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 謁見の間の二枚扉を前に立ち止まり、透は口を開いた。

「しかしすごいな、この娘。全然起きねえ」

「紫は朝弱いですからね。起きている間はすごく元気なんですけど、毎朝起こすのが大変なんです」

 言って、白はおかしそうに笑った。

 そう、ここに来るまでの間、紫は透がお姫様抱っこしてきた。ずっと寝ている紫は誰かが運ばねばならず、そうするとこの中では一番体が大きく、何より男である透が運ぶことになるのは必然。つまり今、透の腕の中には魔女っ子幼女が寝ているのである。

 軽い、超軽い。けど絶妙に重みを感じる。ていうか柔らかい。寝息かわいい。すげえいい匂いする。透はすべての感覚を腕に集中させていた。

「それでは、レイナ様に帰還を報告しましょう」

 白はそんな透をよそに一枚の大扉に手をかけた。そして「レイナ様、失礼します!」と、力をこめた。瞬間、二枚の扉がひとりでに開いた。その扉の先には。

「お帰りなさい」

 まるで今この瞬間に来ることがわかっていたかのように、玉座に堂々と座す女神の姿があった。その堂々とした居住まいは、優し気に見つめるまなざしは、始めて会ったときの印象とはまったく違う、まさしく女神であった。

 白は最初こそ驚いた顔をしたが、すぐ我に返ると一歩だけ中に入り、透を迎えるように扉の脇に立った。透はしばらく戸惑ったが、白に「どうぞ」と促され、「はあ、どうも」と言って入室した。

 透は流されるままに赤いじゅうたんの上を歩き、玉座の前で立ち止まった。透の一歩後ろで、白が言った。

「ただいま戻りました」

「お帰りなさい、白。それに藍と、紫は寝ちゃってるのね」

 女神はふふっと上品に笑った。そしてその優しいまなざしのまま視線を動かすと、今度は透と目が合った。その瞬間、こいつこんな綺麗だったかと、透は胸が高鳴るのを感じ。

「まさかあなたが生きて帰ってくるとは思わなかった。驚きだわ。早い段階でスライム辺りに殺されてると思った」

「ああ、やっぱお前レイナだ。一瞬別人かと思ったよ。安心した」

 やっぱり気のせいだった。外見が女神でも心がレイナである。相変わらず俗っぽい神である。あとスライムいねえよ。そんな剣と魔法の世界じゃねえだろここ。

「あの、レイナ様、その……」

 一番後ろで、黒が言いづらそうに口を開き、そこから言葉に詰まってしまった。黒はずっと下を向いている。後ろめたい気持ちでいっぱいなのだろう。レイナはまた優しい声で、黒に語り掛けた。

「お帰りなさい、黒。今は何も言わなくていい。お風呂を沸かしてあるから、藍と紫と入ってきて、ゆっくり休んで、それから少しずつでいいわ」

 黒はレイナの顔を見上げると、目に涙を溜め、腕で顔を覆った。

「ありがとう、ございます」

 今まで涙を見せなかった黒が、その場にしゃがみこんで、初めて感情をあらわにして泣いた。レイナに許してもらって、いや、みんなに許してもらって、ようやく心から安心できたのだろう。その姿は、今までのませた印象とは違う、外見相応の子供のようだった。

「あ、あの、勇者様……」

「うおっほい!?」

 と、背後から不意に声がかかり、黒をしみじみと見守っていた透は情けない声を発した。振り返ると、巫女服の幼女が何やらもじもじしながら立っていた。話しかけるのに結構勇気がいったらしい。

「え、と……何でしょう……?」

「は、はい。その、紫、ください……」

「え? あ、はい」

 透がしゃがみこみ、言われたままに腕の中の魔女っ子幼女を差し出す。すると藍は一生懸命に紫を抱き上げ、「あ、ありがとうございました……」とぺこりと頭を下げると、よろよろとした足取りで歩き出した。透が楽々抱えていた紫の体重でも、幼女にとってはかなり重いのだろう。見ていてハラハラする歩き方である。

 藍は紫を抱えたまま黒に近寄ると、優しく声をかけた。

「黒、お風呂行こ」

 黒は女の子座りのまま藍を見上げると、こくりとうなずいた。そして黒が立ち上がって巫女服の袖を掴むと、藍はまたよろよろとドアを出て行った。

 風呂へ向かう藍たちを見送ってから、透が口を開いた。

「なあレイナ、ひとつ聞いていいか?」

「何?」

「お前、犯人が黒だって、最初からわかってただろ」

「あら、なぜそう思うのかしら?」

「いや、何と言うか、監視されてることも気づいてたみたいだし、さっきの黒に対しても、全部わかってそうだったし」

「なるほど、あの反応はさすがに気づくか」

 レイナは得心したように一つうなずいて、あっさりと白状した。

「お察しの通りよ。私は今回の事件が、黒の手によるものだとわかっていた。もちろん監視にも気づいていたし、だから聞かれていることを前提に対策を立てた」

 思った通り。レイナは黒幕を初めから知っていた。いや、それどころか、この結末もわかっていた。だからレインボウも、黒を消さずに無力化する絶妙な威力に設定されていたのだろう。

 透はそのことに、黒と戦っていたときから薄々勘付いていた。だからこそ、レイナなら自分の精霊を消すなどという判断はしないという希望的観測のもと、透は迷わずに攻撃できたのだ。何より天命は、「すべての精霊の生還」である。

 つまり俺は、レイナの考えた筋書の通りに動いていただけだったのか。

 そう考えて、透は自嘲気味に笑った。

「なんだ。勇者とか言っても、結局お前の掌で踊らされてただけか」

「そうでもないわ。たしかに私は、最初から解決策を用意した上であなたを送り出した。けれど、その過程までわかっていたわけではない。そこに関しては、あなたの功績でもあるわ」

「え? お、おう」

 レイナにしては珍しく素直に返してきたので、透は照れた。ついでに掌で云々とかいう言葉が、口語だとちょっとクサくて恥ずかしくなり、透は気を紛らわすために話題を変えた。

「そういえば、結局何で俺を勇者に選んだんだ?」

 そう、なぜあえて透なのか。これは未だに謎である。結末は用意されていたとはいえ、あれはちょっと難解である。今回は運よく気づけたが、透はバカだから、レイナの意図に気づけなかった可能性は充分にある。

 それに結末がわかっていても、過程は完全にサバイバルなのだから、透より適任な人はたくさんいるだろう。たとえば自衛官とか、日本に限らず現役の軍人とか。米兵とかサバイバルできそうだし、世界を救うヒーローとか言っとけば、二つ返事で引き受けてくれそうなものだ。

「占術って言ったでしょ?」

「いや、もうそういうのいいから。お前絶対そんな神秘的なもんに頼るタイプじゃないから。もう終わったんだし、隠す必要もないだろ?」

「あなた、それ存在そのものが神秘の女神様に対して失礼よ。……まあ、そうね。仕方ないから教えてあげましょう。たしかに、私はあなたを、根拠を持って勇者に選んだ」

 レイナは一呼吸おいて、ついに勇者の選出理由を明かした。

「あなたを勇者に選んだ理由。それは、あなたがどうしようもないヘタレ野郎だからよ」

「ちょっと待って、それ褒めてんの? 貶してんの?」

「貶してるに決まってるじゃない。行間も読めないの? 近頃若者の活字離れが進んでいるらしいけれど、これはいよいよ深刻ね」

「褒めてるように聞こえなかったから聞いたんだろ! これが素朴な疑問に聞こえたなら、お前こそ国語を勉強しろ! ていうか世界を救う勇者ならもっとまじめに選べよ!」

 やはりレイナはレイナであった。しかしレイナはそこで会話を止めず、落ち着いた口調で続けた。

「まあ話は最後まで聞きなさいな。たしかにあなたはどうしようもないヘタレ野郎よ。疲れるのは嫌で、痛いのはもっと嫌いだし、死ぬのも怖い。そのくせ自分に攻撃してくる動物も攻撃できないし、人間なんてなおさら。でも、だからこそ人間らしいわ」

「人間らしい?」

「そう。他人を傷つけることを、自分が傷つくことと同じ程、あるいはそれ以上に怖いと思える。人間らしさとは、いろいろあるかもしれないけれど、それはとても人間らしい感情だわ。

 今回の作戦はね、殺せちゃ困るのよ。黒のことも、そして白のことも。例え世界が崩壊することになろうとも、白を犠牲にすることだけはしない。何があっても、自分と白が生き残れる道を探そうとする。そんなバカなヘタレ野郎が、勇者でなくてはいけなかった。それがあなたを勇者に選んだ理由」

 なるほど、理解はできた。レイナは黒が黒幕であるとわかっており、動向が監視されていることにも気づいていた。だからこそ本当の対策法を隠すため、白を犠牲にするというブラフをまいた。しかし勇者にもそれを正確に伝える手段がなく、自分で気づいてもらう他にない。

 たとえば正義感の強い、血気盛んな軍人や格闘家ならば、何かしらの葛藤はあるにせよ、世界と白を天秤にかけて、涙ながらに世界を選ぶ、なんて展開になるかもしれない。映画やアニメでは悲劇的で感動的な場面かもしれないが、今回ばかりはそれではいけないのだ。だから動物すら殴れない究極のヘタレ野郎に、白羽の矢が立ったのである。

 しかし理解はできても、合点はいかなかった。

 透の後ろで、白が声をかけた。

「私が思った通りでしたね。透さんは、やっぱりすごい人です!」

 違う。本当にすごいのは白だ。白が白でなければ、俺はあの答えにたどり着けなかった。反対に、白が白であれば、誰が勇者であっても、白の犠牲は望まなかったはずだ。

 透は白の純粋な笑顔に、困ったような笑顔を返しながら、そう思った。

 レイナが咳払いをし、話題を変えた。

「さて、これで世界も救われたわ。長い間ご苦労様。ようやく帰れるわね」

「ん? ああ、そうだな。……でもあれだな、もうこの世界に永住しちゃってもいいかなって思ってるんだけど」

「あら、最初はあんなに帰りたがってたのに、どういう心変わりかしら? 相変わらず一貫性がないわね」

「うるさいな。いいだろ、別に」

「まあこの世界を気に入ってくれたのはいいけれど、ダメよ」

「え、何で?」

「だって、あなたにはあなたの生きる世界があるでしょ? お母さんやお父さん。友達……はいないか」

「な、舐めんな! 友達ぐらいいるわ! 友達ぐらい……」

 透は頭の中に、よくゲームとかアニメの話をする二、三人のオタクどもを思い浮かべるも、よく考えたらそれ以外の交流があんまないことに気づき、そもそも友達って何だよという、いかにも友達いないやつの典型みたいな命題に行きあたった。やっぱ友達いないらしい。

「ごめんなさい本当に友達いないとは思わなかったわ」

「謝るんならもうちょっと感情込めてね。ていうか謝らないで、むなしくなるから」

「まあそれは置いといて、ずいぶん前に、世界を構成しているものは言葉と色だと話したと思うけれど、覚えてる?」

「ああ、そういえばそんなこと言ってたな」

「そう。けれどそれは、全体を俯瞰的に見た場合よ。私は同時にこうも言ったはず。世界とは人間が作り出した概念だと。つまりあなたの世界は、あなたが作り出しているのよ。

 おそらく世界のほとんどの人は、あなたのことを知らないまま生きていく。そしてあなたを知っている人も、そのほとんどが、いずれあなたを忘れる。

 けれどあなたの世界の住人には、あなたのことを本気で心配する人が、きっといる。あなたがいなくなれば、本気で悲しむ人が、きっといる。だからあなたは、あなたの世界に、そしてその人たちの世界に帰らなくてはいけない」

 なんだかどこかで聞いた言葉である。

「……お前、もしかして聞いてた?」

「は?」

「あ、いや、違うんならいいんだ」

 レイナの反応は、いつもの冗談を言ったときの、すまし顔ではなかった。つまりレイナは奇しくも、透が黒に説教したときと同じことを言ったのである。

「しかし俺が言うのもなんだが、ずるいなその言葉」

「何だかわからないけれど、わかってくれたようね」

「ああ、そうだな」

 レイナは透の返事を聞くと、満足したように微笑み、続けた。

「とはいえ、あなたは世界を救った勇者。もちろんただで帰すつもりはないわ。何か褒美を与えましょう。あなたの世界に介入してえこ贔屓するわけにはいかないけれど、せめてあなたに天恵があることを祈っておくわ」

「またお祈りだけか」

「あら、でも私の祈りは効果あるのよ? ほら、天命だって達成されたでしょ?」

「あれ効果あったって言えるのか? 結構ぎりぎりだったんだけど」

「まあ、期待してなさいな。あなた、きっと私に感謝するわよ」

「じゃあ、楽しみにしとくよ」

 透は全然期待してないが、今後ちょっといいことがあったら、レイナのおかげということにしといてやろうと思った。

「透さん」

 後ろから白の声がかかり、透は振り返った。

「行ってしまわれるのですね……」

 そう言う白の表情は穏やかに見えるが、どこか切なそうだった。

「あ、ああ」

「そうですか……。寂しくなりますね……」

 白がうつむくと、額にうっすらと影がかかった。その表情に、先ほど固めたばかりの透の決心は早くも揺らぎ始める。

 もとの世界に帰るということは、白と離れ離れになるということだ。レイナが言った、透には透の世界がある、ということには納得したが、だからこそ簡単には割り切れない。白だって、すでに透の世界の住人なのだから。

 しかし白はすぐに気を取り直し、微笑みをたたえながら言った。

「けど、きっとまた会えますよね!」

 白の声は希望に満ちていた。この願いは必ず叶うと、心から信じているように聞こえた。

 根拠はない。だが透は、なぜかその言葉を無性に信じたくなった。そう、何も永遠の別れではないのだ。生きてさえいれば、いつか、いやいつでもまた会える。

「今度は世界の危機とかじゃないといいな」

「そうですね」

 二人は笑いながら、そんな冗談を言い合った。二人の様子を見て、レイナは、仲の良い兄妹を見守る、優しい母親のような表情で言った。

「それでは透。そろそろいいかしら」

「おう」

「いい返事ね。では、あなたをもとの世界に戻します。これからのあなたの人生に、きっと良いことが起こることを、祈っているわ」

「透さん、長い間、本当にお世話になりました。また今度」

「おう、またな」

 レイナがロッドをひと突きすると、透の意識が飛んだ。


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