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祟りの証明

作者: 遠野 葉月


     紹 介


九条 雅   Miyabi Kujo

 20歳。帝都国立大学理学部数学科二年生


高端 真純   Masumi Takahashi

 20歳。帝都国立大学法学部法律学科二年生


日向 なつみ   Natsumi Hyuga

 20歳。帝都国立大学教育学部英語英文学科一年生


佐藤 友一   Yuhichi Sato

 36歳。東京都県境郡山梨村駐在所駐在


水神 純子   Sumiko Minakami

 享年17歳


川内 八郎   Hachiroh Sendai

 81歳。東京都県境郡山梨村村長、元内閣官房長官



帝都国立大学

 東京都国立市にキャンパスを置く私立総合大学。7学部20学科を有する


県境郡山梨村

 東京都と山梨県の間に位置する小さな村。総人口は50人に満たない



     【日向 なつみ】


 赤い火の粉がパチパチと舞う。金網に載っている肉や野菜が煙を上げ始める────やばい、と思ったときにはもう遅かった。


「────雅、燃えてる!肉が燃えてるって!」


「え?……あ、えっ」


 焼き具合の見張り番をしていたはずなのに、いつの間にかぼんやりしていたらしい。我に返ってどうすれば良いか判らないままに、彼──九条(くじょう)(みやび)は、炎をまとった肉、というか炭をトングでつまんで自分のビールの中に突っ込んだ。


「鎮火」


 ふう、とため息を吐いて雅が言う。グラスの中に3分の1くらい残ったビールがなんだか黒く変色していくのを眺めながら、私は訊いてみた。


「……雅、それ飲むの?」


「────いや、ちょっとこれは無理かと」


 ちょっと捨てるとこ探してくる、と言って雅が立ち上がる。


 九条雅と私・日向(ひゅうが)なつみ、そして私たちの言い合いを笑いながら見ていた高端(たかはし)真純(ますみ)──この3人は、小学校3年生からの親友だった。仲良くなったきっかけこそ「遠足で同じ班になって」というありきたりなものだけれど、それが10年以上も続いてるのはやっぱり珍しいと思う。


 今日3人で集まったのは、真純が発案・企画した、この「無事に試験を終えて夏休みを迎えたことを祝う会・バーベキュー編」が目的だ。今目の前に広がる美しい湖・水上湖を有する県境郡山梨村の情報を拾ってきたのも真純。ここが地図上でどの辺にあるかは、村の名前で判ってもらえると思う──判るよね?ちなみに「バーベキュー編」があるなら「海編」とか「夏祭り編」もありそうだが、そういう話は一切ない。これは主に、私と雅の行動力のなさが原因だと思われる。


「雅、遅いねー。やっぱ公園とかじゃないからゴミ箱ないのかな」


「まあアイツのマイペースは筋金入りだからな」


 真純の言う通り、雅にはマイペースというか若干不思議ちゃんなところがある。どれくらいかというと、「情報工学科って理学部にあるのかと思ってた」から理学部に願書を出し、入学してから情報工学科は工学部にあることを知り、もうどうしようもないので数学科に入った、というくらいだ。


 などと考えていたら、向こうから雅がこちらに向かってくるのが見えた。手には未だにプラスチックのコップを握っている。ゴミ箱は見つからなかったらしい。


「ゴミ箱、やっぱなかった?」


「……うん。────ねえ、真純」


 私の問いかけをあっさりと流し、雅は、真純に向けて声をかけた。その目は私でも真純でも肉の載った鉄板でもなく、静寂を湛える水上湖の水面を見据えている。


 なんだ、と真純が訊き返した。


「僕たち以外で、この辺りで何かやってる人なんていないよね?……バーベキューに限らず、昼寝でも遠泳でも」


「────おれは見なかったぞ。幽霊なら知らんがとりあえず人間は」


「うん僕も人ならざるものは見てないかな」


 雅は幽霊をはじめとするホラー系全般が苦手だ。なのだが、それを見越した真純の渾身のブラックユーモアは効かなかったらしい。


 真純が笑みを消し、どうした、と真面目な顔で訊いた。ずっと手に持っていた紙コップを地面に置き、雅が水上湖へと歩を進める。


「何か浮いてない?……魚なんていないよね」


「いないはずだぞ。ついでに条例で保護されてるから、外部の人ならともかく村民はゴミを捨てたりはしないはずだし……ああ、お前がさっき訊いてきたのって、そういうことか」


 うん、と雅が頷いた。真純がトングを鉄板に置き、湖を振り向く。


「ちょっと待ってろ。────気になるから見てくる」


「ん。いってらっしゃい」


 真純が行ってしまうと、雅はトングを取り上げて肉を並べ始めた。呆れて思わず言う。


「……それ、真純の分じゃない?」

「だって真純も僕の分取って食べてたもん。──なっちゃんもいる?」

「……大丈夫です」

 私は、野菜の皿からカボチャと玉ねぎを取って鉄板に並べた。カボチャが良い感じに焦げてきたので自分の皿に取り分ける────ところで、おーい、呼びかけてくる声。


 真純が私たちの方へ戻ってきた。その手には、行くときにはなかった白い何かが引っかかっている────すぐ側まできてから、真純は、その何かを私たちの目の前に突き出した。


「…………なあ、これ、どうするべき?」


 真純が持っていたもののインパクトに、私はそれを凝視した。ホラー大嫌いの雅が、ふぎゃあ、と叫んで私に飛びついてくる。



 ────真純の持つそれは、やや湿って泥のついた、白骨化した人間の頭部だった。




    *


     【佐藤 友一】


 水上湖に白骨死体、という通報を受けて現場に出向いた私を待っていたのは、男二人と女一人の学生らしき3人組だった────褐色の肌の体育会系っぽいイケメンと中性的な雰囲気の優男、そしてショートカットのはつらつとした女の子。


「県境郡山梨村駐在所駐在、佐藤(さとう)友一(ゆういち)です」


 警察手帳を見せて名乗る。それを受けてか、彼らも軽い会釈と共に自己紹介してきた。優男、女の子、体育会系の順だった。


「帝都国立大学理学部2年、九条雅です」


「帝都国立大学教育学部1年、日向なつみ」


「帝都国立大法学部2年の高端真純です。……あ、高端のハシはブリッジじゃなくエッジの方で」


 予想に反して体育学部ではなかった。しかも失礼だが、見かけから思ったよりも頭が良い、らしい。その、見た目体育学部──高端くんが、外国ブランドのジーンズを履いた足を組んで訊いてくる。


「……確か警察って、最初に現場に入るのって機捜ですよね?駐在さんが入っちゃって大丈夫なんすか」


 私は思わず、へえ、と声を漏らした。刑事の捜査の前に鑑識が作業をすることはそれなりの人が知っているが、さらにその前に機動捜査隊が初動捜査を行うことを知っている人はかなり少ない。


「この村を含めて県境郡には警察『署』と言えるものがありません。その上、1番近い奥多摩署からも1時間半ほどかかります。それまで待ってたら犯人は逃げますし日も暮れますから、私が機捜兼鑑識のような形で初動捜査を行い、事件性ありと判断したら警視庁と奥多摩署に連絡します」


 ふうん、と一応納得したらしい彼に、録音スイッチを押したボイスレコーダーを示して言う。


「……あなたが第一発見者ですよね?その時のことを、聞かせて頂けますか」


「────大丈夫なんすか、取調室とかでちゃんとやらなくて」


 私は、小さく肩を竦めた。


「駐在所に取調室なんてないですから。駐在所にきてもらって話を聞いても、ここで聞いても逃げやすさには変わりはないですし」


 何だかさっきから、自分で自分の職場をディスっている気がする。逆に肩を竦められた。


 僅かに首を傾け、高端くんが淡々と語り始める。



 俺たちは小学3年生で仲良くなった間柄で、今でも1ヶ月に1度は集まって遊びに行ったりしています。今日もそんな感じで、無事テストが終わって夏休みを迎えたことを祝うって名目で集まりました。──まあ、ただ単に遊びたかっただけなんですけど。誰が場所とかを探したか、ですか?……それは俺です。この場所を探し当てるのと、集合時間とかを決める……要するに企画係は俺が引き受けました。


 え、この村ってGoogle Mapに載ってないんですか?親に教えてもらって、地図も親にもらったので。写真みたらきれいなところだなあって思ったのでここに決めました。他の2人もそれでいいって言いましたし。


 あ、そうですよ。あれは俺の車です。親のじゃないですよ。大学に受かった時、合格祝いに買ってもらいました。っても免許持ってなかったんで、こないだの春に試験受かるまで、車持ってても1ミリも運転できずに自動車税だけ払い続けてたんですけどね。


 3人とも北新宿に住んでるので、JRの大久保駅で待ち合わせました。待ち合わせの時間は朝の8時半です。そこからここまではだいたい3時間と少しかかりました。それで12時前にここに着いて、少ししてからコンロをセットして、あらかじめ切っておいた肉とか野菜を出してすぐに焼き始めて、ちょっとずつビールとか飲みながら肉食ってしゃべってたんです。


 それで……つい15分くらい前っすかね、そっちの──雅が、紙コップを捨てにいこうとして、暫くゴミ箱探してうろうろしてたんです。でも見付からなかったみたいで、俺となつみのところに戻ってくる時に湖を見たら、何か白っぽいものが浮かんでるって気付いて教えてきたんです。俺たちの他に人はいなかったはずだからおかしいなと思って見にいってみることにしました。そしたら、────アレが浮いてたんです。


 暫く3人ともどうすれば良いのか判らなくて固まってました。で、他の2人より先に我に返ったなつみが110番して、今に至ります。



     *


     【九条 雅】


 結局場所を変えて、今いるのは駐在所。


 時刻は既に、夜の10時近かった。


 死体はとっくの昔に白骨化してるんだから、真純が被疑者になるということはないはずだ。それなのにここまで引き留められるのは、佐藤さんは僻地すぎて奥多摩署と意思疎通するのにもものすごい時間がかかるからだと説明していたけれど、メールの送信にすらタイムラグがでるような距離ではない。ここまで拘束されるのには、何か────もっと別の理由があるはずだ。それが何かと訊かれても困るけど。


 ベンチに座り壁に背を預ける僕の隣で、ふわわ、と小さい欠伸が聞こえてきた。半分寝かかったなっちゃんが、意地だけで意識を保ってるのが見える。


「……ね、雅」


「────何、なっちゃん」


 いきなり名前を呼ばれ、少しだけぴくっとなったけれど、なんでもない風に装って返事を投げる。


「ちょっと寝たいかな、……肩借りていい?」


 僕も寝落ちしちゃうかもだけどそれでも良いなら、そう返すと、こくりと頷いたなっちゃんが僕の方に頭を預けてきた。息を吐いてちらりと右を見ると、早くも微かな寝息が聞こえてくる。


「……はや」


 話し相手がいなくなり、急に暇になったことで、僕も眠気に負けそうになってきた。さっきはああ言ったけれど、さすがに鍵のかかっていない駐在所の中で二人とも寝てしまうのは危ない気がするので、ネズミ講でもやって起きていることにする。……でも僕、ネズミ講って苦手なんだよな。


「……えっと、いち、に、よん、はち、じゅーろく、さんじゅーに、あっなっちゃんちょっと重い、ろくじゅーよん、」


 真純はまだ戻ってこない。1048576を超えた辺りでだんだんだるくなってきた。


「よんひゃくじゅうきゅーまんよんせんさんびゃくよん、はっぴゃくさんじゅーはちまんろっぴゃくはち、」


「────オイ」


 突然乱暴に呼びかけられ、今度こそ激しくびくっと肩が震えた。真純は口調こそぶっきらぼうだけれども、あんなに低い声じゃない。いきなりきた震動にびっくりしたらしいなっちゃんが跳ね起きる。


 一億の位まではいきたかったなあ、などと考えながら顔を上げ────僕は、思わず身を引いた。


 そこにいたのは、70代後半か80代前半くらいのおじいさんだった。ちなみにむちゃくちゃ近い。頑張って上体を反らしても、すぐ後ろに壁があるので下がれる距離はたかが知れている。


「……誰ですか、あなた」


 眠いのと距離が近いのとで若干不機嫌な声になっていたかもしれない。


 その時、佐藤さんと真純のいる部屋のドアが開いた。最初に出てきた真純が、僕、──に睨みを利かせてるおじいさんに目を向けて何とも言えない顔をする。


「雅……誰、それ」


 僕に訊かれても僕も知らない。小さく首を捻って答えに代えたところで、佐藤さんが出てきた。


「────村長、どうしてここに」


「…………村長?」


 僕と真純の声がシンクロした。まだ寝ぼけているなっちゃんが、ふにゃ、と声を漏らす。


 佐藤さんが僕たちに向き直った。おじいさんを手で示して言う。


「山梨郡県境村村長の川内八郎さんです。……それで村長、どうかなさいましたか」


 やっと僕から顔を離してくれた川内氏が、不機嫌そうな嗄れた声で言った。


「…………あんたらが、あの湖で骨を拾ったんか」


「そうですよ。実際に拾ったのは俺ですけど」


 そう答えた真純を、川内氏がぎろりと睨み付ける。


「あの湖のものは、何があっても拾ったりしたらいかんと教わらなかったんか。拾ったりしたら祟られるんに」


 ────え、それだけで?


 僕としてはかなり拍子抜けだった。それを言うためだけに、こんな夜中にここまで──川内氏の家がどこかは知らないけど──きたのか、と。


 真純が何か対応してる間にすすすっとスライドして佐藤さんのところまで移動する。


「……祟られる、ってどういうことですか?」


 佐藤さんがものすごく微妙な顔をしてきた。


「拾う、っていうか、水上湖に手を入れると、言い伝えにある水神が怒って祟るっていう、ようするにオカルト話みたいなのがあるんですよ。信じてる人はほとんどいないんですけど、でも川内さんはかなり信心深いというか」


 信心深い、ね……。


 僕は所謂無神論者だ。ホラーは苦手だけれど幽霊も信じていない。いつかもっと科学が発展すれば、心霊現象とかも理論的に説明できると信じてる。


 だから、例えば湖に手を入れると祟られる、というのは、ただ単にとても毒性の強い物質が溶け込んでるだけかもしれない。そう考えてしまえば、魚が一匹もいないことも説明がつくから。


「……あ、そうだ、私が言いたいのは別件でして」


 ぼんやりと思考を巡らせていた僕──おそらくは真純にも──に、佐藤さんが声をかけてくる。


「さっきの骨ですけどね、こちらでざっと調べてみたんですが、歯にかなり摩耗した痕があり、後頭部に当たるところが陥没骨折してるんですよ。なので、例えば猿轡をされるなど本人の意思に反して拘束され、後に撲殺されるか高所から落とされた可能性が高い。しかし──この村では、過去20年間殺人事件など起きていません。未遂もです。人知れず殺されていたということもありません。50人もいない村です、誰かがいなくなったらすぐ判りますから」


 ────ああ、なるほど。


 佐藤さんが言いたいことがなんとなく判ってきた。それは多分、真純も同じだろう。やっと半覚醒状態から抜け出したなっちゃんだけが、よく解らなそうな顔をしている。


「あの骨は、村外で殺害され、ここに遺棄された遺体のものと思われます」



 ──────でしょうね。



     *


     【高端 真純】


 ほとんど予想してた返答らしく、雅はただ頷いただけだった。いや、それ自体は俺もなんとなく察してはいたけれど、それでも冗談じゃない。俺たちが引き留められてるってことはつまり、


「俺たちのことを疑ってるんすか。昔殺した奴の骨をここまで持ってきて、今見付けたみたいに騒いでるとか。死体がどれくらいで骨になるかは知んないけど、この人が殺された時、どう考えても俺ら高校生以下のガキですよ」


 不起訴になったとしても、逮捕の記録が残ってしまえば検察官になることはできない。疑うことすらされる訳にはいかなかった。


 佐藤さんが首を振る。


「そういう訳ではありません。ただ、警視庁と奥多摩署の人間が明日到着するので、その聴取だけは受けてほしいと。向こうも、あなた方のことは95パーセント白と考えているようです」


「…………刑事ドラマってほとんどその95パーセントが犯人じゃないすか」


 現実ではそんなことは稀です、そう佐藤さんは肩を竦めた。ドラマの中のような杜撰な方法では、今の警察はごまかせませんから、と。今この人、テレビ局に喧嘩売ったな?


「警視庁がくるってことは、事件性ありと判断されたということですか?」


 横から雅が訊く。佐藤さんが頷いた。


「そうですね。第一あの骨は村民のものではないので、私だけでは対処しかねます」


 勢い怒鳴り込んできたは良いものの一人だけ蚊帳の外状態の村長が所在なさげに立ち尽くしている。俺が視線を向けると、一睨みして言い捨ててきた。


「ええか、あの湖には絶対に手を出すな。祟られてもわしは責任など取れんぞ」


 それから身を翻し、夜の闇の中を歩き去る村長を、佐藤さんを含む俺たち四人はぼんやりと眺めていた。


「…………なんだったんだろあの人」


 なつみが呟く。横で雅が追随した。


「もし仮にどうにかなったとしても、あの人に責任求めるより先に病院行くけどね」


 俺もそうする。奥の部屋に引っ込んでいた佐藤さんが、麦茶の入ったコップをお盆で運んできた。


「すみません、何時間も拘束してしまって……安い麦茶しか出せませんが、良かったらどうぞ」


 喉が渇いていたのは確かなので、おのおのが小さく礼を言ってコップを取る。なつみが、夜闇に黒く浮き上がる山の端を眺めて呟いた。


「…………ねえ真純、これじゃ絶対帰れないよね。事故るよね」


 そうだよねえ、と俺ではなく雅が答える。仕方ないので、代表してに俺が佐藤さんに尋ねた。


「あの、──この村の中で、どこか泊まるところはありませんか」


「────ああ、それなら」


 佐藤さんが、駐在所の奥の部屋を示して言う。


「一部屋しかないので不便かもしれませんが、ここを使って下さい。コンロや冷蔵庫とシャワールームも、壊さなければ使ってくれて構いません。私は家に帰って仮眠を取ります」


 ありがとうございます、そう俺が言うと、後の二人も続けて頭を下げた。


 佐藤さんがバッグを肩にかけ、こっちを振り返って一礼してくる。その姿が闇に紛れてから、俺は大きく伸びをして呟いた。


「────オールするか」


     *


     【日向 なつみ】


 あの後、駐在所の前に停められた真純の車から持ち込んだ食料とビールで酒盛りが始まった。


 会話らしい会話もほとんどなしに、私たち──特に男2人──は肉を焼いてビール缶を空け続けた。私はどっちかっていうと野菜専門。3時間も飲み食いし続けているのに、肉専門なのにペースの落ちない真純もビール専門なのにまだほろ酔い程度にしかなってない雅もすごいと思う。


「────それにしてもさ」


 16本目の缶を開けた雅の声が、肉と野菜の焼ける音しかなかった室内に響く。


「その辺の大学生に、駐在所とはいえ警察施設貸すってすごいよね。僕らが勝手に漁るとか考えないのかな」


 まあ、こんなド田舎じゃなきゃありえねえだろうけどな、そう真純がぼんやりとした声で呟いた。


「あ、なっちゃん、ピーマンちょうだい」


 雅が、眠そうな目でこっちを見てくる。切った野菜の載った皿を向こうに滑らせると、本当にピーマンだけを1/2カット五枚分くらい持っていった。


「……でもさ、おかしくねえか」


 多分20枚目くらいの肉が焼けるのを待っている真純が、ぼそっと呟いた。ん、何が?、と雅が隣に座る真純を見上げる。


「あの村長、やけにびびってた気がしねえか。もし祟りってのが本当だったとしても、実際に祟られるのは外からきた俺らであってあの人でも、村人でもないだろ」


 そういえばそうだよね。


 雅が、自分のタブレットPCをテーブルの上に滑らせる。


「あの川内氏ね、調べてみたら元内閣官房長官で、東大の法学部出身だった。予期できる危険の回避義務みたいなのってあるじゃん?……あるよね真純」


「そうだな、危険な湖ならそれを注意する看板くらい立てとけって訴えられるかもしれんって考えたのか……いやでもそれなら、あそこでの火気使用を届け出た時点で職員が通達するべきか」


 そかまで一気にしゃべった真純が、雅のビールを横から奪って流し込んだ。あっ、と、雅が小さく声を上げる。


「ねえそれ僕の」


「うるせえ」


 真純が缶を雅に突き返す。中を覗き込み、唇を尖らせる雅。


「……ほとんど残ってないじゃん」


 真純はどこ吹く風で受け流している。雅が、真純の焼いていた肉を奪って口に運んだ。真純がその頭を軽くはたく。──お前らは小学生か。


 私は、テーブルに身を乗り出して二人に声をかけた。


「────ねえ」


「ん、どうした」


 真純が顔を上げる。缶に伸ばしかけた手をぴたりと止め、雅もこちらを見てくる。


「明日、役場行ってみようよ。何か判るかも」


「明日ってよりは今日じゃねえか。もう少しで朝の四時だぞ」


 わ、ほんとだ、と、焦げたピーマンをかじる雅が言う。あのピーマン、緑のとこがほとんどないけどおいしいんだろか。


「……う、ねむし」


 雅が、ピーマンを飲み込んでくしくしと目をこすった。その横で真純が大きく欠伸をする。


 そろそろお開きかな、そう思い、箸を揃えて言う。


「じゃあぼちぼち片付けよっか、……お?」


 返事はない。──テーブルの向こうをのぞくと、男二人はすでに寄り添い合って寝息を立てていた。


「…………近っ」



     *



     【高端 真純】


「朝だよー、起きやがれ男ども」


 しゃっ、という音と共にまぶたの向こうが明るくなったので目を開くと、真っ白いTシャツとジーンズのショートパンツに身を包んだなつみがこちらを見下ろしていた。さっきのは、カーテンを開けた音らしい。


 寝転んだままの状態で壁にかけられた時計を見ると、朝の8時15分だった。起き上がろうとすると、腹のあたりに何かが載っていて起きられない。


「……雅、何でお前が俺の腹を枕にしてんだ」


 小さく丸まった雅の顔を窓の方向に向ける。日光をもろに受けた雅が顔をしかめ、呻き声を上げた。


「────くあ」


 その体が、ころんと畳の上を転がる。なつみが、うつ伏せになって動かない雅の髪で三つ編みをしたりして遊んでいた。


「なっちゃんごめん刺激を与えないで気持ち悪い吐きそう」


 まあ、昨日──じゃなくてさっきあんなに飲んでりゃ二日酔い確定だろうな。雅の背中を軽く叩いて言う。


「とっとと吐いてこい、――トイレそっちな」


 ぐえ、と危ない呻き声を上げて這っていく雅。それを見送ってから、窓を開けながらなつみが小さく笑った。


「あんたたち、ホント仲いいよねー。私と同じバレーサークルの子があの二人付き合ってんの?て訊いてきたよ。ただの幼馴染って説明しといたけど」


「……当たり前だ馬鹿野郎」


 その時、表の戸が開く、がらりという音がした。なつみが、ひょこりと顔を出して確認する。


「あ、おはようございます佐藤さん」


 8時30分、佐藤さんが出勤してきたらしい。雅はまだトイレから戻ってこない。……大丈夫かなアイツ。


「…………この部屋、なんか焦げ臭くありません?」


 怪訝な顔をして佐藤さんが言う。なつみが、ほとんど空になった焼肉のタレを持ち上げた。


「きっとこれのせいです」


 なるほどと呟いた佐藤さんが、動くのか怪しいレベルでボロい空気清浄機のスイッチを入れた。相当臭かったらしい。不気味な唸り声を上げて空気清浄機が動き始める。


「────あの、昨日仰ってた警視庁の人がくるのって、だいたい何時頃ですか?」


 ちょっと待ってて下さい、そう言って表の部屋に消える佐藤さん。なつみと二人──雅はまだ戻ってこない──ぼーっと待っていると、表の部屋から声が飛んだ。


「だいたい10時くらいですかね。……どうかしましたか?」


「あ、えと……少し気になることがあって、役場まで行きたいんですけど」


「往復で1時間くらいかかりますよ」


 役場に行って質問するのに、そんなに時間はかからないだろう。あと1時間半あれば余裕で戻ってこれる。


「────なつみ、行くか」


「え、雅は?おいてくの?」


「全員で行く必要もねえしあんなフラフラな奴が一緒にきても足手まといだろ。警察から逃げるつもりはないですよっていう人質みたいなノリで」


 それもそうか、となつみが頷く。立ち上がり、黙って俺たちを見比べる佐藤さんに声をかけた。


「すみません、ちょっと一時間半くらい消えます。……雅の奴が戻ってきたら、お前セリヌンティウスな、って言っておいて下さい」


「………………はあ」


 あの返事じゃ絶対解ってない。


 携帯と車のキーを取り上げる。キーを投げたり受けとめたりしながら歩く俺に、なつみが見上げてきて言った。


「…………あのね真純、戻ってきたらシャワーだけでも浴びた方がいいよ」


     *


     【日向 なつみ】


 駐在所と村役場は、本当に目と鼻の先だ──地図上では。


 直線距離で言ったら5キロもない。それなのに30分もかかる理由は、山を迂回しなければいけないからだった。


 真純はさっきから、アクセル踏んで時々ハンドル回してるだけで何もしゃべらない。ちなみにCDは流れてるけど、何の曲だかさっぱり判らない。


 さすがに沈黙に耐えられなくなり、真純に訊いてみた。


「──ねえこれ、何の曲?」


「……ヨーゼフ・ヴァイクルの主題による変奏付きソナタホ長調」


「うんごめん全く判らない」


 この選曲は真純のセンスなんだろうか、そう思って横を見ると、真純は小さく鼻を鳴らして肩を竦めた。


「前に親を乗せてった時にお袋が入れっぱなしにしたんだよ。じゃなきゃこんなダサいの流すか」


「…………今お母さんとヴァイクルさんに喧嘩売ったよね?」


 作曲したのはヴァイクルじゃなくてパガニーニだよ、と訂正された。何でそんなに知ってるんだろう、と思ったけど、そういえば真純は高二までバイオリン習ってたんだっけ。


「別に真純のセンスじゃないんなら曲変えていい?携帯からブルートゥースで飛ばせるよね」


「──おう。てかむしろ変えて下さい」


 さらに10分くらい走ったところで役場に着いた。シートベルトを外して外に出る。時刻は9時、もうすでにじっとりと暑い。


 役場の窓口は開いていた。近寄っていく私たち──特に真純を見て、受付の男性が、あれ?という顔をする。


「────あなた、昨日屋外火気使用届を出しにきた」


 はいそうです、と真純が頷く。すると、何か勘違いしたのか、男性が薄い笑みを浮かべて言った。


「今日も火を使うなら、わざわざまた届けなくて大丈夫ですよ。あの届は3日間有効ですから」


「あ、えと、そうじゃなくて」


 そう言いかけてみたものの、どうやって繋げば良いのかわからない。言葉に詰まった私の後を引き継いで、真純が言った。


「昨日湖の側でバーベキューやってる時に、湖に落ちた物を拾ったらここの村長さんに怒鳴られたんですよ。あの湖って、何か危険があったりするんですか?」


 男性の笑みが、苦笑を含んだものに変わる。


「確かに村長からは、湖に手を入れないようにと通達するように言われてはいます。しかし、その理由が『手を入れると祟られるから』ですし……一応湖の水を調べてみましたが、有毒な物質が含まれているということもありませんでした。なので、多分誰もそんなことを本気にしたりはしていないと思いますよ」


 私と真純は、思わずお互いに顔を見合わせた。男性がこちらを見ていることに気付き、慌てて頭を下げる。


「────そうですか。ありがとうございます」


 はあ、と、何とも言えない顔で会釈を返される。役場を後にした私たちは、そのまま真純の車に乗り込んだ。


 私が携帯から曲を送り込んでヴァイクルのナントカを防ぎ続けること10分、真純がオーディオの音量を最小にして呟いた。


「…………あの村長が心配してたのは、その危険回避義務がどうのってことじゃねえのか」


「そうだね、──でも、それ以外に、何かあるかな」


 先が見えないほど蛇行した道路に合わせてハンドルを切りながら、真純が、うーんと唸る。


「考えられることとしたら……本当に祟りを信じてるか、それとも、あの湖に探られたくない秘密があるか……」


「現実にそんなことある?あの駐在さんも言ってたじゃん、警察の目をごまかすのは無理だって」


 そうなんだよなあ、とぼんやりと呟く真純。その時、私の携帯が震えた。


「…………あ、雅からだ」


 真純を見上げ、何か言うことある?と訊く。今から帰るから黙ってろっつっとけ、それだけ言った真純は、さらにアクセルを踏み込んだ。


 通話ボタンを押し、携帯を耳に当てる。


「はーい、どうしたの雅」


『ねえ今どこいるの?』


 さっきよりもだいぶ元気になったらしい。問いかけてくる声にいくらか非難の色がこもっている。


「さっき役場に行ってきて、今その帰り。……佐藤さんに聞かなかった?」


『絶対に帰ってくるってことの証明のために置いてかれたとしか聞いてない』


 声だけだと拗ねた女子にしか聞こえない。まあ見た目も女子だよなあ、もう少し髪伸ばしたらスカートはけるよなあ、と考えていると、じっとりと凍えたような声が響いた。


『…………ねえ今すっごく失礼なこと考えてない?』


「別に何も?」


 別にすぐそこに雅本人がいるわけでもないのに、思わず窓の外を見る。そういえば、と、さっき真純に言われたことを思い出して伝えてみた。


「真純から。今から帰るから黙ってろ、だそうで」


 向こうが暫く沈黙した。じー、とスピーカーが唸る音に被せるように雅が呟く。


『……真純に伝えて。僕セリヌンティウスなら真純が帰ってきたら殴ってもいいよね?って』


「…………おう」


 もうあんたら直接話せ私を通すな。


 通話を切ってから、今の聞いてた?と真純に問いかける。ちなみに聞いてたらしい。


「アイツが俺に殴り合いで勝てるわけねえだろうがよ」


「……別にセリヌンティウスも、殴り合いして勝ったわけじゃないけど」


 少なくとも俺は大人しく殴られるほど人格者じゃない、と真純が言い放った。別に黙って殴られるのが人格者ではないけどね。


 9時45分、真純の運転する車は駐在所の前に戻ってきた。駐車場──雑草の中に鉄杭を挿しただけ──には、すでにパトカーが停まっている。真純が小さく舌打ちした。


「ポリ公が違法駐車を助長する気かこの野郎」


「その辺に停めちゃっていいと思うよ」


 あと言葉を慎め検察官志望。


 嫌がらせのように、パトカーのすぐ隣に密着するように停める。まあ、そうしてやりたくなるのは……あんまり解らないや、ぴったり50センチを保って停める技術は褒めても良い気はするけど、……でもこれ、私出られなくないか?


 そう思って訊いてみた。


「────ねえ真純、これ私どーやって出るの?」


 助手席は、後部座席とも運転手席とも微妙に区切られている。自分ちの車だったら迷わず跨ぐけど、他人のだと躊躇する、あの感じ。そして左にはパトカー、ぶつけてへこませたりしたらなんか怖いので間違ってもしたくない。


 真純が暫く黙り込む。私の怪しい予感を裏付けるように、彼は、小さく肩を竦めて言った。


「────────考えてなかった」



     *


     【九条 雅】


 引き戸の開く音がしたので表の部屋に視線を向けると、ちょうど真純となっちゃんが戻ってきたところだった。


 シャワーを浴びている間に洗濯しておいた、今まで引っ被っていたリネンシャツを剥がして起き上がる。二人がこちらの部屋に入ってきたのを、向こうの部屋の刑事が目で追っていた。


 部屋の真ん中で突然立ち止まった真純が、着ていたTシャツをぺいっと脱ぐ。シャワー浴びてくる、そう言って真純が奥に消えた。


「……いきなりどうしたんだろ」


「たぶん、私がシャワー浴びろって言ったからじゃないかな」


 ────いや、絶対そうでしょ。


 心の中で思っただけのつもりだったが、知らず知らずのうちに呟いていたらしい。なっちゃんが僕の方を見てきた。


「なんでそうなの?」


 気付いてないのかな────そう思うと真純がなんだか不憫になり、静かに合掌。


「なっちゃん、真純に好かれてるって気付いてないの?」


「何それ」


 なっちゃんが小さく笑う。もう一回真純に手を合わせてから、僕はさらに言った。


「さっきだって、僕のことおいてったじゃん。絶対あれなっちゃんと二人になりたかったからだってば」


 そんなわけないでしょ、そう呟いてから、静かに付け足す。


「だって、真純のお父さんは会社の社長でしょ?真純は御曹司だし、会社は継がないって言ってるけどあいつなら検察官も絶対なれると思うし。向こうが望んだとしても私にはあいつにはつりあわないし、向こうの親が反対してくるでしょ」


「どうかな?……親子関係とかの難しいとこは判らないけど、でもここ一年くらいずっと不仲みたいよ。親の方は会社継いでほしかったのに真純が検察官になるって言い出したから、そっからずっと揉めてるって聞いたよ」


 そういえば、なんで僕は真純の家のいざこざをこんなに知ってるんだろう……と考えてしまう。────僕は、真純の恋を成就させてやりたいと思っているのだろうか。


「────それで?雅は何やってたの?」


 畳の上に広げられたタブレットPCを見て、なっちゃんが訊いてきた。あっ、と声を漏らしてから頷く。


「うん。……ちょっと気になることがあって、」


 その時、シャワールームからは真純が、表の部屋からは刑事が二人、こっちの部屋に入ってきた。PCをぱたりと閉じ、顔を上げる。


 聴取の内容は昨日の佐藤さんとほとんど同じだから割愛。そもそも色々訊かれたの真純だけだし。


 刑事たちの聴取が終わったのを見届けてから、佐藤さんがこっちの部屋に入ってくる。手には、何枚かの紙を持っていた。


「お2人が役場まで行っている間に、奥多摩署の人間から言われたのですが、────あなたたちが見付けた骨のことです」


 どうかしたんですか、と真純が言う。都内で行方不明になった人とか、そういう答えを予想しているのかもしれない。……けど僕は、佐藤さんが言うであろうことを、きっと知っている。


「この村に住んでいた、一七年前に死亡した水神(みなかみ)純子(すみこ)という女性のものだと判明しました」


 …………僕がなっちゃんに言おうとしてたのに。


「────え、でも、この村じゃ殺人は20年間起こってないって」


 なっちゃんが声を上げる。佐藤さんが静かに首を振った。


「殺人ではありません。水神さんは、17年前に行方不明になり、捜索願が出されました。……しかし、一週間経っても見付からなかったところに、彼女がいなくなった当日、彼女が湖に飛び込んだところを見たという人が出てきたんです。そして、自殺ということで処理され、警察も捜査を終了しました。しかし、彼女の遺体はいまだ湖の底です。あの骨が水神さんのものと判明したのも、照合するのに都合の良い写真が、警視庁のデータベースに残っていたからでした」


 そこまで言った佐藤さんが、持っていた資料を向こうの部屋に戻しにいく。その背中に向けて、今まで沈黙を保っていた真純が質問を投げかけた。


「え、じゃあ…………この件はもう」


「ええ」


 佐藤さんが、静かに頷く。


「これで、捜査は打ち切りになります」



     *


     【高端 真純】


「…………なんだかなー」


 行きで集合したのと同じ、大久保駅を目指して運転しているところに、後部座席を一人で独占する雅がぼそりと呟いた。


 助手席に座るなつみが、後ろを振り向く。


「────どしたの、雅」


「尻切れトンボ感がすごい」


 バックミラーを見ると、雅が小さく口を尖らせているのが見える。


「まあ……なんか、大事なことが隠されてる感じはあるけどな」


 何の気なしにそう言うと、後ろから雅が身を乗り出してきた。……シートベルトしろよお前。


「────だよね?やっぱ真純もそう思うよね?」


「…………お、おう」


「でもさ」


 すると、隣のなつみまでもがこちらを向いてきた。真っ黒いショートヘアを少し掻き回しながら、小さな声で言う。


「普通、昔死んで見付かってこなかった人の骨がいきなり出てきたら、ほかの骨も探そうかとしない?湖浚うとかさ」


「うー、ん………………」


 曖昧に頷きながらハンドルを切る。後ろから、雅が肩をちょんちょんとつついてきた。──運転ぐらいゆっくりやらせてくれ。


「ねえ真純。不正アクセス禁止法違反ってだいたいどれくらいの刑になるの?」


「……お前は何を企んでるんだ」


「いいからいいから」


 良くねえよ。


「…………3年以下の懲役または100万円以下の罰金。執行猶予がつく場合もなきにしもあらず」


 ありがと、と雅が笑う気配。ちょうど引っかかった次の信号で、俺は雅を振り返った。


「お前、変なこと考えてるんならやめろよ。お前だけじゃなく、俺や……なつみも幇助罪で逮捕される可能性もあるんだからな」


 後ろで声を出さずに笑う、ふ、という息の音。雅が肘を載せたのか、俺の座席の背もたれに重みが加わったのが判る。


「真純は心配しなくていいよ──なっちゃんも。捕まるようなことはしないからさ」


 信用できねえ。……ていうか、今の言い方、捕まらないように巧くハッキングするとも取れるぞ。


 暫く運転していると、ふと、雅がずっと静かなことに気付いた。


「…………なあなつみ」


 俺の呼びかけに対して、なつみが、ん?とこちらを振り向く。


「今俺の後ろってどうなってる」


 なつみが後部座席を振り向く。──その口許に、小さく笑みが浮かんだのが見えた。


「んっとね、雅が背もたれの方まで身を乗り出して寝てる」


「…………帰りの車の中で寝るとかガキかよ」


 かわいいよ?と笑うなつみ。────そういう問題じゃない。変に体重がかかってとても運転しにくい。


 ガラス張りのビルばかりの並ぶ光景が見えてきた。それを見てなんとなく、戻ってきたんだな────と感じる。隣で空を見上げていたなつみが、ぽそっと呟いた。


「…………あ、課題やらないと」


 それを言うな。


     *


     【日向 なつみ】


 夏休みが終わるまで、あと1週間になった。


 そんな時期の帝都国立大生のお約束とも言えるけど、『夏期休業科目横断レポートがヤバい』──という理由で真純から招集がかかった。ちなみにそのレポート──通称『夏レポ』は、1年生と2年生全員が課される、自分の専攻と専攻以外からそれぞれ1科目ずつ選び、それらを融合させて3万字以上のレポートに仕上げるという鬼のようなものだったりする。私がそんなヤバいものに手をつけていなかった理由はひとえに塾のバイトだし、他の2人に訊いても雅はプログラミングのバイト、真純は親に勝手に申し込まれたハーバードへの短期留学と、要するに不可抗力だ。


 集まったのは真純のマンションだった──アパートじゃなくてマンション。しかもオートロックで一部屋がすごく広くて、つい3年前くらいにできた、本来なら学生には手の出ないやつ。社長の息子は良いよなー、と本人に言うと、必ずと言って良いほど真純からは「家がボロくても普通の家庭の方が気楽」と返ってくる。……どっちにも当てはまらない雅は、その横で何とも言えない顔をしてるわけなんだけど。


「ねえねえ」


 ワードを立ち上げておきながら一文字も打ち込んでいないノートPCを前に、真純のMacをのぞく。1文字も打っていないどころかワープロソフトすら開いておらず、ツイッターのタイムラインが表示されていた。


「……自分で招集したんだから真純もなんかやりなよ」


「やる気が出ねえ……」


 ぼそっと呟いた真純が、フローリングの上に敷かれたい草ラグに寝そべる。


 胡座をかいた上にタブレットPCを載っけた、──こちらもあまり進めている気配がない──雅がのんびりと言う。


「まあ、全員違う学部だからって、理学部数学科と法学部法律学科と教育学部英文学科じゃねー。あんま互換性ないよね」


 その頭を、真純がパコッと叩く。


「ったく、テメェがちゃんと情報工学科に入ってればもうちょっと使い物になったかもしんねえのによ」


「数学をバカにするなー」


 ……全く、なんでこの二人は一緒にいるとこんなにうるさいんだろう。埒が明かないので、雅のズボンの裾をくいくいと引っ張った。


「ねえ雅。なんかないの、私でも使えそうなやつ」


「ええ……、真純の方が役に立ちそうだよ」


 残念ながら、私に法律をちゃんと理解できるだけの頭があるとは思えない。


 ──結局、全員が三万字に達するまで、寝るのと食堂・入浴以外に休みを取らずに四日かかった。ちなみに私は『数学的解析に基づく教育上のアプローチ』、雅は『統計で見る法律の適正さ』、真純は『初等中等教育で法律観を養うためには』──何だか陳腐というか、どこにでもありそうなテーマが集まった。


「でも終わったー、よかったよかった」


 雅が伸びをしながら言う。そういえば来年もこれがあるの私だけじゃん。


「ねえ来年見捨てないでよアンタたちだけ3年になるからって」


「わかんないよ、──留年するかも」


「こわっ」


 雅の冗談──冗談だと信じたい──に対して、真純がびくっとなる。


 真純は大丈夫でしょ、という私の声に被せるようにして、雅がぽつりと呟いた。


「────ねえ」


「ん?」


 うつ伏せになってMacをいじっていた真純が顔を上げる。……またツイッターかと思ったら次はインスタだった。こいつインスタやってたのか。確かにインスタ映えする顔ではあるけど。


「あの後もさ、納得できなくてずっと自分で調べてたんだ。水神さんのこととか……村長のこととか」


 真純が身を起こす。私も、気持ちだけちゃんと座り直した。


「そしたら?」


 そっと促され、雅が、訥々と語り始める。



「そしたら────────」




     *


     【高端 真純】


「こんにちはー」


 もうくることはないと思っていた駐在所──なつみが、そこに少しだけ顔を突っ込んで呼びかけた。


 はい、という返事。表に出てきた佐藤さんが、俺たちを見て少し目を見張る。


「──あれ、今日はどうしたんですか」


 横から雅が口を挟む。


「あの、……村議会の傍聴って、できますか」


 ますます、佐藤さんの顔が怪訝になった。来年の村予算の編成会議があるのは、村議会のサイトで見て知っている。


 できますけど、と佐藤さんが答える。俺たちを振り返った雅が、ほっとした顔で笑った。


 俺は、自分の車を示して言う。


「────行くか」


「佐藤さんも、一緒に行きませんか」


 歩き出したところで、後ろでなつみが言っているのが聞こえた。──そうだ、それを忘れてた。


「…………なぜ、私が?」


「────きっと」


 ふ、という、雅が微笑する気配。


「行けば佐藤さんも、きて良かったと思うと思いますよ」



 それから40分かけて村議会の建物に着いた。──全く、50人しかいない村のくせに、なんで無駄に広いんだ。


 首を伸ばして建物を眺めたなつみが、あっ、と声を上げた。その声にそちらを見てみると、スーツ姿の人が何人か出てきている。


「……終わっちゃったかな?」


 不安げに呟いたのは雅だ。佐藤さんが訊く。


「──誰か、会おうとしていた人でもいるんですか?」


 雅が黙り込む──躊躇っているのが判った。俺がバックミラーに目をやったのと同じタイミングで、雅が口を開く。


「村長さんに。──どうしても、訊きたいことがあって」


「村長なら、議会が終わっても暫くは中にいると思いますよ。……議長と話しているはずです」


 真純、と、雅が俺の名前を呼んだ。


「行こう」


「…………ああ」


「うん」


 駐車場の片隅に車を停め、シートベルトを外して外に出る。建物の中に入り、会議室の中をのぞくと、村長と議長らしき人──そして、十数人の議員がいるのが見えた。


「────入っても大丈夫かなこれ」


「私が、村長を呼びましょうか」


 その時、村長が俺たちの方に目を向けた。佐藤さんが、深々と頭を下げる。


「入ってこい」


 村長が怒鳴る。最初に乗り込んだのは雅だった。後から俺となつみ、そして佐藤さんが続く。


「なんやあんたら──やっぱり文句言いにきたんやろ」


 俺は──おそらくなつみも、思わず唖然とした。この人は、まだそんなことを言い続けるつもりなのか、と。


「いいえ」


 雅が小さく首を振る。その斜め後ろに立って雅の横顔を眺めていると、冷やかな表情が少し和らいで口許が綻んだ。──でも、それは微笑と言うより失笑の方が近い。


「『祟り』がなんなのかを、証明しに」


 5分、と雅は言った。──5分だけ、僕の話を黙って聞いていて下さい。



 17年前、この村で1人の女性が行方不明になりました。名前は水神純子さん──警察の捜索は、水神さんが入水しているところを見たという村民の証言で打ち切られ、結局警察は、この件をただの自殺として処理しました。


 ……これが、17年前に起こったことのなりゆきです。表向きはね。


 でも実際は、そんな単純な話じゃなかった。今回の事件で──僕らは端から見ていただけですが──1番引っかかったのは、人骨の一部が見付かったにも関わらず、それきり捜査が行われなかったことでした。普通なら、入水した人の骨の一部ですから、他の部分も見付かるかもしれないと考えるでしょう。でも佐藤さんは、僕らにもう捜査は打ち切りだと言った。……そこで僕は、気になって個人的に調べてみたんです。なぜあそこに、水神さんの骨があったのか──そして、1年前に、いったい何があったのか。


 とりあえず時間もないので、組み立てた仮説だけ話しますね。もし気になるなら、あとでどう調べたのかも言いますけど。


 17年前、当時17歳だった水神純子さんは、この村で強姦被害に遭いました。その犯人は水神さんに、警察に言わないよう迫った。──おおかた、届け出ても自分なら権力で握り潰せるとか、届け出たら逆に社会的生命を奪うとでも言って脅したんでしょう。そこで水神さんは、東東京の大学に通うために村を出ていた兄に相談した。水神さんの両親は、その犯人の報復を怖れて、黙っているように言ったそうです。しかし、水神さんの兄は、絶対に被害届を出すべきだと言いました。兄に説得され、水神さんはついに、奥多摩署で被害を届け出た。しかし──捜査は公正には行われなかった。上層部の上のさらに上から圧力がかかったからです。結局犯人は、水神さんが本名を告げていたにも関わらず、証拠不十分で重要参考人になることすらありませんでした。ですが、犯人は、刑は免れたものの捜査記録が残ったのが嫌だったんでしょう。水神さんを激しく責め、その後に再び暴行を加えたようです。この直後と思われる時刻に、水神さんは兄に最後のショートメールを送り──そして、湖に落下して死亡しました。


 雅が、ここまで言って小さく息を吐いた。その目を、村長がじろりと睨む。


「今の話が何なんや。わしにどんな関係があるて言うんや」


 ────しかし俺は、そう言う村長の口が微かに震えているのを見た。


 雅の口許に、対照的に小さな笑みが浮かぶ。


「…………犯人は」


 感情を消した冷たい双眸が、村長をぴたりと見据えた。


「水神さんに暴行した犯人は、当時内閣官房長官でこの村を視察で訪れていた川内八郎氏──あなたですよ、村長さん」


「────デタラメや!」


 村長が怒鳴る。けれどその怒号は、どちらかというと絶叫に近かった。


「わしがやった言うんなら、その証拠を見せんか。まさか、証拠も何もなしにそうやって決めてかかってるんじゃないやろうな」


 雅が、俺のことを振り向いた。その目に一瞬見えた躊躇の色に、思わず俺も目を伏せる──これからやることは、雅の人生すら狂わせかねない。こいつは、なんでそんなことをしてまで真実を告発しようとしたのだろうか。


「………………証拠は、これです」


 傍らに持っていた薄い鞄から、数枚のコピー用紙を取り出す。そして雅は、それを村長の方へ突きつけた。


 それを見た村長の顔が、だんだんと色を失っていく。俺となつみは、すでにその紙の中身を雅から見せられていた。雅が携帯会社と警視庁のデータベースをハッキングして手に入れた、ショートメールの履歴と事件の捜査記録。──警視庁のデータベースをどうやってハッキングしたのかはものすごく気になるが、幇助の容疑で逮捕されたりはしたくないので聞かないことにしている。


 ショートメールの履歴の一番最後の文章は「お兄ちゃんが今からこっちに戻ってきても、その頃には私はこの世にいないと思います」──だった。これだけでは自殺か他殺かははっきりしない。


 そして、一方の捜査記録には、水神さんの供述内容、犯人が村長だと判明した検査の結果、そしてそれらが隠蔽されるまでの過程が克明に記されていた。そちらの方は、途中からはどちらかと言うと手記のような形になっている。


 抑揚の薄い声で、雅が言葉を紡ぐ。


「破棄されるはずだった捜査記録が残っていたのは、水神さんの聴取を担当した捜査官が上層部の指示に納得せず、自分のパソコンの中にそのデータを保存していたからでした。ちなみにその捜査官は、破棄しろという上司の命令に従わなかったことで希望退職に追い込まれたそうです。……大変でしたよ50桁のパスワード当てるの」


 50桁のパスワードって。12桁でも解析に1万から2万年かかるって聞いたことがあるぞ。


 続けても良いですか、そう雅が訊いても、村長は微動だにしなかった。その沈黙を是と受け止めたか、雅が再び口を開く。


「そして――僕たちが水神さんの骨と聞かされていたのは、実際には水神さんのものではありませんでした。10年前に亡くなったこの村の住民のもので、僕らがあの骨を見付けたのと同じ日に墓から盗まれたのをお墓参りにきた家族が発見し、被害届を提出しています」


 俺たちが入ってきた時よりも、議員の数は減っている。それでも──残っている議員のほとんどが、こちらを注視しているのを感じる。


「住民の墓から骨を盗掘し、あの湖に浮かべたのは、……水神さんの、兄です」


 覚悟を決めたその背中が、本来の背丈よりも大きく見える。


「骨を湖に浮かべ、その骨を僕たちには水神さんのものと騙り、警察には盗掘された骨だと事実を報告した」


 もう解るでしょう、そう言った雅が一呼吸おいた。


 そして、おもむろに振り向く。


「佐藤友一さん。――――いいえ、旧姓、水神友一さん」


 その辺りの複雑な家庭事情は、雅の推測ではあるけれども一応聞いていた。家計が逼迫した水神家から兄の方が養子に出され、21年前、当時15歳だった水神友一さんは佐藤友一さんになった。それでも、妹の純子さんとは定期的に連絡を取っていたらしい。


「……なぜ」


 村長の声が震えている。恐怖によるものではないことは明らかだった。


「────なんで、こんなことをしたんや!」


 怒号が、辺りの空間に反響して消える。


「気付いてほしかったんでしょう」


 雅の声は、どこまでも冷やかだった。村長に向き直った雅が、低い声で続ける。


「純子さんの無念を、……17年前の恨みを晴らしたかった。あなたを恐れない外部の誰かに、あなたの罪に気付いて告発してほしかった。そんなところに、僕ら三人がやってきたんです。役場に火気使用届が出されたことでそれを知った佐藤さんは、適当な墓から骨を持ち出し、湖に浮かべました。そしてそれを、首尾よく僕たちが見付けたんです」


 全てを語り終えた雅が、口許だけで微笑む。


「考えようによっては、確かに祟りは存在していたんです。────ただし、村長さん、あなたの中だけにね」


 でも、と村長が、諦めきれない様子で呟く。


「17年前だぞ。とっくに時効だろう」


「────いや」


 もしかしたら俺は、ここにきて初めて声を発した。


「2010年の刑事訴訟法改正で、殺人罪なら時効はなしに、強姦致死罪であっても時効30年になった。まだ、あんたを逮捕し起訴することは可能だ」


 俺が口を閉ざしてからようやく、一歩退いた雅がこちらを振り返った。


 その双眸が、もう良いかな、と訴えている。その顔からさっきの冷たさが消えていることに、俺はなぜかほっとした。


「────もういいだろ、それくらいで」


 俺のその言葉に、雅が小さく、うん、と頷く。


 そして、シャツの胸ポケットからICレコーダを取り出し、かちりと録音停止ボタンを押す。


「僕たちがここに到着してからの流れは、全てこれに録音されています。これと、……捜査記録のデータは、佐藤さん、あなたに差し上げます。これをどう使うかは、あなたにお任せします」




 ────こういうことなんだよ。



 その後、帰りの車内で、雅が不意に呟いた。


 真純が将来仕事にしようとしているのは、こういうことなんだよ、と。人を裁くなんて、誰かの人生を狂わせこそすれ、救うことなんて絶対ないんだから。


 お前は俺が検察官になることに反対なのか、────俺は、そうやって返した気がする。本当にそうだったかは覚えていない。


 けれど、それに対して雅が言った答えを、俺は一生忘れないと思う。



 ────賛成はしないよ。けど、真純が自分の意志でそれを目指す限り、僕は、その生き方を肯定する。




     *


     【九条 雅】


  八月二〇日未明に警視庁のデータベースに侵入したとして、警視庁はおととい、東京都県境郡山梨村駐在所勤務の佐藤友一巡査部長(36)を、不正アクセス禁止法違反で逮捕したと発表した。

                (八月二九日付・読易新聞)



  一七年前に東京都県境郡山梨村で、水神純子さん(当時17)が強姦被害に遭った事件の捜査資料が漏洩した問題に関して、当事件に川内八郎内閣官房長官(当時)が関与していた疑いがあることが判った。警視庁は、近く川内氏に重要参考人としての聴取を実施する見込み。

               (九月三日付・全国経済新聞)



 僕は、積み上がった新聞の最後の一部を読み終えると、それをガラステーブルの上に置いた。目の前では、真純がテーブルに突っ伏している。


 ここは真純のマンションだった──僕は今、少し前から真純と共同生活を始めていた。検察官を諦めない真純に、両親が絶縁を宣言したらしい。仕送りが途絶えた真純はマンションの家賃を払えなくなったために、僕を呼び寄せたというわけだった。引越しは考えなかったらしい。


「あの村長、逮捕されることになりそうだよ。……聞いてる?」


 僕が教えてやっても、真純は突っ伏したままで返事をしない。ため息と共に訊く。


「……さっきからどうしたの、熱でも出た?」


「────────服どうしよう」


 珍しい。Tシャツに短パンでもサマになる真純が、服で悩んでるなんて。


「誰かと出かけるの?」


 少しだけテーブルに身を乗り出して訊く。


「ん、……ああ、なつみと」


「…………あっそ」


 片思いの時はあんなに応援していたのに、いざ成就すると見てて嫌になるから不思議だ。放っておくことにして、立ち上がる。


「────コーヒー飲む?」




 検察官になった真純の格好良いところを見られるのは、もう少しあとのお話。




                   【了】


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