イケニエ☆
自室のカーテンを開けると窓から差し込んだ光が俺の視神経を支配した。
反射的に左腕を顔の前にかざす。
「……実に良い天気だ」
感じたままを口にした俺は未だ光に慣れず、目を細めた。
この日の為に誰かが生贄になったのではなかろうか。
もし生贄を用いて今日の晴れを呼んだのならば、何人が犠牲となったのだろう。
それほどに『晴れ』だった。
生贄は数十人、いや、それ以上か……? などと至極下らない考えに時間を費やしたが、次の瞬間にはそんな事はどうでも良いんじゃないかという最も利己的で、それでいて排他的な結論に収まる事となる。
……昔から俺は中途半端な結果が嫌いだったし、そうならないよう努力を重ねたつもりだった!
どんなに下らない事、例を挙げるなら『何故、男性にも乳首があるのか』や『何故、雑誌にページ数が書いてあるページと書いてないページがあるのか』などの疑問にも、自身の持てる知識で結論と呼べる結論をあぶり出していた。
しかし今回ばかりは己のモットーをねじ曲げてでも、目に映る情報媒体を全力でシャットアウトしたかった――
キリストよろしく十字架に張り付けられた少女がそこにいた。
「私が犠牲になれば晴れるのよ。それ以上に何を望むの……?」
自室の中心に打ち付けられた十字架。
深緑色をしたノースリーブのワンピースを身に纏った少女はそれに縛られており、ひとりごちていた。
細くて雪のように白い足の先は床に着いてはいない。こちらに気づいたようで俺を大きな瞳でまじまじと見てきたが、すぐに伏せてしまった。艶やかな黒髪がふぁさりと顔を隠す。
一体何なんだ。(ここで「誰なんだ」としなかった事を評価して欲しい)
今日もいつものような朝のはずだった。
なのに体を左に捻ると、少女がいる。
夢だろう。夢であるべきだ。夢であって欲しい。
…………痛い。
俺の些細な願望が叶わないと教えてくれたのは頬に感じる痛覚だった。
当然理由を聞きたいところだが、話しかける勇気など持ち合わせているはずもない俺はひとまず彼女から目線を逸らし、高校へ行く準備を始める事にした。
無理だった。
この世のどこに少女を十字架に縛り付けている奴がいるだろうか。
きっとそいつは変わった趣味の持ち主か、鬼畜外道のどちらかだ。
仕方ない、助けよう。そして、帰ってもらおう。
……だがアレだな。
やっぱおかしいよな。
マンガや小説じゃあるまいし、朝起きたら美少女が縛られてましたー。なんて有り得ねぇ。
だけど、有り得てる。
もし、マンガや小説だったらこの後の展開は――
《本来ならばここに男子高校生のやたらと肌色の多い妄想が文章化されるのですが、あまりに卑猥な内容になってしまいそうなので、自主規制しました。内容はご想像にお任せしますが、それの二倍はアレな感じです。》
……俺としたことが、有り得ないこのシチュエーションに悪性電波を受信しちまったようだ。
流石にそのタイミングで「私は×××(自主規制)なんです! お願いします! 私のお尻を×××(自主規制)して、私が疲れ果てて動けなくなってしまったところを×××(自主規制)してください!」なんて言われちゃあ現実に戻りたくなくなるな。
しぶしぶ我に返り、少女を縛っている両手首と足に巻き付けられた縄を外す事にした。
俺が近付くと、彼女は「ヒッ」と小さな悲鳴を上げた。
そんなに嫌がる事も無いだろう。助けてやってるのに。俺が鬼畜外道に見えたのかね。
俺は彼女の足元にしゃがみこんで結ばれた縄を解いてやる。その縄は意外にきつく縛られ、結構手間取った。
床に足をつけた少女の手首と足首には赤い痕が残っていた。
俺は勇気を振り絞って言った。
「だ、大丈夫ですか……?」
確実に年下なのに敬語を使う自分のチキン具合にもう一人の俺が溜め息をつく。
少女は解き放たれた手をグーパーして感覚を確かめているようだ。
……さっきは変なことばかり考えてたけど、ここは現実。マンガでも小説の世界でもないんだぜと自分に言い聞かせ、少女の反応を待った。
「大丈夫、ですって?」
その声は、怒りを含んでいた。
「その……大丈夫かなって。ほら、手首とか痕がついてるけど……」
なんとなく圧倒され、口ごもる俺。
少女は俺を見上げ、キッと睨み、大きく息を吸い――
「アンタが縛ったんでしょ!」
驚愕の事実を吐き出した。
「私を無理矢理十字架に縛り付け、散々に、その、鞭で……ッ!」
「え? え? 何の話? 鞭? なにそれ?」
全く身に覚えのない事を言われ、軽いショックを覚える俺をよそに、少女は怒りをぶつけてくる。
「ふざけないでッ! 昨日の晩、あれほどまでに荒れ狂っていたのに知らないじゃすまされないわ!」
あれほどまでに、って何をしたか分からんぞ!
「ま、待て! 俺が何をしたか言ってみろ!」
一体、俺は何をしたんだ? 知る術は彼女に問う以外、何もない。
「言ってみろ……? この期に及んでまだ私を辱めるつもり……?」
少女の顔がみるみる朱に染まった。目にうるうると涙をいっぱいにためて、泣くのを精一杯こらえているようだ。
なんとなく気まずい空気が流れる。
沈黙がしばらく続いたが、それを破ったのは彼女の告白だった。
「…………まず私を十字架に縛り付け、その、鞭で、……シタ」
「嘘だろッ!? この世は夢だ!」
なんの躊躇いも無く余命宣告された気分だ。
少女は俺の絶望の声を無視し、続けた。
「その時、アンタは言ったわ。『僕は頭が悪いからね。無知蒙昧、なんてね』と」
「俺は自分の事を僕と言わないし、そんなシャレも言えやしない!」
「もういいでしょ……? これ以上すると、私……」
「ご、ごめっ……」
「ガマンできないッ!」
「……はぁッ!?」
「私が犠牲になれば、あなたの心は、晴れるんでしょ!? 私は×××(自主規制)なの! お願い! 私のお尻を×××(自主規制)して、私が疲れ果てて動けなくなってしまったところを×××(自主規制)してちょうだい!」
……俺の心を晴れにする儀式には現実という大きな犠牲が必要らしい。
窓から外を見ると、今の俺に反比例するかのような良い天気。
このままだと、とりあえず来週くらいまでは雨は降らないだろうなと鞭を右手に、俺は思った。
「何やってるのよ! 早く私を強くぶちなさいよ!」
はぁ……。仕方ないな。
近くに歩み寄ると、少女は餌を待つ子犬のような顔を俺に向けた。
そんな彼女に俺は言ってやった。
「悪りぃな、俺もどっちかつーとMなんだ。SMプレイなら他を当たってくれ」
これで懲りただろう。さて高校に行くか。
部屋を出るとき、ちらと彼女の方を見た。
俺の言葉に口を開けっ放しにしていたのが、印象に残った。
†
「……良い天気なのだろうか」
朝、十字架に縛り付けられていた俺。
目前には、例のドM少女。
「どっちかつーとM、なんでしょう?」
右手に鞭を、左手に蝋燭を持って。
……きっと今日も良い天気さ。だって俺の心は土砂降りだから。
「そーれ。(ビシッ)」
「痛ァッ!?」
「ほーい。(バシッ)」
「がはァッ!」
「きゃははー!(ポタポタ)」
「熱ゥッ!」
………
……
…
『なあ、お天道様。なんでこの子Sになってんの?
『キミのことが好きなんじゃないかな?』
真面目に答える気もない空はいつまでも晴れ。太陽がにやりと笑った気がした。