249 和解、夏目青藍(1)
夏目青藍への接触が実現したのは、十二月も半ばに差し掛かってきた頃のことだった。
あいかわらず、世間は揺れていた。
その前の週に、領空に接近したロシア空軍のSu-57をスクランブル発進した空自機のパイロットが独断で撃墜するという事件が起きた。
冷静に考えれば指揮系統を無視した勇み足となるはずなのだが、過熱する世論は空自機のパイロットを英雄と持ち上げた。
ちょうど今、軍規に基づきパイロットを処分しようとした自衛隊への抗議デモが市ヶ谷で繰り広げられてるところらしい。デモには数千人が集まり、基地内への侵入も厭わない過激な抗議活動が行われているという報道だ。
例の奥多摩湖ダンジョン崩壊に伴う核危機の時に、ロシアは核ミサイルを日本の都市に発射した前科があるからな。
迎撃ミサイルとクダーヴェのおかげで被害がなかったとはいえ、ロシアへの敵対感情が高まったこと自体は当然だ。
だが、第二次日露戦争も辞さず、と大手新聞社が社説で訴えるというのは、さすがに異常事態なんじゃないだろうか。
国内では、親中国と見られた自政党の国会議員が暴徒に襲われ客死する事件が起きている。
この暴徒の中には多数の探索者が含まれていたらしい。
最近になって、アメリカの一部ダンジョンで銃がドロップするようになったというニュースが表に出た。
以前、ECRTの東堂が得意げに語ってた話だな。
もし日本国内のダンジョンでも銃がドロップするようになれば、日本の銃規制は崩壊する――そんな議論もなされてたんだが、俺に言わせればそれ以前の問題がある。
そもそも、探索者としてのステータスを持つことのほうが、銃を持つことなんかよりよほど危険なことなのだ。
ダンジョンドロップでないただの銃から発射された弾丸より、レベル数十の探索者が「ショートボウ」で放った矢のほうが、弾速が早く、ダメージも大きい。
しかも、レベルの高い探索者は、銃で撃たれてもさほどのダメージを受けないからな。
非探索者の警察官がいくら銃器で武装しても、高レベル探索者を制圧することは難しい。
警察にも制圧できない犯罪者が存在する――という事実を突きつけられて、一部の国民はパニック寸前になっている。
しかも最近は、ステータスのオン・オフが利きづらくなった、なんて話もある。
まだ日本国内だけの現象のようだが、本来は意識的にオンオフできるはずのステータスをオフにできない探索者が出てきてるというのだ。
おそらくは、ダンジョンが当たり前のものになってきたからだろう。
ダンジョンが当然のものとして認知され、ステータスがあることを特別なことだと感じなくなった。
ダンジョンやステータスという仕組みがこの世界に根づき、日常化しつつあるということだ。
となると、犯罪に探索者としての力が使われる事態は、今後増える一方だろう。
以前ならダンジョン内に限られていた探索者による犯罪が、地上に溢れようとしてるということだ。
凍崎の演説の余波もあって、日本は一億総探索者の状態に近づきつつある。
ダンジョン出現後に探索者が増えたと言っても、演説以前の探索者の割合は社会の一部を占めるにすぎなかった。
以前通りの数のままであれば、不完全ながら探索者協会が睨みを利かせることもできていたはずだが、今となってはそれも難しい。
ダンジョンに潜るわけではないがステータスだけは持っているという市民も多く、その力が突発的に犯罪に利用されるのは避けられない。
それを取り締まる側の警察は、警察官を積極的にレベリングするなどして対策を講じているが、遅きに失した感は否めない。
そのせいもあって、芹香はあちこちの現場に引っ張りだこになっている。
そんな中で、俺は青藍の別荘のある伊豆を訪れていた。
電車で、ではなく、国内のあちこちに設けた【ダンジョントラベル】用のダンジョン経由で、だ。
夏目青藍は、和風の別荘で俺を迎えてくれた。
夏目青藍は保守派の言論人だが、最近の言説を見る限り、世論の過熱とは距離を置いている。
論理よりも感情が優先されるようになった言論界に見切りをつけ、静かな環境で自身の著作に集中してるのだという。
まあ、調べたのは俺じゃなくて灰谷さんや春原なんだけどな。
「君がこの国の抑止力か。思ったよりも頼りない青年だ」
羽織付きの和服姿で、白髪混じりの老言論人がつぶやいた。
俺の一個下である紗雪の父親としては年かさだ。
紗雪は遅くにできた娘だったと、ジョブ世界の知識で知っている。
モノクロ写真の印象とは異なり、目の前にすると思ってたよりも小柄に見える。
青藍とつなぎを取ってくれたのは春原だが、今は春原は同席していない。
紗雪とつながりのないこの世界の春原には話せないこともあるからな。
「よく言われます」
いきなりディスられて困ったが、苦笑でごまかすことにした。
実際、頼りなく見えるのは事実だろうからな。
俺の外見では頼りがいがありそうに見せかけるのは無理だと、とっくの昔にあきらめてる。
「いや、悪くはないさ。このような時勢にあって、元気いっぱいであるのはうつけの証だ」
薪のくべられた暖炉の前に置かれたソファは、こんな場合でなければ眠気を誘ったかもしれないな。
「青藍さんは、今の時勢に思うところが?」
「青藍さん、か」
俺の呼び方に、青藍がわずかに首を傾げる。
紗雪のことを知ってるからつい名前で呼んでしまったが、初対面の年上の相手に対してこれはかなり失礼だったな。
名前の方はペンネームで実名ではないと言っても、名前で呼ぶのはおかしいだろう。
「失礼しました。夏目先生は……」
「いや、構わんよ。……君は娘の大事な人だったのだろう?」
「……ご存知だったのですか?」
「私は娘のことを愛していた。あの年頃であったから、娘からは疎ましく思われておったと思うがな。思春期ゆえのことと思っておったが、今となってはもっと真剣に娘と向き合っておれば、と悔いしか残らぬ」
と、ため息を漏らす青藍の目尻に、わずかに涙が滲んでいた。
「君は娘を救おうとしてくれたそうだな。にもかかわらず、娘は君に忘恩で報いてしまった。娘も悩み苦しんでのことだったとは思うが、君には詫びねばならぬと思っていた。私が代わりに謝ったところで意味があるとは思えぬが……すまなかった、蔵式君」
青藍に頭を下げられ、俺は困惑する。
この展開は予想してなかったな。
いやにスムーズに話が進むと思ったらこういうことだったのか。
紗雪は、凍崎純恋(当時は氷室姓)によるいじめを苦にして自殺したことになっている。
その後にSNSに流出した「遺書」から、紗雪は自分のことをかばいきれなかった俺のことを非難した……と思われている。
青藍は、そのことの非は娘の方にあると思っていたらしい。
「顔を上げてください、青藍先生。俺には先生から謝罪される理由がありません」
「やはり私の謝罪には意味がないか?」
「いえ、先生のお気持ちはわかりました。ですが、その謝罪を受け取るわけにはいかないのです」
「……なぜだ?」
「事実誤認があるからです」
「事実誤認だと?」
「ええ。どこから話したらいいのか難しいのですが……」
「言ってくれ。娘に関することは何でも知りたい。それが私の贖罪なのだ」
すぐに言ってやりたかった。贖罪の必要などなかったのだと。
だが、説明の順序を誤るわけにはいかない。
とうてい信じがたいような話ばかりだからな。
「先生は、核危機のときの俺の動きについてどこまでご存知ですか?」
「核危機のときの……? それが娘とどう関連するというのだ?」
「関連するんですよ。長い話になります」
「……そうか。私が知っているのは、君がなんらかの強力なスキルによって核ミサイルを一基撃墜したことと、奥多摩湖ダンジョンの崩壊をなんらかの方法で終息させたことだけだ。君がいなければ、この国は終わっていたかもしれんな。凍崎総理の君への扱いは理解に苦しむよ」
じゃあ、ひと通りのことは知ってるんだな。
政界にも顔が利くというのは本当らしい。
「俺は、崩壊した奥多摩湖ダンジョンの奥底で、奇妙な現象に巻き込まれました。それは……」
俺が界竜シュプレフニルに見込まれ、平行世界であるジョブ世界に飛ばされたことを話す。
そこで見聞きしたことと、判明した真実を。
青藍は微動だにせず俺の顔を睨むように見つめながら、俺の話を聞いていた。
疑われているのかもしれないが、それもしかたがないことだろう。
紗雪の死への責任を逃れるために俺が話を作ってると思われてもおかしくないからな。
「……にわかには信じがたい話だが……」
「俺が個人で核ミサイルを撃墜したことも、ダンジョン崩壊を食い止めたことも、わりと信じがたい話だと思います」
「それはそうなのだがな……。平行世界など、まるで空想科学小説のようではないか」
「証拠……と言えるかどうかはわかりませんが、ひとつ見ていただきたいものがあります。先生なら見極められるはずです」
青藍なら見極められる、と保証してくれたのは、ジョブ世界の紗雪だ。
俺はアイテムボックスから一冊の真新しい雑誌を取り出した。
表紙には、「文藝界新人賞受賞作 雪代棗『虫籠』」とある。
この世界からすると数年前に当たる発行日が記されているが、俺が何度か目を通しただけの新品に近い状態だ。
のちにあっちの紗雪から単行本化された『虫籠』ももらってるが、物証としては雑誌のほうがいいだろう。単行本を一冊でっち上げることはできなくもないだろうからな。
「俺がジョブ世界と呼ぶ平行世界で発行された『文藝界』です。紗雪の……紗雪さんの書いた小説が掲載されています」





