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 右を向いても左を向いても、正面を向いても木だった。目に移る色は緑と茶色ばかり。いつまでたっても代わり映えしない。透はいい加減この色には飽きたと、もう何度もしている質問を飽きずにした。

「ねえ、まだつかないんです……?」

「もうちょっとです」

「さっきも聞いたね、それ……」

 透を先導して歩く白の答えもさっきから代わり映えしないものだった。

 透と白は森を歩き続けていた。再び出発してから数時間。透はひたすらに歩いていた。ちなみに初交戦以降も二度チャイノと遭遇したが、何とか威嚇射撃で退けている。

 白が言うには、近くに町があるとのことだが、それらしいものは一向に見えてこない。景色が変わらない、というのはとにかく退屈で、たった数時間であるが、印象としては一日中歩いている感じがする。もうこのまま今すぐ帰りたい。透はここに来てまた心変わりしかけていた。

「……白さん、とりあえず一旦休憩しません?」

 が、つい最近すごく恥ずかしい感じでかっこつけて覚悟しちゃった手前やめるとは言いだせず、透はなるべくマイルドにヘタレた。これでもこの根性なしにしてはマイルドな方である。

 白はゆっくりと顔を振り向かせ、きょとんとした顔で答える。

「でももうすぐですよ?」

「あ、そうですか……」

 白には通用しなかった。スパルタである。しかし透もこの程度でめげることはない。自分が楽することに関してはいかんなくその往生際の悪さを発揮する。

「い、いやでも、白もさっきから歩き詰めだろ? 疲れてるんじゃないか!?」

「いえ、私は全然……」

「何でそんなに体力あるんだよ……」

 白のことを気遣っている体で自分も休む、という作戦も通用せず。透はげっそりした顔で落胆した。しかし考えてみれば、今回ばかりは透のヘタレも仕方ないといえる。

 差し当たっての問題は空腹である。朝目覚めると目の前に美幼女がいたり、突然異世界に連れてこられたり、世界を救う勇者に仕立て上げられたり、でかくて凶暴なイノシシと交戦したりと、いろいろな非日常が立て続けに起こったことですっかり忘れていた。

 透は昨晩二時に夜食でカップラーメンを食べてから、何も口にしていないのである。

 つまりもともと一般人以下の体力が、時間経過と激しい運動によって限界に達しているのだ。まあ休憩したところで腹の虫がおさまるわけではないが、ない食糧をねだっても仕方ない。だからそこは町に着くまで何とか我慢するとして、せめて今はヘタレたかったのだ。

 透は最後に食べたカップラーメンの味を思い出しながら、もう一度重く溜息を吐いた。

「……たしかに歩き詰めですし、ちょっとだけ休みますか?」

 すると透の顔を見てさすがにやばいと思ったのか、翻って白が提案してきた。

「おお、女神よ……」

「いえ、女神様はレイナ様ですよ……?」

 透の目には、白に後光が差して見えたという。


「どうぞ、透さん」

 木陰に座ってじっと目を閉じていると、白から声がかかった。透はその声がなければ永遠の眠りについてしまいそうなほどに固く閉ざしていた目を、緩慢に開く。白が真っ赤なリンゴを差し出し、微笑みかけていた。

「おお、女神よ……」

「いえ、ですから女神様はレイナ様ですよ……?」

 透がリンゴを受け取ると、白は透の隣に座った。

「それじゃあ、いただきます」

 透は定型文としてそう言うと、大きく口を開けてリンゴをほおばった。うまい。甘くてみずみずしい。果汁が乾いた口の中を縦横無尽に転がっていき、その余韻を残したまま腹の中に滑り落ちていく。透はまた一口と、夢中になってリンゴに食らいついた。

「透さん、がっつきすぎですよ」

 そんな透の様子を見て、白はうれしそうにふふっと笑い、両掌で挟み込んで持ったリンゴを一口かじった。

「うん、おいしい」

 白はそうつぶやいて、顔をほころばせた。

「ごちそうさまでした」

 透は一分ほどでリンゴを平らげ、満足そうに手を合わせた。芯さえも胃に押し込み、残った種とヘタは地面に埋めて自然に返した。はっきり言ってリンゴ一個程度で腹は満たされないが、それ以上に心が満たされた気がした。

 白はまだリンゴをもぐもぐと食べていた。一口一口が小さいのであまり進んでいない。透は手持無沙汰になって、周りの景色を見まわしてみた。相変わらず茶色の幹と緑の葉ばかり。しかし休憩をはさみ、心地よい涼しげな風に当たっていると、その景色もさほど退屈なものではなくなった。

 何より、木の下でかわいらしくリンゴをかじる美幼女と一緒に座っているという状況は、かわいい妹とピクニックに来ているみたいでとても安らぐ。妹などいたことはないが。

 当然のようにかわいい妹がいるアニメの主人公たちは、きっと毎日こんな幸せな生活を送っているのだろう。友人やネットの連中の言う、「リアルの妹は……」みたいなやつは全部嘘か、あるいはただの自虐風自慢なのである。あと妹も交えてハーレムラブコメを展開しながら、妹のアピールに気づかず「モテない」とか言ってる主人公たちも同罪である。そうに違いない。所詮やつらには妹のいない男の気持ちなどわからないのだ。

 透は幸せをかみしめているつもりが、いつの間にか世の兄たちへ嫉妬の炎を燃やしていた。

 そんなことを考えながらしばらく景色を見ていると、透はふとあることに気づいた。目に移る色の中に赤が一つもないのだ。つまりリンゴはこの辺にない。もちろんこれまでの道中でリンゴの木は一本も見ていない。この森の中では希少なのだろう。

 ここで、この広い森の中からリンゴの木を見つけ出した白のサバイバル能力についてはさほど問題ではない。おそらく何度も使っている道なのだから、どこにリンゴの木があるかくらいはわかっていても不思議ではない。問題は白がわざわざ遠くまで行ってリンゴを持ってきてくれたことだ。

 そう言えば、と透は思い返した。

 木陰で休憩を始めてから白がリンゴを持ってきてくれるまで、どれくらい時間がかかっていただろうか。空腹でそれどころじゃなかったのでほとんど覚えていないが、少なくとも数十分は目を閉じていたはずである。

 つまり透が呑気にヘタレている間、白だってここまで歩き詰めであったにも関わらず、それだけの時間を歩き回ってくれていたのだ。

「そういや言い忘れてたけど、ありがとな、リンゴ」

 透は正面を向いたまま、言いづらそうに口を開いた。改まって言ってみると案外恥ずかしいものである。

 白は透の言葉を受け、にっこりとほほ笑んで返答する。

「どういたしまして!」

 追い打ちである。今日日、「どういたしまして」などと素直な返答ができる人間などどれ程いるだろうか。小さいころに「ありがとう」の返答は「どういたしまして」だと教わっても、今や「いえ……」とか何の考えもなく謙遜している体で返したり、もしくは取り繕った笑顔を浮かべ無言でうなずく程度で終わらせるのがほとんどだろう。それをあんな飛び切りの笑顔で言われればドキドキもする。

「と、ところで、この先にある町ってどんなところなんだ?」

 透はついに恥ずかしさに耐えられなくなり、特に興味はなかったが質問した。

「とても大きな町ですよ! 活気にあふれていて、町の人たちもみんな優しくて明るい人たちばかりです!」

「お、おう、そいつは楽しみだな」

「はい! 透さんもきっと気に入ると思いますよ!」

 特に興味はない質問だし、恥ずかしくてそれどころじゃなかったので、白の声は右から左に流れた。ただ白の屈託のない笑顔だけが、透の頭を離れなかった。


 しばしの休憩をはさみ、透たちは再びうっそうと生い茂る森の中を歩き始めた。先ほどの白とのやり取りですっかりリフレッシュした透は、延々と続く木々の狭間を元気に行進していた。

「疲れた……」

 ……などということはもちろんない。

 最初こそは幸福の余韻に浸っていた透だったが、五分と経たないうちにヘタレてきた。それはそれ、これはこれである。どんなに心が満たされようと腹は膨れない。リンゴ一個ではやっぱり焼け石に水なのである。むしろ中途半端にリンゴなんて食べたせいで空腹感は増した気もする。火に油である。

 かくしてすっかりヘタレ込んだ根性なしは、またもや休憩を申請しようと口を開く。

「し、白さん、さっきのさっきで大変恐縮なのですが、そろそろきゅう……」

「透さん、ここです!」

 透の力ない声は、白の元気な声にさえぎられた。透は棒のようになった足を止め、白が指さす先にうつろな視線を向ける。

 視線の先には白亜のキャンバスが広がっていた。緑と茶色の木々に両端を、水色の青空に天上を縁どられた真っ白なキャンバスである。キャンバスの真ん中にはぽっかりとアーチ状の門が描かれており、その両端には門番らしき二つの人影があった。

「これが光の世界最大の町、ホワイトの市壁です!」

「おお……」

 白く美しく雄大な壁である。透は空腹のことも忘れ、見とれていた。この壁を見ただけでも最大の町であるということが容易に理解できた。

「どうしました、透さん? 早く行きましょう!」

「お、おう」

 白に急かされ、透はまた歩き出した。

 壁は近づくほどにその荘厳さを増して感じられた。はっきりと見えてきた二人の門番は赤い装束を身にまとい、精悍な顔つきで長い槍を携えていた。その姿も絵画の一部分のようで趣がある。

「ご苦労様です!」

 門の前で立ち止まった白がかわいらしく敬礼すると、二人の門番もきびきびとした動作で敬礼を返した。そして白はそのままつかつかと門に入っていった。何となくファンタジーというか、中世ヨーロッパ的イメージはぶち壊しだが、これがこの世界での礼儀なのだろうか。透も遅れまいと、白に倣って「お疲れっす」と言いながら門番に見向きもせず門をくぐる。しかし。

「ひっ!?」

 その瞬間、二人の門番の眼光がきらりと光り、二つの槍が透の喉元に突き付けられた。そして門番たちは何かよくわからない言葉でまくしたて始める。むしろ何であの態度で無事に門を通り抜けられると思ったのか。

 透は何が何だかよくわからず、とりあえずこのままでは命が危なそうなことだけは察知してとっさに命乞いすることにした。

「い、イエーイ! ええと、あ、アイキャン、ノット、スピーク、イングリッシュ! イエーイ! ええと、ええと、ワタシ、怪しい人じゃないヨ!」

 透にとって日本語以外のよくわからない言語は、「日本語以外=英語」の方程式のもと、英語と解釈される。なので中学で習った覚えのある例文をあからさまなカタカナ発音で口にし、結局そのあとどう言えばいいのかわからず、日本人なのに片言の日本語で弁明した。逆に怪しい人みたいである。

 無論こんなことで透が信用されるはずもなく、門番はさらに大きな声でまくしたてながら詰め寄ってきた。

「す、すんません白さん! たす、助けてください!」

 終いには涙目になりながら、自分より小さな少女に助けを求めだした。

「あ、すみません、透さん! 忘れてました! これを食べてください!」

 白は腰ひもに付けた袋を広げ、何か取り出す。

「ほんやくしらたきぃ!」

 韻すら踏んでないから「ほんやく」と「しらたき」の間に何の接点もない! とツッコもうかと思ったが、透にそんな余裕はない。

「これを食べるとレイナ様の力でどんな言語も理解できるようになり、どんな言語を話す人にも話が通じるようになります!」

 白は言いながら、プルプルした白い糸の束を口に差し出してきた。透は喉元の槍に気を付けながら必死にしらたきに食いついた。初めて女の子にしてもらった「あーん」がこんな状況で、さらにしらたきとか切なすぎる。だいたいあの袋の中の衛生状態は大丈夫なのだろうか。

 いろいろな理由から泣きながらしらたきを食うと、次第に門番たちのまくしたてる言葉が日本語で頭に入ってきた。

「貴様、何者だ! 見るからに怪しいやつめ!」

 言ってることは予想通りなのに実際に聞くとすごく怖い。

「わ、私はあれです! 桧色透と申します! ええと、あれです! 勇者? 勇者です!」

「何、勇者だと!? さっきはよくわからん奇声を発していたし、まさか危ない薬でもやっているんじゃないだろうな!」

「そ、そんなものやってないっす! まじやってないっす!」

「その否定の仕方がとてつもなく怪しいぞ!」

「ひい!?」

 テンパっている透がどんなに弁明しても事態は悪化する一方である。普通に考えてひっくり返った声で自分から勇者とか言っちゃう挙動不審なやつがいれば、まず正気を疑う。どう見てもクレイジーだしエキセントリックである。

 見かねた白がついに助け舟を出した。

「ええと、門番さん。透さんは本当に勇者様なんです」

「ええ!? し、白様、それは真ですか!? この見るからに貧弱で頭悪そうで根性も悪そうな男がですか!?」

 第一印象だけで体力と頭脳と精神力と、おそらく自分を構成する大部分を同時にけなされた。

「透さんはそんな方ではありません! とても勇気のある素晴らしい方です! まあたしかに外見はちょっと頼りないですけど……」

 味方のはずの白にまでナチュラルにけなされた。

「も、申し訳ありません! あまりにも残念な外見だったので、思ったままを口にしてしまいました!」

「人を見た目だけで判断するのは! ……あれ、透さん、どうされました?」

「いや、何かもう、お家帰っていいですか……?」

「え、何でですか!?」

 透はいつの間にか体操座りになっていじけていた。今まで散々自分のことを卑下してきたが、他人に言われると結構こたえた。今すぐ部屋にこもって、一人さめざめと泣きたい気分である。

「ところで、そもそも勇者とは……?」

 ようやく槍を下ろした門番は、慌てて透をなだめる白の後ろ姿に恐る恐る聞いた。

「その、実は藍と紫がいなくなってしまって、レイナ様が二人を探す勇者として透さんを選ばれたのです」

「何と!? 藍様と紫様がですか!?」

「はい。それでその、門番さんは何か知りませんか? 二人のこと」

「ううむ、何とかお力になりたいのですが、あいにく何も知りませんな。おい、お前は何か知らないか?」

「いえ、私も知りませんね。何せ藍様と紫様がいなくなったことも初めて知りましたから」

「そうですか……」

 本当に何も知らない様子の二人の門番を見て、白はがっかりしたように肩を落とした。

「しかし、そう言うことなら仕方ない。白様の保証もあるしな。貴様、通っていいぞ」

 門番は透にだけ最後まで不遜な態度を貫き、渋々通行を許可した。しかしその目は未だ懐疑的である。どれだけ怪しまれているというのだ。

 気を取り直して、白は透の手を引いた。

「ありがとうございます、門番さん。それでは透さん、行きましょう」

「あ、ああ」

 透は、白のどこか疲れたような笑顔を見ながら、手を引かれるままに門をくぐった。


 分厚い壁のアーチをくぐり抜けると、絵画のような風景が広がっていた。今までに見たことのある風景のどれとも違う、まさに絵画の中でしか見たことのないような異国異時代の町だ。

 白色を基調とした家々が立ち並び、淡く雪の積もったような白い石畳が道路をおおう。道行く人々の明るい笑い声だけが、この風景が絵画でないことを知らせていた。まさに最大にして最高の町にふさわしい景色である。

「おお……」

 透は町の中を見回し、思わず感嘆の声を上げた。

 一言で表すと、銀髪パラダイスである。

 たしかにこの景色はすごいが、そんなことより女の子である。どこもかしこも、かわいらしい笑顔を振りまく銀髪の幼女やお姉さんだらけ。アニメの中でしかいないような髪色の美少女たちがひしめき合っている。ここをパラダイスと呼ばず何と呼ぶのか。なお、透の目には白髪の男どもや、おばあさんたちは映らない模様。

「あ、白様!」

 透が一歩間違えれば通報されてもおかしくない視線を美少女たちに投げかけていると、銀髪美人のお母さんに手を引かれていた銀髪幼女が近づいてきた。

「白様、こんにちは!」

「こんにちは!」

 銀髪幼女の笑顔いっぱいの挨拶に、その銀髪幼女よりちょっとだけ背の高い銀髪幼女の白は、屈んで頭を撫でながら返事をした。しばらく観察していると、同じようにして他の銀髪幼女たちも次々と集まってきた。銀髪幼女がいっぱいでほほえましい。ロリコンの透にとってはまさしくパラダイスであった。

 よく見ると道行く人々も、わざわざ近づいてきたりはしないが、遠くから白様、白様と挨拶していく。白もその挨拶のすべてに懸命に答えている。何だか知らんがすごく慕われている感じである。

「それでは皆さん、私はちょっと用事がありますので、これで」

「はーい! 白様、またお話ししてください!」

 しばらくして白が銀髪幼女たちとの話を切り上げた。銀髪幼女たちがバイバイと手を振りながらはけていくと、白は小さく胸の前で手を振りながら見送った。

「すみません、透さん。時間がかかってしまって」

 謝りながらも、白は満足そうな笑顔を浮かべていた。道を歩いていればスカウトされても仕方ない。

「いや、気にしなくていい。いいものを見させてもらった」

「そう、なんですか?」

 透も満足そうな笑顔を浮かべていた。道を歩いていたら職務質問されても仕方ない。

「それより白、何かお前有名人だな」

「いえ、別に有名人というわけではないんですけど、私は一応この町の守護精霊なので……」

「守護精霊? 何かすごそうだな」

「そんな大したものじゃないですよ。象徴と言うか、そんな感じです」

「いや、それ充分すごいだろ。町の中心人物じゃねえか」

「い、いえ、ですからそんなすごいものじゃないですって。名目上というか、そんな感じです。そ、それより情報収集しましょう!」

 白は言いながら照れたように笑い、強引に話を変えた。

「まずはどこに行きましょうか、透さん?」

「ううむ、そうだな」

 そう言われても、透はこの町について何も知らない。まあ中世ヨーロッパのファンタジー的な町なので何となくわかる気もするが。

 とりあえずRPGで情報収集といえば、広場か酒場といった人の集まるところで聞き込み、といったところだろうか。それらがこの町にあるのかはわからないが、提案としてはそのどちらかだろう。

「じゃあとりあえず」

 透はそう前置き、答えた。

「まず、ご飯食べさせてくれません?」

 つまり、腹が減っては戦はできぬのである。


 かつてこれほど飯が美味いと思ったことはあるだろうか。パンの上にジャガイモ乗っけて塩かけて焼いただけみたいなすごい手抜き料理なのに、感動的に美味かった。空腹は最高のスパイスである。

 正確な時間はわからないが、白が言うにはついさっき聞こえた教会の鐘が正午を告げていたらしい。昨晩以降、その時間までリンゴ一個としらたきしか食っていなかった透は、涙を流してパンに食らいついた。

 情報収集に先立って、透と白は町入り口近くの酒場に入った。基本的に酒を提供する店であるためか客の入りは少なく、昼間から飲んだくれている白髪頭のおっさんが数人で集まって、雑談やらポーカーやらをしているだけである。かなり歳のいったじいさんばかりなので、おそらく隠居して暇を持て余しているのだろう。しかし改めて見ると、やっぱりこの中世ファンタジー的世界観の中で現代日本の学校制服は浮く。

「ごちそうさまです」

 平皿で出された二個のパンを手早く平らげた透は、嗚咽交じりに手を合わせた。作った人や食材だけではなく、この世のありとあらゆるものに感謝したい気分だった。

「そういや、白は食べなくていいのか?」

 ようやく腹を満たせてまともに頭の回るようになってきた透は、正面に座る白に聞いた。

 食事中、白はずっと透の食事を笑顔で見つめていただけだった。実は透が食べた二つのうち、一つは白の分である。しかし白が自分の分も食べてくれとしきりに言うので、とりあえず腹が減っていた透は二つとも食べたのである。

「はい。私は光のエネルギーでできていますので、食糧から栄養を摂る必要はないんです」

「はあ、そういうもんなのか」

 透は水を口に含みながら、わかったようなわからないような曖昧な返事をした。休憩時にリンゴを食べていたので味覚はあるのだろうが、特に食べる理由はないということか。つらい空腹に耐えていた透としてはうらやましい。

「それでは情報収集に行きましょう!」

「あ、いや、ちょっと待ってくれ」

 透の食事がひと段落した様子を見て、さっそく情報収集に乗り出そうと席を立った白に、透がまたもや待ったをかけた。白は透の顔を見て少し考えてから席に座りなおした。

「何でしょう?」

「いや、空腹でそれどころじゃなかったから忘れてたけどさ、よく考えたら俺その、藍と紫、だっけ? のこと知らないし、今わかってることを教えてくれないか?」

「あ、そう言えばそうですね! 失念していました!」

 白は申し訳なさそうな表情で大げさに頭を下げた。こういう場合では、情報収集の前にできるだけ情報共有はしっかりした方がいいのは当然である。それに今まで気づかなかった透はバカであるが、白も大概バカ、いやちょっと抜けたところがあるらしい。

「そうですね。二人の説明の前に、私たち色の精霊のことを説明しましょう」

 白はそう前置き、説明を始めた。

「精霊は、色を創造したレイナ様がその力に形を与えたもので、光の世界に色の数だけいます。微妙な明度の差でも別の色なので、つまりほぼ無数に存在します」

「無数って、そんなにたくさんいるのか?」

「はい。と言っても、人格化している精霊はそんなにいませんが」

「人格化って?」

「私のように人間の形をした精霊のことです。ですがほとんどの精霊は小さい粒みたいな形です。ほら、レイナ様のお屋敷で見ませんでしたか? いろんな色の光が浮いていたのを」

「ああ、何かいた気がするな。ふよふよしてた光が」

 透は今朝入ったレイナの屋敷を思い浮かべた。たしかにレイナの下まで行く道中、色とりどりの光の粒子が辺りを幻想的にライトアップしていた。つまりあれがすべて、白と同じ精霊だったのである。

「え、じゃああの、この広い世界の中であんな蛍みたいな光を探さなきゃいけないのか!?」

「いえ、そういうわけじゃないです。藍も紫もちゃんと人格化していますから。人格化しているのは最初に創られた私と、神セブンの七人と……それくらいですね。それに精霊同士は共鳴しているので、二人に近づけば私がわかります」

「なるほど。それなら何とかなるか」

 透は少しほっとして、次の質問に移った。

「それで、二人の特徴とかは?」

「そうですね。藍はちょっと恥ずかしがり屋さんで、知らない人と会ったりするといつもびくびくしていますが、とても優しい娘です。紫は反対にとても明るくて活発で、いつもみんなを笑顔にしてくれる……」

「いや、そういうのじゃなくて、こう、外見的な? パッとわかるような特徴を教えてほしいんだけど……」

「え、外見的特徴ですか? 二人ともすごくかわいい女の子ですよ!」

「うん、そうか。そうだね。わかったよ。ありがとう」

「あれ、もういいんですか? 二人のかわいいエピソードはもっとあるのですが……」

 おそらく白の説明では何もわからないだろうと悟り、透は投げやりな感じで話を遮った。だいたい外見的特徴を教えてほしいと言ったばかりなのに、すでにエピソードを話そうとしているところがまず違う。やっぱり白はバカらしい。親バカならぬ姉バカである。

「じゃあ次に、二人の居場所について現状でわかってる情報はないか?」

「今のところ有用な情報はまったくと言っていいほどありませんね。迷子なのか、さらわれたのかもわかっていません……」

 白は妹たちを自慢していた笑顔から一転、心配顔で声のトーンを落とした。

「手がかりは自分の足で見つけ出すしかないってことか……」

 透は嫌気がさしたような溜息をつき、酒場をぐるりと見回した。何度見ても昼間から飲んだくれた呑気なおっさんばかりである。しかもすでにみんな相当出来上がっちゃってる。何とも牧歌的で平和な連中だ。どいつもこいつも当てになりそうにない。

「それじゃあ手始めに、マスターにでも聞いてみるか」

「そ、そうですね」

 透がもう一度溜息をついて立ち上がると、同じことを思ったのか白も苦笑いして席を立った。

 マスターは店の入り口横にあるカウンターに座り、指でリズムを取りながら何やら鼻歌を歌っていた。

「マスターさん、ちょっとよろしいですか?」

 カウンターの前に立った白が率先してマスターに声をかけた。

「おお、白様とにいちゃん」

「ごちそうさまです」

 透はまずパンの礼をした。

「悪いな、にいちゃん。昼間はいつも暇なじいさんどもしか来ねえから、食事つったらあんなもんしか用意できなくてよ」

「いえ、すげえ美味かったっす」

「おう、それならよかったぜ」

 マスターはニカッと笑った。

「それで、どうしたんですかい、白様?」

「ちょっとマスターさんにお聞きしたいことがあるんです。藍と紫のことなのですが、実は二人がいなくなってしまったんです」

「あ、藍様と紫様が!? そいつは、大変ですな……」

「はい。それで二人について何か知っていたら教えてほしいんです」

「そう、ですね……。申し訳ないですが、お力にそぐえそうにありません。藍様と紫様がいなくなったことも、今まで知りませんでしたからな……。うちのウェイターも、たぶん知らんでしょうなあ」

「そうですか……。それなら、仕方ないですね」

 やはり門番と同じ答えである。白は門番のときと同じようにがっくりと肩を落とし、そしてまた疲れたような笑顔で気丈に取り繕った。おそらく白もわかっていたのだろう。つまりホワイトの人たちは藍と紫がどこにいるかどころか、そもそもいなくなったことも知らないのだ。それでももしかしたらと、何か二人に一歩でも近づく情報に期待していたのである。

 そんな白の様子を見て、マスターは顎に手を当てて、何か考えてから口を開いた。

「まあ、町に住んでれば生活には困らない。移住者や来訪者もせいぜい近くの村か、隣町のレッドから来るくらいだし、外の情報ってもんがそもそも入ってきませんからね。しかし何か聞きたいんなら、俺じゃなくてあいつに聞くと、何か知ってるかもしれませんよ」

 マスターは言いながら、親指で店の奥の方を指した。ポーカーで年甲斐もなく盛り上がる白髪のじいさんたちのさらに先で、一人で酒を飲んでいる赤髪の男が座っていた。

「あいつはウォルム。レッド出身ですが、大陸中の町という町を股にかける大行商人です。大陸の情報ならあいつが一番知ってるでしょうね。今朝ホワイトに到着したらしいですぜ」

「あ、ありがとうございます!」

 白は元気を取り戻し、大げさに頭を下げた。そして腰に括り付けた袋から銀貨を二枚取り出し、カウンターに置く。ここの通貨単位などわからないが、おそらくパンの代金の他に情報のチップも入っているのだろう。

「それでは透さん、行きましょう!」

「おう! マスター、ごちそうさまでした!」

 白と透が走り去ると、マスターはニカッと愛想のいい笑顔で見送った。

「あの、失礼します。ウォルムさん、ですよね?」

 白はウォルムの座るテーブルで止まるや否や話しかけた。

「ん? おや、これはこれは、白様ではありませんか、ごきげんよう。お会いできて光栄だ」

「ごきげんよう」

 ウォルムが白を見やり握手を求めると、白もウォルムに合わせて笑顔で握手に応じた。燃えるような赤髪は鉢巻にしたバンダナを巻いて持ち上げられている。なかなかの男前だが、やる気の感じられない目と覇気のない声と無精ひげが何となく老けている印象を与える。

「それとお前は、見かけない顔だな、少年」

「あ、ええと、はじめまして、桧色透です」

「トオルか、よろしく。俺はウォルム。行商人をしてる」

「ど、どうも」

 同じく握手を求めてきたので、透も動揺しながら応じた。初対面の相手と握手を交わすという文化は、一介の高校生である透にはまだなかった。

「それで、白様がじきじきに来るとは、一体何の用だ?」

 透と手を離したウォルムは、すぐに手元の樽ジョッキを持った。

「はい、実は藍と紫がいなくなってしまいまして……」

「ああ、そうだな」

 ウォルムは何事もないように、一切驚くことなく酒をあおる。

「え、し、知っているんですか!?」

「インディゴにもパープルにも行ったからな」

 はっきり言って透も白も諦めていた。いくら情報収集しても答えは同じ「二人がいなくなったことも知らない」ではないのかと。しかしここに来て、運命の出会いである。

「そ、それなら、何か二人についての情報を持っていませんか!? どんな些細なことでもいいので、教えてください!」

「いや、残念ながら俺が知ってるのは、お二人がいなくなったという事実だけ。それ以外のことはとんと知らない」

「そうですか……」

 白は一気にしゅんとした。ようやく何らかの情報が得られると期待が高まっていただけに、これはかなりショックだったのだろう。しかしウォルムの話はそこで終わりではなかった。

「お二人については知らんが、ただインディゴとパープルの現状はわかるぜ。まあ、役に立つ情報ではないと思うが」

「現状、ですか……?」

 おそらくインディゴとパープルとはホワイトのような町のことだろう。ここでその話が出るということは、少なくとも藍と紫の失踪に何らかの関係があるはずである。透と白はウォルムの言葉に慎重に耳を傾けた。

「それぞれ守護精霊の藍様と紫様がいなくなったわけだからな。それはもう酷い有様だ。土地に作物はつかなくなったし、住民も流行病にかかったみたいに一斉に寝込んじまった。ほぼ壊滅状態だよ」

「あれ、守護精霊ってそんなすごいの? 象徴とか言ってなかったっけ?」

「守護精霊ってそんな影響が出るんですか!?」

 透が白に聞くと、その白もすかさずウォルムに聞いていた。どうやら隠してたとかじゃなく素で知らないらしい。守護精霊なのに。

「白様、知らないのかよ……」

 ウォルムは呆れたように言い、説明する。

「守護精霊というのはただの象徴じゃない。その名の通り町を守護してる。つまりその存在自体が町と住民を厄災から守っていて、守護精霊の力が弱まれば当然人は力が落ち、町は廃れるというわけ。町の住民がその町の守護精霊に対して特に優しいのは、もちろん自分の娘みたいな感覚でかわいいのもあるだろうが、一方でそういったこともある。まあ実際にそんなことが起こったことはないし、誰もが聖書の中だけの話だと思ってるんだろうがな。俺だってあの光景を目の当たりにするまでは、そう思ってた」

 つまり二人がいなくなったことにより、その町と住民が荒廃してしまったというわけだ。象徴とか名目なんてもんじゃない。町そのものといったレベルだ。

「そしてそこから引き起こされる問題は、これが何者かによる陰謀だった場合、これから他の守護精霊にも被害が出る可能性があるということ。つまるところ、世界の危機だな。なるほど、それの調査とお二人の救出のために、白様はお二人を探しているってところか」

 理解が速いうえに鋭い。ウォルムはかなり頭がいいらしい。

「ところで、俺からも質問していいか?」

「はい、何でしょう?」

「白様が藍様と紫様を探して旅してるのはわかるが……トオル、お前は何で白様と旅をしてるんだ?」

「え、俺っすか?」

 突然話を振られ、透は間抜けな声で聞き返した。

「ええと、何と言うか、ゆ、勇者、です……」

 やっぱり自分で勇者とか言っちゃうのは恥ずかしくて、語尾が尻すぼみになった。するとウォルムは突然樽ジョッキをテーブルに叩きつけ、大笑いしだした。

「勇者! 勇者ってお前! それはないだろ! こんな見るからに貧弱で頭悪そうで根性も悪そうな男が!」

「ええ……」

 門番のときとまったく同じ罵倒をされ、透は肩を落とした。何がそこまで面白いのか……は、まあ何となくわかるが、そこまで狂ったように笑うことなのだろうか。

 酸欠みたいになりながら爆笑するウォルムを見て、白はすぐさまムキになって反論した。

「むう! そんなに笑わないでください! 透さんはレイナ様が選出されたれっきとした勇者様です!」

「ああ、いや、すまん。あんまりにも滑稽だったからつい。しかし、ひひっ。これがレイナ様に選ばれた勇者様とは。やべえ、世界終わった」

 ウォルムはまだ笑い足りないのか、肩を細かく震わせながら何とか声を落ち着かせた。やべえとは言っているが、その言葉にあまり危機感は感じられない。

「透さんはきっと世界を救ってくれます! どこもおかしくありません!」

「白、もういいよ……。何かもう、いろいろわかったから……」

 透は傷つきながらも白をなだめた。やっぱり誰が見ても第一印象は貧弱で頭悪そうで根性も悪そうなのだろう。透は何かもう、あらゆることを悟った。

「でもウォルムさん、結構呑気ですね。俺が頼みの綱じゃ世界が終わるかもしれないのに」

「たしかにお前に頼るのは果てしなく不安だが、それでも聡明なレイナ様が選んだ勇者だからな。俺は敬虔なレイナ教徒として、主には全幅の信頼をよせてる」

 出た。レイナ様は聡明説である。あのいい加減で横暴な神のどこに信頼できる要素があるのだろうかと、透は疑問で仕方なかった。まあウォルムの場合はレイナ教徒ということなので、もしかしたらレイナの本当の姿とかは知らないのかもしれんが。

 というかレイナの宗教とかあるのか。いや神なんだからあってもおかしくないんだが、美少女が崇拝の対象だとどうにも狂信的なオタクが一生懸命崇め奉ってるみたいな絵柄しかイメージできない。

「とはいえ、それでも不安なことに変わりはないからな。俺も世界を救う旅に少しだけ手を貸そう」

「え、もしかして俺たちの仲間になってくれるんですか!?」

 それはありがたい。と言うのも、先のチャイノ戦は何とか切り抜けたが、これからも同じように乗り切れる保証など透にはないのだ。

 そこにつけて、野生動物が突然襲ってくる環境の中で行商人として旅慣れているウォルムがパーティに加わるのは、大幅な戦力アップになるだろう。おまけに話を聞く限りではかなり博識らしい。この際ウォルムのめんどくさそうな性格にはひとまず目をつぶるとして、初心者の透としては非常にラッキーである。しかし。

「やだよ、そんなの。危険じゃん」

「ええ……」

 そんなことはなかった。ウォルムは何言ってんの? という真顔で拒否した。

「だって俺、所詮は行商人だよ? 回るルートとか決めてるし、やることもある。何よりめんどくさい。それに猛獣に襲われても自分の身と荷物守ることで精一杯なんだから、お前の面倒とか見てられないよ? あとめんどくさい」

「結局めんどくさいだけじゃないっすか……」

「手を貸すってのは、あくまで旅の先輩としてのアドバイスとか、そういうのだ。とりあえず、旅支度だな。旅は準備の時点でほとんど決まる。お前、今なに持ってる?」

「ええと、弓と、オキシドールと包帯です」

「お前、旅を舐めてるのか……?」

「いや、何と言うか……」

 旅を舐めてるのはレイナである。こんなん素人が見ても充分な装備のわけがない。

「白様は精霊だからいいが、人間のお前の場合はまず水だ。これがないと話にならん」

 ウォルムは足元に置いた大きなリュックサックを開き、中から金属の水筒を取り出した。

「そして火。火打石と火口だ。火の起こしかたは、まあ白様がいれば大丈夫か。それと地図と方位磁石。あとは塩、皿、スプーン、ナイフ、携帯用の鍋」

 ウォルムは次々と品物を出し、テーブルに並べていった。

「ま、こんなところか。こいつは餞別だ。特別にただでやる」

「マジっすか!?」

「マジだ。感謝しろよ」

「あざっす!」

 透はすぐさまポーチを開き、何のためらいもなく道具をしまった。せこい。

「あとは、そうだな。わかると思うが、暗くなったら移動は控えた方がいい。夜行性で闇夜でも目の利く動物もいる。出会う可能性は少ないだろうがな。何より暗闇で迷ったらお終いだ」

「気を付けます」

「だいたいこんなもんだな。夏だし、冬ほど過酷な旅じゃないだろう。まあとりあえずできる限り危険は避けて、あとは運だ。生きるも死ぬも運次第。俺が協力できるのもこれくらいだ」

「何だか投げやりですね……」

「旅ってのは何が起こるかわからんからな。予想外の事態は常に起こりうる。だから旅に出れば、まず何も起こらないことを祈る。何か起こったらできる限りの対処をしながら、うまく切り抜けられるように祈る。これが重要だ。幸運を祈ってるぞ。グッドラック、トオル」

 ウォルムは投げやりに言って、酒をグイッと流し込んだ。

 ウォルムに話を聞いてから、他の酔っぱらいどもと会話する気にはなれなかったので、二人は早々に酒場を出た。

「さて白、これからどうする?」

「そうですね。では広場に出てもう少し聞き込みをしてみましょう」

「……了解」

 白と透は大通りを歩き、町の中心へ向かった。


「結局、収穫はなしか……」

 透は石畳の上をだらだらと歩きながら、ため息とともにこぼした。すでに日は傾き始めていて、白い石畳も紅に染まっていた。

 酒場を出た後、広場や教会など人の集まる場所で情報収集を続けたが、答えはすべて同じだった。すなわち「藍様と紫様がいなくなったことも知らない」。つまり収穫と言えば、「聞いても意味がない」ということが確定的に明らかになったということだけである。

「すみません、透さん……」

 透の隣を歩きながら、白はうつむいたまま謝った。

「白が謝ることじゃないだろ」

「いえ、また透さんに歩かせてしまいましたから。私が情報収集なんて提案したのがいけないんです。何もわからないことは、わかっていたのに……」

 何もわからないことは、わかっていた。もちろんそのことは透も何となくわかっていた。マスターの話からも、ホワイトでの情報収集は期待できなかった。しかし、藁にもすがりたい気持ちもよくわかる。だからこそ透も反論せず、またヘタレもせず素直に付き合ったのだ。

「……まあ、あんまり気にしなくていいと思うぞ。そもそも白がいなきゃ、俺一人じゃ何も決められないし、何もできない。スタートから詰んでる。白は充分やってくれてると思うぞ」

 白は隣を歩く透の横顔を見上げ、また下を向いた。

「……すみません」

 先程とは違い、口調は安心したように穏やかだった。

「ところで、俺たちは今どこに向かってるんだ?」

 透は何だかシリアスな空気を入れ替えるように、話題を変えた。

「あ、はい。今日はもう遅いので、宿で休もうと思います。もう着くと思うのですが……あ、ここです!」

 白が立ち止まったのは三階建ての建物である。周りの建物と比べるとかなり大きくて広いように感じる。

「へい、らっしゃい! って、ありゃ、白様?」

 白が二枚扉を押し開けると、奥から本当にここが異世界なのか疑いたくなるような掛け声が聞こえ、男が慌てた様子で奥のカウンターから出てきた。一階は酒場になっているらしく、数人の客があちこちのテーブルで樽ジョッキ片手に騒いでいた。この町、酒場多すぎである。

「クラウンさん、お久しぶりです!」

「こちらこそ、お久しぶりです!」

 白がかわいらしくお辞儀すると、クラウンは嬉々とした表情で会釈した。このにやけ顔ははっきり言ってちょっとキモイが、がっしりした体格の気のよさそうなおっさんである。

「おい、ところで後ろの貴様。何、白様のあとつけてんだストーカー野郎」

「ええ……」

 気のよさそうなおっさんだと思ったら全然そんなことはなかった。クラウンは射殺すような剣幕で透をにらみつけた。

「あ、ええと、透さんはストーカーさんではなく勇者様です」

「ゆ、勇者?」

 白が代わりに弁明すると、クラウンは間抜けな声で聞き返した。

「はい。実は藍と紫がいなくなってしまいまして」

「藍様と紫様が!? それは大変だ!」

「それで二人を探す勇者様としてレイナ様が選んだのが、透さんなんです」

 白の話を聞いたクラウンは透の顔を一瞥した。そしてまた白に向き合い、口を開く。

「……悪いことは言いません。今すぐこいつはどっかに捨てて、新しい勇者を探すべきです。こんな見るからに貧弱で頭悪そうで根性も悪そうな男」

 本日何度目かの罵倒である。何でこの町の連中は揃いも揃って同じ表現をしてくるのか。透は一周回って面白くなってきた。でもなぜか涙が止まらなかった。

「何でみなさんそうやって透さんを悪く言うんですか!」

「い、いや、すみません。何かこう、あまりに衝撃的で……。しかし、何だってこんな男が。あの聡明なレイナ様もとうとう気を振るわれたか……?」

 クラウンは小さな声でつぶやいた。この人もレイナ教徒なのだろう。しかし全幅の信頼をよせてない辺り、信仰心が足りていない。

「まあ仕方ない。白様もこう言ってるわけだからな。信じるとしよう」

 クラウンは全然納得いってない表情をしながらも、自分に言い聞かせるように言った。そしてすごく不服そうな顔で透に手を差し出す。

「俺はクラウン。この宿の管理をしている。よろしく、ええと、トオル、だっけか?」

「あ、はい。透です。よろしくお願いします」

 透はクラウンの手を恐る恐る握り返した。心なしか力が入っていて痛い気がしたが、気のせいだと思うことにした。

「それで白様、こちらに来たご用件は?」

 手を離したクラウンはすぐさま白に向き直り、話を進めた。

「はい。今夜はここで泊まらせていただこうと思いまして。お部屋は空いていますか?」

「そういうことならお安いご用! 白様ならいつでも大歓迎ですよ! ……いやしかし、そう言えば今日はあいにく客が多くて、もう一部屋しか空いてませんね。ううむ、困った」

 クラウンは天を仰ぎ、思い出すように言った。そんなクラウンに、白は何の気なく答える。

「一部屋あれば大丈夫ですよ」

「大丈夫なの!?」

「大丈夫じゃないですよ!」

 透とクラウンが同じタイミングで声を上げた。言わずもがな、疑問が透で否定がクラウンである。

「え、大丈夫じゃないんですか? だいじょう……あ、そ、そうですよね! 私と同じ部屋なんて嫌ですよね! すみません、鈍感で!」

「あ、いや、別にそういう意味じゃない! こう、女の子が男と同じ部屋に泊まるというのが、大丈夫なのかなって……。いや、白がいいなら大丈夫だ、全然! むしろ嬉しかったりするくらいだぞ!」

 誤解して半泣きになった白を、透は必死になだめた。逆に変な誤解を生みそうな言い方だ。

「あ、そ、そうなんですか? よかった。すみません、私としたことが、こんなことで動揺してしまって。……大丈夫、ですよね?」

「大丈夫、大丈夫! 余裕、余裕!」

 未だ不安そうな表情で確かめてきた白に、透は白以上に動揺しながら首を何度も縦に振った。何とか二人の間で丸く収まりかけたところで、しかしクラウンはなおも否定を続ける。

「大丈夫じゃないですよ! こんな見るからに変態そうな男と白様を一緒の部屋に泊めるなどできません!」

 第一印象に酷いのがまた一つ加わった。見るからに貧弱で頭悪そうで根性も悪そうで、さらに変態そうとか救いようがない。まあこの話が出た途端、にやけながらキョドりだした透の姿を見れば変態に見えても仕方ない。ていうか全部事実だ。

「ううむ、何か妙案は……」

 クラウンは考え込むように腕を組んだ。少し待つと、「そうだ、いいこと思いついた!」と言ってポンと手を叩き、後ろを振り返った。

「おいウォルム、お前今日、野宿しろ!」

「どこら辺が妙案なんだよ。何もかも間違ってんじゃねえか」

 すかさず後ろから、どこかで聞いた声がツッコミを入れた。声の方に視線を向けると、店の端で樽ジョッキを持った赤髪の男が怪訝そうな表情で座っていた。あのやる気のなさそうな目は酒場で出会ったウォルムである。まさか昼間からはしご酒してるのか。

「バカヤローお前。お前が野宿すれば白様の純潔を守れるんだぞ。どこにも穴のない完璧なプランだろうが」

「それが赤様ならトオルを叩き潰してミンチにしてるとこだが、なんで俺が白様のために体張らなきゃいけねえんだよ」

 どちらにせよ部屋を明け渡す気はないらしい。クラウンも「その手があったか!」と手を叩いた。そんな手はない。勇者の命を何だと思っているのか。

「あ、あの、本当に私は大丈夫です」

「し、しかしですな」

「ですから、大丈夫ですよ! 透さんはとても信頼できる方ですから!」

 たった一日旅しただけなのにこの信頼である。さすが信頼できる男は違う。もちろんこの信頼とは、何かできる度胸もないというヘタレに対しての信頼である。悲しい。

「……わかりました。白様がそこまで言うなら、信じましょう」

 クラウンは溜息をついてカウンターを振り返った。

「おい、リリー。カギ持ってきてくれ」

 クラウンが声をかけると、カウンターからメイド服を着た銀髪の女性が苦笑いで現れた。

「はいどうぞ。パパ、相変わらず白様には過保護だよね。実の娘より大事にしてるんじゃない?」

「んなことねえよ。普通だ。俺は白様が心配で心配で仕方ないんだよ。それこそ実の娘と同じくらいな。心配しなくても、パパはお前のこともちゃんと思ってるぞ」

「いや、そんな心配全然してないんだけど」

 クラウンは受けとったカギを白に差し出した。

「それじゃあ白様、これをどうぞ。三階の角の部屋です」

「ありがとうございます!」

「それとくれぐれもお気を付けください。この変態に何かされそうになったら大声で叫んでください。すぐに駆けつけて、こいつをすり潰してペースト状にして森の肥やしにしてやりますから」

「で、ですから、大丈夫ですって……」

 苦笑いでカギを受け取る白を見ながら、透は寝込みには気を付けようと思った。


 カギを回して、簡素な木造のドアを開く。部屋は案外悪くなかった。決して広くはないが、キャッチボールくらいは支障なくできそうな充分な広さ。少し色味がかった白い壁には漆黒の燭台がかかっている。そこに質素なデザインの木製の文机と椅子、タンスにベッドが入っている。つまりここが白と透で一晩を過ごす部屋である。こういうコンセプトの部屋ですと言えば、透の世界でも結構客が取れそうである。

 透は部屋に入ると、ふらふらとベッドに倒れこんだ。

「だあぁ、もう動きたくないぃ、働きたくないぃ……」

 何やかんやと理由をつけてちょくちょく休憩を挟んだが、疲労はそう簡単に取れるものではない。ニート予備軍の透が一日でこれだけ歩いたのは、人生で初である。

「お疲れ様でした」

 白はベッドに突っ伏した透の足元に正座して、自身も歩き詰めであったにも関わらず、まず透を笑顔で労った。そんな白の健気な姿に、透はさすがに自分だけヘタレるわけにはいかず、緩慢に身を起こした。

「それでさっそく明日の予定なのですが、朝六時の鐘が鳴るころにホワイトを出たいと……」

「も、もう出るのか!?」

 が、結局ヘタレた。

「はい、そのつもりですが、何か問題が?」

「いや、問題っていうか、しかも六時って早くない?」

「ですが早めに出ないとすぐ日が落ちちゃいますよ?」

「いや、まあそうなんだけど……」

 白の言っていることはまったくの正論である。もうホワイトでは何の収穫も期待できない。なら明日にでも先に進むべきだろうし、暗くなればむやみに動けなくなるのだから早めに出るのも当然だ。

 そして何より根性のない透自身にはわかっていた。もしここで甘えが許されれば、何とかぎりぎりのラインで留まっているやる気が完全終了する。あらゆることが続いてこなかった透は過去の経験からそれがわかっていた。それでもヘタレたくなるのだからこの男は本当のろくでなしである。

「えっと、透さんが言うなら、明日は出発を見送りますが……」

 根性なしに一瞬でも優しさをちらつかせればヘタレ込むのは確実である。こんなところで足踏みしていいのか。また同じ過ちを繰り返すのかと葛藤なんかはしてみるが、結局何のストッパーにもならない。それは「一応迷いはしたんですよ」、という自己正当化以外の何物でもないのである。

 そして御多分に漏れず葛藤を始めた透は、ふと足元の白を見た。透の返答を待つ白は平静に見えるが、その顔に焦りと不安の色がうかがえるような気もする。妹たちが失踪したのだから、そりゃあ焦らないはずはないし、一刻も早く先に進みたいと思うのは当然である。

「……いや、行こう。やはり事態は一刻を争う」

 ぎりぎり人でなしではない心が何とか踏みとどまり、透は誘惑を断ち切った。

「本当に大丈夫ですか?」

「大丈夫だ。だからこれ以上俺の意思が揺るがないように優しい言葉をかけないでくれ」

「……わかりました。ありがとうございます」

 透の返答に、白はほっとしたように、小さな声で言った。

「それでは予定の続きなのですが……」

 と、白が話を続けようとしたとき、同時にドアがノックされた。

「ウォルムだ。お二人さん、ちょっといいか?」

 ドアの向こうから覇気のない声が聞こえた。

「あ、はい、今開けますので」

 白がドアを開けると、赤髪でやる気の感じられない目をした男が立っていた。

「どうされました、ウォルムさん?」

「ああ、昼間、旅に手を貸すって言っただろ? それでちょっと考えてな。ひとつだけ提案したいことがあるんだ。邪魔させてもらうぞ」

 ウォルムはずかずかと部屋に入ると椅子をベッドの前に引き、背もたれを肘かけにして座った。白も元の位置に戻ってまた正座した。

「それで、提案とは何でしょう?」

「旅のルートなんだが、次に行く場所は決めてるのか?」

「情報を集めるためにレッドへ行く予定ですが……」

 レッド。たしか酒場のマスターの話によれば隣町だったか。まあ主だった町を情報収集しながら周るというのは冒険の基本だろう。

「そんなところだろうと思った。しかしこのホワイトでいくらか情報収集してるなら、もう何となく気づいてると思うが、残念ながら市民は藍様と紫様がいなくなったことも知らない。もちろんそれはレッドでも同じだ」

「で、ですが、他にどうしたいいのか……」

「そこでだ。トオル、ちょっと地図出せ」

「え? あ、はい」

 透はウォルムに言われたまま、ポーチから綺麗に折りたたまれた紙を取り出してベッドに広げた。セピア色に褪せた紙面には黒のインクで複雑な模様と文字が描かれている。ほんやくしらたきの影響からか、透にも読むことができる。上部に「大陸地図」と書かれている。

「いいか、まずこの大陸の大きな町は、北を上にするとこうやって逆アーチ状にできてる。そして俺たちが今いるホワイトはここ。大陸東側の町だ」

 ウォルムは大陸の右上部分、「ホワイト」と書かれたポイントを指した。そしてその指を少しずつ左下にスライドさせていく。

「ここからずずっと南西へ向かってレッド。さらに南西のオレンジ、イエロー。グリーンで方向を変え北西へ。ブルー、インディゴ、パープル。こういうルートで周ることを想定しているんだろう。しかしこれらの町のほとんどで情報が集まることはなく、時間と労力を無駄にするだけだ。少しでも情報があるとするなら守護精霊がいなくなって直接的な被害を受けた町、インディゴとパープル。そこで俺は提案をしたい」

 言いながら、ウォルムはまた指をホワイトの上に持ってきた。そしてそこから大陸北西の町、インディゴへ、一直線に指をスライドさせた。

「ここからインディゴまで森を突っ切る」

「そ、それって道なき道を行くってことですか?」

 危険を予測して、透が質問した。言葉通り正規のルートを無視して森を突っ切るということならば、確実に道に迷う。

「別にそう言うわけじゃない。各地に村が点在していて、その間には村周りの行商人のために道ができてる。馬車が通れるような立派な道じゃないがな」

「ああ、そうなんですか」

「さらにインディゴまで行けば隣はパープル。パープルまで行けば船を出せて大陸以外にも行ける。どうだ、効率的なプランだろ?」

 なるほど、一理ある。白も感心したように「ほお」とうなった。

 たしかにホワイトでこれほどまでに収穫がないのだ。この先の町を周っても情報がある見込みはない。しかし直接影響が出ているというインディゴなら何かつかめる可能性は充分にあるし、それならあとは小学生でもわかる算数だ。同じ二点を結ぶ放物線と直線なら当然、直線の方が短い。

「まあ、とはいえ途中に宿駅なんかないし、村に着かなきゃ夜は確実に野宿になる。その点街道は人の手も結構入ってるし、猛獣とも遭遇しづらい。サバイバル能力に自信がないなら、安全に街道を進んだ方がいいかもな」

 つまり急がば回れということである。これもまた正論だ。より危険な道を選んで、途中で死んだり病気になったりしたら元も子もない。

「そこら辺はよく考えて決めた方がいい。これはあくまで提案だからな」

 よく考えろと言われても困る。透は何もかもが素人なのだから、サバイバル能力に自信などあるわけがない。第一ウォルム自身、危険はできる限り避けろと言っていた。先人の知恵として急がば周れというのはやはり的を射ているのだろう。

 しかし大陸という広さにおける放物線と直線の差はいかほどなのだろうか。こんな小さな地図でも町々は立派な逆アーチを描いており、この縮尺を戻せば途方もない長さになるだろう。ということは、単純に考えてインディゴにたどり着くまでの時間は大きく変わることになる。

 しかし白は深く考えることもなく、すぐに答えを出した。

「それなら、安全を選んだ方がいいに決まってます。透さんをこれ以上危険な目に遭わせるわけにはいきませんから」

 それを聞いたウォルムは少し考えると、椅子から立ち上がりドアへ向かって歩き出す。

「まあ、すぐに決める必要はない。朝までは時間があるんだ。ゆっくり考えるといい」

 そしてドアの前にたどり着くと、またタイミングよくノックが聞こえた。そして外から若い女性の、リリーの声がかかる。

「白様、トオルさん。晩ご飯の準備ができましたので、お好きな時に食堂に来てください」

「とりあえず腹ごしらえだ。腹が減っては何とやらだぜ」

 ウォルムは後ろを振り返ってそう言い、ドアに手をかけた。


 昼間は酒場として酒飲みのおっさんたちが占有していた一階は、夜になると夕食を提供する食堂として何人かの宿泊客がテーブルに着いていた。といっても結局酒飲みばかりなので、喧騒に変わりはないらしい。透と白にウォルムを加えた三人も丸テーブルに着き、食事が来るのを待っていた。ウォルムはすでに二杯目の酒をジョッキに注いでいた。ほとんど飲んでいる姿しか見たことない。

「はい、お待たせしました」

 しばらく待つと、奥のドアから出てきた銀髪メイドのリリーが、パンの乗った皿を三人の前に置いた。

「あ、私は食べなくて大丈夫ですよ。他の方に分けてあげてください」

 エネルギーを食事から摂取する必要がないという白は遠慮して言った。

「いえ、ぜひ食べていってください! 遠慮なさらないで! パパも喜びますから!」

「そうですよ、白様! 今日は腕によりをかけましたぜ!」

 同じく手にスープを持ったクラウンが現れた。

「なら、せっかくなのでいただきます」

「そうこなくちゃ! じゃあ今日のメインディッシュ、行きますよ!」

 白の返答を聞いたクラウンはテーブルにスープを置き、またドアに戻って颯爽と皿を抱えて戻ってきた。

「チャイノのステーキです!」

 白い皿にはどす黒い塊が乗っていた。鼻に来るブラックペッパーが振りかけてあり、ニンニクの利いたソースが別皿に入っている。傍らには爽やかなレモンが添えられていた。

 チャイノ、だと……?

 チャイノってあの、でかくて凶暴なあいつか。まさかあれだけ苦戦したあいつが、切られて焼かれて味付けされていようとは。しかし、うむ。苦戦しただけに生前の姿がはっきりと頭に浮かんでくる。そうだよな。みんな生きてたんだもんな。

「……あの、ウォルムさん。俺の分も食べてください」

「ん、いいのか? ラッキー」

 透がチャイノを差し出すと、ウォルムはつばでも付けるようにフォークを突き刺した。

「私の分も、よければどうぞ……」

「え? ありがたいけど、二人ともどうしたんだ……?」

「いや、何と言いますか、クラウンさんには申し訳ないんですけど、お肉はしばらくいいかなって……」

 白はうつむいたまま、パンをスープにつけて口に入れた。


 食事を終え、ついでに風呂にも入って部屋に戻った透は、ベッドの上で地図とにらめっこしていた。部屋にはリリーがつけたと思われる燭台の火が揺らめいている。

 穴が開く程に地図を凝視しても答えは出ない。いや普通に考えれば透は素人なのだから、白の言う通り安全を取るべきなのだろうが、しかし本当にそれでいいのかと言われれば微妙だ。

 かくして、正解のない問題を考えすぎた頭がついにオーバーヒートし、透が顔面からベッドに突っ伏した瞬間、突然ドアが開いた。

「邪魔するぞ、トオル」

「ノックもなしですか、ウォルムさん」

 入ってきたのは片手にジョッキを持った赤髪の男だった。

 ウォルムは食後、「商談がある」と言って透たちとわかれた。何でもこの宿の裏には大きな倉庫や馬小屋が完備されているらしく、ホワイトにやってきた行商人はここで品物のやり取りをするらしい。しかし裏から聞こえてきたのは奇声と音の外れまくった歌だったので、ただの酒盛りだったのだろう。

「さっきは白様がいたからな。ノックもしないで入るのは紳士として気が引けたが、トオルだけなら別にいいだろ」

 酒飲んでる姿しか見たことないこの人が紳士だったことはあっただろうか。

 ちなみに現在白はリリーに誘われ、入浴中である。この宿では男女で共同の浴槽を使うようで、時間差で入ることになる。男が先に入り、湯を張り替えてから女性の入浴時間になるということだ。

「それよりお前、まだ考えてんのか?」

 ウォルムは聞きながら、勝手に椅子を引いて座った。透は頭を上げて、また地図を眺めながら返答する。

「よく考えろって言ったのはウォルムさんじゃないですか」

「そうだったな。しかし、もうとっくに答えは出てそうなもんだがな」

「はあ、やっぱそうなんですかね」

 普通に考えれば、やはり先人の知恵に頼るべきか。

「お前が何を考えてるのかは知らんが、もっと単純に考えればいい。答えは案外単純なところにあるもんだぜ」

 ウォルムはそう言って、酒に口をつけた。

「ところで、どうしたんですか、ウォルムさん? 別に様子見に来たわけじゃないですよね?」

「当たり前だろ。誰がお前なんざ気遣う。ちょっと風呂に行こうと思ってな」

「何で男二人で風呂に行かなきゃいけないんですか……。俺そういう趣味ないっすよ……」

「ちげえよ。そんな趣味なくても風呂ぐらい普通に入るだろ。むしろいきなりそういう発想になるお前がやべえよ。だいたいもう男風呂の時間は終わっただろ。そうじゃなくて、白様は今どこにいるんだよ?」

「どこって、風呂ですけど……」

 そう言った瞬間、透は気づいた。この展開はつまり、一昔前のアニメの修学旅行回とかで稀に見る、あれである。

「……ま、まさか、定番のあれに行こうってんですか?」

「何の定番かは知らんが、そういうことだ。お前も気になるだろ? 女体の神秘」

 ウォルムの精神年齢は中学生だったらしい。何だよ、紳士ってそういう意味の紳士かよ。

「い、いやでも、それってどうなんですかね? こう、倫理的に? っていうか、何と言うか」

「倫理も何もあるかよ。冒険者に必要なのは豊かな好奇心だぞ」

「好奇心って……」

 透が渋っているのは、別に彼が誠実な男だからではない。彼はまごうことなき変態であるが、かと言ってそれを行動で示すほどに度胸がないだけである。何を隠そう彼はヘタレなのだ。平たく言えばむっつり。しかし、世の中にはこんな言葉がある。

「でもそこまで言うなら、仕方ないっすねえ」

 赤信号、みんなで渡れば怖くない。


 閑散とした一階の食堂を抜け出すと、外はすっかり暗くなっていた。月明かりが程よく辺りを照らしている。透とウォルムの二人はこそこそと、人目に注意しながら裏へと回る。行商人の残党が相変わらず倉庫でやかましく騒いでいる。

「クラウンさん、食堂で見かけなかったですけど、まさか外にいたりしないっすよね?」

「旦那なら二階の仕事部屋で帳簿をつけてるはずだ。下調べはちゃんとしてあるよ。おら、着いたぞ」

 風呂場の裏に到着し、二人は立ち止まった。白い壁の向こうから何やら楽しげな声が聞こえてくる。高い場所に一つだけある窓からは室内を照らす火の光と湯気が漏れ出ている。

 たしか食事中にはウォルムと同業の女性たちも結構見た。無論みんな美人だった。つまりこの壁を隔てた先でそんな美人たちが、もちろんリリーが、そして何より白が、肌を晒しているのだ。

「しかしウォルムさん、こっからどうするんですか?」

 透は辺りをきょろきょろしながら聞いた。見た限りでは窓という窓は一つしかない。それもかなり高いところにあり、登るにしても足場がない。しかしウォルムは不敵な笑みを浮かべたまま肩に担いでいた布袋を下ろした。

「ふっ、抜かりはない」

 そう言って布袋から取り出したのは、忍者が使うようなかぎ縄であった。つまりこれを窓にひっかけて登ろうということだ。必死すぎである。しかしそんなことは極度の興奮状態にある彼らにはどうでもいいことであった。

「さ、さすがっす、兄貴! さっさとやりましょう!」

「いざ行かん! 桃源郷へ!」

 かくしてウォルムがかぎ縄をぶんぶんと振り回し始めた瞬間。

「お前ら、ここで何してやがる」

 飛び切りの笑顔を浮かべた鬼の手が、二人の肩をギリギリと音を立てながら掴んでいた。

「よ、よう、旦那。奇遇だな、こんなところで。……何でここにいんの?」

「不穏な気配がして来てみたら、案の定変態が二人で気持ち悪く高笑いしてやがった。うちの大事な客……のことはこの際どうでもいいが、白様とリリーに手を出そうってんなら、許さねえぞ」

「いやいやちょっと待てよ、旦那。これは違うんだよ。なあ、兄弟」

「いや、僕は何も関係ないっす。ウォルムさんに勝手に連れてこられたんです。ていうか兄弟って何ですか。勝手に兄弟にしないでください。嫌ですよ、僕は。変態の兄弟なんて」

「あっ、お前、さっきは兄貴とか呼んでたじゃねえか! 適当なこと言って自分だけ助かろうとすんじゃ……」

「詳しい話は中で聞こうか。変態ども」

「はい」

 赤信号は、何人で渡ろうが赤信号である。


「旦那! こりゃあんまりだぜ!」

「がたがた騒ぐな変態! もはやてめえらに人権はねえ!」

 明々と火を灯した三階の廊下。毛布に包まれ、縄で簀巻きにされたウォルムの叫びは、クラウンの怒鳴り声に一喝された。

「あの、透さんとウォルムさんはなぜ簀巻きにされているのでしょう?」

 部屋の前で枕を抱える白は、簀巻きにされた透の横にしゃがんで尋ねた。透はもはや抵抗する気もないのか、「すいません、すいません……」とうわごとのようにつぶやきながら、しくしくと泣いていた。

「白様、こんな変態どもと話しちゃいけませんよ。何されるかわかりませんからね」

「で、ですが……」

「いいんだ、白。俺は取り返しのつかないことをしてしまった。未遂とはいえ、俺のしようとしたことは立派な犯罪だ」

 よほどこってり絞られたらしい。透はすっかり反省した様子で言った。

「主犯格はウォルムさんであり、つまりほとんどの責任はウォルムさんにあるとはいえ、許されることではない」

「お前、この期に及んでまだ俺に責任擦り付けようとしてんの?」

 あまり反省はしてなかったらしい。

「おう、朝までしっかり反省しろよ。もし白様に変なことしようとしたら、ただじゃおかないからな。それじゃあ白様、おやすみなさい」

「お、おやすみなさい……」

 クラウンは白にだけ挨拶すると、階段を降りて行ってしまった。クラウンの背中を見送って、白は小さな声で透に話しかけた。

「あの、このままでよろしいのでしょうか?」

「気にするな。白は部屋に戻ってゆっくり寝てくれ」

「そう、ですか……。透さんがそう言うなら、そうさせていただきます。おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

 白はぺこりと頭を下げると申し訳なさそうな表情をしながら、「俺はよろしくない! 俺はよろしくない!」と連呼するウォルムを無視して明かりの消えた部屋に入った。廊下には憐れな芋虫が二匹残された。

「それじゃあ、俺もさっさと寝ますんで」

 結局、白と同じ部屋で一晩を過ごすことは叶わなかったが、今回は仕方あるまい。目先の誘惑に負けた己が悪いのだ。透はそう心に言い聞かせながら目を閉じた。

「ああ、ちょっと待て。聞きたいことがあるんだが」

 が、そんな透にウォルムが待ったをかけた。透は怪訝そうな声音で聞き返す。

「……なんすか?」

「お前、何か俺にだけ当たり強くない……?」

「そんなことないっすよ」

「まあいいや。それで聞きたいことってのは、行く先はもう決めたのかってことだ」

「ああ、いや、それどころじゃなかったんで特に決めてないですけど、たぶんレッドに行くことになると思います」

「そうか、妥当な判断だな」

 そう、単純に考えればいいのである。素人の冒険者がわざわざ無理をする必要はない。急がば回れは、やはり正しいのである。それなのに何を迷っていたのだろうか。

「とすると、レッドまでは俺と同じか」

「そうなんですか?」

「ああ、俺も明日、六時の鐘のころに出発してレッドに向かうつもりだ」

 ということはつまり、昼間の酒場では拒否されたが、結局一緒に旅をすることになったわけか。思った通りめんどくさそうな性格だが、やっぱり博識で旅慣れたウォルムの加入は心強い。

「じゃあまあ、いろいろありましたけど、これからもしばらく、よろしくお願いします」

「ああ、こちらこそな」

 二人はそれだけ言って、沈黙した。

 と、しばらく静寂が続くと、不意に部屋の扉が静かな音を立てて開いた。

「あの、透さん」

「どうした、白?」

 先程同様、枕を抱えた白が、眠たそうな目をこすりながら現れた。白は膝を立ててしゃがみこみ、答える。

「はい、やはり勇者様を廊下に寝かせるわけにはいかないと思いまして」

「も、もしかして……」

 この流れはあれである。諦めかけていた白との一夜が実現する可能性が……!

「はい、私が廊下に寝ますので、透さんはどうぞ部屋でゆっくりおやすみください」

「いや、違うでしょ」

 即答だった。

「……違うんですか?」

「いや、違くはない、のか? いや、やっぱり違うでしょ」

 親戚でもない幼女と同じ部屋で眠るというのはまあ倫理的にはまずいかもしれないが、流れとしてはやっぱり間違っている。

「それで白が廊下で寝たら元も子もないだろ?」

「そうなんですか? では、そうですね。……私も一緒によろしいでしょうか?」

 白は不安そうに、若干顔を赤らめながら聞いた。こんなかわいい娘に誘われて渋るような男はいるのだろうか。もちろん透の答えは決まっていた。

「あ、ああ、いいぞ」

「ありがとうございます。では縄を解きますので、ちょっとじっとしていてください」

 白はほっとしたように返事をすると、縄に手をかけた。その様子を見てウォルムが騒ぎ出す。

「おい、勝手に盛り上がってんじゃねえよ! お前だけ助かるとかずるいぞ! って、いや、そうじゃなくて、とりあえず俺の縄も解いてくれません?」

「とのことですが、どうしましょう?」

 晴れて自由の身になった透は大きく伸びをしながら、白の質問に答える。

「ほっといていいんじゃないか? ウォルムさんがあんなこと言わなければ、俺は最初からこうなってなかったわけだし」

「いや、お前が乗った時点でお前の責任だからね。人に責任擦り付けるの止めてね」

「ところでお二人はなぜクラウンさんに怒られていたのですか?」

「白は知らなくていいことだ」

「白様は知らなくていいことだ」

「へ? あ、はい、すみません」

 ここだけシンクロして答えた二人に気圧され、白はこれ以上の追及を止めた。

「いろいろ協力してやっただろ!? このくらい助けてくれていいじゃねえか!」

「そうですよ。それにこのままだとかわいそうです」

「……わかりました。解きますよ」

 白のやさしさに免じて、透はウォルムの縄を渋々と解いた。

「いやあ、助かったぜ」

 縄を解かれたウォルムは透同様に体を伸ばした。

「じゃ、俺は部屋で飲み直すからよ。また明日な。ガキどもはさっさと寝ろよ」

 まだ飲むのかよ。と、透は心の中でツッコんだ。

「では、また明日。行こう、白」

「はい。ウォルムさん、おやすみなさい」

 白がドアを開き、二人は部屋に入った。背後から叫び声が聞こえた。

「あれ、開かねえ!? まさか旦那、カギ閉めやがった! 冗談じゃねえ、助かったと思ったら結局、部屋なしかよ! いや、別に部屋はいいから酒をくれえ!」

 聞かなかったことにした。

 部屋の中は窓から差す月明かりだけが頼りだった。それでも案外明るく、ベッドの位置はちゃんと把握できる。

 二人はすすっとベッドの前まで歩いた。透は何だかドキドキしながら、気まずそうに窓を向いた。深夜、若い男女が同じ部屋で二人きり。さらにそこにはシングルのベッドが一つだけ。否が応でも高まる期待。程よく照らす月光があまりにいい雰囲気を醸し出していた。

 そんな空気を感じ取ったのか、白も何だかもじもじしだす。そして言いづらそうに、控えめな声で言った。

「では私が床で寝ますので、透さんはベッドをお使いください」

「いや、違うでしょ」

 即答だった。

「……違うんですか?」

「いや、違くはない、のか? いや、やっぱり違うでしょ。……俺が間違ってたね」

 こればっかりはさすがに透の思考が間違っている。調子乗りすぎである。幼女に何を期待していたのか。

「女の子を床に寝かせるわけにはいかないからな。白がベッドで寝てくれ」

「ですが、それでは透さんが……」

「俺は大丈夫だよ。毛布でもしいてりゃ寝られる」

 そう言うと、透は自分を簀巻きにしていた毛布をベッドの足元にしいて寝転がった。

「すみません。では、お言葉に甘えさせていただきます」

 白は申し訳なさそうに、しずしずとベッドに横たわった。

「それでは透さん、今度こそ、おやすみなさい」

「おやすみ」

 透は白に二度目の挨拶をし、目を閉じた。

 ……さて、目を閉じたはいいが、このままの状態で一体どれほどの時間がすぎただろうか。体感としては一時間くらいすぎている気がする。が、しかしこういう場合、実は十分くらいしか進んでいなかったりするものである。端的に言うと、透は眠れなかった。

 理由は実に簡単で、つまり透はロリコンなのである。そうじゃなくても、女の子と挨拶以上の接触などしたことがない透である。こんな美幼女と同じ部屋で一夜を明かすなど、とても落ち着いて眠りにつける状況ではない。体は疲れているし、前回の睡眠時間だって少ないから眠いはずなのに、頭がフル回転で煩悩を生成していく。煩悩を振り払おうと固く目をつぶると、余計に力が入って眠れなくなっていく。透は不眠のスパイラルに突入していた。

 何だかまぶたが熱くなってきたので、透はうっすらと目を開けてみることにした。淡い月明かりでぼんやりと見える先には、高くそびえる布の壁。このベッドの上に白が眠っているのである。きっと天使のような寝顔なのだろう。結局また一つ、透の頭に煩悩が生成された。

「あの、透さん、起きていますか?」

「ふぉ!?」

 と、そんな透の思考を見透かしたかのようなタイミングで、ベッドの上から声がかかった。

「お、おう、起きてるぜ」

「もし起こしてしまったようなら、すみません。何だか眠れなくて……」

 白も眠れなかったらしい。もしや白も意識してくれているのだろうか。これは、意外と脈ありなのかもしれん。

「私たち色の精霊は光のエネルギーで活動しています。なのでその補給が少なくなる暗い場所ではすぐ眠くなってしまうんです。ですが、最近眠れなくなってしまって……。すごく眠いのに、目が冴えてしまうんです。しばらくして貯めた光のエネルギーがそこを尽きてくれば、いつの間にか寝ているのですが、何だかこの起きている間がずっと辛くて、怖くて……」

 透を意識しているだとか、そんな呑気な理由のわけがなかった。もうわかっていたはずのことである。大切な妹が失踪した不安は、透には計り知れない。

「すみません。変ですよね、いきなりこんな話して。忘れてください」

 ベッドの上で寝がえりを打ったらしい、布団のこすれる音が聞こえた。白の姿は見えないが、泣いていることだけはわかった。

 そう、単純に考えればいいのである。なぜリスクの低いルートが妥当な選択だとわかっていながら、最後まで迷っていたのか。なぜウォルムの提案を、最後まで選択肢として残していたのか。白の不安と焦り。それをわかっているからこそ、藍と紫に少しでも近づける手がかりを、少しでも早く手に入れたかったのである。

「白」

「……何でしょう?」

 平静を装ってそう聞き返す白に、透は答える。

「明日、インディゴに向かおうと思う」

「そ、それはつまり、ウォルムさんの提案を取るということですか?」

 また寝返りを打った音が聞こえた。おそらく今度は、驚いてこちら側を向いたのだろう。

「そういうことだな」

「ですが、危険では……?」

「大丈夫だろ。素人とはいえ、俺は女神に天命を授かった勇者だからな。たしか天命を果たすまでは、俺が死ぬことはないんだろ?」

「そう、ですが……」

 天命と言っても単なるおまじないらしいが、レイナを慕っている白には充分に説得力があったのだろう。もうひと押しである。

「まあ、なんとかなるだろ。心配する必要ない。早いとこ終わらせて、もとの世界に帰してもらわなきゃいけないしな」

「……ありがとうございます」

 小さくお礼を言って、白はまた寝返りを打った。透は静かに目をつぶり、心の中で言った。

 ああ、またかっこつけちゃったな。


 瞼の裏に明るい陽射しを感じた。朝である。昨晩は恥ずかしさとかもろもろの理由でしばらく寝付けなかったが、やはりあれだけ疲労した晩である。いつの間にか眠っていたらしい。

 さて、今が何時かはわからないが、今日は六時の鐘がなるころにこのホワイトを出発してインディゴを目指さなくてはならない。つまりそれまでにあらゆる準備を終わらせなくてはならない。起きるなら早い方がいいだろう。

 透は二度寝したい気持ちを抑え、緩慢に目を開けた。

 天使の寝顔があった。

 なぜだ。なぜベッドで寝ていたはずの白の寝顔が目の前にあるのだ。もしや寝相か。ベッドから落ちてきたのか。しかしそれならさすがに起きてもよさそうなものだが。

 いや待て、この際なぜ白がここにいるのかは気にするな。問題は、美幼女が目の前で無防備な寝顔を晒して眠っているという、この状況である。これは非常にまずい。なにがまずいって俺の理性がまずい。あとクラウンさんが起こしに来るそうなので見られるとまずい。

 しかし何ともこれは、もうしばらく見ていたい感じである。昨日も朝目覚めると、なぜか美幼女が同じベッドで眠っていた。しかしそのときは後ろを向いていたので寝顔を見ることは叶わなかったし、なによりこんな間近で観察することはできなかった。

 透き通るような白い肌とさらさらの銀髪が目を引き付けて離さない。心なしか甘い香りまでしてくる。これはよもや俺のロリコン魂が引き付けられているわけではあるまい。男なら自然な反応。父性本能が成せる技なのではあるまいか。

 とにかく透は、この場から離れられずにいた。が、しかし、時間とは必ず進むものである。それも楽しい時間ほど早く。

「白様、朝ですよお。……あれ、トオルがいねえ!?」

「や、やべえ」

 廊下からクラウンの声が聞こえ、透は我に返った。幸福の絶頂から絶望の深淵までまっさかさまである。

「おはよう、旦那。トオルなら部屋にいるぞ。夜這い仕掛けてくるとか何だとか息巻いてた」

「な、何だと!?」

 適当なこと言われて状況が悪化した。戦友は大切にしようと、透は心に誓った。

 しかしどうする。このままでは見つかってしまう。窓から逃げるか。だがここは三階だし、それは危険だ。逃げ道はないとすると、せめてこれ以上事態を悪化させることだけは避けるべきか。少なくともウォルムの言った嘘は否定せねばならない。同じ毛布に寝ているこの状況はさらなる誤解を生みそうである。とりあえずベッドに戻さねば。

 と、一瞬の間に考えの至った透が白を抱きかかえようとした瞬間、案の定というべきか。ドアが勢いよく開いた。

「白様、ご無事ですか!?」

「あ」

 無防備な寝顔をさらす無防備な幼女を、童貞っぽい変態野郎が抱こうとする図。

 これはもはや言い逃れできない。完全に黒である。何にもしてないのに。ドアの向こうでウォルムが笑いをこらえていた。

「……ゆうべはお楽しみだったようだな」

「い、いや、とりあえず落ち着きましょう! 話せば、話せばわかり……!」

「消えろ、変態野郎!」

 今朝の鶏は、悲痛に鳴いたという。


「いってえ……」

 透はズキズキと痛む頭頂部を押さえ、半泣きになりながらつぶやいた。見事にたんこぶが出来上がって、触るとちょっとだけ盛り上がっている感じがわかる。

「透さん、大丈夫ですか? もう少し冷やしておいた方がいいのでは……?」

 白は精一杯背伸びして、心配そうに透の頭を撫でた。透はさりげなく自分の手をおろし、腰をかがめて白のなでなでに甘んじた。

「お、おう、大丈夫だぞ」

「はん、一日歩いただけで筋肉痛になるとは、情けない。お前みたいなのが勇者とは、本当に嘆かわしいよ」

「へえ、頭って筋肉痛になるんですね。初めて知りました」

 厭味ったらしく言うクラウンに、透は厭味ったらしく答えた。たしかに体中の筋肉は悲鳴をあげているみたいに痛むが、そんなものもかすむくらいあの一撃は痛かった。

 起床後、旅の準備を終わらせた勇者一向は、ホワイトの東門を出て市壁の外にいた。クラウンはその見送りである。門に控える二人の門番は白の出立に泣きながら敬礼していた。

 目の前の道は二手に分かれており、門正面の道がレッド、右手の道が隣村に続いている。

 だるそうに馬車の傍らで手綱を握ったウォルムは、透と違っておでこの付近を押さえている。

「ああ、俺も超頭いてえ。筋肉痛やべえ」

「お前は二日酔いだろ。昨日の朝着いたと思ったらすぐ、はしご酒とか、アホの極みだな」

「何日も歩き詰めで、到着しても翌日すぐ出発なんて、飲まなきゃやってらんねえよ」

「歩き詰めだったのは馬だけどな」

「馬車に揺られるのも大変なんだよ。ああぁ、ほんっと頭いてえ……」

 ウォルムは馬の背中を撫でながら、しんどそうに上を向いた。そんなウォルムに、透は真面目な顔で話しかける。

「ウォルムさん、ちょっといいですか?」

「ん、何だ?」

「昨日、たぶんレッドに行くって言いましたけど、インディゴに向かうことにしました」

「ああ、そうか。やっぱりな」

「え、やっぱりって?」

「安全な道を選んだ方がいい、なんてのは誰が考えても明らかだからな。だからこそ妥当な判断だ。それなのに迷うってことは、実は心の底では行きたい道がもう決まってる。それなら遅かれ早かれ、行きたい方を選ぶと思ってたよ。何せお前は、レイナ様に選ばれた勇者だからな」

 ウォルムには最初からわかっていたらしい。そう言えばウォルムは言っていた。もう答えはとっくに出てそうなもんだ、と。その時点から、いやおそらく、この提案をした時点からお見通しだったのだろう。やはりこの人は覇気のない見かけによらず、すごい人なのだ。

「ウォルムさん、やっぱり一緒に旅できませんかね?」

「無理だな。そっちの道じゃ狭すぎて、俺の馬車が通れねえ。行商人には行商人の、勇者には勇者の道と役目がある。お前の道は、こっちじゃないだろ?」

「そうですか。仕方ないですね」

「そう、仕方ねえ。幸運を祈ってるぞ。グッドラック」

 そう言って、ウォルムは馬車の御者台に乗り込むと。

「じゃあな、旦那」

 後ろ手に手を振って、振り向きもせずに馬を歩かせた。

「それじゃあ、俺たちも行くか」

「はい! クラウンさん、お世話になりました!」

 白は元気に返事をすると、クラウンに向き直ってぺこりと頭を下げた。

「こちらこそ、白様。またいつでも来てください。お待ちしてますよ」

「それでは、クラウンさん」

「おう。白様の足、引っ張んじゃねえぞ、勇者様」

「わかってますよ。行くぞ、白」

「はい!」

 二人はホワイトに背を向け、歩き出した。出立を告げる鐘が、空に木霊した。


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