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 重い。

 深い深い闇の中、()(いろ)(とおる)は腹部を圧迫する重みに気が付いた。固いベッドがきしきしと音を立てている。まあ、もともと古いものなので前からやばい音はしていたが。しかしこの体の重みは本物である。

 たしかに昨夜は、一般的にみれば夜更かしをしていた。とは言っても日曜の早朝四時、いや土曜深夜二十八時に床に就くことぐらい、透にとってもはや日常である。そしてその後の睡眠は、三回の昼寝を含めてたっぷり取っている。むしろ寝すぎているくらいで、明らかに寝不足からくる体のだるさとかではない。腹部を物理的に圧迫しているのだ。

 だとすると、考えられる原因は何だろうか。透は瞼を開けず、闇の中で思考を巡らせた。

 重いと言っても、実はそんなに重量は感じない。一キロもないような、かなり軽めのダンベルくらいだから、腹の上にあってもあまり苦しくはない。しかし残念ながら、彼に寝ながら筋トレをする趣味はない。そもそもダンベルなんて持ってないし、部屋にある重いものと言えばパソコンか据え置きのゲーム機くらい。もちろんそれらの扱いには細心の注意を払っているため、たとえ寝ぼけてもベッドの中に持ち込むなどという愚行はしない。漫画やラノベの類も傷付けないよう慎重に扱っている。

 つまりこの腹部に乗っている物体は、外から独りでにやってきた何か。

 そこまで勘繰り、透は身震いした。

 昨夜。いや、すでに今朝だったかもしれないが、とにかくそれくらいの時間。パソコンの画面のみが明かりを灯す部屋の中、暇つぶしにネットの荒波を乗り回していると、とある動画が彼の目に留まった。ここで詳しく語るつもりはないが、いわゆるホラー系というやつである。

 夏だし梅雨だし、ちょうど雨も降っていたので雰囲気はとてもあったが、もちろんそのときは真に受けることなどなかった。笑い飛ばしてすぐに日課の二次元美少女画像漁りに移行した。

 しかしこの状況。笑い飛ばすことはできない。もはや考えられることなど限られている。というか、すでに思考は支配されていた。奴らしかいない、と。別に妖怪が見えるようになる腕時計は持っていないが、透は勘付いていた。

 この手の話で、奴らの正体を確認してはいけない。たいてい目を開けて毛布をめくると、一瞬のタイムラグの後に、ヤられる。わざわざ一瞬待って、こちらを怖がらせてから、ヤる。お決まりである。

 しかしこの状況を狸寝入りでやり過ごす、なんてことは、とてもじゃないができない。自分とかけ布団の間にある違和感。これはどうしても自分の目で確かめたくなる。

 なので透も数秒の葛藤の後に決意する。そして、かけ布団に手をかける。勝負は一瞬。めくると同時に目を開き、奴に認識されないうちにかけ布団を戻す。これしかない。

 透は何度か頭の中でシミュレーションをし、そしてついに実行する。

 腹の上に、女の子が乗っていた。

「お、おう?」

 透はシミュレーションのことなどすっかり忘れ、間抜けな声を発した。

 顔は後ろを向いていて見えないが、全体的に小柄でかわいらしい。カーテンを透かして入る日差しが白いワンピースを輝かせ、露出した両肩はシルクのように白く美しい。背中からは同じく白い小さな、天使のような羽が生えており、長く伸びた銀髪が狭いベッドから少し垂れている。そんな天使のような少女が、透の腹を枕に、すうすうと寝息を立てて丸まっていた。

 透は固まった。

 何だこれは。中学生くらいだろうか。いや、もう少し小さい。小学校高学年くらい。とにかくそれくらいの小さな少女が同じベッドで寝ているだと? 何この、事後っぽい感じ。何と言うご褒美! って、そうじゃない。何でこんな小さな娘が一緒に寝ているのだ。たしかに俺はロリコンだが、犯罪をする勇気はない。いや、勇気とかの問題じゃないが。この少女、いや女の子という確証はないが。でもこれで男の子だったらそれはそれで……。

 すでに透の頭の中は煩悩で支配されていた。もはやどこから来たのかなどは、どうでもよくなっている。何か羽とかも生えてるけど、それもさした問題ではないらしい。なかなかクレイジーな思考回路だ。とはいえ当然、何かしらの行為に及ぶことができるような人間ではない。思考は多少クレイジーでも害はない。比較的安全な部類の変態だ。

「ん……」

 そんな調子で少女を眺めていると、とうとう少女が目覚める。少女はかわいらしい声を発してゆっくりと顔を上げ、そして眠り目をこすりながら顔を回した。

 やばい。

 透は我に返った。煩悩はすぐさま吹き飛び、一気に嫌な汗が流れだす。

 このままこの少女がこちらを向いた瞬間に、大声でも出されたらお終いだ。親の部屋もリビングも一階にある。この部屋は二階だから離れてはいるが、さすがに悲鳴は聞こえるはず。

 この状況はまずい。部屋に引きこもりがちなオタク気質の高校生男子が、いたいけな少女を部屋に連れ込み同じベッドに入っているという状況は、あまりにも危険だ。連れ込んだ覚えなど一切ないが、どう考えても世間は信じない。何にもした覚えはないのに性犯罪者の烙印を押されてしまうのは自明の理。

 ならば、まずはとりあえず彼女に落ち着いてもらい、その後ゆっくり二人で、できる限り穏便に話し合うべきではないか。

「ふあっ!?」

 少女が透に気づき、驚く。透は反射的に彼女の口を押さえようと身を起こした。しかし手は彼女に触れようとした瞬間、むなしく空を切る。彼女が驚いた拍子にベッドから転げ落ちてしまったのだ。

「きゃうっ!?」

 短い悲鳴が聞こえた。透は手を空中でぶらぶらさせたまま、また固まった。

「あ、あの、大丈夫……?」

 我に返り、とりあえずベッドの上から声をかける。少女は目の端に涙を浮かべ、「いたた……」とつぶやきながら尻をさすっていた。

 ようやく顔を拝むことができたが、予想通りかわいい。もはや後ろ姿から反則であったが、顔はもっと反則だった。小さな顔に大きな瞳、白い肌。華奢な体と相まって、まさしく人形のごとく完成された造形。これほど銀髪の似合う少女がリアルにいるのか。いや、もしや彼女は本当にこの世の、リアルの存在ではないのではないか。そんなことを思わせるほどだった。

「う、うえ!? あ、す、すみません!」

 少女が透に気づき、その場で慌てて正座をした。

「あ、あの、お恥ずかしいところをお見せしてごめんなさい。桧色透さん、ですよね?」

「え、ああ、はい。そうですが……」

 透は何が何だかわからず、とりあえず名前を呼ばれたので返事をした。

「そうですか! よかったあ、お会いできて!」

 返事を聞いた少女はすぐに無邪気な笑顔を向けた。彼女の太陽のごとく光輝く笑顔は、透をまた見とれさせた。彼女にかかればアイドルなどは敵じゃない。今話題の子役だって敵じゃない。完封である。

「あ、あの、私の顔に何か付いてますか?」

「え、あ、いや、何でもないよ! 何でもない!」

 今度は不安げな表情で聞いてきた少女に、狼狽しながら答えた。何と表情豊かな女の子だろう。不安げな表情すらかわいい。透はすでに彼女の虜であった。さっきちらっと見た時計が六時を指していたので、睡眠時間たったの二時間と寝不足なのだが、そんなことも吹き飛ぶほどに彼女はかわいらしかった。

 キョドっていた透は、キョドりながらも何か話をしなければと思い、とりあえず頭にあった質問をした。

「と、ところで、君は何でここにいるんだい!? ……あ」

 そして一瞬で後悔する。しまった。この話を蒸し返してはいけなかった。何だかわからないがいい感じで話がそれていたのに、こんなタイミングで話を戻せば有無を言わさず叫ばれてしまう。そうなれば、穏便には済まない。

「あ、ちょっ、今のなし! じゃなくて、一旦落ち着こう! 話せばわかる!」

 透は焦った。しかし少女は叫ぶこともなければ、泣くことすらない。普通なら朝起きて目の前に全然知らん男の顔があれば怖いと思うのだが、少女は明るい声で答えた。

「はい! 透さん、私と一緒に冒険に出ましょう!」

「ぼ、冒険……?」

「はい!」

 少女は元気よくうなずいた。その顔には一切怖がっている気配はない。別に冗談を言うような場面でもない。もちろん透にその少女との面識はない。それは少女だって同じはずである。

 いや、待てよ。

 思考を巡らせる中、透はあることに気づいた。テンパっていたために見逃していたある事実。

 なぜこの娘は俺の名前を知っているんだ?

 少女は透の名前を呼び、本人であるか確認していた。もちろんその前の時点で自己紹介はしていない。とすると彼女は最初から透のことを知っていたということである。

「あの、そう言えば何で俺の名前知ってるの?」

「あ、そうですよね。申し遅れていました」

 少女はそう言うとわざとらしく咳払いをし、自己紹介を始めた。

「私は光の女神レイナ様に遣わされ、透さんを迎えに参りました色の精霊、(しろ)と申します! 不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします!」

 自らを白と名乗る少女はそう言うと、三つ指をついて深々と頭を下げた。

 光の女神? 俺を迎えにきた? 精霊?

 予想外すぎる答えに透の脳みそはフリーズした。透自身「生き別れの妹」、くらいのことは想像していたし、それならそれでこの変態はもろ手を挙げて喜ぶつもりであった。しかしこれは斜め上を行き過ぎている。

 一般人からすれば朝目覚めると生き別れの妹が同じベッドに寝ている時点でだいぶ無理のある設定なのに、こんなファンタジーな展開は誰が予想できようか。

 少女、白は混乱する透を尻目に、説明を続ける。

「実は私たちの住む光の世界では今、大変なことが起きています。私と同じ色の精霊、(あい)(むらさき)がどこかへ失踪してしまったんです。私たち精霊はそれぞれ対応する色をつかさどっています。そして精霊がいなくなると、透さんの世界からもその色が消えてしまいます。それは世界の崩壊にもつながってしまうのです」

 聞けば聞くほど理解が追いつかなくなる。そしてついに透の脳みそは複雑な演算をやめ、極単純な回答を導き出す。

 ああ、夢か。

 当然の答えだ。もはやそれ以外の解はない。夢オチである。

 夢なら説明もつく。夢だからこそ、目覚めると同じベッドに女の子が寝ていても不思議じゃないし、さらにその娘もこんなにかわいいのである。逆にこんなかわいい娘がリアルにいるわけないのだ。

 おそらく寝る直前まで銀髪幼女画像をあさっていたのが原因だろう。これほどかわいい娘とは、さすがは俺の夢。なら今夜は金髪ツインテール幼女画像を漁るか。

 そんなことを考えながら、透は白の話を聞き流していた。

「二人を捜索するため、レイナ様は占術を使って勇者を探しました。その結果、透さんが選ばれたのです。……あの、透さん、聞いてますか?」

「え、ああ、はい、聞いてるんだぜ!」

 白にジト目でにらまれ、透は慌てて答えた。しかし内容の半分以上は透の頭に入っていない。ぎりぎり覚えているのは、ファンタジックな事情により世界がやばいので、それを解決する勇者になぜか知らんが選ばれたということだ。つまりそういう設定の夢である。ちゃっちいアニメみたいで、実にアニメしか見たことないオタク高校生らしい設定だ。

「あの、もしかして信じてません?」

「いや、信じてるよ。信じてる」

 透はせっかくこんな美少女が夢に出てきてくれたのだから、とことんまで楽しもうと、心にもないことを言った。そんな透の言葉を聞き、白はしばらく透の顔を無言で見つめた。そしてすっと立ち上がると、いきなり透の手首をつかんだ。

「透さん、ちょっと来てください」

「な!? く、来るってどこに!?」

 女の子に触れられるなどという耐性がまったく付いてない透は狼狽した。でも嫌な気持ちはしないのでさして抵抗はせず、白に導かれるままにベッドから立ち上がる。

「まだ透さんが信じてくれてないようなので、事実だという証拠を見せようかと」

 透の本心は顔に出ていたようで、信じていないことは簡単に見透かされていた。

「い、いや、だから信じてないわけじゃないよ!」

「いえ、突然なので信じられないのも当然だと思います」

 言いながら白は透を連れて歩き、外界からの光を差すカーテンの前で止まった。

「え、ベランダ?」

 透の疑問には答えず、白はカーテンに手をかけた。そして勢いをつけ、ばっと開け放つ。

「ぬお!? まぶしい!」

 睡眠時間、二時間の目に大量の太陽光が飛び込み、透は思わず腕で目を覆う。ようやく光に目が慣れると、ベランダの手すり壁の上に青空が広がっていた。昨晩は夜通し雨が降っていたが、すっかり止んだようだ。彼方にはくっきりと虹も輝いていた。

 白はカーテンに続いて網戸を開けると、置いてあったサンダルをつっかけてベランダに出た。透も後に続き、サンダルを履く。空にかかった虹を見ながら、白が質問した。

「虹って、全部で何色か知ってますか?」

「七色だろ?」

「そうです。では、七色全部わかりますか?」

 透は指を折りながら、空で答える。

「ええと、赤、オレンジ、黄色、緑、青、紫……あと何だっけ?」

「青と紫の間の、藍色です」

「ああ、藍色か」

「はい。そしてもちろんそれらの色にも一人ずつ精霊が対応しています。虹の精霊たちはレイナ様に遣える精霊の中でも特に大きな力を持っていて、光の世界では敬意を持って神セブンと呼ばれています」

「なんか、すげえどっかで聞いたことある通称だな」

「精霊が消えると、透さんの世界でもその色がなくなると先程お話しましたが、神セブンはその予兆として、力が弱まるとまず虹に影響が出るのです。それでは、改めて虹の色を数えてみてください。藍と紫がいなくなったので、きっと五色に見えるはずです」

 透は遠くの虹に顔を向け、目を凝らした。

「赤、オレン……いや、黄色、青……。何か五色どころか三色くらいに見えるんだけど……」

「そ、そんなことはありません! 透さんの目が悪いだけです!」

「いやだって、ここからじゃ遠いし、色の境目も何か曖昧じゃないか?」

「えっと、じゃ、じゃあ、一番下の色を見てください! 本来は紫色ですが、今は違うはずです!」

 透はもう一度、今度は手すりに身を乗り出して目を凝らした。

「ん? あ、ああ。たしかに紫じゃなさそうだな。青だ。……たぶん」

 自信を持って紫ではないと言えないくらいには微妙な違いだった。

「そうなのです! このようにこちらの世界にも明確な影響が出ているのです! これで信じてくれましたか?」

 信じるも何も、夢の中なのだからこれくらいは起こって当然である。

「……まだ信じてくれないんですか?」

 どうやら透に嘘をつく才能はないようだ。ここまで見破られれば仕方ない。透は本当のことを言うことにした。

「信じてないっていうか、たぶんこれ言ったらお終いなんだけど、結局これって夢だろ?」

「夢!? 夢じゃないです! そんなこと思ってたんですか!?」

 しかし白はあくまで否定する。

「夢、じゃないですよね、これ……? え、あれ? もしかして、実はこれは私の夢? もしや透さんも私の夢に出てきた架空の人物……? それどころか今まで私が経験したこともすべて夢だったり……」

 終いには何だか哲学的なことをつぶやきだした。かわいいなあ。

「って、そんなわけないです! 透さんはちゃんと勇者に選ばれたんです! ……もういいです。無理やり連れてっちゃいます!」

 そう言うと白は、今度は透の手を握った。

「ぬあっ!? う、うお!?」

「レイナ様、お願いします!」

 慌てる透を無視して、白は天に向かって言った。するとどこからか現れた光が二人を包み始め、次第に透の視界を白く染めていく。光が透と白以外を真っ白に染め上げると、二人の体がふわっと浮き上がる。体が羽のように軽くなり、下からそよ風でも吹き抜けているように心地よい。

「な、なんだ……?」

 夢にしてはやけに感覚がリアルだ、と透は思った。

 しばらく無重力を感じていると、今度は白い世界が少しずつ薄れていく。ベランダからは見えなかったはずの、自然豊かな風景が目に入ってきた。そして外の風景が完全に現れると、体が重くなった。

「え……」

 透は嫌な予感がして、低い声で短くうなった。

「う、うおあ!?」

 空中で突然かかる重力に抗えるはずもなく、透はそのまま落下。その上、驚いた拍子に白の手も離してしまった。

「ごふっ!」

 透は顔面から地面にダイブした。幸い地面にはふかふかの芝が敷かれていたため、特にケガはしなかった。しかし高くはないが、低くもない。痛みだけ的確に与える絶妙な高さである。白は透に遅れてゆっくりと着地した。

「と、透さん、大丈夫ですか!?」

 すぐに駆け寄ってきた白に、透は涙をこらえて立ち上がりながら答えた。

「な、何とか生きてるよ。それより白は何でそんな安全に着地できたんだ?」

「すみません。本当は透さんも安全に降りられるはずなんですけど、おかしいですね……?」

 白は心配そうに言った。痛かったけど幼女に心配されたので結構うれしかった。

 あれ?

 しかし服についた芝を払いながら冷静になった透は、ある重大なことに気が付いた。先ほどの感覚である。

 そう、痛かったのである。夢なのに。

 夢の中では痛みを感じない、というのは漫画やアニメの世界では常識である。嬉しいことがあったときなんかに、夢じゃないか確認するために頬をつねるネタは定番だ。実際のところ本当に夢の中で痛みを感じないのかは知らないが、少なくとも透の認識では夢の中は痛みを感じないものなのである。

「……え、じゃあこれ、本当に夢じゃないの?」

「ようやく信じてくれましたか! 何で信じてくれたか、わかりませんが!」

 顔面を真っ青にしてつぶやいた透に、白が明るく反応した。

「はい! これは夢ではありません! 透さんは正真正銘、私たちを、世界を救う勇者に選ばれたのです! ようこそ、光の世界へ! そしてよろしくお願いします、勇者様!」

 辺りには虹色の花が咲き乱れている。空を見上げると、青い空と白い雲の間に五色の虹が無数にかかっている。そして正面には、雄大な白いローマ風の屋敷がそびえたっていた。

「まじで……?」

 透は目前に広がるファンタジックな風景に、つぶやくように聞き返した。


 屋敷の中は見た目通り広かった。いや、もはや広いという言葉ですら表せないくらい、べらぼうに広かった。扉がすげえある。廊下がたぶん戦車とか通れる。なぜ金持ちは広い家に住みたがるのか。無駄だろ、このスペース。真っ白な廊下を歩きながら、透はそんな疑問を抱いた。

「というか、何度も言うが無理だからな、勇者なんて」

 透は白の背中に言い放った。天使のような翼が、歩くたびに小さく揺れている。

 二人は、透を勇者に選んだという女神、レイナのもとに向かっていた。辺りには色とりどりの小さな光がふよふよと浮いていて、幻想的な雰囲気を醸し出している。

「俺なんてあれだぞ。ニート予備軍だぞ。RPGは死ぬ程やったけど、それだけだ。基本的にはへたれの根性なしの、ついでに根性なしだから廃人にもなれない程度のただのオタクだぞ」

 透は自分で言っていて傷つきながらも、自身のネガティブキャンペーンを続ける。

 失踪、ということはその中に当然、誘拐の可能性もあるわけである。つまり場合によってはリアルファイトにも発展しうるということだ。そうなったらただのオタクじゃ相手にならないのは明白である。

 また旅に出るということは、最低でも数日は部屋を開けるといことである。つまりその間アニメも見られなければゲームもできない。別にアニメを空気とし、ゲームを養分とするような世捨て人ではないが、オタクにとってそれらを取り上げられるのは、死ねと言われるのと同義なのである。もちろんそれで死を選ぶ覚悟など透にはないが。

 とはいえ、これだけ拒否しているのなら、そもそも屋敷に入らないで不動の姿勢を貫いていればよかったはずだ。それでも白に付いていったのは、あまりにリアリティのない事態のため、未だ状況を真剣にとらえてないからである。あと美少女の頼みだからというのが大きい。まったく男とは単純な生き物だ。

「そんなにご自分のことを卑下しないでください、透さん」

 白は急に立ち止まり、振り返って言った。

「透さんはちゃんとレイナ様の占術によって選ばれた勇者様なのです。どんな人であったかは関係ありません。私は信じています。透さんが、きっと藍と紫を見つけてくれると」

「……あんまり期待しない方がいいぞ」

 白にまっすぐ見つめられ、透は強く否定することができなかった。

 屋敷の中を数分歩き、ようやく白が立ち止まった。そこら中に浮いていた無数の光はいつの間にか消えている。

「透さん、着きました。ここが謁見の間です」

 白は大きな二枚扉の片方に手をかけた。

「注意しておきますが、レイナ様は藍と紫がいなくなった影響でお体を弱らせて、とても苦しんでおられます。なのでくれぐれも、丁重にお願いします」

 白はそう前置き、「レイナ様、失礼します」と言って、体重をかけて扉を開いた。その扉の先には。

「ごほっ、ごほっ。ああ、つらいわ。まじつらいわ」

 この屋敷にはあまりにも似合わぬ畳の敷かれた部屋。その中央に敷かれたせんべい布団の中で、こちらから顔を背けて寝た女神、と思しき人物がわざとらしく咳をしていた。

「ごほっ、ごほっ。何だろ、これ。頭とか超痛いし。ああ、つらいわ。何て言うか、超つらい」

 女神、と思しき人物はちらちらと顔を動かし、透の様子をうかがっている。

 すげえ、仮病っぽい……。

 透は困惑した。白曰く、レイナはとても苦しんでいるとのことだ。というからには病弱で体が弱っていて、しかし女神として心配をかけないために気丈にふるまう、みたいな状態を想像していた。いや、そんなドラマチックな状況じゃなくとも、せめて本当につらそうに荒い呼吸をしているとかなのだろうと思っていた。

 しかし現在透の目の前にいる女神と思しき人物は、とてもそんな風には見えない。さながら学校をさぼりたいがために、バレバレの演技をする小学生のようである。

「え、ええと、白さん、あの人……」

「えっと、あのお方が光の女神、レイナ様です……」

「や、やっぱりそうなのか……」

 透の見立て通り、あれがレイナであった。ちらちら見える顔はたしかにとてもかわいい。すごく美人である。女神という肩書にも一切負けてない。しかしなぜこんなにも残念な感じがするのだろう。

「……あれ、仮病じゃね?」

「ち、違います!」

 透がたまらず小さな声で聞くと、白は慌てて否定した。

「たしかにすごく仮病っぽく見えますが、本当はとても苦しいはずなんです! でもここで気丈にふるまって大丈夫と言えば逆に心配させる。ならあえて誇張して仮病っぽくすれば、私たちに余計な心配をさせないんじゃないか、というレイナ様なりの配慮です! レイナ様はとてもお優しい方なのできっとそうです! きっと……」

「ゆ、ユニークな方だね、レイナ様……」

 透は思わずめんどくさい奴だな、と言ってしまいそうになったのをこらえ、なんとかオブラートに包みこんだ。必死にフォローしようとしている感じの白がすごく辛そうに見える。

「それで、俺はどうツッコめばいいんだ?」

「さ、さあ……私にはまったく……」

「そうか。スルー安定か」

「よくわかりませんが、透さんが言うんならたぶんそうだと思います」

 二人はしばらく様子を見ることにした。

「ごほっ、ごほっ、けほっ。……こほん」

 レイナはしばらくわざとらしい咳を続けると、突然起き上がって今度は咳払いをした。

「さて、ふざけてないで本題に入りましょう」

「やっぱり、ふざけてたのか……」

 透はそう返しながら、本当にユニークな方だと思った。


 畳の部屋は幻覚だった。いや、何を言ってるのかわからないと思うが。

 先程まで畳の敷き詰められていた部屋は、虹色の宝石がついたロッドを突いた瞬間に、真っ白な石材の壁と床に変わった。二枚扉からはまっすぐに赤いじゅうたんが伸びており、その先には大理石っぽい石で作られた神聖そうな玉座まで隠れていた。

 護衛のナイトなどはいないが、それこそRPGでよく目にする謁見の間にふさわしい部屋である。いや、むしろ神殿と言った方が近い。

 原理はよくわかないが、それはもう幻覚であったとしか言いようがないほどに、一瞬で変化した。

 ただし布団だけは本物だったらしく、幻覚を解いた後にご自分でたたまれていた。白が代わりにたたもうとしたが、すねたような顔で拒んでいた。謁見の間の真ん中で布団をたたむその姿は、あまりにむなしかったという。

「こほん、それでは改めて自己紹介をしましょう。私はこの光の世界が主、そしてすべての色を創造した光の神、レイナ。よろしく、透」

 レイナはまた咳払いすると、粛々と自己紹介をした。しかし神聖な椅子に座すレイナの顔は少し赤く、神聖な印象も何だか俗っぽく感じる。一人でボケ続けていたのがよほど恥ずかしかったのだろう。

「はあ、どうも」

 透は気のこもっていない返事をした。しかし近くで見ると、やはり美人だ。さっきは布団に隠れていた首から下も女神の名に恥じぬスタイルである。上品な雰囲気で、白いドレスがとても似合っている。右手には先程幻覚を解いたときに使っていたロッドを握っている。その様はたしかに神々しい。

「突然呼んでごめんなさい。しかし事態は火急を要するの」

「ああ、その話ならもう白に聞いたぞ」

 透は自分の脇に立つ白をちらりと見やって答えた。視線に気づいた白は静かにうなずいた。

「そう。それなら話は早いわ。世界を救うために、失踪した藍と紫の捜索、お願いできるかしら?」

「無理」

 即答だった。

「……はい?」

 レイナは一瞬、言葉を失って、聞き返した。隣の白も驚いた顔をしている。

「だってよくよく考えたらやっぱ俺にリアルファイトは無理だろ。ただのオタクだぞ。それも漫画やラノベに出てくるような、ゲームを極めまくってて、ゲームの技術を応用して勝つ、なんて芸当もできない。ごく普通のダメ人間だぞ。もう初っ端でスライムにやられて死ぬ運命しか見えない」

「あなた、自分のことをよくもそんなに悪く言えるわね……」

 レイナはあきれたように言った。一瞬気の迷いで心が揺らいでも、いざとなればやっぱり怖気づく辺りが、たしかにごく普通のダメ人間である。ろくでなしとも言う。

「というわけで、家に帰してくれ。画面の中の嫁たちが俺の帰還を心待ちにしている」

「ダメよ。そんな理由で世界を終わらせていい訳ないわ。それに色がなくなるということは、あなただって困るはずよ。はい注目」

 そう言って、レイナはロッドで床をつついた。するとレイナの背後の壁が色づき始め、一枚の絵が姿を現す。

「おお!」

 壁に映し出されたのは金髪ツインテール幼女であった。頬を赤らめ、しっかりツンデレしている。

「そう、かわいい女の子です。しかしあなたが立ち上がらねば、こうなるかもしれません」

 レイナはまた床をつついた。

「な、なに!?」

 するとレイナの背後の金髪ツインテール幼女は、黒髪ツインテール幼女へと変わった。その黒髪も漆黒とかつやつやした色合いではなく、どこかくすんだ感じのする色だ。

「ひどいじゃないか! 幼女の大事な金髪を勝手に染め上げるなど、幼女の気持ち考えたことあんのか! いや、俺は黒髪も好きだけど」

「このようにもし世界から黄色がなくなれば、あなたの大好きな金髪ツインテールは失われてしまうことになる。いや、それどころか他の色も消えれば、画面の中の女の子そのものが消滅してしまう可能性もある」

「やばい! それは大変だ!」

 透はここに来て初めて真剣な表情になった。しかしすぐに元のろくでなしに戻る。

「でも俺の必要なくね?」

「あなた、どんだけやりたくないのよ……」

 自分がやらなくても誰かがやってくれるだろう精神である。とことん、ろくでなしだ。

「もっと適任者がいると思うんだ。毎日だらだら生きることしか能のない俺以外に。そもそも俺に頼る方がどうかしてる。ていうか自分でやればいいんじゃないのか? 神の力とかあれば余裕だろ」

「嫌よ。めんどくさい」

「お前の問題じゃねえのかよ!」

 レイナも大概らしい。

「だいたいさっきから世界を救うって何だよ。このままだと色がなくなるってだけの話だろ? それがそんなに大それたことなのか?」

「ああ、そこから説明が必要なのね。わかったわ」

 レイナは小さく溜息を吐き、そして真面目な表情になって説明を始めた。

「透、あなたは世界を構成しているもの、何か知ってる?」

「世界を構成? ええと、マントルとか地殻、とか……?」

「それは地球を構成しているもの。私が聞いているのは世界を構成しているものよ。社会を構成しているもの、と言ってもいいかもしれないけど」

「世界……」

「世界とは人間が作り出した概念であり、人間の社会のこと。その世界を構成しているものは二つあるわ。

 一つは言葉。あるいは名前。言葉や名前は、存在を他の存在から切り出す力を持っている。たとえば山の中の風景を映した写真が一枚あるとする。そこには川や木など、たくさんのものが写っている。しかし世界に『川』や『木』という言葉がなかったとしたら、風景の中の川や木は特別に認識されなくなる。ただの山の一部分となる。つまり人間の世界においては存在しないことと同義になるの」

 レイナは真面目な声で続ける。

「そして二つ目は、色。色にも、ものを切り分ける力があるわ。人間は色の変わった部分を見て、別のもの、別の部位、あるいは文字だと認識する。白い紙の中だって、黒い線を引いただけで別の空間として区切ることができる。つまりそれを利用すれば、物体の色を周りとまったく同じ色にするだけで、その物体を世界から消し去ることも可能ということ。あなただって、初めてこの部屋を見たときは和室だったと認識したはずよ。あれは私の力でこの部屋の色を塗り替えていたから。色が変わるだけで、人間は簡単に認識を誤るの。

 そしてもし仮に全ての色がなくなってしまうと、世界は黒く染まる。目の前には確実に何かあるのに、それを認識できなくなる。それは世界の崩壊を意味するわ。

 さらにもし誰かが世界中の色を自在に操る能力を手に入れたら、すべての存在を自在に抹消することができるようになる。つまり、世界征服だって可能になる」

「崩壊……征服……」

 スケールがでかすぎて、透は話をよく理解できなかった。かろうじて頭に残っていたのは世界の崩壊や、世界征服という言葉だけ。細かいことはわからないが、しっかり論理的な理由があって世界が崩壊したり、征服されたりするということだ。

「それだけの一大事。だから勇者に選ばれたあなたが藍と紫を探せなければ、世界が大変なことになる可能性もある」

 そう。まだ可能性の段階だが、二人を探せなければ本当に世界が崩壊する。今は藍色と紫色だけだが、もしこの失踪が世界征服をたくらむ輩の誘拐だとすれば、他の色だって狙うはずだ。

「そんな重大なことだったら、なおさら俺じゃねえだろ!」

 何とか自分なりに理解した透は、改めて事の重大性に気づいた。

「私の占術に間違いはない。たしかに透が世界を救う勇者に選ばれたわ」

「いや、絶対おかしいって! 何で世界中に色んなすごそうな人がいるのに、あえて俺なんだよ! どんな方法で占ったらそんなことになるんだ!?」

「それは、あれよ。啓示? そう、啓示! 桧色透という男が世界を救う勇者だと神からお告げがあったのよ! あ、神は私なんだからその設定は使えないか」

「適当すぎんだろ! 設定って何だよ、設定って! それ幻聴じゃねえか! ていうか占術使ってねえじゃねえか!」

 つまり勇者に選ばれた理由は勘である。一大事だというのに、レイナに緊張感がなさすぎる。透はまたこの話に胡散臭さを覚えた。

「まあ細かいことはいいでしょ。あんまりこちらの情報を出したくないの」

「は? 何でだよ」

「どこで盗聴されてるかわからないからね」

「と、盗聴なんてされてるのか!?」

「されてないとも限らないわ。特に今回の件は事が重大すぎる。気を付けないと」

「そう、なのか……」

 レイナの真剣な顔を見て、透はこれ以上深く詮索しないことにした。

「さて、それでは改めてお願いします。二人の精霊の捜索、引き受けてくれますか? こちらとしては是非あなたに頼みたいのだけど」

「いや、それはしかし……」

 これだけ言われても、透はまだ渋る。やはりかなりのろくでなしである。透のそんな様子を見て、レイナは溜息を吐いた。

「わかったわ。では最終手段で行きましょう。できれば使いたくなかったけどね」

「何言われても、たぶん俺はやらんぞ」

「そんなことを言ってられるのも、今のうちよ」

 レイナはそう前置き、そして氷のような表情で言い放った。

「もし引き受けてくれなければ、あなたを殺します」

「なっ……」

 発言というより、そのあまりに冷たい表情に、透は一瞬たじろいだ。さっきまで見せてきた表情のどれとも違う。明確に殺意を持った顔だった。しかしすぐに我に返り、反論する。

「い、いや待て、それはお前、ちょっとぶっ飛びすぎだろ!」

「ぶっ飛んでないわ。神の命令に逆らおうってんだもの。つまりこれは天罰。あなたが自分で招いた不幸」

「か、神なら何やっても許されるってわけじゃ! ないと思います……」

 強い口調で反論しようとしたところでまた殺気を感じ、透は怖気づいた。そしてレイナは冷たい表情を一転、にっこりと笑って問う。

「それでどうするの? 勇者になるか、死ぬか」

「す、すいません……」

 ヤクザのようだ、と透は思った。いや、これはヤクザすらもかわいく見えてしまいそうである。ヤクザなどアウトレイジでしか見たことないが。

 目が本気である。笑顔なのに威圧的だ。透は完全に威圧されてしまった。

 しかしそうなれば、この選択肢の中から答えなければならない。究極のライブオアデッドである。

 まず透の考えとしては、死ぬのだけは絶対に嫌だ。まだ見てないアニメがあるとか積んであるゲームがあるとか、理由はいろいろあるが、根本的に死ぬのは怖い。痛いのも嫌だが、死ぬのはもっと嫌なのだ。

 となれば答えは明白なのだが、しかし勇者になってもどっちみち死ぬ可能性は高い。

 チワワとだってまともに戦える自信がないのに、異世界での冒険ともなればよくわからないモンスターだって出るかもしれない。同級生との喧嘩の経験だってないのに、世界征服を本気でたくらむ危険な人物と戦うことになるかもしれない。はっきり言ってこっちも必死である。

 が、まあ「確実に死ぬ方」と「ほぼ確実に死ぬ方」なら、まだ「ほぼ確実に死ぬ方」が救いがありそうなので、選ぶのならこっちである。

「わかった。引き受ける」

 透は苦渋に満ちた表情で、重く決断した。

「そう。ありがとう。感謝するわ」

 レイナはあくまで悪魔のような笑顔のまま言った。

「では、さっそく旅の準備ね。まずはその服装をどうにかしましょう」

 レイナはそう言って立ち上がると、ロッドをひと突きした。すると透の目の前が一瞬光り、その中から綺麗に折りたたまれた服が現れた。

「何だ、これ? 俺の制服?」

 透は落ちてきた服を両手で受け止めた。透の通う高校の男子用制服である。

「そう。それに着替えなさい。靴も用意してあるわ。寝巻のまま旅に出るわけにはいかないでしょ?」

 たしかに透の服装はまったく旅に適していない。というか普通の外出にすら適していない。Tシャツとスウェットに、ベランダで履いてきたサンダルという恐ろしくかっこのつかない格好である。

「でもなんかこう、もうちょっと勇者っぽい服はないのか?」

「何だかんだ言いながら、あなたノリノリね」

「うるさい。質問に答えろ」

 何だかんだ言っても透はオタクである。ついでに中二病も若干入っている。一度冒険に出ると決めてしまえば、アニメやゲームが好きなだけに、勇者とか聞くとテンションが上がるのだ。

「そういうのもあるけど、恥ずかしくない?」

「ああ、そうかもな……」

 たしかに旅に出るなら勇者っぽい服の方が気分は出るかもしれないが、しかし冷静に考えれば透は伝説の勇者の子孫でもなければ、どこぞの王子でもない。普通の現代日本に住む高校生である。

 つまりそういった服装はコスプレに値するわけであり、透にコスプレをして街中を闊歩するなどという勇気はなかった。まあ旅で学校制服というのもコスプレっぽいと言えばコスプレっぽいが。

「ただしその服は特別性になっているから、安心して旅に出るといいわ。吸収性、通気性、速乾性に優れ、簡単に水洗いが可能。夜間の部屋干しでも翌朝には乾き、匂いもつかない究極の女神素材!」

「力の入れどころ違くない?」

 危険に晒される冒険者としては、もうちょっと防御力に割いてほしいところである。

「次はこれ。アイテムを持ち運ぶためのバッグよ」

 レイナはまた床をつく。透は制服を両手で持ったまま光から出てきたものを受け止めた。

「ポーチ……」

 出てきたのは、見た目には何の変哲もないベルトポーチである。あまり量は入りそうにない。しかしRPGなどでは小さな袋の中に鎧とか剣とかかさばるアイテムを大量に収納するようなキャラクターだっているので、これもきっとそういった類のものだろう。

 透は当然そういった答えを期待し、念のため聞いてみることにした。

「これはあれだろ? 神の力で四次元ポケット的な超空間になってるんだろ?」

「いや、普通のポーチ。この前、楽天で買った」

 違った。

「お前、冒険を何だと思ってるんだ! これっぽっちのバッグに入る程度のアイテムで、まともに旅なんざできるか!」

「あなたこそ冒険を何だと思っているの? そんな大量の道具を持っていたところで、重くて動けなくなるだけよ。必要なときにすぐ取り出せないし。荷物は少ないに限るわ」

「それは! そうかもしれん……」

 透は簡単に論破されて押し黙ってしまった。これで透は、勇者として制服にポーチを背負って旅に出ることが決定した。完全にただの登下校である。

「まあでも、一応回復アイテムは入れておいたわ」

「ん、ああ、そうなのか? じゃあ薬草とか、回復薬とかか」

 透は言いながら、バッグを開けて中身を探ってみた。冷たい瓶の感触があった。期待を込めてそれを取り出す。

「そんな便利なものあるわけないでしょ。オキシドールと包帯よ」

 取り出した瓶のラベルには消毒用オキシドールと書かれており、一緒にロール状の白い包帯が出てきた。

「消毒液って、どんだけ夢のない世界なんだよ……」

「ないものはないわ。だいたいあなたヒットポイントとかいう概念ないでしょ。それとも何? あなたは殴られたらHPが削られて、しかも死ぬぎりぎりまで動けて、さらに薬草を飲むと元気になるのかしら?」

「いや、たしかにそんな超人じゃないけどさ……。それを言ったらお終いだろ……」

 だいたいこれ、大ケガしたら使えねえじゃん、と透は心の中でツッコんだ。

「ま、今まではちょっとあれだったけど、次のは期待していいわ。勇者にとって一番重要なもの。つまり武器」

 言いながら、レイナがまた床をロッドで突くと、また光が現れた。

「白、ちょっとこれ持っててくれ」

「あ、はい」

 透は白に制服とポーチを預け、光の真下に手を添えた。そして光が消え、何かが透の両手に乗った。

「こ、これは!?」

「そう。ひのきの棒よ!」

「何でそうなるんだよ!」

 透は叫びながら木製の棒を床にたたきつけた。木刀ですらない。棒切れである。どこを期待すればよかったのか。……ある意味、期待を裏切ってないかもしれないが。

「RPGの定番でしょ?」

「いや、たしかにお決まりだけど、勇者舐めすぎだろ! いやむしろ買いかぶりすぎだろ! 棒切れ一本で何しろってんだよ! どんだけボケたら気が済むんだ! せめて鉄の剣くらい出せ! ていうか、こんなとこだけRPG推してくんじゃねえよ!」

「冗談よ、冗談。本当はこっち」

 レイナは笑いながらそう言うと、ロッドを左手に持ち替えて右手を宙に差し出した。するとレイナの手が光り、そこから一本の棒が現れた。今度はひのきの棒ではない。

「こっちが本当の、あなたの武器。神弓レインボウ」

 レイナはゆっくりと透の前に歩いていき、弓を手渡す。弓道で使うような大きな和弓ではなく、洋弓である。白い持ち手を中心に、五色の虹が伸びている。美しいデザインだが、しかしその弓には本来あるはずのものがなかった。

「これ、弦がなくないか?」

 レインボウにはなぜか弦がなかった。本来なら両端の虹と虹をつなぐように張ってあるはずの糸が見当たらない。

「レインボウは文字通り虹の弓。私が光の力を結集させて作り上げた神弓。故にそれ自体が膨大な光のエネルギーの塊であり、大きな力を持っている。その弓は周りにある光のエネルギーを集め、光の矢へと変え、射出することができるの。ためしに弓を引く動作をしてみなさい」

「お、おう」

 透は言われた通り、左手に弓を構えて矢をつがえる仕草をしてみた。弓を引くところなんてアニメでしか見たことないので、かなり不格好である。本来なら弦があるだろう場所に右こぶしを出し、ゆっくりと引いてみる。すると右手に光が集まってきた。

「お、おおお!?」

 目いっぱい引くと、光は細長い矢のような形になった。

「あとは矢を放すだけで射ることができる。だから弦は必要ないのよ」

「すげえ! かっこいいな、これ!」

 やっと異世界らしいアイテムが出てきた。今までのあまりに現実的なアイテムたちが嘘のようである。

「射程距離は約五百メートル。矢はその間を直線状に進むわ。重力と風の影響は一切受けないから、素人でも狙いやすいはずよ。あと光の矢だから太陽さえ出てれば無尽蔵に射ることができる。夜でも威力は半減するけど、月明かりや灯火の明かりだけでも矢が切れる心配はない」

「最初に主人公に渡しちゃいけない性能だな」

 ひのきの棒とは大違いである。鉄の剣なども目じゃない。弓など使ったことないが、これならたぶん扱えるはずだ。

「さあ、これでこの冒険に必要なものは渡したわ。それでは支度をしてきなさい。白、案内お願いね」

「はい! 透さん、こっちです!」

 白は元気に返事をして、透を案内した。


 屋敷内をしばらく歩いた後、白は一つの部屋の前で立ち止まってドアを開けた。

「では、この部屋で着替えてください。私は外で控えています」

「わかった」

 そう言って透が入室し、白は扉を静かに閉めた。

 更衣室もやはり広い。白い壁には、よくわからないが田園風景や巨大な船の描かれた絵画がかかっている。木製のタンスや棚といった調度類も、よく見れば細かい装飾が施されており、何だか高級そうだ。透はそんな部屋に一人で置いてかれ緊張しながらも、入り口の脇に置いてあった木製の、これまた高級そうなテーブルの上に制服を置いた。

「あの、透さん」

 透がTシャツに手をかけると、扉の外から白の声が聞こえた。すこし元気がない感じの声である。透は着替えを続けながら、扉越しに返事をする。

「どうした?」

「あの、少し私の話を聞いてくれませんか?」

「ああ。いいぞ」

 透が答えると、白はゆっくりと話し始めた。

「はい。この旅のことなんですけど、世界とかそういう話もそうなんですけど、その、他にもあるんです。白はレイナ様が一番最初に創った色で、だから私、精霊たちの一番上のお姉ちゃんなんです。だから、みんなのこともすごく心配で、その、だから透さん、みんなを、私の大切な妹たちを、助けてくれませんか……?」

 白は懸命に涙をこらえながら話しているようだった。

 たしかに透はろくでなしである。根性なしだし、意気地なしである。しかし人でなしではない。泣いているのは、純粋に妹たちを心配する心優しい少女である。そんな少女を前にして、それで何も思わないはずがない。怖くないわけでもないし、目的を果たせる自信があるわけでもない。

 しかしここで渋るようでは男じゃない。

 世界の危機よりも、少女の泣き顔の方が、透にとっては重大なのだ。まったく男とは単純な生き物である。

 着替えを終わらせた透は、深呼吸してドアを開けた。そして、精一杯かっこつけて言う。

「白、冒険に出るぞ!」


「あら、ちゃんとした格好すればちゃんとして見えるのね。イケメンではないけど」

「最後の一言余計だろ」

 透は白に導かれてまた玉座の前に立っていた。自分が通っている学校の制服なので透にとっては着慣れたものだが、なるほど傍から見ればピシッとしている。イケメンではないが。ポーチはベルトを右肩と左わきに通し、斜め掛けしている。

 白の方は特に着替えていない。一応、靴は透のベランダからパクってきた安物のサンダルから、何だかおしゃれな感じの白いパンプスに履き替え、ワンピースの腰には小さな袋を二つ括り付けた細いベルトを巻いている。結局あまり冒険に適してなさそうではあるが。

「……決心は固まったようね」

「決心なんて、すごいもんじゃないけどな」

「白、冒険に出るぞ、ねえ。あなたって意外と、ええかっこしいね」

「な!? お前、何で知ってるんだ!?」

「どこで盗聴されてるのかわからないのよ?」

「勇者の着替えを盗聴してんじゃねえ!」

 透はツッコみながら、自分は何と恥ずかしい言葉を言っていたのだと今さら後悔した。質問に直接は答えず婉曲的に返すというのは無駄に文学的で、ともすると目茶苦茶キザったらしい。テンションが昂ると、人はあんなことでも平気で言えてしまうのだ。後からええかっこしいとか、かっこつけとか言われると余計に恥ずかしい。

 透は恥ずかしさを紛らわすため、強引に話を変えた。

「それで、何の用だ? さっさと行った方がいいんじゃないのか? いつまた別の被害が出るかもわからないんだろ?」

「そう慌てない。今からあなたに天命を授けるわ」

「天命?」

「天の命。人が必ず成さなくてはならない神からの命令」

 レイナはそう言って、ロッドを床に突き立てた。

「それでは、桧色透。あなたに天命を授けます。すべての精霊を生還させてください」

 またロッドを打ちつけると、レイナの背後が白く光る。透は強烈な光に目を覆った。

「ん? な、何か変わったか?」

 光が止み、とりあえず自分の手を見たりしてみるが、特に変わった様子はなし。

「ええ。これであなたにも、神の加護があるはずよ」

「加護……」

「そう。天命とは人が必ず成さねばならない神の命令。つまりその天命が成されるまでは、あなたが死ぬことはない。ま、単なるおまじないだけどね」

「なんだ、ちょっと期待しちゃったじゃねえか」

「残念ながら私にできるのは祈ることくらいだからね。神が人間に祈るというのも変な話だけど。でも、あなたの横には白がいる」

 レイナの言葉を受け、透は先ほど授かった天命を思い出した。

 すべての精霊の生還。

 精霊とは、行方知れずの藍と紫のことである。しかしすべてという中には、もちろんともに旅をする精霊、白のことも含まれているのだ。

 透はふと隣の白に目を向けた。同じタイミングで白も横を向き、思いがけず顔を合わせることになった。

 白の瞳は吸い込まれそうなほどに透き通っていた。何があってもこの少女のことは守らねばならないと、透は改めて思った。

「でも手を出したら許さないからね」

「うおお!?」

 突然浴びせられた冷たい声に、透と白は我に返り、慌てて顔を背けた。

「もし私の大事な白に手を出したりしたら、私の神としてのすべての能力を使って全力であなたを地獄の底に叩き落としてやるから、覚悟してね」

「わ、わかった。気を付けるんだぜ」

 透は嫌な汗を背中から流しながら答えた。レイナの顔は満面の笑みをたたえている。わざとらしいほどに。

 透の返答を聞き、レイナは咳払いをして話を本題に戻した。

「さて、これですべての準備が整ったわ。透、そして白。世界の命運はあなたたちにかかっています。出発しなさい。健闘を祈るわ」

「おう!」

「はい、レイナ様! 頑張ります!」

 透と白は元気に返事をし、踵を返した。そして赤いじゅうたんの上を歩いていき、謁見の間の二枚扉の前に立った。

「それじゃあ、行くぞ、白!」

「お供します、透さん!」

 二人は二枚の扉を、同時に開いた。


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