第五話 シオンの秘め事
■シオンの見る世界
あの男が出掛けて行く。
今回の任務はこの都市郡が出来上がってから起こった数多の魔物襲撃の中でも、一、二を争う程の激戦が予想される大襲撃だ。
それなのにあの男はまるで近所に散歩にでも行くような気軽さで出掛けて行く。きっと、実際の戦いでもあの調子で簡単に魔物を蹴散らしてしまうのだろう。本当に恐ろしい。
「ごめんなさいねリリィ。折角の予定を潰してしまって」
「シオンさんは気にしないで。お仕事なら仕方ないもん」
はにかんだ笑顔でそう伝えてくるリリィは、彼を見送ると最近練習している刺繍を始める。
素人の私が見てもうまいと感じるほどの出来なのだが、リリィはまだまだ納得がいかないらしく、うんうんうなりながら針を操っていた。
私は彼が買っておいてくれている書物を暇つぶしに眺めながら、ふと疑問に思っていた事を口にした。
「ねえ、リリィは今の生活が嫌じゃないの?」
「ん? どうして?」
私の質問に対して、リリィは理解できていないといった表情をする。その表情を見て、私は少し違和感を覚えるが無視して続ける。
「だって、こんな常に監視されているような生活息苦しいでしょ。一人で外に出るどころか家の中でも常に誰かが傍にいる。まあ、傍にいるのがあいつなら良いかもしれないけど、私がいたら気も休まらないでしょ」
「そんな事ないよ。私はシオンさんの事も好きだし、この時間も大切だよ」
しっかりと目線を合わせながらそう言われると、思わず心臓が高鳴ってしまう。リリィは同性の私から見ても愛らしい少女で、時折こうして愛らしさに心を奪われてしまう事があった。
「でも、思ったことは無いの? こんなペットみたいな生活は嫌だとか。あいつと出会わなければもっと自由に生きられたのにとか」
「シオンさん……」
その時、私はリリィの放つ雰囲気が一気に変わった事を感じ取る。私を見つめるその瞳は、何か言い知れない深い闇のような気配を放ち、先程とは違う意味で心臓が高鳴る。
「リリィ……?」
「シオンさんは勘違いしてるよ」
「勘違い?」
言い様のない感覚を覚えていた私に、リリィはいつもどおりの笑顔を向けてくる。その笑顔を見ていると、さっきの光景は気のせいではないかと思ってしまう。
「シオンさんはレンが私を縛り付けているように思っているのかもしれないけど、実際は私がレンの事を縛り付けてるんだよ」
「リリィ……?」
そう話すリリィの表情は何故だろう。罪を告白する罪人のようにも見えた。
「レンはね、戦いが好きな人で、本当なら戦いを求めて大陸中を駆け回って、戦うだけの毎日を過ごしたいと思っている人なの」
私個人の感覚としては理解できないけど、彼がそういったタイプの人間だという事はなんとなく知っていた。だから、彼と出会ったばかりの頃は、彼がこの都市に住むと言い出した事に違和感を感じた。
でも、最近はその理由も分かっている。彼はリリィが外の世界を旅するには貧弱すぎると気が付いたのだ。
リリィは弱い。重いものも碌に持てず、走るどころか長時間歩くだけでも息を切らせ、大人の男どころか子供にも負ける程度の力しか持っていない。
そんなリリィでは、外の世界は仮に魔物が一切出てこなかったとしても過酷な環境となるだろう。だから彼は、そんなリリィが安心して暮らせる環境を求めたのだ。
しかし、その環境は彼にとって苦痛でしか無いはずだ。
「レンは私さえいなければ、今日も明日も自分のしたい事をして、幸せに生きられるはずなの。それなのに私がいる所為で、こんな場所で……まるで籠の中に閉じ込められて、たまに近所を散歩させて貰えるだけみたいな生活を送ってる。ねぇ、シオンさん。シオンさんはそれでも私に今の生活が嫌だなんて言う権利があると思ってるの?」
息が詰まる。
今まで私はこの話題を避けてきたのに、何故今更こんな事を聞いてしまったのだろう。
いや、理由は分かっている。クライブに言われて、私が仕事としてではなく個人としてこの二人に興味を持っていると気が付いて、二人の事を知りたくなってしまったのだ。
でも、今は聞いてしまった事を後悔していた。
そして、リリィは無言でいる私が自分の言っている事を理解したんだと判断したのか、そのまま続ける。
「シオンさん、分かったでしょ。私はね、最低な女の子なの。こうして自分が存在するだけで大好きな人に辛い思いをさせているって分かってて、それでも一緒にいたくて……、自分が幸せになる為にあの人に付き纏う、自分勝手で浅ましい人間なの」
言葉が紡げない。
私は、まさかこの幼さの残る少女の口から、こんな感情が吐き出されるとは思っていなかった。私はまるで、見てはいけないものを見てしまった気分になって、感情の整理が出来ない。
そんな私の目の前で、リリィはその小さな手で口元を覆いながら、吐き出すように呟く。
「ああ……、いっそレンが私の事をぐちゃぐちゃに犯して……、物みたいに扱ってくれればいいのに……。そうすれば私は、こんな気持ちにならずに物としてレンの傍にいられる……! 何でレンは私にこんなに優しくしてくれるの……? こんな……こんな無力な役た――」
「リリィ!」
その一言を言わせてはいけない。私はそんな感情に支配されてリリィの肩を掴んだ。
突然の事で思っていたよりも力が入ってしまったのだろう。リリィは泣き顔を苦痛に歪めてこちらを見る。
ああ、いけない。こんな顔をさせてしまったのがバレたらあの男に殺されるかもしれない。この状況で私はそんな場違いな事を考えてしまった。
「ごめん! 大丈夫?」
「うん、大丈夫……。少し痛かっただけ……」
リリィは肩を撫でながら、そのまま黙り込む。どうやら痛みで落ち着いたらしい。そして、リリィはそのまましばらく無言で虚空を見つめてから、ポツリと呟く。
「シオンさんごめんなさい。今の話はレンにはしないでね……」
「分かったわ」
いや、仮に私が今の話をしても、彼は絶対に信じないだろう。
だって、彼はリリィの事を純真無垢な少女だと思っているのだ。もし私がこんな話をしたら、悪い冗談だと思われるか、私がリリィを落としいれようとしていると勘違いされる。
最悪の場合、私は彼に殺されるかもしれない。だから約束なんかしなくても、私は絶対にこの事を話したりはしないだろう。
ああ、でも余計な事を知ってしまった。こんな事を知ってしまったら、今後二人が楽しそうに話している時も先程のリリィの姿がチラついてしまうだろう。
私は彼が帰ってきた時、どんな顔をして迎えれば良いのか考えながらリリィとの時間を過ごす。
悩んでいる中での唯一の救いは、リリィがそれ以降は普段通り終始笑顔で接してくれた事かもしれないが、よくよく考えると、それはリリィが感情を表に出さない事に長けている証明なのかもしれない。
「はぁ……」
私は自然と溜息をもらし、彼に早く帰ってきて欲しいのか、帰ってこないで欲しいのか悩みながらその時間を過ごしたのだった。