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紅葉に染めて

作者: デイジー

何年も前にフォレストページではじめて書いた私のケータイ小説処女作です。

長編作品『はなのいろ』と『雪柳(執筆予定だった)』合わせて三部作にする予定で書いたため、連載中のはなのいろ第二部にリンク?します。(こっちが先だけどスピンオフ的な?)



『紅葉に染めて』


【壱、一人娘】



これは江戸時代、当時京、大阪にも勝る賑わいを見せ始めた江戸の町から少し外れた宿場町のお話-



この町は、よく江戸の町から伊勢参りや京、大阪に向かう旅人が通る街道沿いにあり、休憩や一夜の宿として立ち寄ることが多い為、日々結構な賑わいをみせている。


そんな町で八重の家は代々宿を営んでいる。今年十六歳になったこの家の一人娘である八重(やえ)も、毎日仲良く宿を切り盛りしている両親に憧れ、いずれ私も良き旦那様とこの店を継いでいきたいと、ものごころつく頃から店に立ってきた。今ではもう次期女将として顔馴染みのお客からも可愛がられており、看板娘も板についたものだ。


「ごめんよー!」

「いらっしゃい!」

「よぉ弥吉さん!久しぶり!

お?!どこの別嬪さんかと思ったら、この町名物の八重ちゃんじゃないか!大きくなったもんだねぇ。」

「八重ちゃん!久しぶりだねぇ。元気だったかい?」


「あ!住吉屋のおじさんとおばさん!お久しぶりです!お二人こそお元気そうで。今年も伊勢参りですか?」

父の弥吉と入口でお客さんを出迎えると、江戸で老舗のお菓子屋を営んでいる住吉屋のおじさんとおばさんだった。二人はとても仲が良く、こうして毎年春先になると伊勢参りに出かけ、その行き帰りには必ずここに立ち寄ってくれる常連客なのだ。

「ああ!去年京に嫁いでいった娘の香代にもうじきやや子が産まれるてんで、その安産祈願と毎年恒例のうちの商売繁盛を兼ねてなぁ!」


「だから今年は特に気合いが入ってんのさぁ!八重ちゃん達の分までお参りしてきてあげるからねぇ。」


「いつもありがとうございます!お母さんに言って今お部屋をご用意しますね!」


そう言って奥で他のお客さんの相手をしている母を呼びに行こうとしたところで思い出したようにもう一度振り返った。


「あー!忘れてた!!

香代さんの赤ちゃん楽しみですね!おめでとうございます!!!」


そう言って、二人は弥吉に任せ、八重は一旦奥に下がっていった。


「八重ちゃんは本当にいい子だねぇ。明るくていつも元気に出迎えてくれて。」


「加えて優しくて器量よしときたもんだ!弥吉さんらも鼻が高いだろう。」


「そりゃあそうさ!うちの母ちゃんによく似て別嬪だしなぁ!」


「全く、相変わらずの親馬鹿だねぇ。

でも本当にあの子の女将姿が今から楽しみだよ。」


「あぁ。その為にも、そろそろいいお婿でも貰って祝言挙げてくれりゃあ万々歳なんだがなぁ。」


そう呟いた弥吉もまた、二人と同じように母と話す娘の姿を見つめていた。





【弐、寄り道】



それから数日後の昼過ぎ、八重はお遣いでお茶とお茶請けを買いに出掛けていた。

いつもの店で茶葉を買い、その足でうちの宿の隣にある馴染みのお菓子屋に立ち寄った。最近は行楽日和でお互いに忙しく、隣とはいえなかなか顔を出せずにいたので軽く久しぶりに訪れたことになる。



「こんにちはー!」


「あら、八重ちゃん!こんにちは。名物看板娘が、今日はお店はいいのかい?」


「こんにちは、お涼おばさん!今日はお茶請けを買いに来たんです。そろそろ切らしそうだから。」


「あらそう。いつもありがとうね。」


「ここのお菓子は特別美味しいから、昔から私は大好きなんです!」


「嬉しいこといってくれるねぇ。今日調度次の初夏の新作が出来たんだよ。是非試食していっておくれ。」


「わぁ、楽しみ!芳竹おじさんのお菓子って美味しいだけじゃなくて、いつも綺麗でなんだか食べるのが勿体なくなるんですよね。」



「八重ちゃんにそんなに喜んで貰えるなんざ、菓子職人冥利に尽きるってもんだ。」


「八重ちゃんに最初に食べさせる為に気合い入れて作ってるようなもんだからねぇ、あんたは。」


「あ!芳竹おじさん、こんにちは!」


「おぅ!八重ちゃんの笑顔が見れたらもうひと頑張り出来るってもんだなぁ。」


「もう、おじさんったら、大袈裟ですよ。」



この昔馴染みのお菓子屋さんは、この町の中でも美味しいと評判の老舗で、うちの宿と同じくらい古い歴史があると聞いたことがある。ここも親方である芳竹おじさんが、そのお父さんから継いでいるのだ。芳竹おじさんはうちの父・弥吉と親友で、母・晴枝とお涼おばさんも仲がいい。その為、私が産まれた時から家族ぐるみの付き合いなのだ。この家には私より一つ年上の義治(よしはる)という一人息子がいる。昔はよく二人で夕方までやんちゃに遊んだものだ。私が看板娘として宿を手伝っているように、彼は今までもお菓子作りを手伝ってはいたものの、今年に入ってからは本格的に修行を始めたのだ。



「おじさん、義治は修行上手くいってる?」


「あぁ、今裏で必死に練習してらぁ!まぁ筋は悪くないんだが、やっぱりまだまだだなぁ。自分の作品作るにはまだ腕が足りねぇよ。」


「そっか。頑張ってねって伝えておいて貰えますか?私楽しみにしてるから、新作が出来たら一番に食べさせてって!」


「それはいいけど、今会っていかなくていいのかい?なんならすぐに呼んでくるけど。」


「いいんです!私もそろそろ戻らなきゃいけないし、折角頑張ってる義治の邪魔したくないから。」



それから八重は、頼まれていたお菓子を買い、おじさんがもってきてくれた新作のお菓子を美味しく頂いて満足して店に帰っていった。幼なじみ・義治の修行が上手くいくように心の中で静かに祈りながら。




【参、息抜き】


あれから更に時が経ち、今は梅雨時である。この界隈は相変わらず繁盛しているとはいえ、春先に比べると客足も大分落ち着いてきた。

連日続いた雨も今日は止み、久しぶりにのんびりしなさいと八重は今日一日休みを貰った。八重は花が好きで、取り分け紫陽花や藤の花が好きなので、いつもこの時期になると時間があれば傘を挿してでも散歩に出ている。今日は傘を挿す必要もない為、身軽にお気に入りの蝶の柄が入った薄桃色の小袖を着て、朱色に細やかな模様の入った帯を締め下駄を履いて店の暖簾を潜り元気に外へと出掛けた。



「いってきまぁーす!」


外に出てみると、昼前とはいえ、今日も相変わらずよく賑わっている。梅雨とはいえ今日は晴れているから、尚更活気に満ちているようだ。八重も周りの賑やかさにつられつい自然と頬が緩んで笑顔になる。


「んー!今日は本当に気持ちがいい、いい天気だなぁ!」


暖かい太陽の陽射しに、つい腕を少し上げて軽く伸びをしてしまう。八重は元気が取り柄なのだが、たまにこういう行動をしては、「女の子がはしたないですよ」と母に叱られるのだ。

すぐにそれを思い出し腕を引っ込めると、誰にも見られていなかったかと念のため周りを確認して安堵の溜息をついた。


「はぁ…。危ない危ない。つい気が緩んじゃった。お母さんに見つかったら、軽くお説教だもんね。気をつけなくちゃ。」


気を取り直して八重は通りを歩き出す。軒に咲いた朝顔に笑みが浮かぶ。暫く歩いていると、何度か途中知り合いの人達に声をかけられ少し話をした。また、いつも子供達の遊び場になっている神社の境内で、近所の子達と久しぶりに鬼ごっこをして遊んだりもした。



一刻程思い切り遊び疲れてきた為、また遊ぶ約束をして抜けてきた。


「はぁ、久しぶりに遊んだなぁ!楽しかったぁ!次は何しようかなぁ…」


そこで考えを巡らしていると、幼なじみで現在修行中の義治の顔が浮かんだ。


「よしっ!義治の様子でも見に行ってみよう。少しくらい邪魔しても大丈夫だよね。義治もたまには息抜きしなきゃ。」


そう心を決めると、八重は早速自分の家の隣のお菓子屋へと向かった。




【肆、ふたりの跡継ぎ】


義治の家であるお菓子屋『なかの屋』の暖簾を潜り、中を覗いてみる。どうやら今は昼過ぎだからか然程忙しくはないようだ。

八重が他のお客の相手をしていたこの店の女将・お涼おばさんに声をかけようとした時、調度奥から出てきた芳竹おじさんに声をかけられた。


「お?八重ちゃんじゃないか。今日はどうしたんだい?そんな所に立ってないで入っておいでな。」


そうおじさんに笑顔で手招きされた為、八重も「こんにちは!今来たところで声かけようとした所だったんです。」とおじさん、おばさんに軽く会釈しながら中に入った。


「で、どうしたんだい?その様子じゃあ今日は休みでも貰ったんだろう?遊びに来てくれたのかい?」


そう問いながら近づいてきたお涼に、今日訪れたのは義治を見にきた旨を伝える。


「今日は義治の様子を覗きに来たんです。邪魔になるかと思ったんですが、なんか気になって。」


「なんだ、そんな事全然気にしなくてもいいのに。八重ちゃんなら義治だって邪魔な訳ないさぁ。」


「そうだよ!兄弟みたいなもんなんだから。義治もいい気分転換になるだろうさ。義治なら今裏の厨房で飾り切りの特訓してるからいってあげな!」


「ありがとうございます!じゃあ義治の様子見てきますね!!」


そう二人に告げ、八重は顔を輝かせて奥の暖簾を潜っていった。


「本当に仲がいいよ、あの二人は。最近は店の手伝いと修行で二人ともめっきり会えなくなったけど。やっぱり義治には八重ちゃんが必要だねぇ。八重ちゃんなら義治を安心して任せられるんだけど。」


「でもよぉ、お涼よ。義はこの店継がなきゃならねぇし、八重ちゃんだって『櫻屋』の女将として継いでかなきゃならねぇ。二人が一緒になりゃあおしどり夫婦で文句なしだが、そりゃあ土台無理があるってもんだろう。」


「まぁねぇ…。」


芳竹とお涼の二人が八重が消えて行った先を見ながら、そんな話しをしていようとは八重は知る由もなかった。




【伍、幼馴染み】



現在修行中の義治に会うため、芳竹・お涼の二人と別れ店の裏にある厨房の暖簾を潜って中にいるであろう義治に声をかけた。


「義治ー!いるー?」


「ん?…なんだ、誰かと思えば八重じゃねぇか!久しぶりだなぁ。」


「うん!久しぶり!!なんだかんだで今年に入ってからは、めっきり会わなくなったもんねぇ。」


八重が厨房に入ると、細工ものの和菓子に包丁で模様を付けていた義治が驚いたように目を見開いていた。調理台の上には今まで義治が練習していたのであろう、少し不恰好な同じ菓子がいくつも並んでいる。

八重の思わぬ登場に、何刻も根を詰めて作業していた義治も一先ず一息着くことにしたのか、手を止め包丁を置き八重に向き直った。


「まぁな。俺も朝の仕込みの後は親父についてみっちり修行だし、お前だって女将見習として前にも増して忙しいんだろ?二人で遊びにも行ってないし、お前がここに来るのだって大分久しぶりじゃねぇか?」


「お店にはたまに顔を出しに来るけど、中までは来ないからね。折角頑張ってる義治の邪魔はしたくないから陰ながら応援中なの!」


「今日は特別覗きに来ちゃったけどね。」そう付け足して笑った八重に、義治も自然と笑みになる。


「この前の言伝はちゃんと聞いたよ。…ありがとな!」


そう照れ臭そうに笑って、いつものように八重の頭に手をおいて軽く撫でる。八重はこの自分より二周り程大きな手が大好きなのだ。温かくていつも自分の手をひいてくれる、父の隣で真剣に和菓子を作る手が。



「私、義の初めて自分で作る新作和菓子楽しみにしてるからね!完成第一号を試食するのは私なんだからね!!」


「分かってるって!だから今こうして腕磨いてるんだろ?八重は親父の菓子で舌が肥えてるからな。下手なものは作れねぇってな。びっくりさせてやるから楽しみにしとけよ!」


「うん!!私も女将修行頑張るから、義も頑張って一日も早くお菓子食べさせてよね!!」


「おぅよ!…て、お前ただ菓子食いたいだけじゃねぇのかぁ?」


元気一杯に意気込んで言った八重に、義治も冗談半分に苦笑しながら返した。


二人とも、互いが一緒にいる時のこの空気が堪らなく好きなのだ。特にこうして久しぶりに会って話すと、改めてその居心地の良さを感じる。


「…じゃあ、私はそろそろ帰ろうかな。義治の顔も見れたし!安心したよ。満足です!」



そういいながら、八重は暖簾に手をかけ背を向ける。


「じゃあまたね!和菓子の名店・老舗『仲の屋』の次期美男若旦那・義治さん!」

業と畏まって面白可笑しく言う八重に、義治も苦笑しながら手を挙げ言葉を返す。


「おぅよ!町一番の名宿屋・老舗『櫻屋』の期待の次期美人若女将・八重ちゃんよぉ!」



その返しにくすくす笑いながら出ていく八重に、「あ」と思い出したように義治が声をかけた。


「八重っ!!今年の夏祭りも一緒に回ろうなっ!」


「…うん!!!約束ね!絶対だよっ!!!」



この町では他の地域と同じように毎年盆の時節になると河原や土手、神社を中心にそこそこ大きな祭が催される。二人とも他にも友達は沢山いるものの、子供の頃から必ず祭は二人で行っていた。祭の日は店もお互い忙しいものの、ある程度区切りがいい所で遊びに行かせて貰えるのだ。毎年恒例とはいえ、義治の嬉しい誘いに八重は満面の笑みで返事をし、大きく手を振り出ていった。





「俺が約束忘れる訳無いだろうが。


…よし!絶対その日までに少しでも一人前になってやるぜ!!」


八重の喜ぶ顔を思い浮かべながら、力強く拳を握り決意を新たにした義治だった。




【陸、焦燥】


八重が義治の元を訪れてから、二週間程経ったある日。修行中の義治は焦りを感じ始めていた。


「…くそっ!全然駄目だ!どうしても色付けにムラが出ちまうし、形も不格好になっちまう!」


今朝もいつも通り朝から今日の分の仕込みをし、店が開いて隙を見て父である親方に修行を見てもらっていた。今の課題は練り餡を餅に包み、餅に色を出す段階。今まで搾りや父の用意した菓子に細工を施す練習をしてきたのだが、特に今回の課題は菓子作りの大事な行程の中でも菓子の出来を左右する、菓子職人の腕が問われる難題に差し掛かっていた。

父も言うように、義治は決して筋が悪い訳ではない。むしろ親子代々の血に加え、昔から父の隣で菓子作りを見、同じく手伝いをしていた為腕は良い方なのではないだろうか。だが、やはり一職人としての経験の浅さと若さ故の基盤となる基礎の不安定さ、そして今義治を追い詰めている余計な焦りが、すぐによい菓子を作ろうとするあまり空回りし、義治の不安と焦燥感に更に拍車をかけていた。



今、父はいつものように厨房からは席を外している。それは義治が集中しやすいように配慮しての事だった。かつて自分がそうして父に菓子作りを教わったように。

改めて行程を一から丁寧に教え、実際に作りながら注意点と共に職人の感を叩き込むのである。そして一通りの作業が終わった所で、見本を置きいくつも数を作らせる。長年の経験で培ってきた微妙な感触の見極め方や、色合いの出し方、細工の繊細さはそう上手く教えられるものではない。こればかりは自分自身でコツを掴み、数を熟し自然と出来るようになるまでに身につけなければならない。

自分も今の義治と同じく、沢山悩み焦りを感じたように、義治にも今は必死に悩み修行に打ち込み、焦りに打ち勝って欲しいと願っていた。だから疑問を問われれば答えるし、要点は教えるが、決して手助けなどはしない。敢えて一人孤独の中菓子作りと向き合わせているのだ。



「同じように作ってる筈なのに、親父の菓子のようにはどうしても綺麗にならない…。何が違う?俺のは何が足らないんだ…。」



もうすぐ梅雨も明け、あっという間に初夏が来て文月になる。文月が過ぎれば八重と約束した祭のある葉月はもう目の前だ。義治は「このままで本当に、夏までに間に合うのか。」と溜息混じりに小さく呟いて、厨房の格子窓から覗くよく澄んだ青空を見上げた。




「…………」


親方である父・芳竹はそんな息子の本来ならば誰にも聞かれることのなかった呟きを、暖簾の外の廊下の壁に背を預け、気遣わし気に黙って聞いていた。




【漆、父と息子】


更に時は過ぎ、もうじき皆が待ち侘びている夏祭りを来月に控えた、文月がやってきた。



今日も『仲の屋』の厨房には、朝早くから今日店に出す分の仕込みをする芳竹・義治親子の姿があった。

日頃から仕込み中は余計な話はあまりしない二人なのだが、今日は珍しく父・芳竹が声をかけた。


「…義よぉ、お前は俺に似て頑固なとこがあるからかもしれねぇが、根を詰めりゃあいいってもんでもないんだぞ?」


「………」


「お前は餓鬼のころからずっと俺の隣で手伝いをして、和菓子作りを見てきた。確かに筋はいいし、歳の割には余所の職人よか腕はいいだろうよ。…まぁお前は自分の腕をそこまで思ってなかったろうがなぁ。」


「……」


いきなりの思いもよらぬ父の言葉に、義治は何も言えなかった。日頃褒めたりすることなんて殆どない父が、息子であり菓子職人としては弟子である自分の事を素直に評価しているのだ。

義治は今まで、菓子職人見習としての自分の腕の評価を考えたことなどあまりなかった。基より努力家な性分もあるため、ある程度自身の腕には多少の自信はあるものの、かといって天狗になったことはない。ただがむしゃらに父の背中を見て育ち、菓子職人に憧れ、いつかは父のようになりたいとひたすら努力してきた。特にここ最近は、以前にも増して一日中厨房に篭り、朝から晩まで一人黙々と練習をしている。


そんな義治の父であり、修行中の今は親方である芳竹が何を言わんとしているか、義治には全くわからなかった。

神妙な顔で黙ったままの義治を一瞥し、更に言葉を続ける。


「…お前は、八重ちゃんが好きか?」


「…っ!!?」


作業する手をとめる事なく、静かな朝方の厨房に二人の作業する音が微かに響いている中、突如独り言でも呟くように始まった父の言葉。

今、正にここ数日悩み続けて暗中模索を繰り返し、答えが見えず暗闇に迷い込んでしまったような心地にいた義治。そんな息子の様子に気付いていながらずっと黙っていた芳竹は親方として、始めて本当の意味で職人としての壁にぶつかった弟子の心に、静かに一石を投じたのだ。

そして今、芳竹の言葉を繰り返し頭で巡らせ意味を考えていた義治だったが、その後更に父が続けた質問は全く予想だにしないものだった。


一体どうしたら、今その話題になるというのか。その質問にどんな意味があるというのだろう。


芳竹の最初の言葉に思考の波に呑まれていた義治を、思わず現実世界に引き戻すには十分だった。



「親父っ!いきなり何言い出すんだよ?!

さっきから珍しく何か言ってたと思ったら。大体八重の事なんて、今は全く関係ないだろう?!!」


「なんでぃ。どうせ図星なんだろう?

そりゃまぁ、あんないい子が幼なじみなら、俺だってとっくの昔に惚れちまってるだろうがなぁ。」


「だから関係ないって言ってるだろ!」


慌てる義治に厭な笑いを一つ浮かべると、また真面目な声色で話し出す。


「菓子ってのはなぁ、食べてくれるお客は勿論だが、まず何より自分の大事な奴の為に作るもんなんだよ。

どんな顔して食べてくれるかってなぁ。それが楽しみで端正篭めて最初の一つ目を作るんだ。まぁ俺らの言う『新作』ってやつだな。

これから何が旬な季節か、どんな綺麗な景色がやってくるのか…

あいつはどんな花が好きだったかってなぁ。」


「焦ることなんざねぇ、一人前ってのはそんな簡単になれるもんじゃねぇから、時間をかけて追いかけんのさ。職人なんて「これでいい」なんて満足しちまったら終いよ。いつまで経っても半人前なんだ。後は親父の背中を見ながら、少しでも昨日よりマシになれるように必死こいてやり続けられたら立派なのさ。」


「俺だって、未だに満足のいくものが造れたことは数える程しかねぇよ。だが、お涼が喜んでくれりゃあいい。俺の作った菓子で馬鹿みたいに笑って、美味い!って言ってくれりゃあな。だから俺は菓子職人を継ごうと思ったし、今までこうして続けて来れたんだ。なんたって母ちゃんの支えあっての『仲の屋』だからなぁ!」




「だから、お前も八重ちゃんの為にあの子が喜ぶ物を必死こいて作ってやりなっ!不格好な菓子をなぁ。」…お前の想いを篭めてな。最後にそう言って芳竹は笑った。


その父の言葉に、義治はどこか長い間背負い込んできた肩の荷が、ようやく下りた思いがしたのだった。




【捌、初夏の空】


翌日、義治は仕込みが終わると、親方に一日修行の休みを貰い、仕事着から藍色の着流しに着替えると昼過ぎに家の暖簾を潜った。その時、出会い頭に店の前を歩いていた人とぶつかった。


「きゃっ!…ご、ごめんなさいっ!よそ見してて…」


「おっと!…俺の方こそすまねぇ。大丈夫か?」


咄嗟にぶつかってよろけた華奢な身体を支えてやり、謝って顔を上げた相手を見て驚いた。

そこにいたのは、義治のよく知る幼なじみ、花柄の明るい橙色の着物に黄色い可愛らしい模様の入った帯を締めた八重だった。



「八重じゃねぇか!」


「え…義治?!!」


「たく…俺もよそ見してたが、お前も結構そそっかしいからなぁ。気をつけて歩けよ?」


「うん。ごめんね。

…でもまさか義ちゃんに会えるとは思わなかったよ!修行始めてからは殆ど篭りっきりだっておじさん達も言ってたし。

今日はどうしたの??」


「お前に義ちゃんなんて久々に呼ばれたなぁ。一昔前まではずっとその呼び方だったのに。

…ずっと篭りっぱなしだと肩凝るからなぁ。今日は休み貰って気分転換に散歩でもしようかと思ったんだよ。」


「そうなんだ。珍しいね!でもたまには気分転換も大事だよ!

この間からずっと会ってなかったけど、おじさんもおばさんも義が元気ないって心配してたし。

でも今日の義見たら安心したよ!なんかすっきりした顔してる。」


そう笑った八重に、義治も嬉しそうに微笑んだ。彼女の事だから八重自身、自分を心配してくれていたのだろう。そして自分の心境の変化にいち早く気付いてくれた。その事が素直に嬉しかった。


「…あぁ。なんか昨日親父から珍しく活を入れられてな。なんか上手くいかないのを、うじゃうじゃ悩んでるのが下らなくなっちまった。俺はこれから本当の職人になるんだし、まだ修行は始めたばっかなんだから不器用でナンボなんだってな!」


そう笑った義治は、一つ壁を乗り越えたようで、八重の目には一回り大きく見えた。そんな幼なじみに嬉しそうに微笑む八重に、義治が「そういえば」と問い掛ける。


「珍しいと言えば…、八重こそ今日はどうしたんだ?この時間なら宿の手伝いで忙しい筈だろ?」


「こんなところでうろうろしてるなんて」と訝しく首を傾げた義治に、八重は軽く頬を膨らましてみせた。


「うろうろなんてしてないよ!今日は私も気分転換にお買い物でもしにいこうと思ったの。お母さんがたまには休んでいいからって。」


「たまにはって、この間もそういって休み貰ってただろ。」


義治の鋭い突っ込みに、八重は「うぅ…」と言葉を詰まらせた。


「いいじゃない!

むしろ最近の義治が毎日働き過ぎなのよ。もっと外に出なきゃ!」


開き直った八重に、義治も苦笑を漏らして「わかったよ」と八重の頭をぽんぽん撫でてやれば、すぐに機嫌を直したらしく、また笑った。


「よっしゃ!じゃあ今日は久しぶりに八重に付き合ってやるよ。」


「ほんと?!!」


思わぬ提案に八重の目が輝いく。子供のようにころころと表情を変える八重が、義治は好きだ。


「おぅよ!今から買い物いくんだろ?俺も特にやりたいことがあったわけじゃないしな。

途中で甘味でも食べにいくか?」


「あそこの心太が出始めたらしいぞ。」と教えてやると、その店の心太がいたくお気に入りの八重は「もうそんな時期だったんだ!絶対行かなくちゃ!!」とはしゃぐ。



今日の初夏の爽やかに突き抜ける青空の様に、八重と並んで歩く義治の笑顔も、とても柔らかく澄んでいた。

昔からの癖で、自然に繋がれる互いの手に居心地の良さを覚えながら、二人は賑わう通りを肩を並べて歩き出した。


今日は一日何をしようかと、話しを弾ませて。




【玖、母と娘】


それから幾日も時が過ぎ、蝉が鳴く声にも慣れはじめた盆の時期がやってきた。


今朝は蝉が鳴きはじめる早い時刻から、皆浮かれた様に出店などの準備に追われている。数日前から提灯を提げたり、神輿の準備やらを若い衆を中心に男達がせっせと進めていたが、今日はいよいよ皆が毎年楽しみにしている祭の当日だ。町中どこを見回しても、皆満面の笑みを浮かべ、生き生きと楽し気な声を張り上げている。


この町の祭は規模が比較的大きく結構有名で、盆を早めに済ませこの日を目掛けて遊びに訪れる旅人も多い。八重の家の宿『櫻宿』も人気が高い為昨日から大忙しだった。

この日も凄い盛況ぶりで、大きめで部屋数も多い筈なのだが満室の為に終いには断りを入れねばならない始末だった。


正に目の回る忙しさだったが、夕方には客も祭に出掛ける為、ようやく一息つける。朝から同じような状態だった隣の和菓子屋『仲の屋』も、売り切れてそろそろ落ち着いた頃だろう。

自室でしばし風鈴の涼し気な音色を楽しんでいた八重が、そろそろ準備を始めようかと思った時、都合よく母・晴枝が薄い藤色の浴衣を手にして声をかけてきた。


「八重、今日もご苦労様!さぁ、お待ちかねの祭の時間よ!もうじき始まるからあんたも早く支度しなさい。今年も義くんと一緒に行くんでしょう?」


「うん!!丁度今から支度しようと思ってたところ。その綺麗な浴衣、お母さんのでしょ?」


「八重ももう大分大人になって綺麗になったから、お母さんの浴衣貸してあげるわ。八重はこの浴衣ずっと着たがっていたものね。勿論帯もこの浴衣に合わせた菫色のこれよ。」


「本当に着ていいの?ありがとう、お母さん!!」


八重は跳びはねてはしゃぎたくなる程、手を叩いて喜んだ。この藤色の浴衣は母のお気に入りで、この浴衣を着た晴枝はとても大人びて綺麗なのだ。幼い頃から優しく美人な晴枝は八重の自慢の母で、さりげなく可愛らしい花の柄が描かれたこの浴衣に八重は憧れていた。いつか母のように綺麗になって、自分もこの浴衣が似合うようになりたいと。



「今日は久しぶりに、母さんが着付けてあげるわ。」そう言って幼い頃よくして貰ったように、母の前で腕を軽く広げて立つ。


「こうして見ると、八重も随分大きくなったわね。」目を細めて笑う母に、八重も照れ臭そうに笑う。「昔はまだ大きかったこの浴衣が、今はぴったりだわ!」その晴枝の言葉が凄く嬉しい。


「お母さんみたいに綺麗な女将さんになるのが、ずっと私の夢なの!」


そう言った八重に、晴枝は同じ言葉を無邪気に言っていた幼い頃の娘の姿がふと過ぎった。


「全く同じ事を言っていた私の可愛い小さい娘が、ついこの間の事みたいに感じるわね。」愛娘の愛らしい言葉に、落ち着いた菫色の帯を締めてやりながら、晴枝は楽し気に笑い、それにつられて八重も鈴の笑い声を上げた。




【拾、夏祭り】


あれから八重は着付けを済ませ、母に譲って貰った漆黒の柄に可愛らしい朱色の玉飾りのついた簪を挿して下駄を履き、「行ってらっしゃい!」と見送られて外に出た。


陽も大分傾き、いよいよもうじき祭が始まるようで、いつにも増して通りには人が多い。

これから祭に向かうのだろう。神社を目指す人を中心に、子連れの家族や、仲良く手を繋いだ恋人達、お年寄りから夫婦まで沢山の人が行き交って行く。


八重も早く行きたいと胸を弾ませて、隣の店『仲の屋』の暖簾を覗いた。


そこには、丁度支度を済ませ、外に出ようとしていた義治がいた。若草色の着流しが、よく似合っている。


「おっ、八重!丁度よかった。今呼びに行くとこだったんだ。」


そう笑った義治に、八重は心なしか胸が高鳴った。義治が八重に密かに想いを寄せているように、八重もいつも隣にいた兄のような義治に何時しか恋心を抱いていた。お互い両想いであることには、未だ気付いてはいなかったのだが。



「お前のその浴衣…晴枝おばさんのじゃねぇか?」


「うん!お母さんがもう大人だしって着せてくれたの!!」


凄く嬉しいと袖を広げて見せる八重に、「似合ってるよ。」と笑った。

そう褒められ、つい恥ずかしそうに照れて「…ありがとう。」と少し俯いた八重に、義治は手を差し出した。



「さぁ、早く行かないと祭が始まっちまう!ほら、行くぞっ!!」


八重はその手を握るといつもの笑顔に戻り、二人はお涼に「行ってきます」と告げて外に出て行った。




「八重ちゃんもあの浴衣を着る程大きくなったんだねぇ…。義と並んだらぴったりじゃないか。」


一人店内で呟いた筈のお涼の言葉に、返事が返ってくる。振り返ると、さっきまで厨房にいて片付けをしていた芳竹だった。


「八重ちゃんも母ちゃんに似て綺麗になったよな。成長したのは義治だけじゃねぇってことさ。」


「あたしらも、丁度あの時分に一緒になったんだよねぇ。いつも弥吉さんと神輿だなんだって祭に参加してたあんたが、珍しくあたしを呼びに来てさ。それから好きだなんて言われた時はそりゃあ咆驚したもんさ。」


「言うなよ。恥ずかしい。…でも嬉しかったんだろうが?泣いちまうくらいに。」


「そりゃあ、ずっと好きだったんだからねぇ。あんたが真剣に菓子作ってる時の顔に惚れたんだ。あの時もあたしに新作作ったって言って、季節外れの梅の菓子をくれてさ。」


「あれは…、お前が前に梅が好きだって言ってたから…。」


恥ずかさからかいい淀む芳竹に、お涼はしてやったりと言う顔をして笑った。


「…でも嬉しかったよ。なんたって好きな男が、自分の好きな花を覚えててくれたんだからねぇ。まさか、あんたと祝言上げられるとは夢にも思わなかった。この梅の菓子をこの人はどんな顔しながら作ってくれたんだろうってね。…だから泣いちまったのさ。」



そう微笑んだお涼に、芳竹は店を早めに締め、一緒に祭に行こうと誘った。「久しぶりに隣の親友夫婦も誘い四人で行かないか?勿論、息子達には見つからないようにな。」と照れ隠しに頬をかく夫を見つめ、「じゃあ浴衣を出して、晴枝にも夕方くらい店を誰かに預けるように頼まないとね。」とお涼も声を弾ませた。



それから暫く経った頃、店を知り合いの老人夫婦に任せた四人が、久方ぶりの祭に出かけて行ったらしい。




【拾壱、鈴と花火】


祭に出掛けた八重と義治は、色んな出店を見て廻った。義治と逸れないようにしっかりと手を繋ぐ八重の手には、林檎飴が握られている。祭では欠かさず林檎飴を食べる八重に、今年も義治が買ってやったのだ。歩きながら美味しそうに笑顔で頬張る八重に、義治は苦笑混じりに注意する


「美味そうに食うのはいいが、人が多いから気をつけて歩けよ?」


「うん!!大丈夫だよ!」

と、その時、八重が足を止めた。義治も「どうした?」と八重が見つめているところに目を向けてみると、どうやら小物屋らしい。

八重が見たそうにしていたので覗いてみると、一つの小さな鈴を手にとった。小振りだが朱色の紐に結わえられた鈴は、ちりんと可愛らしい音で鳴いた。

「綺麗な音色だね…」


「欲しいんなら、買ってやるよ。ちょっと待ってろ。」


そう告げると、八重が遠慮する前に、店の主に代金を手渡し八重の帯紐に付けてやった。


「ありがとう!」


そう笑った八重に、「よく似合うな。」と満足気に目を細めた。





そのあと二人は花火が上がっている河原を目指しながら歩き、途中風車売りを見掛けたので八重に風車を買ってやった。



他の大勢の人込みに紛れ、二人並んで河原で次々と打ち上がる花火を見上げながら、どちらからともなく握る手に力を篭めた。


どうかこの幸せな時間が、いつまでも続くようにと祈りながら。




【拾弐、見合い話】


夏が終わり、夜には虫の音が聞こえ始めた頃。義治に買って貰った鈴は帯紐にあれから必ず付けている。今日は早めに休んでいいと言われた為、自室にいた八重は手元で同じく買って貰った風車をくるくる指で回しながら、楽しかった今年の夏祭りの日の事を思い返していた。


「今年も楽しかったな。お祭。また宝物が増えちゃった。」


そう微笑んでいると、玄関先から自分を呼ぶ父の声が聞こえた。




「なぁに?お父さん。」


八重が階下に下りてみると、店の入口でお客と話す父の姿があった。


「おぉ!来たか八重。」


「八重ちゃん!久しぶりだね。暫く見ない間に綺麗になって。」


そこにいたのは、この町一番の呉服屋『福よし』の主人・実劼さねきちだった。恰幅のいい優しそうな大旦那でいつもよくしてくれる為、昔から八重もよく知っている。


「さねおじさん?!ご無沙汰してます。京からはいつ戻られたんですか?」


「五日前にね。やっと今日店の方も何とか落ち着いたから久しぶりに弥吉さんの顔を見に来たんだよ。」


「勿論八重ちゃんにも会いたくてね。」そう笑った実劼は、着物に使う反物の買い付けの為に、大分長い間店を自分の次男坊・実裄さねゆきに任せ、歳の離れた実裄の兄・幸路と京の都に遥々出掛けていたのだ。ちなみに実裄は義治や八重と歳も近く、仲の良い友人である。


「実裄は元気ですか?私も義治も最近忙しくて実裄とも会えなかったから。おじさんの代わりに店番務まるか心配で。」


彼はきちんとやればしっかりしているものの、調子のいいところがある為、ちゃんと真面目にやっているか気掛かりだったのだ。友としては面白く、よく遊びに誘ってくれる楽しい男で、悪い人ではないのだが。昔からあまり真面目に手伝いをせず、よく抜け出しては叱られていたものだ。



八重の言葉に実劼は笑い声を上げた。


「私もそれを心配してたんだが、おゆきに見張りを任せておいたら、怖がってちゃんとやってくれていたよ!」

お幸とは実裄の母であり、とても優しい人なのだが、怒ると本当に怖いのだ。


「まぁ私達が帰った途端外に遊びに出てしまったけれどね。…やればちゃんと出来るのに、あいつはしょうがない奴だよ。誰に似たんだか。」と笑った実劼に、八重も笑いが漏れる。

「やんちゃなのはお前譲りじゃないか。」

実劼のことを長年来の友人であるためよく知る弥吉が、そう指摘して笑った。




そうこう話している内に、思い出したように実劼が八重に告げた。


「そうだった!八重ちゃんに言おうと思ってたことを忘れるところだったよ!」


「?」


「そうだったな、それで八重を呼んだんだった。」


「八重ちゃん。実裄と見合いしてみないかい?まあ良く知った仲だから今更見合いもないと思うが。実裄も八重ちゃんみたいにしっかりした上さんがいてくれれば安心だしね。」


「お前達、昔から仲がいいから悪い話しじゃないだろう?実裄なら次男だから婿養子も問題ないし。」



「えぇっ???!」


実劼からの思いもよらない発言と、それに賛同する弥吉の言葉に、八重は驚きで声も出なかった。




【拾参、すきと好き】


それから数日はあっという間で、長月は過ぎ、もうすぐ紅葉も色付き始める神無月を迎えた。



あれから特に見合いについて父から話題にされることもなく、あの後少しふさぎ込みがちだった八重にも元気が戻り始めたある日の夕方。最近すっかり元気を無くした娘を心配した母・晴枝が、一緒に夕餉の支度をしていた八重に声をかけた。


「八重、お見合いは嫌?」

いきなりの母の問い掛けに、八重の胸はどきりと跳ねた。


無言で何も返そうとはしない娘に、晴枝は静かに笑う。

「分かってると思うけど、お父さんも八重が大好きだからお見合いの話を出したのよ。もういつ祝言を挙げても可笑しくない歳になったんだしね、八重も。まぁ、今回の話を言い出したのは実劼さんの方だけれどね。」


「うん…。」


「お父さんも、勿論お母さんも、八重にはとびきり幸せになって欲しいと思ってるの。焦ることはないわ。今回お見合いをしても、今すぐ異性として実裄くんを好きになれなくてもいいの。ただ、少し真剣に考えてみて?」


「八重もよく知ってるでしょう?実裄くんは明るい、いい青年よ。結婚すれば、きっとしっかり八重を支えてくれるわ。」


暫く黙り込んでいた八重だが、ゆっくり野菜を刻んでいた手を止め、やがて口を開いた。


「…実裄は好きだよ。友達としてずっと仲良く付き合ってきたもの。…だけど…。」


ちりん。

あの夏祭りの時、義治が買ってくれた帯紐に付けていた鈴が、小さな音をたてた。


「…義治くんが好きなんでしょう?」


母の鋭い指摘に驚いたものの、八重は小さく頷いた。


「うん…。昔からずっと一緒にいて、気付いたら大好きになってた。男の人として。」


「知ってたわ。八重は凄くわかり易いものね。」


隣でくすくす笑みを漏らす母に、八重はやっと顔を上げた。


「やっぱりお母さんには敵わないね。

実裄は友達として大好きだけど、義治は特別だから。」


「わかるわ。二人を見てれば自ずとね。応援したくなるもの。


だけどね、お母さんの目から見たところ、実裄くんは小さい時から八重の事が好きだったわね。初恋ってやつかしら、勿論女としてよ。」


「え??!」


「それに義治くんは『仲の屋』の一人息子よ。いずれ菓子職人になって、あの店を継がなければならないのよ。

八重と同じようにね。」



「わかってるよ…。」


そう呟いて涙を流し始めた八重を、晴枝はそれ以上話すことをやめてただ優しく抱きしめた。




【拾肆、ぬくもり】


翌朝、皆が店の準備を始める時刻に、八重は店先でぼんやり水巻きをしていると、父・弥吉が出てきて八重に告げた。


「…八重、夕べ母さんから聞いたんだろう?


相手はよく知っている実裄だし、あの青年ならこの宿の婿養子にしても安心だろう。今回の縁談は八重にとってもいい事だと思うんだ。時間ならもう暫くやる。だから、…」


「じっくりともう一度よく考えてみなさい。」そう続く筈だった父の言葉は、最後まで紡がれなかった。


父の静かに語りかけた内容に、八重は堪えきれず大粒の涙を零したから。

その娘の異変に気付き、弥吉は慰めの言葉をかけてやろうと口を開きかけた時、八重はしゃくり上げるのを何とか堪えながら父の顔を見る事なく呟いた。


「…だけど、私は義治が好きなの…。好きな人がいるのに、他の人と祝言を挙げるなんて…出来ないよ…。」


小さく、しかしはっきりと呟かれた八重の本心は、父の耳にもしっかりと届いた。


「知っていたさ。お前達二人が幼い時から、ずっと見てきたんだからな。


だがな、八重。

お前も十分わかってるんだろう?お前達は二人とも一人っ子同士だ。

いずれ次の宿の女将と和菓子屋の若旦那として跡を継がなきゃならねぇ。」


「………。」


「…以前、芳竹とお涼さんにお前達の事について話した事がある。


゛もし二人が惹かれあっちまった時は、どうしようか。゛てな。


その時、芳竹も同じ事を言ってたよ。

今の俺と同じ゛二人とも後継ぎだから、一緒になるっていうならどちらかが店を諦めるしかないだろう。゛てよぉ。」



「……っ…。」


八重はそれ以上、父の話を聞いてはいられなかった。わかっていた事とはいえ、やはり実際に父から改めてこの事実を突き付けられると、これ以上辛さに堪えられなかった。


「…今からそんなに泣いてちゃあ、今日は店には上がれねぇだろう。なぁに、一日くらい気にすることはないさ。母さんには俺から言っておいてやるから、今日は一日好きに過ごすといい。」


涙が止まらない八重を見兼ねた弥吉は、八重の頭をそっと一撫でしながら、責めるでもなく父親らしい優しい口調で八重にそう一言だけ伝えると、「水巻き、ありがとうな」と言って八重の握っていた杓と桶を持って店の中へと戻っていった。



父の気遣いがよくわかっていた八重は、「…ありがとう、父さん…。」と一人呟き、ゆっくり通りを歩き出した。


とにかく、今は一人になりたかった。何も考えず、ただ声を上げて心置きなく小さな子供のように泣きわめきたかった。


一人になれる場所を求めて、八重は昔からよく散歩にいく町外れの林に行くことした。


とん



「仲の屋」の前を通り過ぎようとした時、店の中から出てきた誰かにぶつかったようだ。


今は泣き顔を見られたくない為、目を合わせないように俯いたまま、口早に八重は謝った。


「…ご、ごめんなさいっ。私よそ見していて…。」


声が微かに震えたが、気付かれはしないだろう。そう内心安堵した八重だが、頭上から聞こえた声はよく知る人物のものだった。今、一番会いたくない大好きな幼なじみ。


「いや、俺も悪かった。…ってお前、八重か…?」


「義ちゃん…。」


涙に軽く袖を押し当て、些か掠れてしまっている声で何とかごまかすように、何でもない顔を作り見上げる。


「…ど、どうしたの?珍しいね。今は仕込みの最中じゃないの?」



「あ?…あ、あぁ。俺は今日は新作のネタを考えたくて、親方に休みの許可を貰ったんだよ。たまには仕込みぐらい、自分一人でやるのも悪くないからってな。」


義治は八重の尋常ではない様子に気付いていたものの、平静を装う姿に「どうかしたのか」と問いたいのを止めた。今はそっとしといてやるのが、一番だろうと。


「お前こそ、襷掛けのままで仕事だったんだろ?抜け出してきたのか?しょうがない奴だなぁ。」


黙ったままでまた少し俯く八重の頭に、優しく手を乗せてやる。


「…それにしても、またぶつかるなんて、やっぱりお前は危なっかしい奴だなぁ。ちゃんと前見て歩かなきゃ駄目だぞ?」


「怪我したらどうするんだよ。」そう言って笑った義治に、八重は自分の胸が一杯になるのを感じた。やはり私は義治が好きなんだと。




「…ねぇ、義。

久しぶりに一緒に散歩しない…?」


そう義治の着物の袖を掴みながら、幼子のように遠慮がちにお願いをする八重をみて、義治は変わらない幼なじみに嬉しそうに微笑み、返した。


「いいぜ。

今日は一日暇だし、たまには二人で散歩するか!」



八重の手をそっと握り、義治は八重達とよく遊んだ秘密の場所である町外れの林へと、八重に歩調を合わせてゆっくり歩き出した。




【拾伍、想い】


かさ、かさ…


微かに色付き始めた落ち葉を踏み越えながら、幼なじみの二人は朝の静かな林の中を、手を繋いで並んで歩く。


特に何を話すというわけでもなく、ここまでずっと言葉少なだったが、徐に八重が口を開いた。


「…もう、秋なんだね。」

「ついこの間夏祭りだったと思ったのに…何だか早いね。」そう呟いて苦笑した八重の目は、淋しさが滲み隠し切れなかった悲しみの色に揺れていた。八重は思わず、繋いでいる義治の手を、存在を確かめるようにぎゅっと握った。この瞬間八重は、言いようのない無性の不安感に襲われていた。二人で過ごした夏が終わり、秋の訪れを実感した事で、自分達二人のこの大切な関係もこれから変わり、終わってしまうのではないかと。



「あぁ、季節が過ぎるのは、あっという間だな。


俺達が幼なじみになって、一緒に遊んで、修行を始めて…。気がつけば、今じゃお互いもう立派な歳になってらぁ。」


義治は愉快そうに声をたてて笑った。


八重はずっと秘めていた想いを、義治に伝えたかった。今自分を苛んでいる『縁談話』から端を発する゛望まない義治以外の男との将来゛なんて考えられないし、考えたくもない。いっその事、すべて棄ててしまえたらどれ程楽になれるだろうか。


また黙り込んでしまった幼なじみに、義治は気遣いながらも無理に問おうとは思わない。きっと今問えば、八重は困ってしまうから。

昔からよく笑い、よく自分の事も話す八重。だが、いつも明るくいるが故に、肝心な悩み事はなかなか他人には言わない、強がりで頑固なところがあった。

それを十分理解しているからこそ、今はただ、こうして気分転換に付き合うのだ。八重の事をよく見てきた、義治だからこそ。




かさ…


「なぁ…、八重」

不意に義治が足を止めて、優しい声色で八重の名を呼ぶ。ぐるぐる廻る思考の波に呑まれていた八重は、自分を呼ぶ声にずっと伏せていた視線を上げた。

秋の程よい朝の風に、周りの木々がそっと揺れる優しい音が響いている。

八重が見上げた目に映る義治の横顔は、とても彼の見ている今日の青空のように清々しく、そして紅く色付き始めた若い紅葉の葉の様に暖かだった。



二人を包むように広がる紅い紅葉の木々が、太陽の光に煌めいて。まるで義治を想う八重の心を写した様で、切なくもとても綺麗だった。


「八重は、紅葉も好きだったな。」


「…うん。」


「橙から紅く染まるのが、夕焼けみたいで暖かくて大好きなんだって…。秋は特にここに来て、よく遊んでたよな。八重と俺と、…たまに実裄達も交じって一緒にさ。」


「………うん。」


「…何に落ち込んでるのか知らないけど、あんまり一人で悩むなよ?

お前は昔から変わらないな。そうやって泣くの我慢するのが、悪い癖なんだから。


たまには俺に頼ったって罰はあたらねぇよ。」


「うん、…ありがとう。」



泣き虫な八重も、握った大きな手の温かさも、成長したって何一つ変わらない。

八重にとって義治は、いつも優しくて大きな存在だった。一生懸命菓子職人を目指して修行に打ち込む姿も、こうしてさりげなく励ましてくれる優しい笑みも、幼い頃から大好きだった。



しっかりと握ってくれる義治の手の温もりに、前を向く広い背中に、また涙が込み上げてくる。

義治への想いを胸にしまう決意をして、涙に震える声を精一杯ごまかして、八重は紅葉の中の義治に微笑みを返した。




【拾陸、理由】


その日の夕刻、己の家に帰り店の片付けだけはと手伝っていた義治は、突然告げられた父の言葉に我耳を疑った。



「…え?…今なんて言ったんだ?

誰に縁談だって…?」


「…八重ちゃんだよ。

先月弥吉から聞いたんだが、相手はお前達の遊び仲間の実裄なんだと。

ずっと八重ちゃんは拒んでいたらしいが、今日一日考えてさっき了承したらしい。」


「八重が…見合い…?

…実、裄と…?」


父の言葉を聞いた瞬間、義治は頭が真っ白になった。信じられない、信じたくない。自分が長年温めてきた想いを伝える前に、八重は縁談話を受け入れたと言う。しかも相手は自分もよく知る男、八重と一緒に遊び回っていたあの実裄だと言うではないか。

言葉を無くして黙ったままの義治の様子を特に気にも止めず、芳竹は片付けをする手を休める事なく話を続けた。


「…まぁ八重ちゃんも、もういつ祝言を挙げてもおかしくねぇ歳になったんだしなぁ。

実裄なら家が呉服屋とはいえ次男だし、今は多少ふらふらしてるが悪い奴じゃないから婿養子にも問題ないだろうしな。


まぁ八重ちゃんもよく考えて決めたんだったら、お前も喜んで祝ってやれよ。実裄はお前の友人でもあるんだしな。

お前には酷かもしれんが、涙を呑んで祝うのが、いい男ってもんだろ。」


それだけ話すと、芳竹は「義、後の閉めは任せたぜ。」といって厨房を出ていった。義治が片手を上げて出ていく父の背中を呆然と見送り作業台を見ると、いつの間にそんなに時間が経ってしまっていたのか、あらかた片付けも終わっていた。


「……今朝八重の様子がおかしかったのは、その事だったって訳か。


…でもあいつが考えて決めたんだったら、俺が口を出せる事じゃねぇよな…。実裄なら信用できる奴だし、…幼なじみなら、祝ってやらなきゃ…な…。」




義治は、格子窓から差し込むすっかり深い朱に輝く秋の夕焼けの鮮烈な光に目を細め、舒に外に視線を移した。家の裏には少し離れたところに、生活に欠かせない小川が流れている。川の淵には薄が顔を出し、川面に落ちた夕陽は強く光を煌々と反射させている。幼い頃からよく見ていた景色だった。遊び場にしたり、涼みに行ったり、悩んだ時はよく河原に腰を下ろして長いこと眺めていたものだ。

やり場のない自身の八重に対する想いと、頭では解ってはいるものの未だ上手く消化しきれていないもやもやとした失望感をどうしたものかと、静かに重い溜息を零した。




【拾漆、もう一人の男】


「…義の奴は、どうするつもりなんだかなぁ…。」


そう呟いたのは、義治を残し先に厨房を出てきた父・芳竹だった。

その時、丁度階段を下りてきた妻・お涼が言葉を返す。


「おや、ひと昔前にその話をした時、散々二人の縁組は無理だって言ってたのは弥吉さんと誰だったっけねぇ?」


「そんな事言ったって仕方ねぇだろうが。仲の屋も櫻屋も、後継ぎは一人しかいねぇんだからよぉ。

大体店を継ぐのがあの子らの望みだったんだしなぁ。」


「…それはそうだけどねぇ…。」


「…俺だって八重ちゃんに嫁に来てもらえれば嬉しい限りなんだがよぉ。

まぁ、八重ちゃんは実裄との縁談を引き受けるって自分自身で決めたことなんだし、もう義の出る幕でもないんだろうしなぁ。」


「………あたしには…、あの子らは絶対一緒にならなきゃいけない気がするんだけどねぇ…。」







それから数日経ったある日の夕刻。

八重と実裄の見合いの日取りが決まったと、弥吉を通して芳竹から聞かされていた義治は、八重に食べさせてやると約束した菓子を何にするか、一人厨房に篭り思案していた。既に今日は店じまいをしている為、芳竹とお涼は二階にいる。


「ごめんよぉ。義の奴はいるかい?」


普段ならあまり来客が来ない時間帯だが、珍しく既に店じまいされた暖簾を潜り陽気な声と共に顔を覗かせたのは若い男だった。

「…あぁ?誰だよ、こんな変な時間に…。

って…!お前、…実裄…。」


奥の厨房に居た義治が訝し気に玄関先に出てみると、そこに居たのは昔からの友人であり、もうじき八重との見合いを控えているというあの実裄だった。


菓子職人の修行を始めてからは、以前程遊びにもとんと行かなくなった為、久しく顔をあわせることもなかった友人。いつも遊び歩いている実裄も、夏の間は家の呉服屋の店番を母に半ば無理矢理させられていたと聞く。父と兄が京の仕事から帰ってきた現在は、小言を言われつつもまた抜け出してふらふら好き勝手なことをしているのだろう。相変わらず飄々とした風貌の友人に、変わらないなと軽く懐かしみを覚える。だがそれと同時に、納得はしたつもりでもやはり八重の見合い相手だと知っている以上、今の義治にとってはあまり顔を合わせたくない相手でもあった。

なんでもないふりを装わなければと、苦虫を噛み殺したような顔になるのを何とかごまかし実裄をみる。


「よぉ、久しぶりだなぁ。義。修行は捗ってるのか?」


「あぁ…、まぁな。

ところで、珍しいじゃねぇか。こんな時間に、裄がわざわざここに顔を出すなんて。何か用か?」


「あぁ…、もう親父さん達に聞いて知ってるとは思うが、報告にな。

俺、今度八重と見合いするんだわ。八重もやっと承諾して、見合いの日取りも決まったことだしなぁ。やっぱここは長年の友人として、お前にも俺から話しておこうと思ってさ。」


そう告げた実裄の視線は真っ直ぐ義治を捕らえ、心の中を見透かし射捕らえるような強い目をしていた。まるで自分の想いを知った上で「さぁ、お前はどうするんだ?」と義治に問うような、何かを試すような色を滲ませて。



義治は自分が動揺しているのがわかった。平静を装おうと開いた口は、酷くからからに渇いていた。何とか唾を飲み下し、掠れた声を振り絞って言葉を返す。


「…あぁ、親父に聞いて知ってる。お前達ならお互いよく知った仲だし、上手くいくだろ。八重もいきなりの縁談で悩んでたみたいだが、漸く決心がついたみたいだし、よかったじゃないか。

大体、裄だって元々今回の話は満更でもなかったんだろ?昔からずっと八重のこと見てたしなぁ、お前は。」


「まぁ相変わらず鈍いから、八重の奴は全く気付いてなかったみたいだけどな。」そう言って軽く笑ってやった。

…大丈夫だ。俺は隠し通せる。八重にも何も伝えなくていい。この情けない想いは、婚約祝いにでもあいつにやる菓子に込めて蓋をする。俺は端から告げる気なんてなかった筈なのだから。変わらない兄弟のような幼なじみのままでこれからも続き、終わればそれでいい…。

こんな行き場のない惨めな感情を持て余している、情けない自分を見られたくはないから。あいつの前では頼れる兄のような幼なじみでいたいから。だから笑って二人を見送り、祝言を挙げる時は思い切り祝ってやるのだ。




【拾捌、女の為に】


誰よりも近しい幼なじみに抱いた自分の淡い初恋は、もう終わったのだ。

そう心中で自己完結し、内心自嘲にも似た虚しい笑みを零した義治に降ってきたのは、思いもしない実裄の言葉だった。


「…それはお互い様だろ…?」


「あ…?」


微かに呟かれた言葉が全く理解出来ず、つい間の抜けた声が出た。


「八重をずっと見てたのはお前も同じだろ?むしろ俺なんかよりも近くで、俺より早くからお前は八重の隣にいた。

なのに、何もしてないうちから今諦めるのか?長年ずっと持ってた想いを、そんなにすんなりお前は諦められるのかよ?」


「…なにを、言ってんだよ…、実裄?さっぱり訳がわかんねぇ…」


「昔は無自覚だったかもしれないが、いい加減もう気付いてるんだろ?自分が八重を好きだって。

幼なじみとしてじゃなく、一人の女としてお前はあいつを見てた。」


義治は何も言葉を返せなかった。否定したくとも実裄にはごまかせないのだと悟ったから。

嫌な汗が滲んだ拳を、黙って握りしめるしかなかった。


「…どうして解るんだ?って顔だな。


そりゃあ解るさ。同じ女を見てたんだからな。」


義治の目に映った実裄は、切なそうに目を細めて続けた。


「確かに俺は一時期八重のことが好きだった。

むしろ今だって、未だな…。」


「だったら…」


「それでいいじゃないか」そう続けるつもりだったが、実裄のしっかりとした言葉に遮られる。


「…だけど、俺が一番好きだったのは、八重の笑顔なんだ。

お前の隣で心底安心したような、嬉しそうに笑うあいつに惚れたんだよ。

あいつは…八重は、お前のことになると一番いい特別な笑顔になるんだよ。…まぁ、お前は近くに居すぎて気がつかなかっただろうがなぁ。


そりゃあ嫉妬もしたさ。なんで俺じゃ駄目なんだってな。でも、わかったんだ。俺は…、お前達二人が仲良く一緒にいるのを見てるのが、一番好きなんだって。お前の隣で、八重が幸せそうに笑うのを見るのがな。」


そう言った実裄は寂しそうに笑った。



「…それは…、俺はあいつの幼なじみで兄貴みたいな存在だから…だろ?」


「どうだかなぁ。…


ま、あいつが本気で俺と一緒になるって決めたんなら、俺は喜んで婿養子にでもなんでもなるし。女将になるあいつを支えるつもりだけどな。」


黙り込む義治を一瞥すると、更に畳み掛けるように言葉を続ける。


「だから、後はお前次第だぞ。俺からは引くつもりもないからな。


まぁ俺がいいたかったのはこれだけだから。

んじゃ、そろそろ帰るかなぁ。」


そう告げた実裄は、義治に背を向けて戸口に向かって歩き出した。

特になにも言葉を発しない義治に構うこともなく、右手をひらひらさせて暖簾を潜る。

外に出る間際、ふと足を止めた実裄は、たった一言呟いてから宵の闇へと消えた。



「……きっと、八重は…。」




(お前を選ぶだろうよ…義。)そう続く筈の言葉は胸の中で呟いて、実裄は義治の前を後にした。



仲の屋を訪れたのは夕刻だったが、今はもう陽も沈んだ宵の口で、通りに並ぶ家々からは障子越しに暖かな明かりがもれている。まだ長いと思っていた秋の夕陽も落ちてしまうほど、存外時間が経っていたようだ。



「俺もほんとお人よしだよなぁ。全く…。」


軽く伸びをしながら呆れたように、笑う。


「まぁ、…頑張れよ、お二人さん…!」



「さぁて、お袋に小言言われる前に帰るかぁ!」すっかり往来する人影も疎らになった通りを、実裄のいつもの彼らしい明るい声がよく通った。



【拾玖、本心と答え】


翌朝。

いつものように父と朝の仕込みをする義治は、夕べ一睡も出来なかった程悩んでいた。


作業はいつも通り熟すものの、明らかに心此処に在らずな息子に父・芳竹は呆れたように笑って声をかけた。


「おい、義!お前まだ寝ぼけてんじゃねぇのかぁ?井戸で顔でも洗って、目ぇ覚ましてこいや!」


「おぅ…」



家の裏手にある井戸に顔を洗いに来た義治は、顔を洗うと桶に映る自分の情けない顔につい溜息を漏らす。


夕べずっと考えていた。昨日告げられた友・実裄の想い、縁談を受ける事を決めた日の八重の表情かお、お互いの店の事、八重の気持ち、そして自分の本心。

自分は一体どうしたいのか、どうすればいいのか…。

一度は八重の見合い話の件を聞いて見切りをつけたつもりだったが、やはり心の片隅ではずっともやもやしたものが燻っていた。


「たく…情けねぇなぁ、義治よぉ。」


自嘲じみた笑いが込み上げ、今の自分とは正反対の今日も雲一つなくよく晴れた秋の青空を見上げた。

視線の端に、すっかり朱く色付いた紅葉が目に入る。


「紅葉か…。あの日はまだ橙に成りはじめたとこだったのに、いつの間に変わったんだかな…。」


八重が縁談を受ける事を決めたというあの日。あれからまだ数えるほどしか日が経っていないと思ったが。変わったのは紅葉だけなのか…。


あの日の朝、久方ぶりに会った彼女は何かに悩み、自分には隠していたが泣いていたのは一目でわかった。

まさか縁談だったとは気がつきもしなかったが、言いたくないならばと何も聞かず、彼女が好きな紅葉を眺めてしばしの間二人の時を過ごした。

控えめながら幼い頃のように、甘え縋るように自分の手を握った彼女の少し小さく暖かな手。

物心つくころからいつも身近に在った、八重のあどけない笑顔。

二人で遊んだ帰りに見た、秋の真っ赤な夕陽とこんな風に朱く染まった紅葉。いつだったから、八重が大好きだと言っていた景色だ。



今の義治には、この紅葉の朱い色が切なくも熱いものに思えた。まるで八重を想う、抑え切れない自分の心のように。


八重にこの気持ちを伝えよう。彼女に渡す自分が初めて作る新作菓子に想いを全て込めて。






「親父!!!」


井戸から帰ってきた息子の剣幕に、芳竹は一瞬驚いたものの、何かを察したように微かに目を細めた。


「おう!どうしたよ?」


「今日は一日休みをくれ!菓子を作りたいんだ!!」


戻ってきた義治はまるで先程とは別人のように、一人の女を想う男の目をし、菓子を作りたいと言った声に迷いはなかった。


「…漸く腰を上げやがったか。たく…おせぇぞ?仕込みなら弟子が遅い性でもうとっくに終わっちまったし、あとは好きにしな。」


そう告げて厨房を出ようと戸口に向かった父の背中は、何処か嬉しそうだった。


「おい、義!!

俺の倅なら当たって砕けるくらいの心意気をみせやがれ。

好きな女と店なんて秤に掛けるもんじゃねぇ。どっちも捨てられねぇなら、それがテメェの答えなんだろうよ。だったらそれを貫き通すまでだろうが。



実裄にあそこまで言わせちまったんだ。最後まで男見せなきゃ恥だぜ?」


「!…昨日の話、聞いてやがったのかよ?!」


「あんなところで話てりゃあ、厭でも聞こえる。

まぁ、せいぜい頑張れや!じゃあな!」


「…たく、…喰えない親父だなぁ…。有り難よ。」


手を振って出て言った父に、苦笑を漏らしながらも本人にはもう聞こえていない感謝の言葉を呟いた。





【弐拾、お人好しの憎まれ役】


カコン…


ここはこの宿場町の中でも有名な老舗の料亭。秋の景色も充分に味わえられるようによく誂えられたその庭園では、獅子威しとさらさらと流れる水の音がよく響いている。時効は八つ時で、その庭の脇にある広めの一室では、現在八重と実裄が二人きりで向かい合って座っている。先程まではお互いの両親が席を共にしていたのだが、今は二人で話すように配慮されての事だった。


「本当に久しぶりだな、八重。ほんのちょっと会わない間にまた綺麗になったんじゃないか?

その紅い着物もよく似合ってるな。」


「…、あの…。」


「ははっ。八重ってば、そんなに緊張しなくていいよ。見合いって言ったってお互いよく知った仲だろ。普通に話そうぜ。」


「うん…」


先程からずっと、八重は右手で帯紐に結わえられた小さな鈴を握っていた。まるでお守りのように。余程大切にしているものなのだろうと、実裄にも直ぐに察することが出来た程にしっかりと。


「その鈴…八重によく似合ってるな。動く度に小さく鳴いて。よく笑って走り回る八重にピッタリだ。それがあれば、八重が来るってすぐに判っていいな。」


実裄はとても愛しそうに、でも寂しいような切ないような顔で笑った。


「その鈴ってさ…、義治に貰ったんだろ…?」


「っ…!なんで、そう思うの…?」


少し震える声で何とか返した八重に、実裄は鈴に目を落としたまま続ける。


「そりゃあ、判るさ。…ずっと八重を見てきたんだから。…まぁ義の奴よりは、短いのが悔しいけどな。



八重がその鈴を見る時の目…、義治を見る時と同じだから…。凄く安心したような、愛しいんだって直ぐに判る顔してる。」


「!…実裄…、あの…ね…?」


「俺はさ…、ずっと八重の事好きだった。よく笑って、強いかと思えば意地張って隠れたつもりで泣いてる泣き虫なところも全部。

気付いたらいつも目で追っててさぁ。あぁ…好きってこういうことなんだなぁって。」


「…………。」


「だからいつも身近にいる義治には、山ほど嫉妬したよ。なんで俺より近くにいて、八重の特別なんだって。俺じゃ成り代われないのかよって。


確かに俺は次男だからいつも遊んでるけど、結婚したらいい婿としてちゃんと八重を支えるつもりだ。…八重が本心で俺を選んでくれるんならな。」


「私は…」


「俺ね、確かに八重が好きだよ。今もね。


だけど、一番好きなのは八重が笑った顔なんだ。義治の話をしたり、義治の隣にいるときの心底幸せそうな顔。悔しいくらいに、一番綺麗で特別なんだってな!俺にはどう頑張ってもそんな顔させてやれないし、義の代わりにはなれないって、もう解っちまった…。お前は…八重は本当にあいつが好きなんだな。」


優しく微笑んだ実裄に、切なさと彼の気持ちに応えられない罪悪感に八重は涙が溢れて零れそうになった。


「あいつはどうしよもない奴だよ…全くさぁ。俺この間わざわざあいつに同じ事言いに行ってやったんだぜ?

お前達二人が一緒にいるのを見るのが一番好きなんだって。

だからあとはお前次第だって行ってきたのに、八重がここに来るって事はあいつから何も言われてないんだろ?


この俺が傷心を推して一肌脱いでやったってのに、情けないたらねぇぜ。」


「実裄…。本当にごめんなさい。」


「なんで八重が謝るんだ?お前は義治と幸せになってくれりゃあいいんだよ。その幸せそうな顔を俺に見せてくれりゃあな。


だから…情けない俺の友の処に、お前から行ってやってくれないか?しっかりしろ、男だろ?!て喝を入れてやってくれよ」


そういつもの明るい声色でケラケラ笑った実裄に、八重は自分の背を押してくれたんだと解った。


「ありがとう!実裄!!

友達としてだけど、…大好きだよ!!!」


「おぅ!親父達には俺から言っておくから気にしなくていいよ。

だから、頑張れよ!!」


「うん!本当に有り難う!!」



鈴の軽やかな音色を響かせて、八重は座敷を後にした。少し急いで小走りになるところが、彼女らしい。


「本当、いい女になったよなぁ。

義が羨ましいよ、真面で…。これで上手く行かなかったら、俺が報われないからなぁ。次はお前の番だぞ、義治よぉ。」



八重が去って、一人になった実裄が呆れたような嬉しそうな笑いを零して呟いた。

そこに、在るはずない返事が返ってくる。


「お前もいい男になったなぁ、私に似て。」


「ずっと障子越しに聞いてたの、バレバレだよ。親父…。」


「そりゃあ、気になってなぁ。」


「だからって両家の親総出で人の失恋見てなくてもいいだろうが。いくら俺でも傷付くんだけど…。」


「まぁまぁ。実裄だっていい女に出会えさ!その時は応援してやるから!!」


「そうよ!うちの八重に負けないくらいいい娘を娶って、義治なんて見返してやりなさいな!!」


「おじさんもおばさんも…。やっぱり俺と一緒で、相当のお人よしだなぁ。」



「ま、俺も新しい恋でも、捜すかなぁ!」


嗚呼、疲れたと肩を回す実裄に、大人達も笑った。これが彼のいいところだと、実感しながら。




【最終話、紅葉に染めて】


あれから数日が経ち、今日も一日中厨房に篭りきりで漸く満足の行くものが出来た。何とか出来たと顔を上げれば、もう陽が傾き始める刻限だった。


「やばいっ!見合いって今日だったよな?!始まるのは八つ時からだから、もう終わっちまったか?!!」


こうしている暇はないと、今しがた出来たばかりの菓子を懐紙に包み、厨房を飛び出す。


店先で客と話していた親父とお袋が、俺を見て呆れたように笑っていた。


「義っ!!早くしないと間に合わなくなっちまうぞ?」


「急ぐのはいいけど、肝心要のお菓子を落とすんじゃないよ?!」


「あぁ!ちょっと、行ってくる!!」



俺は草履を手早く履くと、矢継ぎ早に店を飛び出し走った。八重が今日見合いをしていると言う、料理屋に向かって。---









「はぁ…っはぁ…」


八重は料亭を飛び出すと、真っ直ぐ義治がいるであろう『仲の屋』を目指して走った。

いつもはよく眺めて歩く紅葉に彩られた並木道に、目を配る余裕はない。


気持ちばかりが急いてしまい、何時もの小袖より幾分も上等な美しい振袖に幾度も足を取られる。


義治は今もあの厨房で修行しているのだろうか。どんな気持ちで実裄の言葉を聞き、八重が縁談を受けると決めたのだという知らせを受け止めたのだろう。









もう少しで料理屋が見えてくる筈だ。義治は脇目も振らず真っ直ぐに前だけを見て走っていた。


奇しくも、この並木道は八重とよく歩いた道。彼女が心待ちにしていた紅葉も、すっかり朱一色染まりに盛りを迎えていた。彼女は今日、どんな想いでこの道を歩いたのだろう。自分の影は少しでも過ぎりはしたのだろうか。菓子を渡すのは問題ないが、彼女にこの想いを伝えたら困らせはしないだろうか。


ふと義治の視線に、紅葉に囲まれながらも一つだけ違う紅が目に入った。


暫くすると、直ぐにその正体は判った。八重だ。紅い綺麗な振袖を着て、自分が贈った鈴を鳴らしながら息を切らせて走ってくる八重だった。




「八重…。お前、見合いは?もう終わったのか?」


距離が縮まり、向かい合って漸く足をとめた二人。何とか呼吸を整えて、先に義治が声をかけた。


「うん…」


まだ少し苦しそうに肩で息をしていた八重が頷くのを見て、義治に一瞬落胆の色が浮かぶ。が、八重が続きの言葉を紡いだ。


「でもね。…私、義治が好きだから!」



「だから断ってきた…。というより実裄に義治の処にいってやれって言われたんだけどね…。」頬を染めながらそう呟いた八重に、義治は驚きと混乱で声が出てこなかった。


「…真面で?


…実裄に謝っとかないとなぁ。」


義治は我にかえると照れたように頭をかいて、懐紙に包んだ菓子を出し八重の手に乗せた。


「お前に先に言わせちまうとは、本当に情けねぇなぁ、俺は。


八重、さっき完成したばかりの俺の『新作』だ。


まぁ初めて作ったから、見れたもんじゃねぇ不格好だが。」



八重が包みを開けてみると、中には朱い小さな菓子が入っていた。


「…紅葉?」


「あぁ。普通『新作』てのはそいつの時期の始まる少し前に作るもんだが、どうしても紅葉が作りたかったんだ。お前、好きだって言ってただろ?


だから、約束から大分待たせちまったが、俺が八重の事を考えて作ったのが此なんだ。」


「義…。」


先程からずっと八重の胸に溜まってきていた色んな想いが、ついに溢れて零れた。


見合いの不安、実裄の想いと自分の背を押してくれたことへの尽きない感謝、そして義治への想いと約束を果たしてくれた彼への言い知れぬ喜び。今二人を包もうと朱く染まりつつある夕陽のように、暖かも熱い想いで八重は満たされるのを感じた。



「有り難う…。


っ!…美味しい、凄く美味しいよ!義治!!」


菓子を食べて微笑んだ八重に、ずっと緊張で詰めていた息を漸く吐き出した義治は安堵の色を浮かべた。


「良かった…。お前に喜んで貰えて。お前の笑顔が見れて…。


何にしようかずっと悩んだんだけどさ、親父が菓子は好きな女の事を想いながら作るもんなんだって言ってたんだ。」


「?」


「だから、もうお前に言われちまったから、格好つかねぇけど、…俺はお前が、八重が好きだ。勿論、一人の女としてな。


俺が菓子を作る一番の理由は、お前なんだ。」



「!!っ義、…義治っ…」

「って、泣くなよ!嬉しいなら笑え!!」


「うん!!!」


「遅れて御免な…。もっと早くに気付いて、言えばよかった。


これからどうやって親父達を説得して、店をどうするか考えなきゃなんねぇけど、

…八重、俺と一緒になってくれるか?」



真っ直ぐの目に迷いはなく、八重ははにかみながらもしっかりと頷いた。


「私でよかったら、…宜しくお願いします…!」




抱きしめた互いの温もりはとても暖かく、互いの心は朱い朱い紅葉のように熱い想いに染められていた。


父・芳竹がかつて母・お涼に彼女の好きな花を模して菓子を作って贈ったように。息子・義治もまた、八重が好きだと言った紅葉に想いを託して菓子を朱く恋しい想いに染め上げて。


程なく二人は、同じ色で生きる事を許され、一生涯守り貫くと誓い合った。---









完。



【番外、二人の春を永久に】



季節は巡り、陸奥や奥州に比べれば幾らもましだが、辛く長い雪の冬も漸く終を告げたと言える時節。


やはり婚礼は春が良いと満場一致で決まった為、桜が満開に咲いた先日、漸く義治と八重は祝言を挙げて夫婦になった。


馴染みの常連客や町の人々、そして愛する互いの両親。勿論、実裄を始め彼の家族にも笑顔で祝福をされ、沢山の人々が二人の若い男女の明るい未来を祝った。



少しは何かと準備がいるからと、店の隣の二人の新居にあらかた入り用のものを揃える為、二、三日両方の宿と店を休みにしていたが、今日からまたいつもと変わらず商いを再開する。


実はあの後、二人は縁組を認めて貰おうと家路に着いたのだが、二人の反対されるのではないかとの覚悟も要らぬ心配だったようで、すんなり両家に受け入れられた。


散々反対していたのに…と愚痴を零した義治に、からから笑いながら「何事も恋慕には勝てねぇよ」と父親達はいっそこぎみよく笑い、母親達は「私達は最初から反対なんてしていなかったわよ?」と微笑んだ。この苦労は何だったのかと思わず嘆きたくなったが、隣で幸せそうに笑う八重に、もう何でもいいかと思えた。


店はどうするのかという難問は、思いの他簡潔に済んだ。

両親曰く、女将は譲るがこれからも大女将として支えるし、旦那もまた然り、だそうだ。

だから二人の新居も、隣人が快く近くの空き家に移り、二人に譲ってくれたので、もう何の不都合もなかった。



因みに、あれから数日が経ち、春に祝言を挙げることになったと義治が実裄に感謝と詫びを兼ねて報告に行ったのだが、どうやら男同士の殴り合いをしたらしく、痣だらけで帰って来た義治に問うたところによれば、「久しぶりにあいつと殴り合えてすっきりした。楽しかったよ。」だそうだ。これには八重も、「男の友情は解らない」と苦笑いで怪我の手当てをしたものだった。



そして晴れて新婚になった二人にはもう一つ、喜ばしい変化がある。

ついこの間判ったことだが、どうやら二人にやや子が出来たらしいとのこと。まだ性別は判らないが、今から男ならば…女ならばと皆で名前を思案している。

義治にはとめられたものの、八重は女将としてぎりぎりまで宿の仕事をすると聞かず、両母親に「そんなに母子は柔じゃないから、無理をしなければ平気だ」と両父親達と共に押し切られ、仕方なく義治も了承した。


これから毎日があっという間に過ぎ、幸せで忙しく季節の巡りを越えていくのだろう。

二人は桃色の花をつけた桜の木を見上げて、想像したこれからの日々に笑い合った。


さぁ、これからまた一日が始まる。こうして積み重ねて行く、二人で共に歩き始めた、幸せに満ちた永い永い永久とわの時間を…。








番外編、完結。



.



ネタバレですが、作中登場する愛すべき友人・実裄くんは私のお気に入りのため、『はなのいろ第二部』で浜木綿(佐奈)ちゃんの恋の相手役になります。

紆余曲折はありますが、最後はちゃんとハッピーエンドにしますので、そちらもお楽しみに!!

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