第十話 絶望が迫る音
プールを楽しんだ次の日、やたらとスキンシップを求めてくるリリィに振り回されていると、突然シオンがやって来た。
「お楽しみのところ悪いけど、休暇は終わりよ」
「分かった」
その表情から、状況はあまりよろしくないという事が伝わってくる。リリィもそれを感じ取ったのだろう。俺から離れて大人しくしている。
「簡単に説明するわ。現在第三小都市方面に前回の魔物襲撃の親玉思われる魔物が出現しているわ。その魔物は様々な魔物を産む能力を持っていて、周囲には前回の戦いの数十倍の魔物がいるそうよ」
「それはやばいな……」
前回の魔物襲撃は殆ど俺一人で倒した訳だが、魔力には限りがある以上、それだけ魔物が多ければ魔力切れの危険が付き纏う。しかも、相手に魔物を産む奴がいるならどれだけ魔力が必要か想像できない。
「問題はもう一つあるわ……。現在詳細を確認中だけど、おそらく第六小都市が落ちたわ」
「はあ!」
「う……そ……」
第六小都市の陥落。それは予想だにしていなかった事態だ。しかし、これはシオンの方も同じらしく、詳しく聞いても分かる事は少なかった。
「分かっている事は、正体不明の魔物の襲撃を受けて救援を呼ぶ暇も無く防壁が破壊されたという事だけよ。その後どうなったのかは分からないし、こちらや他の小都市に向かっているかも分からないわ。だから、こちらは今は無視して、取り合えず第三小都市の方を何とかして」
「なるほど、第三小都市の戦いが終わったらすぐに帰って来いって事か。なかなかハードなスケジュールだな」
「そうね……。ごめん」
「お前が悪い訳じゃない。気にするな」
ここで文句を言っても、シオンにはその決定を覆す権限なんて無い。それに、辛そうに頼みごとをしてくるシオンにこれ以上嫌な想いはさせたくない。だから俺は、すぐに準備に取り掛かる。
「大丈夫……?」
「ああ、すぐに帰ってくるさ」
心配そうにこちらを見るリリィの頭を撫でて安心させてから、俺はシオンと向かい合う。
「俺がいない間、リリィを頼む」
「分かった。この命に代えても守るから安心して」
シオンは何か決意を固めたような表情をしてそう宣言する。しかし、それを見ていると、少し不安になる。
「そんな事言うなよ。俺にとってはシオンも大切な人の一人だ。リリィが生きていてお前が死んだなんてなったら悲しくて泣いちまうよ」
「あっ……」
シオンの頭をリリィと同じように撫でてやると、シオンは顔を赤くして、恥ずかしそうで、うれしそうで、悲しそうな表情をする。
そういえばシオンは俺より年上だったな。普段歳なんて意識しないから忘れてた。撫でるのはまずかったか?
そう思うが、特にシオンからのお咎めはなく、分かったという呟きだけが聞こえてきた。
「レン、これが終わったら話したい事があるの。だから必ず帰ってきて」
「私はシオンさんと待ってるから、無理しないでね」
「了解」
俺は大切な二人に見送られ、魔物 犇く戦場へと向かった。
◆◆◆
中央都市近郊――
■とある男の見る世界
「第六小都市が陥落ねぇ」
「本当ですかね」
「いや、何かの間違いだろ」
第六小都市からの連絡が途絶えた為、状況を確認しろと命令された俺達は、小都市に転移した奴らと中央都市から徒歩で移動する奴らに別れて行動している。
しっかし、徒歩で小都市まで移動するのなんて初めてだ。確か二日はかかるんだったか?
面倒で仕方が無い仕事だな。
そんな面倒な仕事を押し付けられた俺達は、だらだらとしゃべりながら移動していた。
取りあえず装備の方は色々と準備をしているが、その架空の魔物とやらがそのまま中央都市に向かっているとしても、すぐに出会う訳が無いので、緊張感など欠片も無かった。
「俺はただの魔道具の誤作動に賭ける」
「なら俺はただのドッキリに賭けるぜ」
「じゃあ、俺は俺たちがまじめに仕事をするかの試験だって事に賭けるぜ」
「それじゃあ、俺達は失格だな」
「そりゃそうだ! はははっ……は……?」
「おい、どうした?」
笑っていた仲間の一人が、突然凍りついたように表情を強張らせる。
そいつが見ている方向を俺も見るが、そこには小さい山があるだけだ。
「山?」
いや、おかしい。あんな場所には山は無いはずだ。それに、目の前の山は動いているようにも見える。
そして、目を凝らしてソレを見た瞬間、血の気が引いていく。
「まさか……」
「アレが……例の……」
そこにいたのは、巨大な身体に六対の翼を生やし、全身から管を生やした二足歩行の化け物だった。
その姿はまるで、御伽噺に出てくる竜のようでもあり、悪魔のようでもあった。
「待てよ! 話と違う! あんなに馬鹿でかいとは聞いてない!」
「嘘だろ! 中央都市の防壁と同じくらいの高さはあるぞ!」
騒ぎ出す仲間たちの声を聞きながら、俺は考えていた。こいつは何故、姿を見せた上に攻撃してこないのかと。
俺がお偉いさんから受け取った資料には、対象は偵察部隊を一瞬で片付けるか、偵察部隊に見つからない能力があるという事だったが、こいつはどちらにも当てはまらない。
いや、そもそもここはまだ中央都市に近い場所だ。こいつが第六小都市からまっすぐに向かって来たとしても、出会うのが早すぎる。
もしかして別口かと思い始めた頃、俺たちがいる場所以外の所から光が放たれた。あれは確か、長距離砲撃用の魔道具の光だ。
「なんだよあれは……」
仲間の一人が絶望的な声を上げる。
誰かが放った魔道具の光は、本来なら家一軒吹き飛ばす威力を持った物だったが、目の前の化け物に向かって飛んだ光は、化け物に触れる事も無く手前で霧散した。
理由は分かっている。何かしらの防御魔法で防いだのだろう。問題は、今の魔道具の光以上の攻撃手段を俺たちが持っていない事だ。
「お前ら逃げるぞ!」
「でも……」
「馬鹿野郎! 倒せない相手と戦っていられるか! 俺たちはあの化け物の情報を中央大都市に知らせるんだよ!」
「そうだ……」
「へい!」
正直言って、それは恐怖から出た言葉で、情報を知らせるのなんてその場で思いついた言い訳だ。そもそも、俺達は通信用の魔道具すら持っていないのだから、その役割は別の集団がやっているはずだった。だが、みんな逃げたい感情は同じだったので、そのまま言葉に従ってくれた。
俺は情報を知らせる為だと言った手前、あらぬ方向に逃げる事も出来ず、中央大都市に向かって全力で駆け出す。
しかし、その時上空から何かが降ってくる音が聞こえた。
「今度は何だ!」
そう叫んだ瞬間、轟音と共に巨大な鉄の塊が目の前に落ちてくる。俺はそれを化け物からの攻撃だと思ったが違った。
「ひっ!」
「何なんだよ!」
「もう嫌だ……」
目の前に落ちた鉄の塊の中から、人間の胴体くらいの大きさの金属の蜘蛛が大量に這い出してきたのだ。
その鉄の塊は俺たちの目の前にある物だけではなく、次々と周囲に落下しているのだが、そんな事は気にしていられない。今はこの得体の知れないモノから逃げる事を考えなければならないのだ。
「この!」
仲間の一人が、持っていた武器で金属の蜘蛛を攻撃するが、その身体は見た目以上に硬いらしく、傷一つ付けられない。
そして、攻撃を物ともしなかった金属の蜘蛛は、仲間の一人に跳びついた。
「ひっ――」
仲間が悲鳴を漏らした瞬間、金属の蜘蛛は仲間の身体にしがみついた状態で自爆した。あとに残ったのは、上半身が無くなった仲間の姿だった。
「うわああああああああああ!!!」
「来るな来るな!」
「グギッ!」
逃げ惑う俺たちに向かって、金属の蜘蛛達は囲い込むように動き、追い立ててくる。
俺は手持ちの魔道具を使って金属の蜘蛛を攻撃するが、何をしても意味は無く、仲間も次々と消し炭になっていく。
いや、消し炭になっているのは俺の仲間たちだけではない。周囲の様々な場所から悲鳴と爆発は聞こえていて、他の奴らも同じような結末を迎えていると分かる。
「死ぬか! 死んでたまるか!」
そう叫びながら逃げ続けた俺だが、突然呆然として立ち尽くす事になった。
何故なら周囲にいた金属の蜘蛛が、他に獲物がいなくなった為に集まってきて、全方位を金属の蜘蛛に囲まれてしまったからだ。
「ははは……」
絶望に支配された俺に向かって、沢山の金属の蜘蛛が群がってくる。
そして、金属の蜘蛛達は、これで終わりだという祝砲のように一斉に爆発したのだった。
『魔物の殲滅を完了。続いて大量の魔物が集まっている施設への攻撃を開始します』
最後の瞬間、そんな誰かの声が聞こえたような気がしたが、そんな事はもう、どうでもいい事だった。




