」
「んなわけあるか。俺が『作戦』なんぞにかかると思うか?」
「じゃあどうして……」
「天誅さ」
「なんですって?」
「国民に成り代わって、皇国の存亡を危うくした佞臣を討った。それだけだ」
勇人の言葉を、はるかは慎重に考える。
「……でも、あなたは総理を殺していない」
「それじゃあつまらねえからな」
「つまらない? なぜ?」
「『召喚師』――蔵式悠人をここに呼び出せ」
「……なんですって?」
「クソつまんねえオチをつけてくれやがったからな。その落とし前をつけてもらうんだよ」
「悠人さんは非難されるようなことはしてないわ」
「悠人『さん』? ……ああ、そういやあんたは蔵式と知り合いだったんだな。くくっ、そいつはちょうどいい」
失言に気づいてはっとするが、今からでは誤魔化すこともできなかった。
「悠人さんを呼び出して……腹いせをしようと? 総理を人質にして?」
「安心しろ。武装解除させてなぶり殺しにするような下らない真似はしねえよ。俺はただ、本気を出した『召喚師』とマジの殺し合いをしてみてえだけだ」
「そんなことのために……こんなことを?」
「悪いか? どうせ、この国に俺を裁けるような奴はいねえんだ。小賢しい法律だのなんだのに縛られてんのも馬鹿らしい。すっきりしたぜ、こうしてみてよ」
「力があるからと言って法律を破っていいわけではないわ」
「どうして帝王たるこの俺が、小人どもの決めたつまんねえ法に従わなきゃなんねえんだ。それもこれも、この国が戦争に負けたからだ。帝王の支配する帝国が、衆愚の国になっちまったからだ。俺は今度こそ、この国を世界を統べる大帝国に変えてみせる。その役に立つと思ってこいつに協力してきたが、こいつは蔵式を侮って自滅した。よって、俺が直々に殺処分することにしたってわけさ」
「……なるほど。あなたもクローヴィスの同類だったというわけね」
「あんな失敗者と一緒にするな。日本は世界の国々に優越する大帝爵の国なんだよ。このまとまりのないカオスだらけの世界を一つにまとめあげるのはこの国なんだ。神国なんだよ、我が国は」
「しゃべればしゃべるほど底の浅さが透けてくるわ。見損なったわよ、殿下」
「はっ、なんとでも言え。とにかく、どんな手段を使ってもいいから、さっさと蔵式を呼びやがれ。なんなら俺がネットで呼びかけてやろうか? 『召喚師』、正体を暴露されたくなければ官邸に来いってな」
「……少し待ちなさい」
廊下側から慌ただしい気配がする。
騒ぎに気づいてようやく警備が動き出したのだろう。
「俺が気配を読めないとでも思ってるのか? にわかごしらえの機動隊の探索者なんぞ、いくら包囲されようが敵じゃねえ。そら、総理が死んでもいいのか? 早く蔵式を呼び出せよ!」
はるかは躊躇してから、スマートフォンを手に取った。
「召喚師」の正体は官邸や警察関係者には割れているが、世間一般には知られていない。
人前に出ることを好まない悠人は「召喚師」であることを知られたくないだろう。
それを防ぐには、はるかから悠人を呼ぶしかない。
だが、この危険な男と戦うことになるとわかっていて、悠人をここに呼び出していいものか?
あれだけのことをやってのけた悠人の実力は疑うまでもないが、目の前にいる皇族勇者もまた国内最強と言われる探索者なのだ。
「とっととしねえか! なんならおまえを人質にしたほうが手っ取り早いか? 蔵式が来なければ美人報道官様の耳やら鼻やら指やらを削ぎ落とすと言って脅せば、お優しい蔵式君はすぐに駆けつけてくれそうだよなぁ⁉」
「下劣な男ね……」
はるかが連絡を取らなかったところで、勇人自身がネットで騒ぎ立てれば同じ結果になってしまう。
いや、そのほうが悠人にとっては面倒な事態になるだろう。
こんな騒ぎを起こし、失うもののなくなった勇人が、悠人の正体を暴露しない理由がない。
それくらいなら、はるかから連絡を取ったほうがまだましだ。
この男の言いなりになることに危険を感じるのは確かだが……。
「早くしろ! 俺はどうなったっていいんだぞ! 蔵式を呼んで、俺に最高の戦いを味合わせろぉっ!」
「……ごめんなさい、悠人さん」
はるかが震える手でスマートフォンの通話アプリを起動しようとしたところで、執務室に一陣の風が吹き込んだ。
気づけば、はるかの前に一人の青年が背を向けて立っていた。
少し猫背気味で、背も勇人に比べると頭半分くらい低いだろう。
均整の取れたスポーツマン体型の勇人に対し、ひょろりとした印象の頼りなさそうな背中をしている。
だが、その背中に、途方もない安心感を覚える自分がいた。
突如現れた青年は、ちらりと背後のはるかの様子を伺ってから、春河宮勇人に目を向けた。
「俺に用があるみたいだな」





