236 空気との戦い
◇朱野城芹香視点
霞が関――中央合同庁舎のひとつにある会議室で、居並ぶスーツ姿の委員たちに、私――朱野城芹香は問題を提起する。
「『自由契約の首輪』と称するアイテムの着用強制は、紛れもなく人権侵害です。即刻廃止するべきです」
私がこの場でこれを主張するのは三度目だ。
他の委員たちがうんざりした顔を見せる。
今私が参加しているのは、「異世界探索者移民受け入れに関する有識者会議」――という長ったらしい名前のつけられた、国の有識者会議である。
その委員の一人として声をかけられた時には、断ろうかとも思った。
中規模のギルドを運営する立場で、私自身もSランク探索者。
女性で若い、という条件も、今の世なら障害にならないどころか、むしろ望ましいのかもしれない。
だが、この有識者会議の座長はあの凍崎誠二――いや、今やこの国の現職総理大臣である凍崎首相だ。
悠人と――ひいては私とも浅からぬ因縁のある相手だけに、どうして私に声をかけてきたのかわからない。
会議の中立性をアピールするために、若い女性探索者である私がちょうどよかったのではないか、というのが翡翠ちゃんの分析だ。
でも、もっと気になるのは、悠人の分析だね。
凍崎誠二の固有スキルは「作戦変更」――自分をリーダーと認める社会集団に「作戦」を押し付けられるというものだ。
この固有スキルの詳細な発動条件はわからない。悠人からスキルの説明文は聞いてるけど、実際にどう発動するかは凍崎自身にしかわからないだろう。
でも、参院選の比例区での自政党への投票を、選挙後に新総裁となった自分への間接的な支持と読み替えることができたくらいには、幅が広い。
この有識者会議の委員にも「作戦変更」は働くと見るべきだろう。
悩んだ末に、私は有識者会議の委員を引き受けた。
この国は、急激に変わろうとしている。
そして、その変化の方向は、私にはとても危険なものにしか思えなかった。
たとえお飾りの委員だとしても、委員は委員だ。
会議の席で発言する権利はある。
このまま黙って何もしないでいるよりは、その立場を利用して現状への危惧を世間に訴えたいと思ったのだ。
問題は私に「作戦」をかけられるリスクだが、これについては対策がある。
といっても、悠人頼みの対策なんだけど。
悠人が私のステータスを「アーカイブ」「再鑑定」し、もし「作戦」がつくようならすぐに「強制解除」する。
会議の開催時間中は悠人が私のステータスを見守ってくれるというわけだ。
離れた場所にいてもそんなことができてしまうんだから、もう呆れるしかないよね。
とはいえ、凍崎が「作戦変更」をするためには、作戦を変更すると宣言する必要がある可能性が高い。
例の「大演説」にも「作戦を変更する」という宣言が入っている。
そんな宣言を入れ込んでなぜ不審に思われないのかって点は、まだ謎のままだけどね。
固有スキルそのものの修正作用なのか、あるいは何か別のスキルを併用してるのか……。
悠人の「逃げる」だって、巻き込まれた他者の認識を捻じ曲げる。
「作戦変更」に同じような効果があったとしてもおかしくはない。
おっと。今は会議に集中しないとだね。
「朱野城委員は、それでは、素性のわからない異世界出身の探索者を野放しにするべきだと?」
そう訊いてきたのは、若手の論客ということで招かれた海外の大学の助教だった。
その言葉遣いも、口調も、かなり攻撃的な印象を受ける。
元は統計やデータに基づいて冷静な議論をする人だったはずなんだけど。
私は反論する。
「人であるという点において、日本人だろうと異世界人だろうと、人として扱われる権利を持っているというのが、近代社会の基本的な理念ではないですか。まだ犯罪に走っていない異世界人を、最初から犯罪者予備軍として扱い、日本人の命令に逆らえないようにするというのは、いくらなんでも行き過ぎです」
実際、欧米の自由主義の国々は、日本政府の異世界人への対応に「深刻な懸念」を表明している。
海外のメディアの中には、"Japan PM declared slavery?"(日本の首相、奴隷制を宣言か)といった辛辣な論評を連発し、世界に警告を発してるところも数しれない。
それに対する日本のネットの反応は――
「豊かな日本に招かれて働くことができるのです。多少の行動制限など受け入れるのが筋でしょう。適切な指導をするべきです」
SNSで「いいね!」を集めそうなコメントを、有識者の女性議員が口にした。
保守系のイデオローグとして自政党内で注目されている中堅女性議員である。
「朱野城さんは、首輪をつけない異世界人が、日本人の女性を乱暴したとして、それでもなお、首輪をつけるべきではないと言えるのですか? もしあなた自身がそのような目に遭っても、異世界人の人権の方が大事だと? それとも、お強いあなたには関係ないということですか?」
「……論点のすり替えです」
セクハラを織り交ぜた論理で攻めてくる議員に、なんとかそう指摘する。
「日本人にも犯罪を犯すものはいます。日本人探索者のパーティメンバーとして働かせるのなら、相応の身分を与え、基本的な人権を保証するのが当然ではありませんか」
「朱野城さん。あなたは、欧州で起きたことをご存知ないのですか? 中東からの難民を大量に受け入れたヨーロッパでは、難民による犯罪が横行しました。暴力、略奪、殺人、暴行……。ホスト国の法律や文化、価値観を理解しようともせず、自分たちだけでコミュニティを作って閉じこもり、街の一部を不法に占拠して警察官の立ち入りすら拒む――それと同じことを日本でも許せと言うのですか?」
「……受け入れ数を絞り、十分な事前教育を行ってから受け入れれば、リスクは大きく減らせるはずです。短期間に日本の人口を倍以上にするほど受け入れる必要はありません」
今度は、委員の男性教授(歴史学が専門らしい)が口を開く。
「この国の少子化は留まることを知らず、このままでは数十年先に日本の国際的な影響力は今の半分以下になるだろう。もはや手段を選んではいられぬ。人口こそ、国の基。人がなければ国は持たぬ。探索者としていざとなれば兵士としての活躍も見込める異世界人を受け入れるのは、この国の将来を思えば最上の策だ」
「日本は異世界から人を連れてきて奴隷にするような国だと他国から責められても、ですか?」
「朱野城さんは若いからわからないかもしれないが、国際政治は綺麗事の通用しない剥き出しのパワーゲームなのだよ。日本がパワーをつけそうになれば、他の国はこぞって反対する。それだけのことだ。ただのくだらぬ嫉妬だな」
「人権に関する懸念は正しいと思いますが」
「そもそも人権なる概念は西洋起源のもので、日本固有のものではない。日本は有史以来和を以て尊しでやってきた国なのだ。今の日本人はなにかといえば権利、権利とかまびすしい。自分を抑え、我慢して、国や社会のために尽くすのが日本人の美徳というものだろう! 男は仕事、女は家庭! この国で醸成されてきた美徳、美風を軽視するから、少子化などが起きるのだ! 生意気なことは、自分で子どもを産んでから言いたまえ!」
「男女差別、いえ、明白なセクハラですね。あなたの委員としての資格を問うてもいいんですよ?」
「勝手にしろ! おまえごとき小娘が何を言おうと、天地神明に誓ってわしは正しいことしか言っておらん! 異世界人の人権だと? そんな寝言はこの国の人口に貢献してから言うのだな! それに、多少人権を制限されようが、日本のすばらしい文化に触れ、日本の経済的豊かさに触れれば、程度の低い異世界人は感銘を受け、この国で生きたいと願うに違いない!」
歴史学者はそう言って、自分の言葉に満悦したように、突き出た腹を撫で下ろす。
私は苛立ちを堪えつつ、
「……それはあなたの妄想、ただの願望ではありませんか? 今の日本人は、あなたの妄想しているような国粋主義者ばかりではありませんよ」
「な、なんだと! 失敬な! 小娘風情が天下国家を論じるこの場に呼ばれておるのがおかしいのだ! 結婚して子どもでも設ければ、わしの言っておることが正しいとわかるだろう! そうしてから出直して参れ!」
「……口を開けば子どもを作れ、ですか」
さすがに呆れ、言い返す言葉に困っていると、
「小平教授。その辺で」
冷ややかな声に割り込まれ、歴史学者が赤い顔のままで着席した。
その目はまだ私を睨んでいるが、口を開くつもりはないようだ。
歴史学者を一言で黙らせたのは、誰あろう、凍崎誠二その人だった。
今は総理となった凍崎は、この有識者会議の座長であり、議事進行役を買って出た。
そのことが「作戦変更」のトリガーになってるのかはなんとも言えない。
今の政府に選ばれた「有識者」は、元々凍崎信者とも言えるからだ。
ひょっとしたら政府に批判的な識者にも声をかけたのかもしれないけど、彼らも会議で吊し上げを食うのを恐れて参加しなかったのかもしれない。
それでも乗り込んでくる気骨のある識者を「作戦変更」で籠絡しよう――そんな裏の目的があった可能性もある。
もしそういう人がいたら、悠人と引き合わせ、「強制解除」で「作戦」を解いてもらおうかと思ってたんだけど。
参加を見送った人が臆病だったのか賢明だったのかは、一概には言えないところだろう。
ともあれ、結果として、私はこの会議で唯一総理大臣の方針に反対する参加者となっている。
でも、周りが全員敵ということなら、なんの遠慮もなくものが言える。
「座長。先の小平教授の発言は、私に対するハラスメントであると同時に、この国のあらゆる女性を貶めるものでした。小平教授の委員としての資質に疑問を持たざるを得ません。解任を求めます」
「な、なんだと!」
歴史学者が喚くが、私は本気だ。
凍崎の「作戦変更」によって多くの人間が本来の自分の思考を失ってるということはわかってる。
この教授だって、元はここまであけすけに男尊女卑を訴えてはいなかっただろう。
凍崎の「作戦」によって、秘められていた差別意識が表に引きずり出されたのだと思えば、同情の余地もなくはない。
だが、このまま彼が委員会に居続けていいとは思えない。
「では、決を取りましょう。朱野城委員の提起した小平教授への解任動議に賛成の方は?」
私はもちろん手を挙げた。
だが、それ以外の委員は動かない。
「朱野城委員の動議は、反対多数で否決されました。次の議題を――」
私は唇を噛みしめる。
認めたくないことだが、今の日本において、小平教授は決して例外な存在ではない。
ネット上にはそれ以上に過激な書き込みが増え、しかも多くの賛同者を集めている。
悠人の活躍で一時は各界の識者から非難が浴びせられた「ゲンロン.net」も再開され、以前にも増して攻撃的なやりとりが交わされている。
議論の過熱がリアルでの殺人事件に繋がった例すらあるほどだ。
凍崎の隣に座る補佐官が、書類に目を落としながら次の議題に取り掛かる。
「奥多摩湖ダンジョンの異世界回廊が開通してから三ヶ月が経ちました。今月末、日本語教育と日本の社会についてのインストラクションを終えた第一期の異世界人探索者が、いよいよ入札にかけれらます」
おお、とどよめく声。
とくに反応が大きかったのは、私以外の探索者ギルドのマスターだ。
私以外にも、大手ギルドのマスター数人が有識者委員としてこの会議に参加している。
もちろん、立場は「あちら側」なんだけど。
「公正を期すために、入札は公開のオークション方式になることが決まりました。目玉は、レベル2294のエルフの女性でしょう。エリュデュシア王国の元宮廷魔術師。『ヘカトンケイル』が十億で入札すると公言していますね」
「十億!」
「浅層とはいえSランクダンジョンに潜る『ヘカトンケイル』ならば、十分にリターンが見込めるということでした。オークションの収益は、異世界での事業拡大の特別財源とすることが、先月の特別立法により決まっています」
事業拡大の財源――つまり、人を売った金でさらに人を買ってくるということだ。
「異世界省を新設するという話は?」
「各省庁間での綱引きが激しく、すぐには調整がつかない状態ですね」
その言葉に凍崎が反応する。
「私の名前で、関係部署の官僚たちを黙らせてください。役所の綱引きの結果の妥協的産物ではなく、本当の意味で機能する『異世界省』を作るように」
凍崎の言葉に、委員たちが興奮の声を漏らした。
その後も、私の頭の上で、いろんなことが決められていく。
ここは有識者の意見を聞くための場でしかなかったはずだが、凍崎がいればなんでも決められる。
実際、凍崎が首相となってから、行政機構の再編が恐ろしい速さで進んでいた。
私が生まれてからずっと、ニュースなどでは政官界の改革の遅さが常に批判されてきた気がするが、今の凍崎政権はそうではない。
私は何度か言葉を挟み、目の前の濁流を堰き止めようと試みたが、私の言葉は誰の心にも響かないようだった。
……どうしようもないかな。
指名手配され、地下に潜った悠人は、ダンジョンの奥底から彼にしかできないことをやろうとしている。
私の地上での「戦い」がその援護になればと思っていたのだが、蓋を開けてみればこのざまだ。
日本は空気に支配された社会である――と、最初に言い出したのは誰だろうか?
独裁者が支配しているだけなら、独裁者を排除すればいい。
物理的に倒さなくても、言論による批判だって、独裁者を追い詰めることはある。
だが、相手が空気となると、戦い方は難しい。
悠人の立てた策は聞いてるけど、どれも時間がかかりそうだし、確実にうまくいくとも言い切れない。
悠人が軸になるのは間違いないにしても、他にもたくさんの味方が必要になる。
でも、その味方作りこそが、今の状況では難しい。
総理大臣となった凍崎は、様々な社会集団を作り出しては人を取り込み、自分がそのリーダーとなって「作戦変更」の対象とする。
こちらが味方になってくれそうと見込んだ人たちであっても、前回の選挙の参院比例区で自政党に投票していれば、既に凍崎の手中に落ちている。
数が少なければ悠人に頼んで「強制解除」してもらうことも可能だが、逆に悠人をおびき出す餌にされるおそれもあった。
私は、感情の宿らない顔で会議を見守る凍崎をそっと窺う。
私に「作戦」がかかってないことは、凍崎にはわかっているはずだ。
そのことを凍崎はどう思っているのだろうか?
どうも思っていないかもしれない。
私同様、凍崎の網にかからない人もいるだろう。
「作戦」がかかってもなお、理性的な判断力をある程度残してる人もいる。
結局のところ、「作戦」はその人にもともとあった性格的な傾向を偏らせるにすぎないものだ。
本来であれば、その程度の効果のスキルでしかない。
スキルの運用法としては、むしろ「作戦」付与による攻撃力上昇などのバフがメインのはずで、性格への悪影響はその副次的作用にすぎないものなのだ。
それを凍崎は、民主主義というシステムの隙を突く形で利用した。
こんなことが、許されていいはずがない。
凍崎の「作戦」が日本中を覆い尽くすのが先か、それとも、悠人が逆転のために必要なピースを揃えるのが先か。
本来なら慌てるべきところなんだろうけど、私は不思議と心配していない。
悠人なら、やってくれる。
私は自分にできることをやりながら、その時を待つだけだ。
大丈夫。私は待つことには慣れてるから。
そして悠人は、遅れても必ずやってくる。
まるで、最後の最後に登場するヒーローみたいにね。
更新お待たせしまして大変申し訳ございませんm(_ _)m
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