六
足跡は森の深くまで続いていた。
足跡と言っても、影は一切の統率なく移動していたようで、軍隊の通ったようなくっきりとした足跡はほとんど残っていない。黒い大蛇のような不自然なけもの道が一本伸びており、その周りに申し訳程度の足跡が散見されるだけだった。
「どこまで続いてるんだろうな、これ」
透は脇を通るけもの道に目をやり、うんざりしたように言った。一部だけえぐられたように草のない道からは、動物たちが何度も通ったことでできる自然のけもの道とは違う異常さが感じられる。
「あまり遠くないといいのですが……」
火の世話をしていた白は、後ろを振り返って先を見やった。けもの道は木々の間の闇の中に入り、永遠に続いているように思える。
勇者一行は野宿の体勢に入っていた。インディゴを出発した朝からひたすら歩き続け、気づけばすっかり夜になってしまった。食事も終わった現在は、翌日の飲み水を煮沸していた。
「しかし改めて考えても、やはりあの影は不気味ですね」
「そうだな」
白の言葉にうなずき、透は昨晩遭遇した影を思い出した。考えれば考えるほど謎である。あんなものはこちらの世界に来てからも、一度だって見たことがない。そして何より、透たちがインディゴに到着した直後の夜に襲ってきたというのは、果たして偶然なのだろうか。
透はそんなことを考えながら、ふと白の顔を見た。焚火に向かうその視線は、どこか思いつめたようだった。
「ところで白。ずっと前のことだけど、ホワイトで藍たちについて聞いたことあるだろ?」
「へ? あ、はい。そうですね」
上の空だったようで、白は突然話しかけられて一瞬びくっとした。
「そのときは途中で切り上げちゃったからさ、よかったら、ここで聞かせてくれないか?」
「藍たちのことをですか? はい、それはもちろん! あ、でも私ではお役に立てるような情報を提供できません……」
白は一瞬嬉しそうな顔をしたが、すぐに申し訳なさそうな顔をした。酒場での会話を思い出したらしい。
「ああ、いや、今回は別に情報とかじゃない。ただの雑談だ。かわいいエピソードがどうとかって言ってただろ? あれがちょっと気になってな。それに黒のことはまだ何も知らないし」
「そういうことでしたか。それなら、喜んでお話しさせていただきます!」
そういって、白は楽しそうに妹たちのことを話し始めた。
「それではまず藍のことから! 藍はちょっと恥ずかしがり屋さんなんです。先日レイナ様のご友人とみんなでお会いすることがあったのですが、そのときはずっと私の後ろに隠れていたんです。話しかけられてもずーっと私の後ろに隠れて、返事に困ると、お姉ちゃんって言って、目に涙をためて助けを求めてくるんです。それで私が頭を撫でてあげると、ぎゅっとしがみついてきて、もうすごくかわいいんです!」
透は話を聞きながら、一度も見たことない藍を思い浮かべてみた。まず白の妹だから超絶かわいい女の子なのは前提。おそらく髪色は藍色なのだろう。そんな藍髪超絶美幼女が、銀髪超絶美幼女の後ろに隠れ、うるんだ瞳で姉の瞳を覗く。姉が優しく頭をなでると、妹はさらにくっついてくる。うん、かわいい。ゆり最高。
「あと、藍はお茶が好きなんです。お屋敷のテラスで、日向ぼっこしながら湯呑でお茶をすするのが日課なんですよ! そうやって和んでいる姿がもう、かわいくてかわいくて!」
湯呑か。ということはたぶん和装だ。着物とか。見たことないけど、きっとそうだ。あの屋敷のテラスで湯呑というのはちょっと雰囲気が違うが、かわいいから問題ない。藍髪超絶美幼女が湯呑をすすって日向ぼっこ。うん、かわいい。幼女最高。
「紫はすごく元気で人懐っこい子なんです! でもちょっとやんちゃすぎるところもありますね。レイナ様にもよくイタズラして怒られてます。この前は寝ているレイナ様のお顔におひげを描き足して、怒られてました。最後にはいっつも私のところに逃げてきて、お姉ちゃん助けてって。悪いことだとはわかってるんですけど、それが本当にかわいくてつい、かばっちゃうんですよね!」
今度は紫髪超絶美幼女か。元気でイタズラ好きの、無邪気な幼女。白に助けを求める時も、たぶん反省した様子ではなく「テヘペロ」みたいな感じなのだろう。何か勘違いしたおばさんがやるそれは見るに堪えないが、幼女がやれば何でもかわいい。そんな妹の仕草に、ついつい甘やかしてしまう銀髪超絶美幼女の姉。うん、かわいい。ゆり最高。
「ただ朝は弱いんですよ。起こしに行かないとずーっと寝てるし、起こしてもしばらくボーっとしてて。でも寝てる間に撫でてあげるととっても嬉しそうにするんです! なかなか起きないので、いつも起こすのは大変なんですけど、そういう寝顔が見られるのは姉冥利につきるというか……」
普段は元気な紫髪超絶美幼女も朝起きるのは苦手、か。芯から無邪気で、ある意味もっとも幼女らしい幼女である。うん、かわいい。幼女最高。
「そして黒は、とっても甘えんぼさんなんですよ! いつも私にべったりくっついて、お姉ちゃん、お姉ちゃんって甘えてくるんです! 夜寝るときも、お姉ちゃん一緒に寝よって、枕だけ持ってベッドに潜り込んできたりするんです!」
次は黒髪超絶美幼女だな。何かもう黒髪ってだけで超かわいい。それに妹で甘えん坊とか究極だ。そしてそんな甘々妹と同じベッドで眠る銀髪超絶美幼女。たぶん布団の中で向かい合い、こそこそと、ゆり色の会話を楽しんだりしているのだろう。うん、かわいい。ゆり最高。
「でも黒は一番下の妹なので、他の妹たちも黒にとってはお姉ちゃんなんです。なので黒は他の妹たちにもそうやって甘えてることがあって……。もちろん妹たちの仲がいいのは良いことなのですが、ちょっと心のどこかがムズムズしたりします。でも甘えてくるとやっぱりかわいいんですよね!」
姉たちを翻弄する小悪魔妹か。無邪気に甘えてきたと思ったら、今度は焦らされる。かと思えばまたすぐに無邪気に甘えてくる。猫みたいに気まぐれに甘えてくる感じである。うん、かわいい。幼女最高。
結論、幼女のゆりは最高。
つまり男とかあんま出てこない日常系アニメこそが究極にして至高なのである。
「それで……あっ、す、すみません、私ばかり話してしまって。あの、つまらなかったでしょうか……?」
反応がいまいち薄かったからか、白は不安そうに聞いた。
「いや、そんなことはないぞ。この世の真理にたどり着いた気がした。ありがとう」
「へ? あ、はい。何だかよくわかりませんが、どういたしまして」
悟りでも開いたように清々しい顔の透の答えに、白は困惑した顔で返した。
しかし、よかった。白の表情もこれでずいぶん柔らかくなった。透は心の中でほくそ笑んだ。
透が突然妹たちの話を振ったのは、もちろんかわいい幼女たちの日常がどんなものか気になったからではない。いや、透はロリコンの変態野郎だから理由の九割はたしかにそれだったかもしれないが、さすがにそれだけじゃない。
さっきまでの白は、緊張からか警戒からか、どこか表情が固い気がした。何の手がかりも見つからなかった妹たちが、もしかしたらこの先にいるかもしれないのだ。当然緊張だってするだろう。とはいえやはり緊張しすぎるのはよくない。そこで透は、おそらく白が最も好きな話、妹たちの話をしたのだが、どうやら効果てき面だったらしい。
「ほら、それより話を続けてくれ。他にもあるだろ? かわいいエピソード」
「はい、もちろん! えーとですね……そうそう、この前、藍がですね……!」
白の明るい声が、いつまでも暗い森の中に響いていた。
「ふう。すっかり話し込んでしまいました」
一通り話し終え、白は満足そうな表情で息をついた。
「夢中で話している間にずいぶんと遅くなってしまいましたね。ほんとはまだ話したりないんですけど、今日はこの辺で止めておきましょう。ご清聴ありがとうございました」
「こちらこそありがとう。いい話を聞かせてもらった」
ぺこりと頭を下げた白に、透は仏の顔で感謝を述べた。
白が妹たちの話を初めて一時間ほどが過ぎた。妹自慢だけでそれだけ話した白は、さすが姉バカである。
もちろん透も、その間一度も飽きることはなかった。妹と一緒にお風呂に入った話とか海にいった話とか。聞いてるだけなのに何度萌え死にそうになったかわからない。人間の想像力とはかくも偉大である。
「それでは私は、一足先にお休みさせていただきます」
「そうだな。じゃあ、これ」
透は着ていたブレザーを脱ぎ、白に渡した。
「すみません。いつもありがとうございます」
白は受け取ったブレザーを羽織ると、倒木を背もたれに座った。
「それでは透さん、おやすみなさい」
「おやすみ」
透の返事を聞いてから、白は目を閉じた。白の寝顔は安心したように、穏やかだった。
さて、初めて野宿をした日以来、見張り当番は前半が透、後半が白という風になっている。故に白が眠っている間、透は起きて周囲を警戒しなくてはならない。
初野宿の際は、睡魔に耐えられず途中で居眠りをするという大失態もやらかしたが、長旅の中で夜更かしに慣れ、もはやそんなこともなくなった。焚火の維持だって慣れたもので、寝ててもできる程になった。……いや、寝ないが。
夜の森というものは危険である。こちらは暗く視野が限られる中で、夜間に活動する夜行性の動物は当然暗所で目が効く。つまり状況としては完全にアウェーなのである。
が、しかしこれは経験則なのだが、火さえ焚いていれば案外動物は襲ってこない。目が効くだけに、火が見えただけで割と遠くにいる段階から諦めるらしい。
となればおのずと警戒心は薄くなるし、この静かな一人の時間は、自然と考え事が多くなる。透はボーっと焚き木をいじりながら、昨日の出来事を思い出した。
黒くくすんだ髪の、どこか元気のない幼女。世界の崩壊の前兆としての、さびれたインディゴの町。突然襲撃してきた影の集団に、怯えるリナ。
たった一日で、守らなくてはいけないものが一気に増えた気がした。
「重いなあ……」
そんな言葉が、思わず勇者の口をついた。リアリティ―のないまま、雰囲気に流されて勇者を引き受けたときとは、その両肩にかかる重圧が明らかに違った。
「大丈夫ですよ」
すると、正面から静かな声がした。顔を上げると、焚火の先の白が微笑んでいた。
「透さんはよく頑張ってくれています。その頑張りは絶対に報われるはずです。だから、大丈夫ですよ」
白の声は優しく胸に響いた。
そうだ。どんなに責任が増えようと関係ない。最大の目的は最初からただひとつ。目の前の、自分を一心に信じてくれるこの少女を守ることだ。
「そうだな」
透は穏やかにそう答えると、また焚火に目を移した。
翌日。今日も今日とて二人は足跡をたどり、薄暗い森を歩いていた。
「洞窟か……?」
歩き続けていると、ついに足跡の終点にたどり着いた。黒い岩盤にぽっかりと空いた洞窟の入り口である。奥は真っ暗で、どこまでも深く続いているようだ。
「この先に、妹たちの気配がします」
「まじか」
「はい。三人ともいるかはわかりませんが、少なくとも誰かは」
白は洞窟の先を見据え、真剣な面差しで言った。
「よし、それなら急ぐぞ」
言いながら洞窟に足を踏み入れた透に、白は無言でうなずき、右手に光球を灯して、後を追った。
洞窟は入り組んでいた。登ったり下ったりと、もはや自分たちがどこにいるのかもわからない。道中で分かれ道がいくつもあったが、それは白が妹の気配をたどって案内してくれている。内部にはコウモリなども生息しているようだが、光が当たると一目散に飛び去っていくので、どうやら害はないらしい。
しばらく歩くと、薄明るい広々とした空間に出た。天上が吹き抜けになっているわけでもなく、どこに火を焚いているわけでもないのに、なぜか明るい。異様な空間だった。
「何だ、ここ?」
透は困惑しながらとりあえず辺りを観察していると、奥の方で一段高くなった台座の上に、何かが横たわっているのが見えた。
「あ、あれ、人か……?」
目を凝らしてみると、幼い少女が二人、目を閉じて眠っていた。
「な、なあ、白。あれって。……どうした?」
確認を求めようと顔を向けると、白は光球を消し、驚いたように目を見開き、正面を見つめていた。透が視線の先に目を向けると、そこには透たちと台座をさえぎるように、真っ黒のフードをかぶった人物が立っていた。
褐色の肌と漆黒の髪をした幼女。長いローブの下からは、小悪魔のような、先のとがった黒いしっぽが伸びている。
幼女はその小さな口を三日月のようにひしゃげさせ、鋭い八重歯をちらつかせ、無邪気な小悪魔のように笑った。
「待ってたよ、お姉ちゃん」
「黒……?」