『夜明けの精霊』
闃寂の中、棺に寄り添うのは一人の青年。
降り頻る雨、傘もささずに棺を愛おしく眺めている。
「大雨」
青年の後ろから女が名を呼ぶ。
「彼女は、たった一人で死んでしまった」
「ローレライ……どんな気持ちで逝った?」
「……分からない……。苦しんでいた事も悩んでいた事も知っていたのに、何の支えにもなれなかった」
嘆く青年に、女は掛ける言葉を選んでいた。
「ローレライは……どんな人だった?」
止まない雨を憂うように、問いかける。
青年は、呼吸を整えながらゆっくりと語り出した。
彼女はとても静かな人だった。
他人と打ち解けるのが苦手で、話すのも遠慮がちで、誰かに頼る事もしない、そんな人間だ。
気になって仕方がなかったので、青年は彼女と話をした。
「何をやっても上手くいかない。ダメな人間なんだ。言いたい事も話せない、想いも告げられない。辛い思いをするくらいなら、友だちなんて要らない」
彼女の口から出た言葉は思わぬものだった。
挨拶をすればちゃんと目を見て挨拶を返してくれる。ありがとうございますも申し訳ありませんもちゃんと言える人だ。
だから、そんな風に思っている事に青年は驚きを隠せない。
「対人恐怖症?」
「自分以外の人間はどうでもいい。でもあたしは生き延びる。あんな奴らと一緒に死にたくない」
過去に何があったのかも少しずつ話してくれた。
新社会人でブラック企業に入ってしまい、酷い仕打ちを受けた事。その後違う職種に就くも、性格の事や口臭の事など仕事以外の小言を言われ鬱になった事。転職を繰り返したが何処に行っても性格の事と声の事を指摘され、躁鬱になってしまったこと。人と関わる事に嫌気がさし、心を閉ざしてしまったこと。不安障害も日に日に悪化し、自分すら見えていない感覚に陥っていたこと。
彼女がどんな思いで生きてきたのか、青年には理解し得ない。
辛苦をともに出来る仲間も居らず、たった一人で戦ってきたんだ。
「生き延びたいって言ったのに……」
「ローレライは、それしかないと思ったんだろう」
「世界が敵に見える。皆が自分の悪口を言っている。そう話してたよ。被害妄想なんかじゃない。彼女は沢山傷付けられて、あいつらに殺されたんだ」
「その当の本人達は知っているのか?」
「知る訳が無い。今頃、結婚でもして勝手な幸せ築いてるよ。彼女の事なんか綺麗さっぱり忘れてる」
「どうしてわかる」
「実際に聞いたからだ。子どもも出来て幸せですって笑いやがった」
「……そうか」
「全員、殺してやりたい」
「そんな事をしても虚しいだけだ」
「分かってるよ!だから……何も天罰が下らない事に腹立たしい」
「他人を傷付ける奴は自分が可愛いと思ってる奴らばかりだ。だから自分より劣っている者を簡単に傷付ける。見えない刃物で切りつけられたら、心が死ぬのは当然だ」
「ぶっ殺してやりたい」
「存在を無くしても、過去は無かったことにはならない」
「……なんで……一人で死んだんだ……」
「ローレライは、リセットをしたんだ」
若者自殺の絶えない世界。
いつから簡単に命を手放せるようになったのだろう。
リセットだとか生まれ変わりだとか転生だとか、そんなのクソ喰らえだ。
死んだら何も残らないのに。
「おれは……どうしたらいいの……」
「キミの死をローレライは望まない」
「なんで……救えなかったんだろう……」
「お前が悪いわけでない。ローレライを傷付けた者達が悪魔だったというだけだ」
「悪魔ならさ、殺しても罪にはならないよね……?」
「意識を保て。精神疾患だと思われるぞ」
「その方が都合が良いだろう?精神疾患なら尚更罪を問われない」
「そこまでしてローレライの鬱憤を晴らしたいか?」
「晴らしたいね。同じ苦しみを味わえばいいんだ」
「それが叶ったらお前は死ぬのか?」
「時期に死ぬよ。人間だもん」
「……死んでも、ローレライに逢える訳じゃないんだぞ?」
「……来世で逢えるよ。そう願うしかないだろ……。もう彼女には逢えないんだから……」
「輪廻転生なんてただの迷信だ」
「……キミは、おれを止めたいの?それとも、共犯になってくれる?」
「どちらでもない。見守るのが役目だから」
「そっか……。じゃあ、全てを見届けてよ。おれ、頑張るからさ」
「……大雨……」
止まない雨の中、青年は立ち上がる。
「──この手に握るものが微かにでも存在するのなら、おれは……彼女の想いを叶えたい。例えこの手が血に染まろうが、悪人になろうが構わない。想いを果たせるのなら何だって……」
意志の強い青年は、雨が止んだ翌日に実行した。
始終見守っていた少女の名は、ルキ。
青年の死を見届けた後、彼女もある計画を遂行した。
毒をばら蒔いた。
吸えば人間が秒単位で即死に至る猛毒。
この世界は手遅れだった。
治すにはこれしか手段が無かった。
選ばれた者のみが生存出来る世界。
理想鄉。
新たな世界で創る美しい幻想を。
漸くその第一歩が叶ったこの瞬間をこの目に捉えて。
後ろに跪く麗しい少女達。
最強の護衛も出来た。
そして、大切な存在である彼。
ここから世界が始まる。
本当の平等が示される絶対平和な世界を。
どうか、この願いが永遠に続けばいいと祈っていた。




