『最後の一人は死んでしまった。』
嘗ての仲間に裏切られ、ギルドは崩壊した。
「走れ!」
生き残ったのは、出来損ないと臆病者の二人だけ。
……仲間を盾にして、生き長らえた。
「何処に行くの……?」
「あいつらが追って来れない所まで」
「もう……嫌だよ……。ラピスだけ逃げて……」
「お前を独りには出来ない」
何処まで走れば良いのかも分からない。
沢山足を動かしているのに森の中は景色が変わらない。
「今更……なに……?あんなに仲間に助けられて犠牲にしてきて、あたしは見離されもしないの……?」
「自分で命を絶ったら、来世で会えないだろ」
そんなこと、随分昔の話だ。
会話の流れで来世があったらみんなでまた会おうと半分冗談みたいな約束をした。
根拠も無いのに、あの頃は全てが叶う世界だと思っていたんだ。
「この先……逃げきれても……どうやって生きていけって言うの……。路銀も仲間も何も無くなっちゃった……」
目の前が涙で霞んで見えない。
足元も覚束無い。
それでも、ラピスは手を離してはくれなかった。
「──少し、休もう」
一際大きな樹木の下に洞窟のような穴があった。そこに二人で入ってもキツくない空間で周りの草花が扉代わりになった。
「マリン。ちゃんと呼吸しないと苦しいだけだ」
息の仕方さえ分からなくなる位、走って喚いた。
喉は乾ききっていて、嗚咽もする。
ぐしゃぐしゃになった彼女をラピスは優しく背中を摩って支えていた。
「……ラピスは……仲間なんかどうでもいいもんね……?だから……サンゴやメノウを見殺しにしたんでしょ……」
「──そうしなければ、確実に死んでいた」
「仲間を盾にするくらいなら、あたしが犠牲になったよ……!出来損ないのあたしが生き残ったって何も出来ない……!死んだ方がマシなんだよ……!」
「俺は、お前と生きたかった」
抱きしめられながら優しく囁かれた言葉。
聞き間違いかと思った。
だって……ラピスには嫌われていると思っていたから。
「……こんな時だから、都合のいい事言ってるんでしょ……?パーティだって組んだ事ないのに……。話した事だってそんなに無いのに……。なんでよ……。ヒスイやエルメだって居たのに……」
「お前には、俺が傍に居ないとダメだと思った。守りたいと思った。お前が、メノウと恋仲だったのは知っていた。それでも……好きは変わらなかった」
この街の拠点でもあったギルド【アメジスト】。沢山の仲間が日々を過ごしていた。龍殺しや勇者奪還などの活躍も果たしてきた。成功率が高いと依頼も多かった。夜は毎日どんちゃん騒ぎで賑やかで楽しかった。
マリンもパーティを組んで何度か依頼を達成してきた。けれど、能力の使い方を制御出来ないのが難点で、"出来損ない”と一部の者たちから見下されてもいた。
ラピスは戦闘能力が秀でていて、いつも誰かから声を掛けられていた。好意を向けていた女子も多い。でも、人並み外れた強さは時に死を招き、戦う事への恐怖に苛まれ、"臆病者” と罵られることもあった。
そんな二人は同じ空間にいたにも関わらず、馴染みは無かった。挨拶することもなく、パーティを組むことも無く、ただ同じギルドの仲間という繋がりでしか無かった。
「……ギルドが襲撃された時、一番にお前を連れて逃げようと思った。お前さえ生きていてくれれば、他の仲間はどうでもいい。そう思える程、マリンの事が好きなんだ」
とても真剣な目でラピスは告白する。
その想いを、マリンはどう受け止めたら良いのか分からなかった。
「……辛い思いをさせてすまない……」
「……もっと……こうなる前に言ってくれたら、よかった……」
「ごめん……」
「……ラピスの気持ちは嬉しい。でも……あたしは貴方のこと良く知らない……」
「それでも良いんだ」
「……ダメだよ……。あたし……きっとラピスを傷付ける。余計な事して呆れられる……。知ってるでしょ……?能力も満足に使えない出来損ないなんだよ……」
「承知の上だ。強ければ良い訳では無い。弱くても嫌いにはならない」
「……肯定し過ぎなんだよ……」
「好いた女の戯言を真に受ける位、この気持ちは揺らがない。マリンが自分を卑下していようが構わないんだ」
「……良いの……?」
「あぁ。完全無欠の奴よりよっぽど可愛い」
「……か、可愛い……?」
「俺がお前を肯定する。だから、お前は自分を否定するな」
「……え?」
「約束」
差し出された小指に引き寄せられるかのように、マリンも自分の小指を出し、彼のと絡めた。
「能力操作は教える」
「……うん。ありがとう」
「俺も、もう逃げないから。ちゃんと戦う」
「……うん」
「──そろそろ此処も限界だ。森を抜けよう」
「抜けて……どうするの?」
「海がある。船を借りてこの国から離れる」
「……分かった」
呼吸を整え、周りの音に神経を研ぎ澄ませながら風の音に紛れて二人はそこから出た。
「一気に走るぞ」
「うん」
さっきよりも足が軽くなった。
土の凸凹や草木も気にならずに進む事が出来た。
後ろから僅かに聞こえてくる団体の足音。
いくら森だからと言っても、奴らの人数に敵う訳が無い。
「ラピス……」
「飛ぶぞ」
ガシッと強く腕を引かれ、そのまま足が浮いた。
ラピスの飛翔能力。森の中を一気に駆け抜け、海に出た。
二人で飛ぶのが限界。だから無闇に使えない。
「結構な数だったね……」
「すぐには追いつかれない。マリン、先に乗って」
「うん」
手際よくラピスが船の用意をする。マリンが足を掛けるとグラッと揺れた。
「波も安定してるから、今の内に」
「あたしが動かすよ」
マリンは操作能力も備えており、船を動かした。後ろを振り返ると追っ手の者たちが疲れ果てた様子で森から出てきた所だった。
嘗て【アメジスト】に所属していたセラフィナイトという能力の高い青年がある依頼で能力を暴走させ、国丸ごと消してしまった事件が起きた。無差別に人の命を奪った大罪人として一度は処刑された筈だった。
……それなのに、数年の時を得てギルドに現れた。変わらぬ姿のまま。
困惑と動揺が入り交じり、混沌と化した仲間達を有無を言わさず惨殺し始めていった。
丁度この日はアイリスとスピネルの結婚式を行っていた。
祝いの場に突如降り注いだ恐怖の雨。
祝福の為に、誰も依頼は受けず空けていた唯一の日だったのに。
それを一瞬で彼はぶっ壊した。
初めに狙われたのは主賓だった二人。
美しいドレスとタキシードが紅く染まった。
次にギルドマスターが首を撥ねられ、そこからは一気に死人が増えていった。
マリンは体調が優れなかったので休憩室で休ませて貰っていた為、存在には気付かれなかった。
けれど、外から聞こえる阿鼻叫喚に恐怖が勝り、逃げることすら出来ずにいた。
「マリン」
セラフィナイトが他の仲間達を手に掛けている隙に、ラピスが声を掛け、彼女を連れ出した。殺られる仲間達を見殺しにしながら。ギルドから出ると外にはセラフィナイトの仲間らしき者たちが待機していた。逃げ場をなくされたラピスはマリンを抱きながら飛翔能力を駆使し、森の中へと逃げ込んだのだ。
「追ってこないかな……」
「マリン。荒波程度には操れるか?」
「うん……。やってみる」
マリンは海の中に手を入れ、追っ手の者たちを睨んだ。
船で追おうとしていた彼らに荒波が迫る。その迫力に恐怖を感じ、逃げ出す者もいた。
「これで暫くは追ってこないだろ」
「そうだといいな……」
不安を拭えない。奴らはどうしたって捕まえに来る。
その中心にいるのが、嘗ての仲間でなければ容赦なく拒否も出来たのに。
現実が変えられないことを悔やんでも無意味だ。
起きてしまったことは受け止めなければならない。
仲間の裏切りも、仲間の死も。
そして、これからの生き方も。
暖かいと思ったら陽の光が射し込んでいた。そのせいか、いつもよりよく眠れた気がした。
「おはよう、マリン」
声を掛けながら部屋に入ってきたサンはにこやかな笑みを浮かべていた。
「……おはようございます。すみません、寝坊してしまいました……」
「大丈夫だよ。もっと寝ていてもいいよ」
「……いいの?」
「うん。いつもよりぐっすり眠っていたからね」
「じゃあ……もう少しだけ……」
「うん。ご飯は置いてあるから。僕は仕事に行ってきます」
「行ってらっしゃい」
部屋で彼を見送り、マリンはまた瞼を閉じた。
激しい荒波が容赦なく襲ってくる。
逃げるどころの話ではない。
このままでは船は沈没する。
見つけた島まであと少しだというのに。
「マリン!」
ラピスが必死に手を伸ばす。
でも、二人の手は重ならない。
波が邪魔をして、揺れに体勢が保てない。
「ラピス……」
何かに掴まっていなければ放り出されてしまう程に海は荒れていた。マリンの能力の副作用ではなく、自然災害のものだ。
加えて天候までも悪化し、一気に嵐が襲ってきた。
暗い上に定まらない揺れと波の雑音。
どれもが不安要素で解消の術は無い。
どうする事も出来ず、先に船が壊れた。
「えっ……」
バキッと思い切り真っ二つに引き裂かれ、マリンとラピスは海に投げ出されてしまった。
「マリン……!」
波に逆らうように手を伸ばし、必死に彼女を助けようとするラピス。マリンは泳ぎが得意ではない。波のある海では尚更、身体の動かし方すら分からなかった。
「ら、ぴす……!」
「マリン、手を伸ばして!」
「ダメ……!波が怖い……。ラピスは飛翔能力で逃げて」
「出来ないよ!お前を見捨てる事は出来ない!」
「このままじゃ二人とも死んじゃう……!ラピスだけでも……」
「嫌だ!助かるなら二人だ!」
「……もう……無理だよ……。ラピス……」
「マリン!」
息の仕方すら分からなくなったマリンは意識を失い、海の中に攫われた。ラピスはすぐに助けに向かおうとしたが波には逆らいきれず違う方向に流されてしまうだけ。
「マリン……!」
そう叫んだ瞬間、ラピスも波に攫われ、暗い海の中に引きずり込まれてしまった。
「っ……」
二度寝は良くないと聞いてはいた。
なんだ今の夢は。
もう6年も前の出来事なのに。
「……ラピス……」
海に攫われたマリンは、目を覚ました時、見知らぬ部屋にいた。見た事のない天井に初めて嗅ぐ匂い。
何があったのか思い出すまでに時間はかからなかった。
その弾みで気持ち悪さが込み上げてきて吐きそうになってしまった。
「我慢しなくていいよ」
具合の悪い彼女を支えたのは、穏やかに微笑む青年。その優しい声にマリンは安堵してしまい、抱えていたもの全てを吐き出した。彼は嫌な顔もせず、懸命に彼女を看病し、その甲斐あってマリンはやっと気持ちの整理がついたのだ。
あれからもう6年……。ラピスはどうしているだろうか。
思うのは彼の事だけだ。
「ただいま、マリン」
「お帰りなさい、サン」
丁度、夕飯の支度が終わった頃、彼が帰宅した。
サンは見ず知らずのマリンを受け入れてくれた。
その恩をいつか返さなければと思っている。
「いい匂い」
「先に食べますか?」
「……後にしようかな。今は、マリンに触れたい」
優しく抱きしめられ、マリンはビクッと肩を揺らした。
「ごめん、嫌ならまたの機会に……」
「いえ……。すみません……慣れなくて……」
恋仲だったメノウとはキスしかしたことが無い。ラピスとは指切りをしただけ。男の人に抱かれた経験が無く、抵抗も少しはあった。
「怖いなら無理強いはしない。マリンには辛い思いさせたくないからね」
「でも……ずっと待たせてる……。ダメだよ……」
「それなら、触れ合うだけなら大丈夫?徐々に慣れていけば良いんだし」
「……うん……。それなら……」
けれど、男の性欲は抑えが効かない。いくら我慢したって身体は耐えられない。その事をマリンは初めて知った。
「ごめん……」
紳士は狼と化した。
初めは痛みでよく分からなかったが、行為が進んでいく内に段々と快楽へと変わっていった。マリンも嫌ではなかった。拭えぬ怖さは多少あったが、気遣いながらしてくれるサンに全てを委ねたいと思ったのだ。
「……申し訳なかった……。こんな筈じゃ……」
行為が終わった後、サンは泣きながら謝った。
「いえ……。気持ちよかったので……」
「けど……怖かっただろう?恐怖を植え付けるなんて……」
「いや、後には引かないと思うので……」
「自分が情けない……。まさかここまで制御出来ないとは思わなかった……」
「男の人なら仕方の無い事ですよ」
「……次は、ちゃんとゆっくりやるから……」
「うん……」
「具合、悪くなったら言って」
恵まれている、とマリンは改めて思う。死んでもおかしくなかった状況で心優しい人間に出逢い、面倒まで見てもらっている。この境遇に感謝しなければならない。
「そうだ。明日、お祭りあるんだって。一緒に行こう」
「はい」
翌日。
マリンは自分が相当浮かれていた事に気付かされた。
最悪の再会。まさか、お祭りが公開処刑だとは思わない。サンも知らなかったらしく、二人は呆然としていた。
「どうして……」
街のど真ん中を占拠するように処刑人が連れていかれる。それを先導しているのが、ラピスだった。
6年も経ったのに、一目で彼だと分かった。
「マリン、顔色が悪い。帰ろう……」
「ごめんなさい、サン……!」
握られた手をマリンは振り解いてしまった。
「公開処刑なんて目に毒だ!」
「……惨劇なら一度経験しています……」
「だったら尚更だよ。感情が麻痺してしまう……」
「仲間がいるんです……!彼を止めないと……」
「マリン……!」
サンの制止も聞かず、マリンは走っていった。
人が多すぎて進みづらい。それでも、此処で止めなければラピスは戻れなくなってしまう。
「……ラピス!」
叫んだ声は喧騒に掻き消された。ただ呼ぶだけでは分かってくれない。マリンは顔を上げ、前方に手を翳した。
瞬間、処刑人達は四方に飛ばされ、先導していた彼が異変に気付いた。
「何事だ!」
「処刑人が吹き飛んだぞ」
更に煩わしくなる喧騒にラピスは静かに辺りを見渡し、マリンと目が合った。
「──久しいね」
戸惑う部下達を制止し、ラピスはマリンに向けて声を放った。マリンも彼の前まで進み出て、互いに再会を確認する。
「ラピス……」
「すっかり大人の女性だな、マリン。男が放って置かないだろう」
「……貴方は変わった……。何をしようとしてるの?」
「悪い奴らを排除しているだけだよ」
「……違う。ラピスはそんな手荒な事しない」
「そうかな。仲間を見殺しにする奴だ。他人を殺す事くらい、なんて事ないだろ」
「えっ……」
その言い方に違和感を覚えた。6年も経ったのだから話し方くらい状況の変化で変わることもある。けれど、今の言い方はあからさまに他人みたいじゃないか。
「……誰?」
「急にどうした。ラピスだよ」
「……だったら……あたしとした約束も覚えてる?」
「約束?」
「指切りした」
「……さて……?なんの事だか……。何せ6年も経ってるからさぁ」
「やっぱり……。貴方はラピスじゃない。正体を晒せ!」
ニヤッと口元に薄い笑みを浮かべた彼をマリンは別人だと確信した。
「──お前、ラピスと恋仲だったか?」
「その声……」
ラピスの姿をした青年は一瞬にして嘗ての仲間の姿に変わった。
「……セラフィナイト……」
「探したんだよ、マリン。6年もよく生きていたものだ」
「貴方こそ……」
「ボクは何度でも蘇る事が出来るからさ。加えて他人に変化する事も可能。最強でしょ?」
「ラピスはどうしたの?」
「殺した」
サラッと答えた言葉にマリンの思考が止まった。
「あいつとは違う国で会ったんだけど、気が合わないから首折っちゃった。ずっとマリンの事心配してたよ」
「……生きていたのに……」
「荒波くらいじゃ死なないでしょ。キミは運が良かった。それだけの話だ」
もう会えない。
本当はラピスも生きていていつかまた逢えると思っていたんだ。
「どうする?最後の仲間は死んでしまったよ。キミの事は見逃してもいいんだけど、ラピスが居ないなら生きていても無意味だよね」
「……それでも……ラピスに助けて貰った命だ。貴方にはあげない」
「お前、そんな強情だったっけ?」
「そうだよ……。もう、ギルドにいた頃のあたしじゃない」
「へぇ」
「ラピスを殺した事は許せない。でも、貴方を殺したいとも思わない」
「手は汚したくないか」
「セラフィナイト。貴方とも、此処で終わりにしたい」
「繋がりも断つと?」
「貴方を仲間とは思えない」
「……まぁ、お前を殺しても大した成果にはならないしな。好きに生きればいい」
興醒めしたセラフィナイトは踵を返し、人混みの中へと消えていった。
「マリン」
震えている彼女をサンが呼び寄せた。泣いている彼女を見て、思わず抱きしめる。
「……ラピス……」
もう二度と逢うことの叶わない彼の名を口に灯し、彼女は静かに目を閉じた。




