207 再突入
「ぷはっ……!」
ポーションをぶっかけられた大和が身体を起こす。
「変な気は起こすなよ」
と警告するが、
「……起こすわけないだろ。こんな戦いを見せられて……何もかもが次元が違いすぎる。何が起きてるのかほとんど理解できなかった」
まあ、それもそうか。
俺は敏捷の圧倒的な高さと思考の加速で体感時間が長かったわけで、大和から見れば「何がなにやらわからないうちに神取がチューブワームみたいな化け物になり、聞くだけでヤバいとわかる名前のダンジョンが死ぬほどたくさんフラッドを起こし、神取から白い靄が吹き出しては俺が常軌を逸した速度で無詠唱で連発する範囲攻撃魔法に吹き散らされたかと思ったら、俺が全身からいきなり神々しい光を放ち出し、どこからともなくオレンジを取り出してかじりついたかと思うと得体の知れない種を吐き散らし、その種から伸びた細い蔦が神取の全身のマイクロダンジョンを片っ端から打ち砕いた」といった感じになるはずだ。
そのうちのほとんどの現象の意味がわからないだろうし、わかったとしても目で追いきれないものも多かっただろう。
結果、俺がよくわからん手段でよくわからん化け物を倒したらしい、という実にざっくりした理解に落ち着いたということか。
……まあ、当人である俺でさえ、最初から最後までわけのわからんことばかりの空中戦だったな、という印象を拭いきれないところがあるけどな。
「やっぱり、あんたが黒天狗だったんだな、蔵式さん」
「…………な、なんのことだ?」
「いや、あんた……そんなお面だけで誤魔化せるわけないだろ」
と、呆れ顔でつっこむ大和。
うろたえてみせたのは、半分は冗談だ。
俺もこれで本気で隠せると思ってるわけじゃない。
赤の他人に顔を見られるのを避けるくらいの役には立つが、俺の知人や俺をマークしてる政府の関係者から見れば、すぐにわかることだろう。
美穂さんなんかは声だけで俺が「黒天狗」だと気づいたくらいだし。
「……美穂さんから聞いたわけじゃないんだな」
「あの義理堅い姉さんが、命の恩人の正体を明かすわけがないだろ。でも、僕は姉さんから黒天狗に救われたという話を聞いてるし、その姉さんがあんたに頭を下げてるところも見た。そのあと、姉さんからあんたに対する態度をこっぴどく叱られた。これだけ揃えば疑うには十分だ」
「なるほどな」
うなずきつつ、俺はラボの様子をもう一度見る。
あちこちに倒れる男児会の探索者たちは、俺と大和を殺さんばかりの目で睨んでる。
「おまえのしでかしたことについては後で聞く。今は俺も急ぐんでね」
「急ぐ?」
「ああ。いったんダンジョンを脱出して再突入する。だが、ここに神取とおまえらを一緒に置いておくのは危険だ」
男児会の連中は行動不能状態のままだから、放置しても神取に手は出せない。
だが、ここはダンジョンの中だ。
モンスターが入ってくる、あるいは直接ここに「湧く」という可能性もある。
そうなったら行動不能状態の男児会の探索者たちは何もできずに殺される。
最低限の自衛ができるよう、脱出前に彼らの行動不能状態は解くつもりだ。
しかしそうなると、彼らが神取に危害を加えるのを止められない。
しかも、神取以外にも問題がある。
大和のことだ。
大和は男児会の連中を裏切った。
ネットのデマを信じて神取を血祭りに上げに来たような連中だからな。
ここに大和ともども放置したら、動けるようになった連中が大和をどう扱うか。
自業自得とはいえ、集団リンチが発生するのを予見しながら放置した、と後から言われたりすると困るよな。
狼と羊と野菜のどれを対岸に運ぶかだが、一パーティ6人の制約下では答えはわりと単純だ。
「おまえと神取だけを連れてダンジョンから出る。他の連中は動けるように回復して放置する」
狼(神取)と野菜(大和)を連れていき、羊の群れはここに残すのがいいだろう。
ダンジョンのポータルは既に監察局が封鎖してるはずなので、男児会の探索者たちに逃亡されるおそれもない。
「ダンジョンから出るって……どうやってだよ? 海ほたるダンジョンは未踏破だ。正確なことはわからないが、階層数はAランクとしては深い方だろうと言われてる。いくらあんたでも、足手まといを連れて踏破はできない」
「説明してる時間はない。俺のパーティ申請を受けておけ」
大和が訊いてくるが、いちいち答えてやる義理はない。
俺はアイテムボックスからポーション系のアイテムを取り出し、倒れたままの探索者たちに矢継ぎ早に投げつける。
たいていのポーションは飲用しても外用しても効果に違いはないと聞いている。
HP1から抜け出した探索者たちがよろよろと立ち上がる。
その目に宿った激しい怒りに、大和が白い顔で後じさる。
そのあいだに俺は、旅人のマントでくるんだ神取を肩に担ぎ上げ、
「エバック!」
奇妙な浮遊感とともに視界が暗転。
次の瞬間、俺は海ほたるダンジョンの入口ポータルの前にいた。
パーキングエリアの海ほたる一階、大型車駐車場の片隅だ。
駐車場には、何台かのものものしい車両が停まっていた。
警察車両と……自衛隊か?
「蔵式くんか!?」
車両の周囲にいた一人が俺に気づいて声を上げる。
探索者協会監察局の制服を身に着けた、ラガーマン体型の三十くらいの男。
俺とも面識のある皆沢さんだ。
まだお面をつけたままだったんだが、一瞬で正体を見抜かれたな。
やっぱり知人にはこの偽装は効かないらしい。
「ちょうどよかった」
俺は皆沢さんに、肩に担いだ神取を見せる。
「それは……神取桐子か!?」
「男児会の探索者と戦っていたので、両者をまとめて制圧した」
「り、両者まとめてって……ここに来ている男児会の探索者はAランクパーティのはずだろう?」
「信じられるかどうかは今はどうでもいいんで。彼女を預かってくれないか? とんでもなく危険な女だから、警戒だけは怠らないでくれよ?」
「わ、わかった。おい、担架を持ってきてくれ!」
と、皆沢さんが部下らしき探索者に声をかける。
「それから、こいつも保護しておいてほしい」
俺は近くで身を小さくしてる大和を指さした。
「彼は……男児会を煽動しているという話の、高校生マイチューバーだな」
「詳しい事情はあとで。保護というか、逮捕に近いかもしれないな」
逮捕、という言葉に大和がびくりとした。
「逮捕……わかった。厳重に監視しておく」
厳しい顔で、皆沢さんがうなずいた。
「あ、そうだ」
俺は忘れていたことを思い出す。
「大和。今からおまえにかけられた『作戦』を解く。一個を除いて、だけどな」
ラボでの戦闘の前に、俺は大和のステータスに見慣れない項目があることに気がついていた。
Status──────────────────
桜井大和
レベル727
…………
(略)
…………
・作戦
「命を燃やせ」「手段を選ぶな」「最後の一滴まで搾り取れ」「力こそすべて」
SP 2242
────────────────────
この「作戦」という項目は、凍崎誠二の固有スキル「作戦変更」によって付与されたものだ。
各作戦の効果は、
Info──────────────────
作戦「命を燃やせ」
この作戦を設定された者は、HPが自動で回復し、肉体的疲労や病気による悪影響を無視することができる。副次的効果として、作戦解除後にそれまでに蓄積した疲労や悪影響をまとめて受けることになる。
────────────────────
Info──────────────────
作戦「手段を選ぶな」
この作戦を設定された者は、思考速度がS.Lv×10%上昇し、本来の自己の発想であれば思いつかない選択肢にS.Lv×2%の確率で気づくようになる。副次的効果として、倫理的な判断能力が低下し、本来であれば道徳的にためらわれる行動を躊躇なく取るようになる。
────────────────────
Info──────────────────
作戦「最後の一滴まで搾り取れ」
この作戦を設定された者は、自身をリーダーと認める対象からHP、MPを任意に奪い取ることができる。副次的効果として、他者の心身の痛みに対する共感性を喪失する。
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Info──────────────────
作戦「力こそすべて」
この作戦を設定された者は、攻撃力と魔力がS.Lv×30%上昇し、防御力と精神力がS.Lv×20%低下する。副次的効果として、自分より強い者には服従し、自分より弱い者を虐げる精神傾向が強くなる。
────────────────────
……となっていた。
この中で、最初の「命を燃やせ」は、元々虚弱体質だったという大和にとっては生命線だ。
「副次的効果として、作戦解除後にそれまでに蓄積した疲労や悪影響をまとめて受けることになる」とあるから、うかつに解除するのは危険だろう。
だが、それ以外の作戦に関しては、さっさと解いてしまうに越したことはない。
悪辣な「作戦」による精神面への悪影響がなくなれば、自分のこれまでの言動を冷静に振り返ることができるかもしれないしな。
むしろ、自分のしでかしたことに気づき、死にたくなるんじゃないかと心配だ。
なお、「大和がこんな行動に至ったのは『作戦』があったからだ、大和本人に罪はない」みたいな理屈が成り立つかどうかは今のところ不明だな。
「さ、作戦? なんのことだ?」
「おまえはどこまでも凍崎誠二の手のひらの上だったってことさ」
俺は「詳細鑑定」で大和のステータスを表示すると、「強制解除」のスキルで「手段を選ぶな」「最後の一滴まで搾り取れ」「力こそすべて」の三つの作戦を解除する。
「う……?」
大和が怪訝そうな顔をする。
なんらかの精神的な変化があったんだろう。
だが、その変化をはっきりと自覚するにはたぶん時間がかかるはずだ。
「じゃあ、俺は芹香を迎えに行くんで」
俺は皆沢さんにそう言い置くと、返事も聞かずにダンジョンの入口ポータルへと飛び込んだ。





