238 青いポータル
新宿駅地下ダンジョンの構内に、青いポータルが浮かんでいた。
青いポータル。
その存在を、シャイナはDungeonsGoProのチャット経由で知っていた。
首輪を嵌められた者たちも、完全に無抵抗なわけではない。
比較的自由行動を認められているものもいるし、そうでなくとも他の異世界人探索者とダンジョン近辺ですれ違うことはある。
そうした折に、隙を見てDGPのチャットの連絡先交換要請を送るのだ。
そうしてわずかな機会を伺って繋がったか細い連絡網が、異世界人探索者のあいだに築かれつつある。
その動きは、今のところはまだ、「主人」側には漏れていない。
DGPは、本人以外の人間が本人の了解なく覗き込むことはできないようになっている。
これは、首輪を使った「指示」があったとしても同じことだ。
いくら「主人」であろうとも、本人の同意なくDGPの画面を見ることはできない。
DGPが首輪の強制力による「同意」を本当の同意とみなさなかったことが、異世界人たちにとっては救いとなった。
その細々とした秘密の連絡網経由で、最近ひとつの噂が流れていた。
――ダンジョン内に現れる青いポータルに飛び込めば逃げられる
最初は絶望的な境遇から生まれた荒唐無稽な噂かと思った。
だが、実際に最近、行方不明になる異世界人が増えている。
最初は表沙汰になっていなかったが、今ではテレビのニュースでも異世界人逃亡事件が報じられるようになった。
首輪の誤作動ではないかとの憶測がなされているようだが、逃亡の具体的な経緯は一切報じられないという不思議な状況になっている。
連絡網の参加者の中には、知人が実際に青いポータルに飛び込んで行方をくらませたと主張するものもいた。
その青いポータルを見て、
「んだ、ありゃあ。気持ちわりいな……」
と、立ち止まる坂城。
今しかない――
そう思うと、自然に身体が動いていた。
青いポータルまでは二十歩と言ったところか。
シャイナのような高レベル探索者の足なら数秒の距離だ。
「間に合って――!」
だが、現実は無情だった。
高レベル探索者であるのは、坂城たちも同じこと。
数秒もの時間があれば、起きた現象に反応するには十分だ。
「雷鎖ぁ!」
「っあぁっ!」
坂城の「雷鎖」は、稲妻の速さで着弾する。
いくら高レベル探索者の敏捷であっても、人間に反応できる速度ではない。
よしんば反応できたとしても、雷の標的としてマークされた時点で、追尾する雷をかわすことはできないのだ。
雷に打たれたシャイナの身体が、ダンジョンの床に転がった。
青いポータルまであと数歩。
雷で動かない身体を無理に動かし、シャイナは青いポータルに近づこうと床を這う。
その背中を、坂城の革靴が踏みつけた。
「ぐあっ!」
「なんだなんだ、いきなり駆け出して。まさか、逃げるつもりだったのか? ああ?」
そう言って、ぐりぐりと靴をねじる坂城。
「ぐっ……」
「1号。てめえ、この青いポータルが何か知ってやがるのか?」
知らない、と言いたかった。
だが、雇い主に虚偽を口にすることは、首輪の制約で不可能だ。
ただ、黙ることはできる。
日本国の法律でも、相手が警察官などで特別な状況になければ、聞かれたことに答えないことは犯罪ではない。
そういえば――とシャイナは思う。
青いポータルに飛び込むことが自分にとって「逃げる」ことである以上、首輪の制約で私は行動を阻害されるはずだった。
「ヘカトンケイル」で指示に従いながら探索者をすることが契約であり、そこからの逃亡は日本国の法律に反するからだ。
だが、目の前の青いポータルに飛び込むことには、躊躇もなければ制約もなかった。
「知ってんだな? おら、さっさとしゃべらねえか。こいつは探索に関する『指示』だぞ」
「くぅっ、こ、この青い、ポータルは……」
この青いポータルは、最後の希望だ。
首輪をはめられ、奴隷同然の境遇に落とされた同胞たちの。
それをこの卑劣な男に話すわけにはいかない。
だが、首輪は強制力を発揮する。
抵抗しても遠からずしゃべることになってしまう。
探索中に出くわした異常現象について知ってることがあれば話せ――これは探索者としての正当な指示なのだから。
……そうだ、舌を噛み切れば……。
物理的に喋ることができなくなれば、秘密を漏らすこともない。
――ごめんなさい、お父様、お母様。私はもう……
シャイナは意を決して、自分の舌にその歯を突き立てようと――
したところで、それは起きた。
「ぐおっ!?」
颶風。
そうとしか言いようのないものがダンジョンの通路を駆け抜けた。
地面に転がっていたシャイナは無事だが、坂城やその仲間は風をくらい、離れたところまで飛ばされている。
「な、何が……?」
顔を上げ、颶風の風上に目を向ける。
突風によってシャイナの窮地を救ってくれた者がそこにいるはずだ――
そう予感していたシャイナだが、その期待は大きく外れた。
そこにいたのは、人ではなかった。
「す、スライム……!?」
ただのスライムだ。
それも、通常のスライムよりかなり小ぶりな、ただのスライム。
「な、なんだあのスライムは!? くそがっ!」
起き上がった坂城が、「雷鎖」の雷球をスライムに放つ。
が、雷球はスライムの手前で見えない何かに弾かれた。
「な、何っ!?」
スライムは坂城を意にも介さず、ぷよんぷよんと跳ねながら、倒れたままのシャイナに近づく。
坂城たちを攻撃したからと言って、シャイナの味方とは限らない。
相手がモンスターであればなおさらだ。
「こ、来ないで!」
思わず叫んだシャイナだが、スライムはシャイナの言葉を聞いていない。
スライムはシャイナの近くで弾むのをやめた。
直後、スライムから魔力が迸り、シャイナの身体を包み込む。
「か、回復魔法……?」
それも、見たこともないほど高度で、高威力のものだ。
負傷と言えるほどの負傷がなかったシャイナには、あきらかに過剰なものである。
シャイナに回復魔法をかけたスライムは、シャイナを坂城たちからかばうように立った。
……いや、「立つ」という表現が正しいかどうかはわからないが、シャイナには少なくともそう感じられた。
王女時代、近衛騎士が不届き者の前に立ちはだかった時のような――いや、それを上回る安心感が湧いてくる。
「くそっ、なんだってんだ……てめえら! あのスライムを片付けろ!」
坂城の声で、呆然としていた探索者たちが動き出す。
だが、坂城の「雷鎖」に頼った「ヘカトンケイル」は、シャイナ以外前衛だ。
彼らがスライムに詰め寄る前に、スライムが再び颶風を放つ。
間近でその発動過程を見たシャイナは、スライムのやっていることがなんであるかに気がついた。
「魔法言語による詠唱――それも行程の半分を無詠唱化しているというの!?」
そんなことは、元の世界の宮廷魔術師にもできなかった。
スキルという出来合いのシステムに依存したこの世界の探索者たちにもできないだろう。
もちろん、モンスターとて、この世界ではスキルという形式に縛られている点では同じである。
「なんだ、あのスライムは!? 俺たちはSランク探索者なんだぞ!?」
当たり前のように連続して放たれる颶風から顔をかばいつつ、坂城が叫ぶ。
坂城はかろうじて地面にかじりついているが、他の探索者たちは通路の奥へと吹き飛ばされ、地面に転がされている。
そこで、シャイナは気づいた。
スライムは、わざわざ殺傷性のない魔法を選んでいるのだ、と。
「お、おまえは一体……?」
唖然としてつぶやくシャイナの前に、青いポータルの中から、見知らぬ青年が現れた。
スライムは颶風を中止して、嬉しそうにその青年の肩に飛び乗った。
青年が言う。
「サンキュー、アトロポス。悪いな、変なロシアのスパイに絡まれて、戻ってくるのが遅くなった」
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