第二輪・若紫色の兎
聖 「もうっ! 何でそんな意地悪ばかり言うの? 花咲」
花咲「ええ、怒った貴女の顔が可愛いから、かしら?」
聖 「そんなこと言って、バカにしないで」
花咲「バカにしてないのにねぇ……」
夕日に染まる寂れた公園。
ブランコにゆらゆらと揺れる寂しげな少女。
若紫色の髪を茜色の夕日が照らす、その頭には兎の耳のようなものが生えていた、彼女は人間ではない。
少女は黄昏の空を見上げ呟く。
「お日様なんて……大っ嫌い」
紅赤色の瞳で沈みゆく太陽を睨んでいる。
彼女は太陽が嫌いだった。
お日様は平等に日の光を照らしたりしない、陽だまりの中にいる人間たちは独りじゃないのに、日の光を浴びれない化け物のあたしはいつだって独りだもの……、と心の中で嘆く。
公園の前を元気に小学生ぐらいの少女たちが駆けて行く、きっと彼女たちは陽だまりのように温かい家庭があるのだろう、あたしは夜の闇を孤独に歩いていくことしかできないのにっ! そう思うと頬を一筋の涙が伝った。
ふと公園の前を見るとこちらをじっと見詰める少女と目が合う。
涙を拭いこちらを凝視する少女を睨む、しかし、何を思ったか睨まれている少女は笑顔でこちらに向かって走ってくる。
不快そうに兎の耳の少女は走ってきた少女を見たが、その少女の姿を見て息を呑んだ。
夕日に照らされた向日葵色の髪。紅色の丸く大きな瞳。まだ成長期だがとても可愛らしい容姿をした少女だった。
惚けていた顔を元に戻して再び目つきを鋭くする少女、どうせ独りぼっちの自分を馬鹿にしに来たんだろう、と考えていたが、ぐぅー、と空腹のお腹がなり恥ずかしくなりお腹を押さえる。
「あははっ、お腹が空いているんだねっ!」
向日葵色の髪の少女はにっこり笑ってから制服のポケットから何かを取り出し包み紙を広げていく、それはとても美味しそうなキャロルケーキだった。
「はい、あげるっ!」
そう言って差し出されるも、餌付けされているような気分になりプイと横を向くが、好物である人参のケーキを欲した体が、お腹がまたもやなり羞恥から頬を赤く染める。
「食べないの? みんな美味しいって言ってくれたよ~」
そう言ってキャロルケーキを手で少し千切って食べている、あまり美味しそうに食べていない。
「うん、まぁまぁかな~?」
どうやら毒は入っていないようだ、少女からキャロットケーキを受け取り恐る恐る口に運ぶ。
甘さ控えめでしっとりとしており人参の風味が良く出たとても美味しいケーキだった、余りにも美味しかったので残りケーキをバクバクと食べ切った。
お腹も心も満たされかなり顔が緩んでしまっている、その顔を向日葵色の髪の少女が嬉しそうに眺めていた。
「ご、ご馳走様でした……」
「うん、美味しそうに食べてくれたからわたしも嬉しいよっ!」
なんだか餌付けされた気分でとても恥ずかしい、でも不思議と不快な気持ちにはならかった。
向日葵色の髪の少女を見詰める、すると陽だまりのような笑顔を返してくれる、その笑顔は少し眩しいけど、ようやくお日様が日の光を浴びることを認めてくれたようだった。
しばらく二人で楽しくお喋りをしていた、といっても余り話したことのない兎のような少女は聞き手だったがとても満ち足りた時間だった、この時がいつまでも続けばいいのに、と思うほどに。
「あっ、そろそろ帰らないと桃ちゃんが心配しちゃう……」
向日葵色の髪の少女は帰ろうと立ち上がる、その彼女の袖を掴んでいた。
「どうしたの?」
少し困った顔で訊ねる少女。
掴んだ袖は離そうとしても手が離そうとしない、この袖を離したときに彼女との縁が切れてしまいそうだったから。
もう淋しい思いはしたくない、独りぼっちは嫌だ、そう心の中で泣き叫ぶ。
やがて涙は心の中を満たし、ぼろぼろと瞳から零れ落ちる。
「行かないで……あたしを独りにしないで……」
かすれた声で呟く。
止め処なく零れる涙、このまま涙で彼女とあたしを満たしてしまえばいい、と少女の顔を見上げる。
そこには、陽だまりのように温かい微笑む少女の姿があった、少女は袖を掴んだ手を握り走り出す。
「じゃあ一緒に行こうっ! わたしの家へ」
彼女に引っ張られながら、戸惑いながら口を開く。
「でもあたしは人間じゃないし……」
「そんなの関係ないよっ! 兎のお耳みたいで可愛いじゃん」
少女は振り向いてそう言ってくれた。
「わたしは、夏葵焔。夏葵って呼んでね」
「夏葵ちゃん……、あたしは、幽奇兎」
「兎ちゃん、貴女はわたしの家で飼ってあげるっ!」
そう言った夏葵に苦笑いを返す兎、飼ってあげる、というのは人扱いしていない気がしたが、そんなことは些細なことだった。
もうあたしは独りじゃない夏葵ちゃんがいる、そう思うと飛び跳ねたくなるぐらいに嬉しくなった。
日が沈み、夕闇に包まれていく空。
ふと空を見上げる、すると、ざあっ、と不吉な夜風が吹き付ける。
「きゃっ!」
「うわっ!」
二人とも悲鳴を上げる。
風が止み、前にいる夏葵が立ち尽くしていた。
「どうしたの、夏葵ちゃん……?」
訊ねても返事がない。
彼女の顔を覗き込むと、生命力を全く感じないよくできた人形の姿をした夏葵が其処に立っていた。
あたしは、淋しさから人形に幻覚を見て、幻聴を聞き、幻想を抱いていたのだろうか?
「はは、はははははは……」
渇いた嗤いが込み上げてくる、でも直ぐに涙が零れてきた。
「夏葵ちゃんっ! あたしを飼ってくれる、って言ったじゃないっ!!」
どんなに泣き叫んでも、この聲が届くことは無い。
此処は、人ならざる者しか踏み込めない世界。
紅く揺らぐ月は、兎の瞳と同じ色をしていた。
授業をしている教師の声が遠くに聞こえる。
窓の外を見る、どこまでも広がる青空がそこにある、水色のその色は彼女のことを連想させる。
「んん……はぁっ」
少し無意識に湿った吐息を漏らす夏葵。
教室がざわつく、が夏葵はずっと上の空だ。
水色の長く煌びやかな髪、碧い瞳、そしてわたしの額に触れた柔らかな唇……って。
「うわぁぁぁ! 何考えてんのよわたしっ!」
叫びながら立ち上がる、教室にいる全員が一斉に夏葵を見る。
渚も茅も呆れ顔でこちらを見ていた。
「夏葵ちゃん、私の授業は退屈かしら?」
目の前にいるのは、紫色の長い髪、桃色の瞳に黒い眼鏡を掛けており、スラリとした長身の美人女性教師。
「そんなことないよぉ~、桃ちゃん」
彼女は、紫莱桃。この女学院の教師にして、両親のいない夏葵の後見人である。
「じゃあ、なんで授業中に湿った吐息漏らして、叫んだりするのかしら?」
「そ、それは……」
「もしかして……恋煩いね、そうに決まっているわっ!」
「こ、恋っ!?」
夏葵は図星をつかれたが自分が恋してるという自覚はなかったため、動揺してしまう。
「やっぱりね……、夏葵ちゃん保健室に行って来なさい」
「えっ、でも……」
「いいから行って来なさい、ね?」
昨日というより今日朝帰りした夏葵は全然休んでいないので少ししんどかった、だからお言葉に甘えて休ませてもらう事にした。
「じゃあ、保健室行って来ま~す」
「はい、秘め事や濡れ事をするのは保健室が相応しいよ……ね、って痛いっ!」
「「この変態教師っ!」」
渚と茅が桃をバシッ、と叩いている、その様子を他の生徒もクスクス笑いながら見ている。いつもの光景だ、夏葵はそれを尻目に教室を後にした。
廊下を歩き、階段を降りて、保健室に着いた。
保健室に入ると養護教諭がいなかったので、無断でベッドを使わせてもらうことにする。
横になると少し落ち着いてきた、これなら体を休められそうだ、と瞼を閉じる寸前に、藍色の蝶がひらひらと舞っているのが見えた気がした。
懐かしい夢を見た。
長い黒髪に瑠璃色の瞳の着物を着た女性。
何も言わずに彼女の膝の上で眠るわたしを目を細めて見詰めてくれる。
優しい微笑み、彼女は誰なのだろう? わたしの姉? 母親? 大切なひとの筈なのに思い出せない。
はらり、と風が乗せた桜の花びらが舞う。
気がつくと彼女は、桜吹雪の中に淡い微笑を残し消えていく。
「待って、行かないでっ、消えないでっ!」
わたしの声は届くことなくもう彼女の姿はない。
後ろを振り返る、其処には暗闇の中で独りぼっちで泣いている少女の姿がある。
「誰……?」
「夏葵ちゃん……あたしを忘れたの?」
顔を上げる少女、若紫色の髪に兎のような耳、紅赤色の潤んだ瞳、小柄で可愛らしい少女。
「貴女は、幽奇うさ……」
少女の名前を言い切ろうとしたその刹那、辺りを楓を乗せた風が包み込み視界を遮っていく。
兎のような少女は、赤い涙を流してわたしを睨む。
次の瞬間、兎のような少女が巨大な兎の化け物に姿を変えていた。
ベッドから勢い良く起き上がる。
「はぁ……はぁ……」
荒い息を吐きながら辺りを見回す、そこには数多の藍色の蝶がひらひらと舞っている。
「藍色の蝶……藍、そこにいるんでしょう」
「は~い、いますよ~」
声が聞こえると蝶が群がり光となって少女の姿になる。
長い白髪の髪、藍色の瞳、涼しげな浴衣、水姫碧という女性と一緒にいた少女。
「貴女がいるということは、碧さんも一緒なの?」
かなり期待しながら訊ねてみるが、藍は意地悪そうな顔をしてから考え込む。
「どうだったかしら……? 碧も貴女に逢いたい、って言ってたけど碧には黙って一人で来たのよね~」
「え~、なんでそんなことするの~?」
夏葵はいじけながら藍を見る、藍は見た目に反して妖艶に微笑み夏葵へにじり寄る。
「私は貴女と二人っきりでお話したかったのだもの……、さぁ、熱い夜にしましょう……」
藍はベッドで横になっている夏葵の腕を掴み上に被さるようにして顔を近づける。
藍の体は火照っているように見えるがとても冷たい。
夏葵は抵抗する気になれず、藍の愛を受け止めてしまうのか、と思い始めた時に保健室のドアが、ガラッと開いて一人の女性が入ってきた。
「夏葵ちゃん、今起きたところやな~。夏葵ちゃんが寝ている間に部活の合宿行くことになったから、しおり夏葵ちゃんの鞄中入れといたし~、もう暗いからはよ帰りや~、夏葵ちゃんも湖蝶藍さんもな……」
黒髪のポニーテール、菫色の瞳、袴ブーツ姿の女性。
「分かったわ、的場菫さん」
「そ、なら夏葵ちゃんを送ってあげて、夏やから何かと怪奇現象が起こっているみたいやし……」
「そうね、蝶の妖怪に攫われたりしたりね……」
「うちの前で夏葵ちゃんを攫おうなんていい度胸やな……」
二人の間に一触即発の空気が流れる、止めようとしても体も動かないし、口も開かない。
沈黙している二人だが、沈黙を破ったのは菫だった。
「な~んてな、どうせ夏葵ちゃんに手を出したら、碧さんに血祭りに上げられるやろう?」
「碧はそんな酷い事しないわよ、激しく体に教えられるだけだから~」
先程の空気とは打って変わって、二人で親しく話していた。
「じゃあ、帰りましょう、夏葵」
「あ、うん……そうだね」
菫から鞄を受け取り保健室から出ようとしてるときに気になったことを訊いてみた。
「菫ちゃんと知り合いのなの?」
「まあ……古くからの友人ね」
藍の顔が一瞬、哀しさが見えた気がした。
保健室を出る直前に菫が何かを言っていた。
「気をつけて帰りや、夏葵ちゃん……」
その声は、夏葵の耳には入らなかった。
保健室を出てすぐに異変に気づく。
「なに……? これ……?」
燃えるように赤い月が照らし不気味な校内になっていた。
「やっぱり、来たわね……」
藍の声を聞き振り返る、そこにいたのは……。
「貴女は……」
若紫色の髪に兎の耳、紅赤色の瞳、サマードレスを着た少女。
「夏葵ちゃん……」
哀しげな瞳で夏葵を見詰める兎の少女。
彼女との思い出、彼女の名前、思い出せそうで思い出せない、不吉な風が彼女の名前と思い出を攫ってしまった。
「そこの雪女。夏葵ちゃんをあたしに……渡せっ!」
若紫の刀身の刀を出現させ、問答無用で斬りかかる。
藍は幾羽もの蝶に姿を変え、刃を往なす。
また、蝶たちが集まり少女の姿となり、小さな体で夏葵の腕を引っ張って走る。
「いきなり斬りつけてくる、ってどうかしてるわ」
「えっ、藍は戦わないの?」
藍が愚痴をぼやいている、夏葵は疑問になって訊いてみた。
「バカ言わないで、私は女の子と斬り合いなんてしたくないのよ!」
「や、優しいんだね……」
「野郎なら、斬り捨て御免あそばせ~、よ」
藍の言ったことに苦笑いしながらも長く続く廊下を走り続ける。
しばらく走り続けて、下駄箱に着いた。
夏葵は靴を履き替え、校舎を出る。
「あら、まぁまぁ……」
「あら、まぁまぁ……、じゃないよっ! なんでゾンビが登校して来てるの~!?」
目の前に群がるのは、動く屍の群れ。
「夏葵、校舎の中に戻りなさい」
「え、でも校舎には、あの娘が……」
「あの娘は、貴女にとって何? 大切な存在でしょ?」
藍の言葉に胸に突き刺さる。
まだ思い出せないけど彼女はわたしにとって大切な存在だ、と心の中で呟く。
「うん、あの娘と向き合ってくる! ありがとう、藍」
「ええ、そうしなさい。きっと、刀を磨いで待っているわ」
「もうっ! 嫌なこと言わないでよ」
また靴を履き替え校舎に戻る夏葵は、少し文句を言いながら顔は笑っていた。
「さ~てと、屍さんたち……氷漬けにしてあげるわ……」
夏の夜に吹き荒れる吹雪、屍に再び眠りに誘う。
吹雪の中心にいる雪女は、氷漬けとなった操られた死人たちを哀れみ蝶の姿に変えた。
「もうこの世に縛られる必要はないわ……、次の生へ飛んで往きなさい」
蝶たちは雪女に感謝して彼岸へと飛んで逝く。
迷いなく、次に生まれ変わる来世へと……。
夜の廊下を走る夏葵。
しばらく走っても、捜している少女の姿は見つからない。
「どこに行ったんだろう……?」
ふと、足を止めたのは自分の教室の前だった。
「ここに、いる気がする……」
緊張しながらも教室のドアを開けた。
赤い月が照らす窓際に吹きすさぶ風を感じながら窓際にいる兎の少女を見詰める。
「待っていたよ……夏葵ちゃん」
哀しげに微笑む兎の少女、その姿は兎に角、奇麗だった。
その姿を見た夏葵は思い出した、彼女の名を。
「幽奇……兎ちゃん」
夏葵が名前を呼ぶと、少女は、兎は嬉しそうに微笑んだ。
「やっと思い出してくれた……。じゃあ、あの約束も思い出してくれた?」
彼女の言葉に思い当たるのは、あの口約束。
「兎ちゃん、貴女を飼ってあげる、よね……?」
「そう、もちろん飼ってくれるよね? あたし、ずっと独りで淋しかったんだ……」
彼女の言葉は哀しみに満ちていて聞いている夏葵まで哀しみに染めてしまいそうだ。
「もちろん覚えているよ、でもね……」
夏葵は言葉に詰まる、飼う、というのは女性に対して失礼な表現だ、と考えていると。
「やっぱり……無理なんだね」
「無理じゃないよっ! 話を聞いて……」
「もう聞きたくないっ!」
泣き叫ぶ兎、血のように赤い瞳で夏葵を睨む。
「夏葵ちゃん……さようなら」
首はねようと刃が風を切る。
もう、最後まで話しを聞かない兎に腹が立った。
「最後まで……話を聞けぇ!」
刀が目前まで迫っているのに関わらず、間合いに飛び込んで兎の頬を殴る。
兎は窓ガラスを割り外に投げ出された。
「兎ちゃん、貴女は家で飼いません」
夏葵はきっぱりとそう言った。
兎はよろよろと立ち上がりながら夏葵を睨む。
「よ、っと」
窓から飛び降りて兎に近寄る夏葵。
「兎ちゃん、わたしと家族になろう?」
そう言って微笑む。
「か、ぞく……?」
「そうだよ、飼う、は今思えば失礼だったよね……」
夏葵は照れくさそうに笑いながら兎に手を差し伸べる。
「……やっと気がついたの、夏葵ちゃん」
兎が笑いながら夏葵の手を取ろうとする。
しかし、手と手が触れ合う寸前で強烈な風が二人を引き裂く。
「夏葵ちゃん!」
「もう、忘れないよ兎ちゃん! 今度はわたしから迎えに行くから、待っててね」
風の中で叫ぶ声、その声を聞いた兎は安心したように微笑んで。
「待っている」
そう呟いた気がした。
風が止めば、元の世界に戻っていた。
いつもの月明かりが照らしている。
夏葵は今度こそ、この手で掴んでみせる、と誓い握り締めた拳に力を込めた。