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ラズル・ダズル  作者: 亞野日奈乃(あのひなの)
1st GIG# BLACK D-BROCK BLUES
1/4

Introduction#1 -Lemonade-


 ハロー、マキネシアDブロック。お前にゆずれないものはあるか?

 俺にはわからない。わからないのさ、いつだって。

 



    ◆




 常磐色の光はシケたドーナツを歯車に変えた。角砂糖が水晶のざらめとなって指の隙間を零れ落ちるように、都市の一輪を砂と鋼に噛み砕いたのだ。それはもう随分と前の話だった。

 機械に魂はないと誰もが言うが、ならば魂が宿った機械をなんと名付けよう?

 きちきち。歯車を軋ませながら鋼鉄の蝶が羽ばたいた。目玉は水色の宝石、翼はワイヤーと時計の部品。真鍮と鉄で組み上げられたボディに砂漠の日差しが差し込み、誰もが求めた黄金の林檎を思わせる輝きを放つ。

 罅割れた瓶。むせ返るようなアルコールのえぐみ。そこは廃れた酒場跡だった。カウンターの上には野良猫がいる。蝶と同じく鋼鉄の。

 かさかさ。今度は蜘蛛が地を這う。コイル状に巻かれたワイヤーの足を巧みに動かす。スクラップの野良猫がその紫色の瞳に蜘蛛を捕らえる。飛び掛るやいなや、がちがちと音を立てて真鍮で出来た体を捕食し始めた。

 〝ジャンクリーチャー〟────それが、生物の有機的な側面と機械の無機的な側面を併せ持つ彼らの名前だ。都市粒子化現象、イザクト事変……その当時の廃品で出来た生物、だからジャンク・クリーチャー。なにも野良猫や蝶だけではない。かの大惨事以来、この鋼鉄の砂漠スクラップフィールドに生きる者は、みな例外なくどこかに鋼鉄を備えている。人であろうと例外はないのだ。

 それが見た目の問題であるにせよ、ないにせよ。

「金ってのはビスケットと同じだ。叩けば増える」

 生まれながらの皮肉屋は、ナンセンスなジョークと共に笑った。

 〝コリブリ〟社製の燧発式ライターのトリガーを弾き、皮肉屋はパイプ・フレーバーのシガレット、アークロイヤルに火をつけた。魂を入れ替えるように煙を吸い込み、そしてゆっくりと吐き出す。バニラの香りと共に立ち込めたもやが鉛色の鉄塊を曇らせた。

 シュティード=J=アーノンクールにとって、それは数あるこだわりの内の一つだった。利便性は二の次だ。拳銃は決まって回転式。粒子管アンプよりも真空管アンプを好む。市街の最新デバイスなど間違っても使わない。時代に逆巻くことが一つの美学なのだ。

 この男は常にニヒルだった。鼻につくとか、癪に障るとか、そういう次元をとうに超越した、美酒の域まで成熟された類のキザな皮肉屋だ。お喋りと皮肉屋と自信家……さしものヘレンケラーも目を見張り言葉を失うほどの三重苦を患っている。重病といっていい。

 ソファに深く腰掛けるシュティードを見て、対面のバグジーは狼狽した。禁煙中というわけではないがとても煙草をふかす気分にはなれない。部屋に満ちた血生臭さは、彼奴の口元で煙っているアークロイヤルの香りでも上塗り出来そうになかった。

「分かるかバグジー。その理屈で言えば、てめえは叩くところを間違えたんだ」

 浅黒い肌に赤毛交じりの捻れた黒髪。黒いカッターシャツこそ着ているがジャケットもネクタイも見当たらない。解雇を通知されたサラリーマンが社会への反抗を決意しジミ・ヘンドリクスを目指しはじめる──そんなふざけた印象だった。

 畜生。なんだってこんなことに。バグジーは心中で毒づいた。帳簿はつけていないから今日何度目かは分からない。つけていたところで国税が還付されるわけでもない。

 お世辞にもオーセンティックとは呼びがたいその惨状を見渡す限り、バグジーの表情は実にマッチしていた。割れたグラス、散らばった札束、ぶちまけられた蒸留酒。壁や床には血と思しきもので前衛的なペイントがしてある。インクが詰まっていたであろう穴空きの人型が十数は転がっており、その全てが利き腕にオートマチックの拳銃を握っていた。

 他人事のように観察してはいるが、当のバグジー自身もまた手負いだ。左の掌に風穴が開いている。じっとしていると熱と痛みが募って気が狂いそうになるが、下手に動けば「バランスが悪い」という理由で右手にも穴を開けられかねない。バグジーには時折呻きながら耐える以外の道はなかった。従順な使用人が主の帰りを待つようにして、彼は嵐が過ぎ去るのを待つのだ。

 ラズル・ダズル──スクラップフィールドの請負人を筆頭に構成されたイカれポンチの集団……不幸にも彼らと出会ったものは、みな例外なく嵐が素通りするのを待つことになる。ある種の災害のようなものだ。個人の力ではどうしようもない。騒ぐだけ騒いで場を散らかしては酒場を梯子するように去っていく。

 今この瞬間もそうだ。請負人が我が物顔で煙草をふかす後ろで、二人の女がところかまわず部屋を散らかし回っている。

 かたや銀髪。露出の多いカウガール染みた格好だ。内股が大きく切り取られたチャップスがそう思わせる。腰元には回転式拳銃を収めたホルスターが伺えた。胸は平均以上、やや控えめといったところか。場に似つかわしくない陽気な鼻歌交じりにバーカウンターをごそごそと漁っており、そのたび竹箒の先に似た左右の銀髪の束が揺れた。

 かたや金髪。眼鏡の下にはややクマがかった目元。丈の短い濃紺のドレスからスラリとした脚が生えている。ヒールを抜きにしてもかなりの長身だ。ドレスの隙間から晒された豊満な胸元は銀髪の彼女より存在感が強い。爪には紫色のマニキュアが塗られていた。

 ともに美貌に文句の付け所はなく、立ち姿は金貨と銀貨のように対照的だ。だが粗暴なのはどちらも同じらしい。棚の中身をぶちまけ、並んだ瓶を薙ぎ払い、めぼしい物を手当たり次第に麻袋へ放り込んでいく。

 緊張はない。妙な鼻歌も混じっている。クローゼットの中身を引き出してデートに着ていく服を選ぶのに似ていた。つまるところ彼女らにとってはその程度のことなのだ。

「ふんふんふふーん、ふんふふーん」

「ジーナ」金髪の女が言う。「耳が腐る。そのヘッタクソな歌をやめろ」

「はァ?」返す銀髪の女、ジーナ。「煙草の吸いすぎて耳までおかしくなってんじゃん。私のミラクルビューティーな歌がヘタクソに聞こえるなんて」

「魔笛だな。胎児も裸足で逃げ出す」

「殺すぞ」

「遊んでんじゃねーよ」と、シュティード。「アイヴィー」

「へいへい」

 名を呼ばれた金髪の女──アイヴィーが鉄の箱を机に投げ出して蓋を開ける。随分堅牢なケースだが中身は札束などではない。歯車、螺子、小さなパイプ、それからいくつかの電子基盤……解体されたジャンクのパーツだ。シュティードはその中から真空管のようなものを掴み上げ、紫がかった黒い中身をバグジーの面前へ翳してみせた。

「イズカラグアで旧時代の戦闘用アンドロイドから回収された、濃度六〇パーセントの違法粒子管……〝フリップブラック〟」

 安直な名前だ。そこにユーモアはない。ユーモアが介入する余地なき代物なのだ。青ざめてゆくバグジーの顔にそう書かれていた。

「こいつが本物で間違いないな?」

「どうだかな……」

 銃声。バグジーの左足が打ち抜かれる。傍らのアイヴィーがオートマチックの拳銃を太股のホルスターへ収めた。

「ぐあぁああああっ、畜生、ふざけんなっ、なんて短気なッ」

「ランパート・ストリートで手に入れたな? 誰からか覚えてるか?」

「カ、カルーザだ……カルーザの筋から手に入れた……名前は知らねえ……」

「ドミニクだ。性はファラデー。夜這い(・・・)した相手の名前ぐらい覚えとけ」

 シュティードが机に足を乗せる。絵に描いたような傲岸不遜だ。

「自分でも言うのもなんだが俺はマキネシアじゃ慈悲深い方だ。馬鹿相手に同情って奴をしないわけじゃない。だがそいつは酒飲みに限っての話だ。酔い潰れて身包み剥がれた馬鹿に同情はしても、身包み剥いだ方の馬鹿に同情はしねえ。分かるな? おかげで奴は全治二ヶ月だぜ。中々いいギターを弾く奴だったのに、左の小指が粉々ときた。ギタリスト誰もがジミヘンってわけじゃないんだぞ、これから奴は三本指でオブリをかまさなきゃあならねえ。お前に想像できるか?」

「は……ふざけやがって……。チャックベリー崩れのクソガキが指をへし折られたから、わざわざお礼参りに来たってのか……? 傑作だ、傑作だぜ請負人……今世紀最大のジョークだ……。えらく友達思いじゃねえか。同じ穴の狢って奴ぁどうにも……」

 ごがん。革靴の踵がバグジーの指を穿つ。

「あぁあああああくそったれがぁあああ」

「そうだ、お礼参りがまだだった」

「俺のっ……俺の指がっ……てめぇなんてこと……なんてことっ、してくれやがるッ」

「楽器が趣味ってわけでもねえだろ」

「俺はピアノをやるんだ、畜生、クソったれ! これじゃ和音が四音しか鳴らせねえ!」

「小指が折れただけだ。もっとポジティブにいけ」

 バグジーは年甲斐もなく半泣きになる。何度人差し指を見返してみても、出来損ないのフライドポテトがぶら下がっているだけだ。ご丁寧にケチャップのおまけつきときた。こうなっては引ける引き金も引けない。

「いいかバグジー、よく聞けクソったれ。俺が他人の仇討ちかますタイプに見えるか? 俺達は仕事で来てんだ。粒子管を持ってる馬鹿の根城に乗り込んで、三七人を皆殺しにしろと言われた。前金が一〇〇万ネーヴル、成功すれば三〇〇万ネーヴル。三六人は既に殺した。あと残ってるのはアル中の老いぼれだけだ。おまけに左足がお釈迦になってる。右肩と左手の指もだ」

「……」

「今いくつだ? 四八? それとも五二? 杖を突くには早いぜ。それとも足だけサイボーグにするか? 高くつくぞ。金は俺たちが掻っ攫う。もうお前に預金はねえだろ」

「……」

「どう思う? 三〇〇万ネーヴル受け取るのが正解か? 俺達はどうすべきだ? 俺にはわからねえのさ。いつだってわからねえ。馬鹿だからな。だから教えてくれよバグジー。わかってるのはお前が利口だってことだけだ」

 シュティードは静かに問う。瞬き一つしない。忙しなく揺れる老体の眼球を、値踏みするようにじっと覗く。沈黙の暴力がバグジーの心臓を締め上げた。

「…………いくらだ」やっとのことでバグジーは言った。「いくら出せばいい……?」

「いくら出すんだ?」

 低い声。求めているのだ、この男は。そう──利口・・な答えとやらを。

「一〇〇万ネーヴル……カウンターの床下に現金で隠してある……」

 銃口が彼の額を押した。

「あばよバグジー。天国の感想をよろしく」

「待て、待てクソ! 分かった! 全部だ、全部出す!」

 死ねば背も腹も同じことだ、この場においては変えられない。バグジーは歯を食い縛りながらテーブルを押しのけ、床板の金具に織り込まれていた取っ手を引き上げる。

「……プルガトリウムの原石が四つだ。金はもうない……あるにはあるが電子マネーだから……すぐには出せねえ……」

「はん。市街上がりってなぁこれだから」

 興味なさげに視線を落とし、石ころの一つをつまみ上げるシュティード。照明に翳してみたものの、どうも出来の悪い琥珀のような濁った色合いだ。中には不純物が伺える。

「傷ものは価値が落ちる」

「童貞みてーなこと言ってんじゃねえよ……!」

「純度は?」

「二五……いいもので四〇……」

「話にならねえ」

「待て待て待て! 市場に流せば五〇万にはなる!」木箱を開けるバグジー。「それと煙草だ、マールボロのアイシクル、ハイライトもある!」

「メンソールは吸わねえ」

「なんだって! いい加減にしろ! 今は新・禁酒法時代だぞ、分かってんのか! 裏で一箱七〇〇〇ネーヴルのご時勢に煙草が吸えるだけでもありがたいと思え!」

「感謝はしてるさ。だが密造してる奴にであってお前にじゃない」

「く……なら酒だ……そこのカウンターに腐るほどあるだろ、どれでも持って行け!」

「俺はバーボンしか飲まねえ」

「クソったれが、かっこつけやがって! 他にどうしろってんだ! 五〇〇万に酒と煙草のおまけつきだぞ、この上まだ何か欲しいってのか!」

 溜息まじりでシュティードが引き金に手をかける。バグジーが声を漏らすのと同じくして、歩み寄ったアイヴィーが待ったをかけた。

「よせよせ」彼女は床下を覗き込む。「どうだシュティード、アイシクルに免じて勘弁してやろうじゃねーか。ちょうどカートンが切れかけてた。チャンスをやろう」

 そう言ってアイヴィーはけらけらと笑う。メンソール・タイプの煙草しか吸わない彼女にとっては好条件らしい。

 彼らの尋問において緊張感がないのはいつものことだ。尋問する頃には緊張すべき場面はとうに過ぎているし、彼らにとっては緊張すべきほどのことでもなかった。

 いつも通りだ。差し詰めこれは日々反復する運指練習のようなもので、ステージでギグの大トリを飾る時とはわけが違うのだ。

 シュティードはこの展開に慣れていた。そのたびに出てくるため息にもだ。

「喜べオッサン。私は気が長いほうだ。それにこいつらと違って優しい」

 どの口が、とジーナがぼやく。アイヴィーは聞こえないフリをして、テーブルの上のサイコロをバグジーの足元へ放った。

「振りな。偶数だったら見逃してやるよ」

「冗談じゃない、二分の一じゃないか! こんな運任せで……」

 台詞は遮られる。シュティードがバグジーの左目に銃口を突きつけた。一発足りない弾倉を回転させ、そして撃鉄を起こす。

「六分の一にするか?」

「ろ……」

「はいはいはーい」挙手するジーナ。「私ギャンブル好きだよ。おっさん、振ってやろうか? こう見えて引きはいいんだぞ」

 バグジーはたまらず顔をしかめた。問題は〝いい引き〟がどっちに転ぶかなのだ。そしてこの局面での〝いい引き〟は大体よくない方向に結果を持っていく。あけっぴろげなジーナの顔にもそう書かれていた。

「ふざけろ! 誰がてめえみたいなギャンブル依存症のバカヤローに……」

「そうか。じゃあ自分で振るといいよ。後悔しないといいナ。おっさん次第だナ」

 そうとも。チップが他ならぬ自分の命である以上、ここは自分で振らなければならない局面だ。そのぐらいはバグジーにも理解出来る。だが納得はできない。

 バグジー=ブランドンという男は、据えるだけの腸を持ちえていなかった。

「…………」

 バグジーはサイコロを拾う。金属製だ。それとは関係なくいやに重い。たった二十一グラムしかない魂の重量がこれほどまでに手を鈍らせるとは。

「…………本当だろうな……? 本当に、偶数だったら見逃すんだな!」

「男に二言はない」シュティードは答えた。「俺は約束を破る奴が嫌いだ」

 沈黙、緊張。睨みあい。脂汗が滲む。ドス黒い眼は、その生き様を見定めるがごとく真っ直ぐに中年の目を見ていた。

 確率論は正しい。ただの一輪、砂漠の掃き溜め一回しを除いては。出目がなんだろうと二分の一だ。この掃溜めにはいつだって、生きるか死ぬかの二択しかない。

 マキネシアの黄金律は、たったの二十一グラムぽっちのものなのだ。

「…………」

 バグジーは生唾を飲む。末期の水にしては味気ない。こんな理由で幕が引けるものか。出目が奇数で死んだとあっては割り切ろうにも割り切れない。いいジョークだ。後世には残るまいが時世の句にしては洒落ている。

 男一本、バグジー=ブランドン。齢五八の恵体はゆっくりと賽を放る。死を乗せた六面体がからころと転がり、角を軸にしてくるくると回った。なるほど幸運の女神は大層なテクニシャンだ。焦らし方を心得ていた。少なくともバグジーよりは。

 にゃあ。スクラップの野良猫が鳴いた。

「…………はっ…………!」

 賽が跳ねる。バグジーは絶句した。一。いい出目だ。流れる血によく似た赤色だった。万歳三唱! バグジー=ブランドンここに死す。

 ひゅう、とアイヴィーが口笛を吹いた。

「ツイてる」

「ま、待て! もう一度だっ、もう一度っ、こんな……こんなことでっ、死んでも死に切れねえ! 頼む、もう一度チャンスを……」

「行くぞ」

 アイヴィーが踵を返す。その後ろを追うジーナ。最後にシュティードがバグジーに失笑を向け、ゆっくりと重い腰を上げる。次いでソファを蹴り倒し、はみ出た綿から未申告の札束を取り出して言った。

「帰る前にもう一度シンキング・タイムだ」

 舌打ちするバグジーを見下ろして言うシュティード。

「喋るギターに覚えはないか」

「……薬のやり過ぎだぜ」

「〝喋る遺産(ゴシップ)〟だ。フライング・Vタイプの黒い六弦。鰐皮のハードケースに入ってる。悪魔みてえな一つ目が刻印されたギターだ」

「クロスロードで魂でも売ったかよ」

 バグジーは手元の銃創を押さえながら言った。

ZACT(ザクト)が新・禁酒法を制定して何年経った? ロック狩りで何人死んだ? 真空管アンプは粒子管アンプに食われちまったし、市街じゃクラシックしか流れねえ。イザクト事変でクレイジー・ジョーも死んだ。今日びギターなんざ持ってんのは時代遅れの……」

 がごん。再び踵が指先を打った。

「ぐあぁあああクソったれがぁあああ」

「和音は三音までだな」

「ふざけっ、ふざけんじゃねえっ! 俺ぁハッカーなんだぞ、知ってんだろ!」

「そうか。廃業祝いにシャンパンでも空けろ」

 革靴の踵を鳴らして遠ざかるシュティード。歩みに従って血で靴跡が刻まれる。そこでようやくバグジーはいつもの調子を取り戻した。取り戻すには遅すぎたが。

「くそっ、くそったれ、畜生、ふざけやがって……ふざけやがって! 俺の家が滅茶苦茶だ! 一体いくらかかったと思ってる! 請求するぞ! ネジ一本まできっちり揃えて請求してやるからなァ!」

「請負人でツケとけ」

「ウチは酒場じゃねえッ!」

 騒乱と破壊の爪痕──それこそがラズル・ダズルとの遭遇を知らせる唯一の証拠だ。そこに過程はない。あるのは結果だけだ。誰しも嵐が過ぎてからでなければ気付けない。

 彼らに残された手立ては一つきり。手元の請求書に「ファッキンクソったれ請負人様方」と書き記し、数字を水増しして送りつけることだけだ。なんなら〇を四つほど足しても問題ない。どうせ全ては運の問題なのだ。そしてその確率は今のところ、狂ったようにタイプライターを叩き続ける猿が幸運にも「ハムレット」を書き上げる確率に等しかった。

「畜生ッ、くそっ、痛え! あの野郎、陰毛頭のクソ野郎が!」

 閑散とした酒場跡にバグジーの声がこだまする。スクラップの野良猫がにゃあと首を傾げ、蜘蛛の残骸を加えたままカウンターへ飛び上がった。

「見てろクソ野郎、俺を誰だと思ってやがる……潰してやるぞ、一人残らず潰してやる」

 カウンターへ歩み寄るバグジー。足元がおぼつかない。歳のせいではないだろう。乾いた木材の上、銃創から滴った血が轍を描く。

 うにゃう。スクラップの野良猫がバグジーへ歩み寄った。騒ぎの全てを見ていたのだ。やあやあお疲れさん、災難だったなとでも声をかけるようだった。

 野良猫は口元に金属の塊を咥えている。ジャンクと真鍮でくみ上げられており、雑多極まる骨組みの奥で粒子管が輝いていた。

 まるで機械の檸檬れもんだ。煌々と放たれている黄色い光は、檸檬の色によく似ていた。

「……あぁ?」

 野良猫を睨むバグジー。なーう、とまた猫が鳴き、咥えた檸檬を弄び始めた。引っかいてみたり、また咥えてみたり、放ってみたり。金属の歯ががちがちと檸檬の表面に傷を作り、その度耳障りな周波数がバグジーの耳を打つ。

 ふとバグジーは耳を澄ました。彼は老体だが耳はいい方だ。だから気付いてしまった。いっそ気付かなければ良かったのに。

 ちょっと待て、なんだこの檸檬は。そもそもどこから来た? バグジーは問うた。彼は余計な味付けを好まない。カウンターにはレモンもライムも必要ないのだ。ならば卓上に乗っている塊は何なのか。この野良猫が弄んでいる鉄の塊は何なのだろうか。

 かちこち、かちこちと聞こえるこの音の正体は────

「────ッファッキンクソや」

 うにゃう。また野良猫が鳴いた。重なる秒針。閃光、炸裂、吹っ飛ぶ家屋。ジャンクと酒瓶と木片とがごちゃ混ぜになって揺れ混ざる。後には煙だけが残った。上々だ。ああ、言ったとおりあの男に二言はなかった。約束は必ず守る男なのだ。

 天国の感想は着払いで送りつけてやる。バグジーはそう決めた。生死はともかく。

 

 



 路地の向こうから煙が立ち上る。ひゅう、とアイヴィーはまた口笛を吹いた。

「アーティスティックぅ」

 応じてジーナが溜息をつく。

「ラブアンドピースの精神が足りないナ……」

「うるせえ。バリサクみてえないびき(・・・)かいて寝てる癖しやがって」

「はぁ? お前なんかファゴットじゃ」

「なんだとアバズレ」

「やんのかヤニカス」

 がるぐると睨みあう女二人。見計らったようにシュティードが溜息をつく。ここまでが一つの予定調和だった。

「なに仕掛けた?」シュティードがアイヴィーに問う。「手榴弾グレネードか?」

「カジイモトジロウ」

「はぁ?」

「レモネードさ」

 仕掛けたものと同じ檸檬型粒子爆弾を宙へ投げ、そしてキャッチしてを繰り返すアイヴィー。ジーナが血相を変えてアイヴィーに掴みかかった。

「あぶない真似すんな馬鹿ぁ! 落っことしたら木っ端微塵だぞ!」

「あっ」掴み損ねるアイヴィー。「あーっ!」爆弾が床に落ちる。ジーナがしゃがみこんで頭を抱えた。

「うわぁあああ神様ごめんなさいギャンブルやめますもうしません! 助けてぇええええ死にたくないよぉおおおおお」

「なんつって」

「神様ぁあああああああ」

「うるせーよ落ち着け」

 アイヴィーは檸檬を拾い上げ、入り組んだ金属の奥を指して続ける。

「ここ、信管があるだろ。これが粒子と接触したらスイッチが入る」

「つまりバグジーは」シュティードが引き気味に問う。「檸檬をファックしたのか?」

「アホか。ありゃもう立つ歳じゃねえよ。猫だ、猫」

 にゃ、と声が上がる。パイプの上でスクラップの猫が首を傾げた。別に言葉を解するわけでもなかろうに。

「シンキング・タイムだ」アイヴィーが言う。「ジャンクリーチャーの好物は?」

「はい」ジーナが挙手した。「イメクラ」

「退場」

 び、とアイヴィーは指を三本立てる。

「機械と酒とレモンオイルな。だからこいつに」鋼鉄の檸檬を弄りながら続けるアイヴィー。「レモンオイルを塗るんだ。酒でもいい。で、寄ってきたジャンクリーチャーがここに噛み付いた瞬間、生体粒子と反応してカチコチドカン。奴らの性質を完璧に組み合わせた代物ってわけ。猫がいただろ?」

「博打じゃねえか」呆れるシュティード。「六分の一どころじゃねえ」

「そ。つまりバグジーはツイてた」

「ツキ違いだナ」と、ジーナ。「運の尽きだった」

 ポケットから粒子管を取り出すシュティード。〝フリップブラック〟だ。液状化した粒子が黒味がかった紫の輝きを放っている。

「こいつで合ってるんだろうな? 受け渡しは明日だぞ」

「合ってるさ」掻っ攫ったばかりのアイシクルに火をつけるアイヴィー。「どう見ても濃度六〇パーセントだ。そんな色の粒子管、そうそうお目にはかからねえよ」

 口元から煙を吐き出し、アイヴィーはにやけながら続けた。

「時を巻き戻すって話だぜ」

「ヨタ話だ、そんなもんは」

 腰元のスキットルを手に取り、バーボンを喉の奥へ流し込むシュティード。どことなく投げやりな声色だった。

「時間は前にしか進まねえ。そんなことは今日びガキだって知ってる」

「ロマンのねえやつ。新・禁酒法厳格化……どこから施行以前に戻れるかもしれねえんだぜ。そしたら酒も煙草ももっと安くで手に入る」

「戯言だな。後ろに戻れたらどんだけ楽か」

「ロックンロールだって鳴らし放題だし?」

 シュティードがアイヴィーを睨んだ。

「俺の前でその言葉を出すな」

「引きずるねえ」

「とにかく明日受け渡す。十三時にレッド・テラスだ。異存はないな。誰が行く?」

「パス」「パース」金貨と銀貨が声を上げた。「私は仕事があるしー」と、アイヴィー。続いてジーナが大きく伸びをする。「私はいつ呼び出しかかるかわかんないしー」

 最悪だ。いつもこうなる。シュティードは舌打ちをかました。こうして現場仕事のほとんどはシュティードが受け持つことになる。それはまあ、彼女らが物臭なたちだからというだけではなく、彼が近接戦闘に長けていることもあるのだろうが。

「おかしいとは思わねえのか?」シュティードは不満げに言った。「俺はラズル・ダズルを仕切ってんだぞ? 頭が出て行く組織がどこにある? 依頼品の受け渡しなんてのは下のやることだ。違うか?」

「じゃあ私が行けばいいのか? 万が一の時に困んのはお前だぞ」

 詰め寄って舌を出すアイヴィー。

「引きこもりをナメんなよ。十分も走ったら心臓止まるわ」

「威張ってんじゃねーよ。インテリだったらインテリらしく仕事は完璧にこなせ」

「人の仕事にいちゃもん付けてんじゃねーよ。なんか文句あんのか? 叩いて解決することしか知らねえアナログ世代のジジイに変わってネットワークを使いこなしてやってんだろ? おん?」

「誰がアナログ世代のジジイだコラ。こちとら生涯二七歳のヤングだっつーの」

 お笑い草だ。顔をしかめてアイヴィーが問う。

「パソコンでやるゲームと言えば?」

「マインスイーパ」

「そら見ろ」

「合ってるだろーが!」

「なぁーにがマインスイーパじゃこのジジイ、時代はオンラインゲームだっつーの!」

「オンラインだと? てめえさてはラズル・ダズルの資金で課金してやがったな?」

「ちっ……違いますぅー! あれは私の定期預金ですぅー!」

「いや、課金してたぞ」割って入るジーナ。「そういえばこの間三〇万ネーヴル分ぐらいガチャ? っていうの? 回してたナ」

 シュティードがゴミ箱を蹴っ飛ばした。

「てめぇふざけやがって! どうにも帳尻が合わねえと思ったんだよ!」

「うるせー何が帳尻だ! 帳簿なんかつけてねえ癖に!」

「資金管理は本来てめえの仕事だろうが!」

「だから有意義な未来の為に投資したんだろうが!」

「有意義な未来だと? ふざけるんじゃねえバカヤロー、そんなモンに投資してどうなるってんだ!」

「SNSで自慢できる」

「そら見ろ、このザマだ! ほんとに市街上がりってのはどうしようもねえ!」

 がしがしと頭をかくシュティード。対してアイヴィーは冷静極まりない。どころか腕組みして得意げな面構えを作る始末だった。

「はん。考えが甘いな。課金ごときで騒いでるようじゃサイバー社会は生き残れないぜ」

「よぉーしお前はクビだ。さっさと荷物をまとめて市街に帰れ」

「市街は煙草が吸えないから嫌ですぅー。絶対に帰りませーん」

「ほんとに市街上がりってのはどうしようもねえ!」

「二度も言うんじゃねえよ、お前だって市街上がりだろが!」

「この歩く喫煙所が」

「んならお前だって歩く酒場だろが」

 やいのやいのと飛び交う怒号。どっちも違法だけどナ、と小さく呟いてジーナは猫と戯れ始めた。よくよく見ると右耳が欠けている。甲冑のような喉を掻いてやると、にゃーごと甘い猫なで声が飛び出てきた。とても機械とは思えない。まるで生きた猫がそのまま体だけ機械になったかのようだ。

 まあ──実際にそうなのだろうが。

「るせークソボケ! 〝未成年の利用は固くお断りします〟って顔に書いとけ!」

「そんならテメーも〝私はあなたの健康を損ねます〟って顔に書いとけ!」

 にゃごにゃご。ジーナは猫の真似をして、スクラップの野良猫とコミニュケーションを図る。二人の怒号は耳の後ろをすり抜けていくばかりだ。

 アイヴィーが太ももに引っさげているホルダーから檸檬型粒子爆弾が転げ落ちる。当人は全く気付いていない。野良猫がいち早くレモンオイルの匂いを嗅ぎ取り、がしゃがしゃと機械音を鳴らしてジーナの股下をすり抜けた。

「にゃごにゃごにゃー?」ジーナが振り返る。「にゃごにゃ……」

 にゃご。野良猫が振り返る。口元にはレモネードがしかと咥えられていた。鋭く伸びた鋼鉄の犬歯は、信管のすぐ傍に──

「うわぁー!」

 ジーナが大声を上げた。言葉で殴り合っている最中の二人も振り返る。ジーナに親近感を覚えたか、野良猫はにゃーごと声を上げ、褒めろとばかりに駆け寄ってきた。飼い主に従順な犬がフリスビーを取ってくるように、家屋一つを半壊させる爆弾を食んだまま。

「ジーナこの馬鹿ぁ!」「総員退避ぃー!」「ええい、次から次へと!」

 脱兎のごとく駆け出す三人。その後ろを野良猫が追う。野良猫が野良猫を追うのだ。この街は馬鹿騒ぎに満ちている。馬鹿の馬鹿による馬鹿の為の街なのだ。



 ハロー、マキネシアDブロック。君達に教訓を一つ与えよう。

 いわく、ラズル・ダズルはこのようにして扉を叩く。






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